マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『江戸東京博物館 隅田川展』へ

2010年10月31日 | 映画・美術・芝居・落語

 もう1週間以上前のことになりますが、10月21日(木)「江戸東京博物館」へ出掛け”~江戸が愛した風景~”との副題の付いた「隅田川」展を観て来ました。この催し9月22日(木)~11月14日(日)まで開催されています。「江戸東京博物館」のホームページから、この「隅田川」展を紹介した文を抜粋します。

 『隅田川は、江戸の人々にとって輸送の大動脈であると同時に、江戸の名所として、あるいは江戸の名所を数多く抱えた川として深く愛され、親しまれてきた川です。そのため隅田川や、隅田川周辺にある数々の名所は、江戸時代を通じて無数の絵に描かれてきました。この展覧会は、当館が20年以上をかけて収集してきた隅田川の絵を初めてまとまったかたちで一挙に公開するとともに、他に所蔵されている名品とあわせて、描かれた隅田川の多彩な世界をご覧いただくものです。そして描かれた隅田川を通じて、江戸の文化や生活の中に根ざした隅田川というものを再確認していきたいと思います。』

 紹介文の通り、隅田川やその周辺の名所に出掛け来て遊ぶ、江戸庶民の活き活きとした表情が登場して来ます。舟遊び、食道楽、お花見などいわゆる物見遊山に加え花火見物や相撲見物、吉原通いの風景も描かれ、その風景の中心に隅田川が位置します。
 遊ぶ人々の溌剌とした表情が素晴らしいと思います。梁塵秘抄に登場する”遊びをせんとや生まれけむ”好きな言葉の一つですが、それを地で行く江戸時代の人々を浮世絵師達が表情豊かに描きました。200年ほどの年月を隔てても共感できる江戸時代の生活の一断面が描かれていました。
 庶民の表情のみならず隅田川近辺の名所図会も数多く登場して来ます。
乳待山や江戸中州や日本橋などです。遠景として描かれるのが富士山と筑波山の、今も遠望できる峰二つ。その頃の人々の方がこの峰への思い入れが深いようです。両国橋に群がる大多数の人の群れ。橋はこんなにも頑強だったのかと驚いていると、永代橋が真っ二つに割れ、多くの人が川に墜落していく有様を描いた絵もありました。
 一枚の絵の前で足が釘付けになりました。不覚にも絵の作品名を記憶して来ませんでしたが、隅田川とそこに流れ注ぐ神田川を中心に据えて、それらを見渡す大きな”眺望図”。柳橋で隅田川合流する神田川の上流を眼を細めてよく観ると、湯島の聖堂が描かれ、今の水道橋付近で神田川に掛かる箱橋が辛うじて見えます。
 当たり前ですが、普通、橋は人や車が通るもの。その橋は、それらの橋とは全く違って懸樋の橋です。そうです、”水道橋”名前の由来となったように、文京区関口にある大洗堰から地下に潜り、石造りの道を流れて来た神田上水は箱状で神田川を越えます。川を越えた上水は、武士や町人の飲料水や生活用水として用いられました。
 水の道が掛かる橋、その有様が実に小さな図として描かれています。距離感は別にしてこの鳥瞰図全体が江戸の町の精密な描写になっている事を知ります。”水道橋”は浮世絵に主役としても登場してますが、巨大な絵画のほんの一点にも正確に描かれていることに興奮し、感動しました。



 

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宇都宮餃子から足利学校へ

2010年10月30日 | 身辺雑記

 10月24日(日)、町内会の日帰りバス旅行が実施され参加して来ました。出掛けたのは栃木県。林檎狩り→宇都宮餃子で昼食→足利学校見学というコースで、老若男女37名が参加。主催は町内会の文化部と青年部です。
 
 町内会の活動に加わり始めてからこのバス旅行へは3回目の参加になります。一昨年が大山、昨年が川越。いずれも低廉な料金で、たっぷりと観光や食事を楽しめる内容でしたので、今回の旅行も楽しみにしていました。

 バスは定刻8時少し前に富士神社を出発。「首都高速中央環状線」を扇大橋から入り、東北自動車道を北上します。この日天気は晴れとの予報でしたが、それほどの快晴ではありません。東北自動車道を確か宇都宮 I Cで下車したと思いますが、記憶に自信がありません。バスは日光街道に入り、杉並木をぬうようにして荒牧りんご園へ。

 この林檎園では”陽光”をキロ1000円で、採った分だけ購入するシステムで、私は6個を狩って1080グラム。1キロは町内会からの補助があるので、1キロをオーバーした分の80円を支払いました。林檎狩の前に”陽光”を試食できます。林檎は好きな果物なので期待して味わいましたが、”富士”ほどの甘みはありません。かっては信州の宮田(みやだ)村へ出掛け、今年も”富士”を注文してありますから、ここでの購入は僅かにとどめました。(写真:荒牧りんご園にて)



