マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

羽黒山へ

2023年08月18日 | 山旅

 8月6日(日)、鶴岡駅を後にして、大島先生母さん運転の車は一路東方向にある羽黒山を目指した。
 出羽三山は山形県のほぼ中央にそびえる月山(標高1984m)・羽黒山(414m)・湯殿山(1500m)の総称で、六世紀には開山されたと言われるほどの、古き、信仰の山々である。三山といっても独立した山が3つあるのではなく、月山を主峰に、陸続きで北端に羽黒山が、西方に湯殿山が存在している。百名山に名を出すのは当然月山である。私は確か1980年に向丘高校の麻島先生グループの方々と東北ツアーに参加し、その時に月山に登った。高山植物が実に豊富に咲いていた。その下山後羽黒山に寄ったのだった。
 今回到着した地点はその時と同じ羽黒山山頂。「羽黒山山頂へは歩いて登られますか、車にしますか?」と聞かれ、「車でお願いします」と応えていたのだが、そこは遥か彼方が見渡せる所謂山頂はなく、羽黒山本殿(出羽三山神社)へと通じる地点だった。駐車場から緩やかな山道(参道でもある)を歩むと三神合祭殿。
 山頂に建つ出羽神社は三神合祭殿と呼ばれ、月山、羽黒山、湯殿山の三神を祀り、冬期間参拝が困難な月山、湯殿山神社の里宮としての役割を果たしているそうな。(写真:三神合祭殿)





 三神合祭殿に参拝後、大島先生から「下山道を下りますか」と聞かれ、菅原さんも私も気楽に、少しくらい歩こうとの思いから「勿論下山します」と答えてしまった。
 確か上り2000段はあると言われている参道の下りだった。少し雨が降った跡が残り、急な階段が続いた。道の左右は巨大な樹林帯。風通しの無い密林のような夏山道の下山。そこで相当の汗をかいた。魚沼駒ケ岳下山の時の様な感じで、熱中症2歩手前の様な感覚。この下りが1時間以上続いただろうか。自分の足腰の弱さを実感する下山でもあった。

 ゴール地点にある五重塔は現在リニューアル中とのことで姿を全く見せてくれなかったことがくれぐれも残念なことだった。ここからは松ケ岡を目指した。(写真:国宝の五重塔)


トムラウシ、遥かなり(その2)

2022年02月11日 | 山旅

 トムラウシ山行の2日目、この日も快晴で、白雲避難小屋からの展望が素晴らしい。忠別岳から五色岳へ長々と続く尾根筋や高根ヶ原などを前景にして、遥か彼方に冠型をしたトムラウシまでが見渡せたのだ。例えるならば尾瀬ヶ原を数倍にしたような風景が展開されていた。
 朝5時にスタート。イワカガミなどの、豊富な高山植物の群落を縫うように快調に歩を進めた。しかし大きな不安があった。この辺一帯はヒグマの生息地なのだ。多くの登山者はスプレーなどの熊対策を用意して入山することだろう。とある大学の山岳部は花火を打ち上げながら進んだとか。私達は鈴以外の用意をしていなかったので、賑やかな6人パーティーのやや後からの行進というズル。(写真:白雲避難小屋から遠くトムラウシ方面を望む)

 ヒサゴ沼までは距離は長いが、ゆったりした尾根コース。前景にトムラウシを望みながらの尾根歩きは爽快だ。尾根は忠別岳(標高1962m)・五色岳(標高1868m)へ経て仮雲岳(標高1954m)へと続くが、その標高が物語るようにアップダウンの少ないコース。先行の6名にやや遅れるように、私達も7時間20分でヒサゴ沼避難小屋着。(写真:五色岳山頂にて。遥かにトムラウシ)
 (16年前はここでもテントを張った。テントの中からヒサゴ沼水面に映る山肌や豊富な残雪が見られた。食事の準備を終え、その日の行程を振り返りながら酌み交わすひと時は別天地に入り込んだ感覚がしたものだった。)

