マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

玉川上水を歩く(その7)

2022年04月01日 | 江戸の川・東京の川

 3月19日(土)に玉川上水行を予定していたが、雨模様を警戒して1日延期し、20日(日)に「玉川上水駅」から終点の羽村取水堰まで歩いて来た。歩数にして3万歩を超えていた。第4回目の遡行で、最初の回こそ私独りだったが、2回目からは向丘の元同僚菅原さんが加わり、最終回には大泉の元同僚で先輩の石川さんも同行された。お二人は知り合いではなかったが、同じ高校教員だった身、話は通じ合うだろうと思ってお誘いしたのだった。お二人とも私の玉川上水行を知っての参加希望だった。




 9時25分頃「玉川上水駅」を出発。ここからは西武拝島線に沿う様に、その南側を拝島駅まで西に進む。ここでJR青梅線と交差し、今度は青梅線に沿うように北北西に進路をとる。多摩川と交差した地点がゴールだ。取水堰に着いたのは午後2時を過ぎていたので5時間ほど歩いたことになる。ソフト「乗り換え案内」で玉川上水→羽村間の鉄道での移動距離を調べると11.9km。ならば、全体として14kmは歩いたことだろう。ゴール地点で“投渡堰”(なげわたしぜき)を目撃し、目的を達成したのだった。
 通過したのは立川市・昭島市・福生市・羽村市の4つ。ほぼ川沿いを進むことと早とちりしていた私は今回は地図のコピーを用意していなかった。拝島駅から福生市の市街地までは川から離れての歩みが多くなり、石川さんが用意していた地図を見ながら進んだ。
 印象に残ったポイント6ヵ所を綴っておきたい。
 ①見影橋と源五右衛門分水
 「武蔵砂川駅」付近にあったのが見影橋。江戸時代から架かっていた橋が奇跡的に今に残るという古い橋で、上流から四番目の橋だったので「四ノ橋」と呼ばれたが、以後「旦那橋」→「御影橋」→「見影橋」と名称変更して来た長い歴史を持つ。その袂には明治時代の名主の名前をにちなんだ、「源五右衛門分水」の取水口の跡が残っていた。(写真:今も取水口はあった)







 ②残堀川との交差
 この風景を見た一瞬の驚きは忘れられないほど大きかった。玉川用水が突然姿を消し、交差する真下を見ると右図の様な景色が現れたのだ。近くに立てられた説明文読むと、この川は残堀川と呼ばれ、かつては「狭山池助水」として玉川上水に合流していたが、明治時代になって川が汚れてきたので、玉川上水の下を潜らせ多摩川に放流するように改修された。






 しかし、その後残堀川の洪水対策として、サイホンの原理を応用した「ふせこし」と呼ばれる工法で再改修され、現在では残堀川の下を玉川上水が下を潜っている。玉川上水は地下に潜るので一瞬消えたように見えのだった。







 ③砂川用水
 玉川用水から分水された用水は幾つもあるが、砂川用水もそのひとつ。明暦三年に開削されたというからその歴史は古い。武蔵野新田開発のため、松中橋から玉川上水に平行に東上し、五日市街道に沿って開通された。小部落に過ぎなかった砂川新田は五日市街道に沿って計画的に耕地が開発出来るようになったそうな。


 ④多摩川近し
 ゴール手前1.5km付近からは玉川上水を右手真下に眺めながら進んだ。左手には、あれが多摩川河川敷だろうなと思われる低部が望めた。その高低差にして10mはあるだろうか。当然玉川上水側はその分深く掘られ、そこを清流が流れていた。大変疲れてはいたが、森林浴にもなり、気分爽快となるフィナーレだった。

 ⑤玉川兄弟像
 羽村堰の近くには、庄右衛門、清右衛門の玉川兄弟像がある。玉川兄弟とは、玉川上水建設の功によって「玉川」の姓を許され、武士と同身分の扱いになった庄右衛門・清右衛門兄弟。昭和33年、この2人の功績をたたえる銅像が羽村堰に建てられた。

 杉本苑子著『玉川兄弟』は非常に面白く2度読んだが、小説では兄弟は2度失敗をしている。当初の計画では、青柳村(現国立市青柳)の多摩川河畔から取水すべく工事が始まった。神代あたりまで掘削して試験的に通水したところ、府中八幡付近の“悲しみ坂”のあたりで流水は地
中に飲み呑みこまれてしまい、下流まで流れなかったのだ。これが一度目の失敗。

 取水口を福生に替えて工事を始めるが、今度は当時の技術では掘りぬくことの出来ない大きな岩盤に突き当たってしまう・・・これが2度目の失敗。
 その失敗工事の跡が空堀となって福生市熊川の『みずくらいど公園』に残されている。
 “あとがき”で、杉本は「1、2度失敗したらしいと言われているがそれを裏付けに足る質の高いしっかりした、資料はない」と書いている。いずれにしろ難工事であったことは想像に難くない。
 




 ⑥投渡堰(なげわたしせき)
 玉川上水の凄い点は3つあると思う。羽村から四谷まで43km間に92.3mの高低差しかないこと。僅か8ヶ月で造り終えてしまったこと。そして分水点の投渡堰だ。
 羽村取水堰は1654年、多摩川の水を玉川上水へ引き込むために建設された。ふだんは門扉を閉じて水をため、堰と直角に設けられた第一水門から取水、30m下流にある第二水門で水量を調整して玉川上水へ流す。複数の支柱の間に桁を渡し、「投渡木(なぎ)」と呼ばれる横架材を並べて垂直材で支える構造。大水の際は、垂直材の丸太を取り払い、投渡木ごと多摩川に流してしまうことから、「投渡堰」と呼ばれている。

 大水が第一水門を破壊し、濁水が玉川上水に流れ込む被害を防ぐために、こうした構造になっている。現在の羽村取水堰は、1911年に木製からコンクリート造に改築されたが、基本的なしくみは建設当初のまま。360年以上にわたり、 玉川上水を守り続けている。(写真:こちらが第二水門か?)
 現在この投渡堰は土木学会選奨土木遺産に認定されている。
 
 

 拝島駅から青梅線で立川へ。駅ビル内の蕎麦屋で遅い昼食をとり、冷たいビールで喉を潤した。この瞬間の為に歩いたと思えるほど美味しかった。
  
 
 


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2 コメント

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みずくらいど公園 (馬場紘二)
2022-06-05 21:00:52
今日は、学校のあるこう会があって、福生から拝島まで散策してきました。途中、水喰土公園に寄りました。玉川上水の堀を掘っても掘っても厚い砂利層が水を吸い込んだことに由来すると、ありました。近くの熊川1番地石川酒造の居酒屋「いし川」で食事しましたが、お酒好きの方には、特におすすめです。
Unknown (マーちゃん)
2022-06-07 06:06:04
熊川1番地方面へ行く機会を作れるかどうかは分かりませんが、石川酒造居酒屋「いし川」の名前は「今後行きたいお店」に書き込んでおきます。

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