マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

花火観賞会、大成功

2012年07月30日 | 身辺雑記

 一昨日の7月28日(土)、我がマンション管理組合主催の「隅田川花火鑑賞会」を屋上で開催しました。この鑑賞会、10年ほど前に始め、当初は延べ60名以上の参加を得て、住民相互のコミュニケーションを深める上でも大変喜ばれていました。しかしこの数年は参加者が減少傾向にあり、今年は果たしてどのくらいの方が参加するか不安を抱えての開催でしたが、子供や女性を中心に50名以上の方が顔を見せ、大成功に終わりました。

 周囲には次々とマンションが建設されていますが、花火大火会場方向と東京スカイツリー方面には奇跡的にマンション等は建設されず、屋上からこの方面は、まだはっきりと見えています。今回のウリは「午後7時15分頃には、東京スカイツリーに照明が点される、その瞬間も見えます」でした。
 屋上にはビニールシートを敷いて座席を作り、照明を点します。ピザ・唐揚げ・ウインナー・焼きそば等の食べ物を用意します。氷で冷やしたビールや軽飲料水なども全て無料です。 
 今年からは理事では無くなった私は、自ら名乗り出て、この鑑賞会の実行委員長を引き受けています。更に”焼きそば”担当で、町屋にある業者さんから、鉄板焼き道具一式(含むプロパンガス)を運搬して貰い、この鉄板の上で、ウインナーと、焼きそば3人前を5回ほど調理しました。「焼きたてが美味しい」との言葉にひかれて、この数年同じスタイルで調理し、今年も15食”完売”となりました。



 驚きの現象が起こりました。今回の鑑賞会に天体望遠鏡が登場したのです。住民の方で、天体観察を趣味とする方が、超大型の天体望遠鏡をセットして呉れました。やや曇り始めた夜空。肉眼では見えづらい土星に焦点を合わせ、素人にも簡単に観察が可能な状態で、これには子供達が大喜び。観察の列が出来ました。私も初めてリングを伴った土星を観測しました。「来年も是非セットを」とお願いしました。
 
 
 20時30分、花火終了、理事を中心に片付け開始。後片付終了間際になっても、レディー集団10名ほどの円陣が崩れません。今までに無かったことで、初めて会話を交わした方同志もいるのか、まだ話し足らないのかは分かりませんでしたが、この企画を担当した面々は、住民相互の関係が深まっている事を目撃して、「大成功。来年も」と決意したのでした。

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尾瀬、爽やか(その2)

2012年07月29日 | 山旅

 尾瀬では、2つの異なる景観を楽しめます。燧ヶ岳の噴火によって出来あがった尾瀬沼と、至仏山と燧ヶ岳に挟まれた尾瀬ヶ原です、私はどちらも好きな風景ですが、最近は尾瀬ヶ原を訪れる事の方が多くなっています。
 その尾瀬ヶ原は、東西約6Km、南北約2Kmにわたって広がる、標高1400mの高層湿原です。その西端の山の鼻から東端の下田代十字路まで尾瀬ヶ原を横断して一泊し、翌日は、その北側の”東電道路”を通って山の鼻に戻って来るコース散策が今回の計画です。(写真:尾瀬ヶ原。背景は
燧ヶ岳)




 山の鼻には一周1Kmの見本研究園があります。昨年訪れた時はヒオウギアヤメ(カキツバタであったかも)の群落が観られたのですが、今年は殆ど見当たりません。鹿はニッコウキスゲのみならずアヤメも好物らしく、”鹿害”の大きな影響を受けていました。
 行く手右側の山容が牛の首に見える事から名付けられたと思われる”牛首”まで、尾瀬ヶ原を彩る、黄色いキスゲも藍色のアヤメも散見できる程度にしか咲いていません。やや大きめの花に目が向かないだけ、小さな花に目が行きます。私の後方を歩む女性3人組は、その花の名前を確認しながらの歩みですから、私からどんどん遅れていきます。3人を待っている間、私は周囲の山々を眺め、シャッターを切り続けました。(写真:微かに咲いていたニッコウキスゲ)