 第3日目 朝起きると辺り一面はガスに覆われていた。ラジオの天気予報は「今日から明日にかけては雨」とのこと。友と相談し、五色ヶ原周辺の散策は断念し、トムラウシ登頂後は一日早めの下山に計画変更。「日本庭園」辺りからは雨が降り出し風も強くなってきた。登るにつれて風は更に強くなり飛ばされそうにもなったが、3時間20分でトムラウシ到着。残念ながら山頂からの展望はゼロだった。(写真:トムラウシ山頂にて)
 トムラウシから一気に高度を下げ「前トム平」でまで来ると雨は止み、風もおさまって来た。天候に煩わされることなく昼食をとったことをはっきり覚えている。しかし、ここからの下りが難儀だった。雨は激しく降りだし、道はぬかるみ、何度か尻もちをついた。地図表示のコースタイムを大幅にオーバー。下山がこんなに長く感じたのは、百名山最終登山だった魚沼駒ヶ岳以来のこと。山頂から「短縮登山口」まで6時間も掛かってしまった。
  疲れ切って下山口に辿り着き、ふと見ると一台の車が停車していた。ずぶ濡れの身、乗車を頼むのは気が引けたが、お願いすると快く乗車させて下さった。明日の登山の入口視察だそうな。車でも20分の距離だったから歩けば2時間は要しただろう。下山後に他力をお願いしたのはこの時が初めてだったが、感謝!感謝!の一幕。
 予定より一日早く着いたトムラウシ温泉・国民宿舎東大雪荘に空き部屋は無く、大部屋での雑魚寝。2日間ここの露天風呂に何回も入り疲れを癒し、帰宅の途についた。
 
 北海道の雄大な自然と荒々しい天候の一端に触れた山行だったと思う。もうあの山に登ることは叶わないだろうが、その麓に抱かれたトムラウシ温泉東大雪荘の湯にはもう一度浸かってみたい。


トムラウシ、遥かなり(その1)

2022年02月04日 | 山旅

 2020年の初めの頃だったと思うが、大学時代の友人H君やM君などが文理学部理学科の同窓会を模索し始めていた。私は数学専攻の仲間の住所やメールアドレスを連絡した。彼らの元には多くの情報が集まり、秋には同窓会を開催しようと盛り上がっていた。しかし、コロナ禍は収まらず無期延期。
 それを残念に感じたM君の提案で2021年の2月には4人がリモートでの“再会”を果たし、これまでの40年間を語り合った。私は主として百名山を登り終えた話した。その後H君からは彼が作成している冊子に登山について投稿して欲しいとの依頼があった。一度は断ったが、再度の依頼に応えて、13年ほど前に書いたブログを参考にしながら、一番印象に残っている、北海道のトムラウシ山について書き記した。写真は新しいものを加え、
その文章をここに綴る。

 『長年の目標の一つだった「日本百名山」を、魚沼駒ケ岳を最終として、登り終えたのは65歳のときだった。その後、「どの山が一番印象に残っていますか」とか「もう一度登りたい山は?」など聞かれる度に、私は躊躇うことなく、「トムラウシ山です」と答えてきた。そう、北海道のほぼ中央に位置し、そこまでのアプローチの非常に長いトムラウシ。岳人憧れの山とも言われるトムラウシ。幸いにも、山の友に恵まれて、私は1991年と2007年の2回、この山の頂に立つことが出来た。1度目の記憶を交えつつ、記録を残しておいた2度目のトムラウシ(標高2141.2m)山行を綴ることとする。

 第1日目 前日、羽田から空路で千歳を経由し、鉄道とバスを乗り継いで辿り着いた旭岳温泉「白雲荘」に岳友と私は一夜を憩い、翌日早朝、大雪山旭岳ロープウェイ乗り場「さんろく駅」へと急いだのだった。
 珍しいことに、この駅ではザックの重量チェックが可能で、岳友は15kg、私は16kg。4日間の食料を自前で用意しなければならないこの山行ではかなり重量制限をした積りだったが、二人とも15kgをオーバーしていた。終点駅「すがたみ」(標高1610m)に着くと、旭岳がはっきりと見上げられた。(写真:旭岳山頂で岳友と)
  最初に目指す旭岳(標高2290.9m)は百名山の一つで、山頂は北海道の標高最高地点。出発点から山頂が見えている登りが私は大好きで、気分爽快にスタートを切った。ただ浅間山に似てガレた砂地で足場が悪い。まだ登山に慣れない体に16kgのザックは脚にも肩にも食い込む。そこで極端に遅いペースで頂上を見ながら、50分歩き10分の休憩といういつものスタイル3本で山頂到達。この日は絶快晴で、旭川方面やこれから向かう大雪山系の雄大な山々が眺められた。
 ここから、この日の宿泊地「白雲岳避難小屋」までは豊富な高山植物や残雪を眺めながらの尾根歩きとなる。目指すトムラウシも遥か彼方に見渡せ、旭岳から3時間半で避難小屋到着。この時期小屋に小屋番はいるが食事は出ない。(写真:裏側からの旭岳。こちらはまだ残雪が)
 (第1回目の山行ではテントを張った。実はその時大失敗をしたのだ。テントの外に出しておいた登山靴が朝見ると無くなり、真っ青になった。直ぐに少し離れたところに放り出されているのを発見し、大事には至らなかった。多分キタキツネが食べようとして咥えていったのだろうが、食べられないことが分かり放棄したのだと思えた。以後の山行で靴はテント内に入れるという教訓は必ず守っている)