 



 宇都宮餃子会館は宇都宮駅前にありました。駅東側は再開発が行われている様子で、今のところ高層建物は一切ありません。その広大な敷地にポツンと平屋作りの餃子会館はありました。建物には些か失望しましたが、昼食内容はまあまあ。餃子は宇都宮餃子の名に恥じず美味です。追加注文可能との事で、一皿追加し食しました。更にお土産に三色餃子を購入。(写真:昼食の一部)





 昼食後いよいよ足利学校を目指します。ここへは初めの”学校訪問”です。バスが足利学校に近づくと掘割が現れ、その向うに茅葺屋根が見え始めました。(写真:足利学校を囲む掘割)







 俄か仕込みの知識によれば、足利学校の創設時期については、諸説あり、奈良時代説や平安時代初期説、更には鎌倉時代説もあるようですが、いずれにしても中世における高等教育機関。室町時代から戦国の世を通じて関東地方の最高学府だったわけで、一時衰退しますが、足利の領主となった上杉憲実が再興に力を尽くし、その結果全国から数多くの学徒が集い学問に励んだとのこと。教育の中心は儒学。易学・兵学・医学をも教えたそうです。幾変遷を経て、平成2年に江戸中期の姿に甦り、今私達は往時の姿を見ることがで出来ます。

 入徳門から入り孔子廟にお参りの後、靴を脱ぎ庫裏・書院・方丈を観てまわりました。この様な場所で座して学問に接すれば、学徒の、学ぶことへの使命感は更に膨らんだ事だろうと推測します。ここに何故か「漢字初級検定問題」が置かれているのはご愛嬌か。(写真:入徳門)







      
(写真:手前方丈と奥は庫裏)



 楷樹や収納庫も観て回りました。広大な敷地の中に藁葺き屋根の建物が点在し、日常生活とは隔絶された別世界がそこにはありました。学校を出てその周囲を散策すると、大正・昭和のものかと思われる建物が散見され、足利が古き町であることが窺えます。(写真:大正時代の建物?)




 帰りのバスの中ではビンゴ大会が。文化部・青年部の方々のお骨折りに感謝しつつこのバス旅行を終えました。

 
 
 
 

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行政書士試験(その1)

2010年10月28日 | 行政書士奮戦記

 今年度の行政書士試験は11月14日(日)、東京都の場合、東大駒場校舎などの4会場に分かれて実施されます。この試験の試験監督員が公募されましたので応募したところ、2週間ほど前に「チーフ監督員としてお願いすることといたしました」との通知が来て、昨日、渋谷区道玄坂にある「フォーラム8」での打ち合せ会に参加して来ました。
 冒頭、東京都行政書士会の中西会長より受験応募者の状況が報告され、それに因れば、全国での応募者は88652名で昨年より3800人ほど増加し、東京都に限っても応募者が20300名で3080人ほどの増加。増加人数の大半が東京での増加とのことでした。
 行政書士試験は受験資格に一定年齢以上との制限条項はありますが、国籍制限も学歴制限もありません。謂わば誰にでも受けられる試験ですから、受験者数も増加の一途をたどって来ましたが、ある年から減少を見せ始めていました。それが又増加に転じたのは現代の雇用状況の反映と私には思えます。
 試験監督員の委嘱状の交付の後、会場責任者から「試験監督員マニアル」に沿って長時間に及ぶ詳しい説明がなされ、その後質疑応答が。質疑応答も20以上の質問があり、こちらもかなりの時間がかかりました。
 説明で強調されたことは、監督員の最大の仕事は、受験生が快適で公正な試験を受けられるような環境作りと、不正行為を事前に防ぐ為の適切な行動でした。説明を聞くうちに、その任務の重さがじわじわと伝わってきます。
 
 4年前、私は受験生の一員として、緊張感とある種の高揚感を抱きつつ試験会場に足を運びました。今年は立場変わって監督員として試験会場に入ります。受験生であった頃には想像してもいなかった成り行きです。
 都立高校在職中に30年間に渡り入学試験の監督を勤め、又昨年は芝浦工大付属柏中学での監督経験もあり、試験監督には一応慣れている積もりです。その経験からみると行政書士の試験もその流れは基本的には同じものと思いますが、細部はかなり相違し、緊張の度合いはこちらの試験の方が遥かに高く感じられます。それに3時間という長時間の監督、心を引き締めて役目を全うしたいと思うのです。

 

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『日本でいちばん大切にしたい会社』を読んで(その2)