 花に魅せられて尾瀬を訪れる人は多いでしょう。花のみならず、尾瀬ヶ原の広大な草原も私は好きです。何時訪れても満たされたような気持ちになります。その上、至仏山や燧ヶ岳を望みながらの散策は、より豊かな気持ちにさせてくれます。高山植物では、ニッコウキスゲに替わり薄い黄色のキンコウカが一面に咲き誇っていました。
(写真:オゼアザミ)







     (写真:キンコウカ) 

 途中竜宮小屋を素通りし、沼尻川を越えて福島県に入りました。群馬県との県境は清き流れの川です。第二長蔵小屋着16時15分。コースタイム1時間45分のところを、3時間半掛けての歩みでした。

 明けて7月24日(火)、小屋でトモさんは「尾瀬に咲く花」なる冊子を購入しました。この花図鑑を頼りの花散策となり、歩みは昨日よりもゆったりです。湿原はどこでも標高1400m。再度、沼尻川を超え新潟県に入る辺り以外に、上り下りが全くありません。東電小屋ではコーヒーブレイクの小休止。初めて尾瀬を訪れたお二人は、山でコーヒーを飲むことも勿論初体験で、感謝感激される事シキリ。私は何時もの様に”イイトコ”取りです。(写真:福島県と新潟県の県境を流れる沼尻川)







       (写真:チトウと燧ヶ岳)

 ヨビツ吊橋では「東電小屋は閉鎖されたと聞きましたが営業していましたか」と尋ねる人あり。私の眼には東電小屋は営業している様に見えました。牛首で昨日歩いた木道に戻り、山の鼻で昼食。ここまで4時間半。鳩待峠への登りでは、3人とも昨日の下りより遥に楽そうで、冗談が飛び出します。私はいつの間にか「タイチョウ」と呼ばれていました。
 この辺りで、携帯の電波が届き始めました。ヒロさんへのメールには「骨折前に行かなかった尾瀬へ、骨折してから出かけ、歩き通して来たのは快挙です」とあったそうです。喜びが他のメンバーにも伝わりました。雨に降られるかも知れなかった尾瀬プロジュクト、成功裏に終わりました。(写真:帰路至仏山を望む)

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尾瀬、爽やか(その1)

2012年07月27日 | 山旅

 7月23日(月)~24日(火)、薄日さす尾瀬ヶ原を散策して来ました。

 今回の尾瀬プロジュクトをめぐっては、天候が二転三転、目まぐるし変転しました。16日(月)の天気予報では、当初行くはずだった18日(水)~19日(木)の尾瀬方面は雨。そこで出発を23日(月)に変更しました。ところが、17日(火)に関東地方は梅雨明け宣言があり、18日~19日は快晴でした。尾瀬行延期をチョッピリ後悔したのです。
 出掛ける前日の天気予報では23日は尾瀬方面は午後から雨とのこと。鳩待峠から尾瀬ヶ原へと下る木道は雨だと滑りやすいので、更なる延期も考えたのですが、メンバーのお一人は、25日に予定があり、結局最悪の日程で尾瀬に入って行くことになってしまいました。

 今回の尾瀬散策の最大の狙いは、骨折により身体障害者手帖を交付されたT・Hさんの歩行が著しく回復したことを記念しての山旅にあります。T・Hさんと親しく、車好きなT・Tさんも参加可能との事で、そのお二人と懇意の家人も一緒に行かざるを得ない心境になり、結局女性3名を私がエスコートする様な形での尾瀬行きとなっていました。
 23日、横浜を5時40分に出発したT・Tさんの車は6時半我が家到着。川越街道を北上し、T・Hさん住む和光には7時15分到着。所沢I・Cから関越道に入り、沼田I・C経由して尾瀬戸倉着10時20分。鳩待峠行き10時20分発マイクロバスはその直前に発車していました。

 戸倉からは尾瀬方面の空を眺めると比較的快晴です。暗かった気持ちもいくらか明るくなります。しかし雨の予報は午後3時以降。そこで早め早めの行動を取ることにして、戸倉から鳩待峠まではタクシーを利用しました。10分も走らないうちに先行していたマイクロバスを追い越しました。そして運転手さんからは「至仏山は見えていましたよ」という嬉しい話と「この数日間、山の鼻への下りでは、雨の為木道で足を滑らせ、足を怪我した人3名。内一人は頭を打って半身不随となってしまいました」との恐ろしい話。T・Hさんは雨の坂道で転倒し骨折という無念の体験をされた方。どんな思いでこの話を聞いただろうと気が気ではありませんでした。

