マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

根津教会

2023年06月28日 | 東京散歩

 今年の4月から参加している「オトコの料理教室」(正式名称味わいクラブ)は実は今年から、年12回のうち4回は「まち歩き」を実施することに変更となっていた。その最初が6月12日(月)の「根津・千駄木街歩き」で、文高連からガイドさんが派遣されてきていた。味わいクラブの参加者は16名で、小雨決行との会長連絡通り、小雨降る日、千駄木駅に集合した。
 コースは①根津教会→②旧遊郭跡→③根津神社→④夏目漱石旧居跡→⑤ふれあいの杜→⑥薮下通り→⑦森鴎外記念館→⑧団子坂→⑨講談社発祥の地→⓾須藤公園→⑪安田邸→⑫宮本百合子ゆかりの地→⑬高村光太郎邸跡→⑭青鞜社発祥地→⑮光源寺 と盛沢山の箇所を回るはずだったが、ガイドさんの懇切丁寧かつ熱心な説明で時間が足りなくなり、一部省略してのゴールとなった。ゴール光源寺ではお土産に昼食用のサンドイッチまで用意されていた。
 今回のブログでは最初に見学し、特に印象が強かった根津教会について綴ることにする。日本基督教団・根津教会は、その外観の美しさと珍しさに惹かれて建物を何度も撮影したことがあった。今回は予め依頼をしていたのだろう、内部見学が出来るという幸運。
 配布された資料によると、この礼拝堂が出来たのは、今から100年以上も前の1919年。1945年の東京大空襲でも奇跡的に生き残り、1910年代の木造西洋洋館が完全な形で東京に残っているのは非常に珍しいことだそうな。       

 2001年に国の有形文化財に登録された後、2009年には大規模なリニューアル工事が行われ、文化財である既存部分と新築部分が共存し、見事な調和を見ることができたのだった。

 静かに礼拝堂に入ると、まず目についたのが説教壇の位置だ。正面ではなく正面隅に置かれていた。会衆が座る椅子は扇形に配置され、今まで見て来た教会の配置とは明らかに違う。これは全会衆が牧師の説教により集中できるようにとの配慮で、メソシスト教会建築の特徴だそうな。宣教師(スタッフの方かもしれない)からも教会と建築物についての詳しい説明をして頂いた。


 


元・関脇勢の断髪式

2023年06月23日 | スポーツ

 21年夏場所限りで引退した元関脇・勢の引退、春日山襲名披露大相撲が6月4日(日)に両国国技館で行われ、観にいってきた。
 招待券は宮下公園ラジオ体操の常連で、お住いが伊勢ノ海部屋直ぐ傍にあるAさんから、5月28日(日)のラジオ体操時に頂いた。一時は伊勢ノ海部屋後援会々員であり、勢のファンでもあった私は、これは是非とも両国へ足を運ぼうと思った。ただ、この日は11時15分から6回目のワクチン接種が予定されていたので、取り組み開始11時にはとても間に合わないが、兎も角、勢の断髪式を一目見ようと、接種終了後出かけて行った。




 国技館着が13時過ぎで、十両までの取り組みは終了し、断髪式は既に始まり、勢は西正面を向いてほぼ中央に座っていた。名前を呼ばれた人が次々と土俵(土俵には当然敷物が置かれていたが)に上がり、勢の髷に鋏を入れた。
 西正面の次が向正面だった。呼ばれる対象が女性になると、女性が土俵に上がらないでも断髪の鋏を入れられるように勢の座る椅子は土俵の前に移動された。というよりも、やはり女性が土俵に上がることは許されていなかった。相撲協会は“土俵上女人禁制”をいつまで続けるのだろう、これは憲法違反だとの裁判を誰か起こせば面白いななどと思いながら2階椅子席から断髪式を見ていた。
 横綱・照ノ富士ら約250人が鋏を入れ、最後に師匠の伊勢ノ海親方(元幕内・北勝鬨)の止めばさみで大銀杏に別れを告げた。怪我を克服した不屈の土俵人生を紹介されると感極まったが、「感謝の思いしかない。これからもぶれない気持ちで大相撲の発展に尽力していきたい」と語り断髪式を終えた。
 優勝は無かった。大関にも上がれなかったが、綺麗な立ち合いの勢が好きだった。白鵬から金星をあげたときは飛び上がるほど嬉しかった。長い間お疲れ様でした。