2010年10月27日 | 信濃紀行

 (前回のブログの続き)
 「伊那食品工業」へ、今年は充分時間を掛けての訪問でした。
 10月18日(月)の午後と、19日(火)午前の2回出掛けました。初日は商品販売店へ。店内には、寒天にイチゴを混ぜたゼリーカップとミカンを混ぜたゼリーカップの2種類が試食自由の形で置いてあり、美味しくて4カップも試食してしまいました。そのゼリーを固め小さめの立方体にしてセロハン紙を被せたものが商品。ブルーベリー・昆布・イチゴ等を混ぜたものが何種類も販売され、こちらも試食自由。この日は体に良さそうなお土産を沢山買い込みました。(写真:商品販売店)



 宿泊は公共の宿「羽広荘」に。その宿に隣接する「みはらしの湯」からは晴天ならば南アルプスの山並みが遠望できるのですが、
残念ながらこの日は千丈ケ岳が微かに望める程度。(写真:展望できるはずの山々)









 翌日にも「伊那工業」を訪ねました。

 この日は主として”かんてんぱぱホール”へ。地域の人々の文化活動支援の目的で作られたこのホール、写真家「青野恭典フォトギャラリー」ともなっています。初めて青野恭典さんを知りました。登山家にして写真家と言えば白簱史郎氏が有名ですが、青野さんの写真の多くをみて又一人素晴らしい写真家を知りました。



 「日本で一番大切にしたい会社」に登場するどの会社も、社会への貢献と会社が長く存在し続ける事
を主目的として、過大な利益追求を目指してはいないようですが、口コミを通じ、又は各種マスコミにも紹介された結果として業績は緩い右肩上がりの曲線を描いています。従業員が自分の会社を誇りに思い、採用試験には地元からの応募者が多いのも頷けます。どの会社も地域に根ざし地域とともに存在しています。
 
 この日も多くの人々が”かんてんぱぱ”を訪れていました。再訪してその良さを改めて実感し、爽やかな気持ちで伊那を後にしました。

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『日本でいちばん大切にしたい会社』を読んで

2010年10月24日 | 信濃紀行

 かって『日本でいちばん大切にしたい会社』(著者:坂本光司 出版社:あさ出版)を読み、大きな感動を受けました。第一義的に会社の業績拡大を目指すのではなく、従業員やその家族、更には下請けをも大切に考え、地域や社会に役立ちその活性化をも目指す”志高き”会社。その結果として消費者の満足を得ようと志向する会社を紹介する本です。最初に出版された本では、「日本理化学工業」「伊那食品工業」「中村プレス」「柳月」「杉山フルーツ」の5社が紹介されていました。その後「その2」も発刊されました。

 因みに「日本理化学工業」は神奈川県川崎市にある”粉の飛ばないチョーク”を製造する会社で、従業員の7割が知的障害者です。「柳月」は北海道河東郡音更にあり、地元からもこよなく愛される菓子製造メーカーで創業63年になります。「中村プレス」は義肢装具とメディカルアート製品の開発・販売を行う会社。そして「伊那食品工業」は伊那市にあり、”かんてんぱぱ”で名高い、寒天を主原料とした食品製造会社です。「フルーツ杉山」は静岡県富士市のさびれた商店街に輝くフルーツ小売店です。

 本の冒頭の話に引き込まれました。
 今を去る昭和34年の事です。養護学校の先生が「日本理化学工業」を訪れ障害を持つ生徒の採用を願います。悩んだ末、社長大山泰弘氏(当時は専務)は採用を断ります。再三の依頼をも断られた先生は諦めきれず「せめて1週間、この子達に働く喜びを体験させてください」と、頭を地面にこすりつける様に懇願したそうです。その願いに負けて大山専務は就業体験を認めます。
 1週間の体験が終わろうとした前日、10数名の社員が大山さんを取り囲んで「あの子達を正社員として採用してあげて下さい。私達みんなであの子達をカバーします」と。社員みんなの心を動かすほど、その子達は一心不乱に働いたのだそうです。採用後幾曲折を経ますが彼女達は生産ラインの一翼を担うようになります。
 伝説的に語られるこの話をきっかけに、この会社は積極的に障害者を採用し続けることになり現在に至っています。
 
 これらの会社を何時かは訪れたいと思っていました。「柳月」へは昨年の北海道帯広旅行の折に立ち寄りました。噂に違わず、店員さん達の心のこもった接客態度に接し、絶品と称される安くて実に美味しいケーキの幾つかを食し、深い満足を味わいました。
 「伊那食品工業」(=かんてんぱぱ)を訪れたのは2年前。信州宮田村へ林檎狩に出掛けた際に訪れました。広大な敷地の中に工場やレストランはじめ商品販売店や”かんてんぱぱホール”と名づけられたミュージアムなどが点在していました。その日は時間があまり取れなかったので、販売店とレストランのみへ。レストランでは寒天を主原料とした低カロリーのメニューが何点も用意されていて、ダイエットが気になり始めていた私には嬉しい限りでした。
(この項 続く)
 

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