 鳩待峠到着10時50分。11時には山の鼻に向けて下山開始。まずは岩で固めた道を行きます。昨夜来の雨でかなり濡れています。私の後ろにT・Hさんについて貰い、かなりゆっくり下った積りですが、後ろを振りむこと、何と家人が相当遅れています。尾瀬行5回の経験者とはいえ、病明けからこの方重いものを持って歩くことの殆どなかった家人は、滑りそうな道が辛そうで遅れ始めていたのです。
 より歩みをスローにしました。私たちパーティが追いぬいた人は誰もいません。この時期大量に入山している”クラブツーリズム”の数団体が物凄い勢いで私たちを追い抜いていきました。(写真:山の鼻への木道から見る至仏山)




 
 12時半、沢筋の橋を渡り、対岸に着いたところで昼食。陽が照り始めています。昼食時、湯を沸かし、味噌汁を味わう頃になるとメンバーの表情に安堵の色が濃くなり会話が弾みました。私は尾瀬でこの下りほど楽なところは無いと思っていましたが、左にあらず。人によっては危うい場所となりうる事を強く感じたのでした。(写真:熊出没注意点もあります)
 ここからは平坦な尾瀬ヶ原散策です。
(このブログ次回に続く)

 



 
下の写真はいずれも”山の鼻研究見本園で撮影したものです)

         (夏雲映す地溏)


        (自然見本園を見渡す)


   (ニッコウキスゲ 少ないながら咲いていました)

     (研究見本園から望む至仏山

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『素数ゼミの謎』(著:吉村仁 出版:文藝春秋社)を読む(その2)

2012年07月25日 | 読書

(前回のブログの続き)
 素数ゼミ(周期ゼミ)の3つの謎
 ①日本のセミなどは地中にいる期間は6~7年くらいなのに、周期ゼミは何故こんなに長年かけて成虫になるのか?
 ②なぜいっぺんに同じ場所で大発生するのか?
 ③なぜ13年と17年なのか?(周期ゼミには2種類存在し、13年ゼミと17年ゼミです)
 について、長年にわたり調査・研究を進めて来た吉村先生の仮説の第1は「幼虫ゼミの成長は気温に影響される」ということでした。但しこれだけでは、北アメリカで周期ゼミが発生することを説明出来ません。そこで視野を地球46億年の歴史に広げ、特に氷河時代を考察しました。

 セミ(祖先セミ)の化石は2億年前のものも発見されていて、恐竜が地球を支配していた時代には、もうセミは生存していたそうです。数え切れないほどの種類の動物が現れては消えて行った数億年をセミは生き延びてきました。しかし約200万年前に始まった氷河時代、多くの動物や昆虫が絶滅し、祖先ゼミも多くの地域で絶滅していきました。
 化石を調べると、北アメリカ中西部から東部にかけて、氷河の影響をそれほど受けなかった場所が幾つかあり、この様な”避難所”を古生物学では「レフュージア」と呼ぶそうですが、そのレフュージアで、細々と生き続けてきた祖先セミは、気温が低い環境ゆえ地中での成長速度が遅くなっていきました。これが①の理由付けです。

 レフュージアという狭い世界で、地中から地上に出たセミは交尾相手に出会わなくては子孫を残せません。「多数派」と一緒に地上に出て来ると交尾相手に巡り合う確率は高いのですが、「少数派」として地上に出てくると交尾相手に遭遇する確率は相当減少します。その結果、長い長い年月の間に「少数派」は消えていきました。結局、発生年のぴったりあった子孫(=多数派)だけが生き残ることとなりました。やがてアメリカ各地のレフュージアでは、長い周期ごとに一斉に出てくるというライフスタイルのセミの群れが出来あがっていきました。 
 狭いレフュージアの中で現れる仲間だけが交尾相手なので、生まれた場所から離れると、交尾のチャンスがいっぺんに少なくなります。臆病にも故郷を離れずに仲間のいる所へ集まって来るセミだけが子孫を残せることになりました。こうして残った子孫は「定住性」を身に付け、仲間がたくさんいる場所に集まろうとする「集合性」も身につけていきました。ここまでが②の理由付けです。