 角界一の美声の持ち主と言われてきた彼は、歌を通じての交友関係が豊富だったのだろう、この日も15年の交友がある平尾綾香が『Jupiter
』など2曲を熱唱した。




 整髪後には演歌歌手山本譲二とのデュエットで『花も嵐も』、『浪漫』、『まつり』を披露した。会場は物凄い盛り上がりを見せた。
 その後横綱土俵入、幕内力士土俵入から始まり幕内取り組みへと進んだ。どの力士も全力でぶつかってはいないはず。本番の土俵とは力の入れ方が多分違うが、大相撲の面白い一面を見せてもらい満足だった。結びは照ノ富士対霧島(霧馬山改め)。横綱が最後を締めて終了。


野火止用水行(平林寺)

2023年06月18日 | 江戸の川・東京の川

  茅葺屋根の総門(県指定有形文化財)から真っ直ぐに延びている参道を進んだ。山門、仏殿、中門(通年閉門)、本堂へと続いている。総門から本堂まで、禅宗典型の、一直線に配置されているのだ。ここを歩むうちに平林寺の品格の高さを感じ、おのずから厳粛な気持ちにさせられる。
 取り分け、扁額「凌霄閣」が掲げられ、築350年と伝えられる山門が堂々としていて見事だ。江戸時代前期、平林寺が岩槻から現在の地に移転された際、山門もここに移転された。
 金鳳山と号する平林寺(臨済宗)は永和元年(1375)年に現在の岩槻市に創建された。寛文3(1663)年、信綱の遺命によって野火止(のびとめ)の地に移転された。この地には、信綱の命により開削された、玉川上水から分水された野火止用水が流れ、平林寺には平林寺堀が引かれた。水の利を得た地域一帯は、新田開発が進み、江戸近郊の農業都市として発展を遂げていった。本多家は平林寺を菩提寺とした。(写真:山門)

 参道左側にある放生池まで流れて来た平林寺堀は、ここからは逆に、参道に沿って山門から総門へと流れ、総門からは寺の外部へと流れて行く。(写真:参道沿いの野火止用水)










 菅原さんと私は「大河内松平家廟所」を目指した。本堂奥に広がる「廟所」は信綱の祖父大河内秀綱、父久綱に繋がる直系一族と、傍系大喜多家、右京太夫家の墓所で、170基もの墓石が一箇所にまとまって残存していた。このような大廟所を以前見た記憶がない。(写真:信綱の墓所)

 それにしても広大な敷地の古刹だ。平日故か、殆ど参詣者にも僧侶にも会わないという静寂さ。
 この日更に奥には進まず、平林寺を出て、平林寺向かいにある「睡足軒の森」を散策し、「架け橋」で昼食をとり、この日はお招きを頂いていた菅原さん宅にお邪魔した。


野火止用水行(史跡公園から平林寺へ)

2023年06月13日 | 江戸の川・東京の川

  6月1日(木)、菅原さんと今年2度目となる野火止用水を散策してきた。6月2日(金)に予定していたのだが、2日以降天候は雨気味との予報で、日程を順延ではなく、前倒しして出掛けていった。
 前回の散策では史跡公園から右に分流した「平林寺堀」を歩いたので、今回はここから進行方向を左に取り「本流堀」を辿って行った。東久留米駅からは史跡公園経由で新座方面へ西武バスが数多くスタートしているのだが、この時は生憎待ち時間が長いため、東久留米団地行きバスを利用し、終点から史跡公園まで歩いてからの出発となった。