 周期の異なるセミの交尾を交雑と呼ぶそうです。(妙な、しかし意味がよく通じる呼び方ですね。)交雑の回数の多い群れほど先に絶滅してしまうことが「数理生態学」的に説明されましたが、ここを私は上手く説明できません。
 さて、17は素数です。ある数とある数の最小公倍数は一方が素数であれば最小公倍数は大きくなります。周期ゼミで言えば、周期が素数である周期ゼミの方が他の年数を持つ周期ゼミと再び出会う年数が長くなります。言いかえれば、交雑の確率は低くなります。地中での生活が考えられる12年~18年のうち、その周期が素数であることが、13年と17年の周期ゼミが今日まで生き延びた最大の理由であるとして、吉村先生は説明を終えました。

 かなり込み入った理論を、中学生にも、高校生にも分かり易く説明したこの絵入りの本、科学の優れた読み物だと思いました。数学の、それも整数論の中心に位置する素数がこのように自然界との深い係わりを持っていることを改めて知るのは楽しく、嬉しいことです。
 

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『素数ゼミの謎』(著:吉村仁 出版:文藝春秋社)を読む(その1)

2012年07月23日 | 読書

 勤務し始めた中学校での配布プリント”スクール・ライブラリー”に「素数ゼミの秘密」が紹介されていて、図書館を訪ねると、職員室で、私の前の座席の先生(7月14日のブログに登場)がカウンター席に座っていて、その方は司書の先生と分かりました。「素数ゼミ・・・」の本を依頼すると直ぐに持ってきてくれて、その場で早速読み始めました。
 「素数ゼミ」に関してはいろいろな所で取り上げられ、記憶は不確かですが、テレビ”爆笑問題”に登場し、観た記憶もあり、大凡の事は知っている積りでしたが、著者が提示する3つの謎に惹かれて一気読みしました。

 2004年夏、アメリカのワシントンやシンシナティに50億匹ものセミが大発生。素数ゼミ(周期ゼミとも呼ばれます)の一種の17年ゼミでした。この17年ゼミ、16年間もの長い間地中で幼虫時代を過ごし、17年目毎に地上に現れ、数週間だけ凄い声で鳴き交わし死んでいくそうです。それも狭い所に集中して現れる、割合でいうと1平方メートル中に40匹もいる勘定だそうです。何故こんなことが起こるのか。色々な仮説があるようですが、生物学者吉村先生も、その不思議なセミの謎に取りつかれ、長年調査・研究を重ね、到達した考えをこの著作の中で、大変分かり易く、ユーモラスに解説してくれたのでした。

 
 3つの謎とは。①日本のセミなどは地中にいる期間は6~7年くらいなのに、周期ゼミは何故こんなに長年かけて成虫になるのか?②なぜいっぺんに同じ場所で大発生するのか?③なぜ13年と17年なのか?(周期ゼミには2種類いて、13年ゼミと17年ゼミ)

 少し長くなりますが、吉村先生の説(以後吉村仮説と呼びます)を私なりにまとめてみます。
 セミは地中での幼虫時代、木の根の水分に含まれる養分を吸収して成長していきます。その養分が多いか少ないかは周囲の気温に影響されます。要するに気温の高い場所ほど幼虫の成長は速くなり、それだけ速く地表に現れるわけです。逆に気温が低いと幼虫の成長速度は遅くなり、地中での幼虫生活が長くなります。地中生活が6~9年の普通ゼミ対して、地中生活が13年・17年の周期ゼミもいるというその差異は、気温に影響されての事と、まずは考えたのです。
 しかし、周期セミが暮らしている北アメリカが、他のセミが暮らす、例えば日本などと比較して特別寒いかと言うとそんな単純なことでは無いようで、”幼虫ゼミの成長は気温に影響される”だけでは全てを説明できません。しかし”幼虫ゼミの成長は気温に影響される”を基本のヒントにして更に考察を重ねました。
 地球の46億年の歴史、取り分け「氷河時代」を考えることにより、吉村仮説はその本質に向かいます。
(次回ブログに続く)
 
 


 

 

 

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