 平林寺堀はその名前が示す如く平林寺本堂目指して流れて行くのに対して、本流は主として野火止緑道と呼ばれる平林寺の西側端を流れ、その先で飲料水や農業用水として利用されたであろう«本流»だ。本流の水量は、見た目平林寺堀の3倍はあろうかという流れで、この地点でも水は澄んでいる。
 分流後暫くは自動車道路の脇を流れるが、道路が右折する反し、流れは真っすぐ「本多緑道」へと進んで行く。関越高速道路と交差するまでの道は野火止用水中圧巻の景観だ。緑豊かな景色の中、用水開通直後もかくあったかと思わせるような清き流路だ。緑道左側には「本多の森お花畑」が現れ、4月には菜の花が、8月にはヒマワリが美しいとか。ここに寄らず先を急いだ。


 用水は関越自動車道を真っ直ぐ跨いでいたが、人が進み行くには用水とは違う跨線橋を渡らねばならず、本流からは一時離れた。伊豆殿橋で本流に戻って来られたが、ここからは前回歩いたと同じ道を進んで平林寺総門へ。
 かつて平林寺には入山したことがあったと思うのだが、確たる記憶はない。総門から本堂方面を眺めると、この寺の品格が伝わって来るほどの景観だ。

 


熱海伊豆山VIALAへ

2023年06月08日 | 

 5月22日(月)から2泊3日で妹夫婦と熱海伊豆山VIALAに宿泊して来た。
 東急の熱海伊豆山は3ヶ月前から予約可能なVIALAと2ヶ月前から予約可能なハーヴェストの二本立てである。最大の違いはVIALAにのみ各部屋に露天風呂が付いていることと、宿泊料金がルームチャージ制になっていることだ。妹夫婦はまだVIALAに宿泊したことが無く、是非一度宿泊したいとのことであった。最近は、私の方はVIALA宿泊を常としていたので予約の細かいテクニックにも慣れていて、その辺も上手に活用し難関の予約を通過していた。義弟のハムちゃんは車の免許を返納し、車も売却処分していたので、妹夫婦との旅にしては珍しい鉄道旅行となり、計画は私が立てた。(写真:VIALA棟)

 22日(月)は新宿から小田急で小田原に至り、「サカナキューイジーヌ・リュウ」(以下リュウと略記)で昼食。食後、小田原駅ルスカ内の魚力でお刺身などを、更に熱海ではパン類を購入してホテルへ。(写真:リュウの入口付近)
 この日は肴料理が評判の「リュウ」と、部屋食用に魚力で購入した刺身がメインだったが、二人とも美味しいとの感想だったので、案内した兄貴としては一安心。部屋は3人で一室しか借りなかった。部屋の利用料金が決まっているから、3人で1部屋に泊まると少し割安になる。妹夫婦との宿泊だと、気が置けない同士なので1室にしたのだった。この日、期待していた露天風呂へはハムちゃんはちゃんと入浴したのだが、妹は温泉が出ないと勘違いして入浴出来なかった。

 23日(火) この日は一日中雨だった。そこで散歩などはせずに、午前中はホテルのバスを利用して、その日の昼食・夕食と翌日の朝食を買いに行った。ホテルを出てから戻って来るまで僅か1時間しか要しないので効率が良い。午後はプールを利用した。今回の宿泊目的の一つで、私は存在は知っていたが、利用したことはなかった。この様な点は妹夫婦が慣れていた。雨模様の寒い天候だったが、温かめのプールでの水中ウオーキングで十分楽しかった。三人とも本を持ってきていたが、読書時間はあまりとれなかった。結局ご酒を味わいながら昔話に花が咲いた。3人は小山台高校の同窓生でもあった。(写真:プール)
 24日(水)、雨は上がっていたので、散策に出かけ、走り湯まで下った。熱海土石流の爪痕はまだ残っていたが、走り湯の噴煙は健在だった。帰路、私は小田原の魚力で、夕食用に天然ブリの切り身を購入し、帰宅の途に就いた。妹夫婦との旅行は今年だけで2度目だったが、まだまだ続きそうで有難い。