 


「八国山緑地」へ

2020年10月30日 | 山旅

  10月26日(月)、大泉高校での先輩同僚の石川さんと八国山(はちこくやま)緑地へ行ってきた。石川さんは東京歴史散歩への参加を希望されていたが、雨で中止。楽しみにしていた再会は叶わなかったので、高尾山登山を提案した。ところがこの時期高尾山は紅葉の季節到来で人口密度が濃くなるので避けたいとのこと。代替案として八国山緑地へのお誘があった。初めて名前を聞く、見知らぬ地域だったので、喜んでご一緒した。
 待合せは西武新宿線東村山。この日は次の様に回った。
 東村山駅→正福寺→市立北山小学校脇→ころころ広場→尾根道→(昼食)→尾根道→おおぞら広場→市街地→東村山駅

 東村山は新型コロナ感染症が原因で亡くなられた志村けんさん出身の地。駅前には彼の活躍を記念して「志村けんの木」が植えられていると聞いてはいたが、この場所を特に捜すことはしないで、市街を石川さんに案内されるように散策開始。まず向かったのが正福寺。実は掛かりつけの歯医者さんに「来週八国山緑地に行くのです」と話すと、「私3週間前に行ってきました。そこには国宝の正福寺がありますよ」とのことだったので、是非立ち寄ろうと考えていた。(写真:正福寺本堂)



 正福寺は鎌倉時代中期に建長寺僧石渓心月の開山により創建されたと伝えられる、臨済宗建長寺派の古寺だ。その地に1407年に建立された地蔵堂は国宝の指定を受けている。千体地蔵堂とも呼ばれ、建造物として都内唯一の国宝と知ってビックリ(現在は迎賓館も国宝に指定されている)。こけら葺きの屋根が美しい曲線を描いている。このお堂の中に900体もの地蔵さまが祀られているそうな。本堂も立派で墓地も広かった。私などが初めて知る、地方の名刹。(写真:国宝千体地蔵堂)



 この寺の墓地を抜け、市立北山小学校を過ぎると、八国山緑地の入口の「ころころ広場」で、保育園児たちが遊んでいた。緩い傾斜を上りきると尾根道に出た。その後はアップダウンの殆どない、快適な散策。尾根道の右側は東京都で左側が埼玉県所沢市。この稜線は県境で、八国山という名称の由来も、かつては上野・下野・常陸・安房・相模・駿河・信濃・甲斐の8つの国を望むことができたことに由来するそうだ。今は所沢の市街が見渡せる以外展望は開けていなかった。


 尾根道ハイキングは2キロほどで市街地へ下山。午後2時過ぎには東村山駅に戻ってきた。帰宅して歩数を調べると1万5千歩。
 山道途中での休憩時と昼食時に石川さんと色々お喋りをした。懐かしい話題も多々あり、それが一番楽しかった。高度差の厳しい登山より、軽い登山が適していることを実感するハイキングでもあった。
 後日、石川さんから来たメールには
 「八国山稜線上でコナラの幹から出ていた木くずはカシノナガキクイムシという体長数ミリの甲虫の仕業でした。翌日公園管理者(狭山公園パークセンター)に問い合わせたら既に承知していて対策を考えているところでした。拡散力が大きく、放置すると大きな被害が出る有名な害虫なので心配していました。」とあった。
 当日、石川さんが甲虫を発見した瞬間の、目の付け所にビックリしたのだが、その後の対応にもただただ感心するばかり。
 


酒田漁港・藤沢周平記念館を経て裏磐梯へ

2019年08月15日 | 山旅

 今回の山行、計画した鳥海山登山は不首尾に終わったが、特に計画はしていなかった俄か観光は楽しく終わった。
 8月9日(金)10時頃、湯の台口駐車場を後に酒田漁港に向った。8年前、JR東日本が「新青森開業記念」として4日間連続で利用出来る特別切符を発売した際、弘前など北東北を旅し、酒田も訪れていた。その折に酒田漁港での昼食が安くて、魚は新鮮で実に美味しかったことを覚えていた。
 さかた海鮮市場2Fにあるお店は「海鮮どんやとびしま」という名前だった。11時開店なのだが、11時少し過ぎた時間帯には既に長い待ち行列が出来ていた。並んで待つ間に遠目にも見えるメニューから、4人とも「舟盛膳」(1000円。下の写真)にしようと決めていた。

 




 しかし、私達が注文する前に品切れとなり、作戦変更で、1000円の「刺身定食」3名と「とびしま膳」1名に。更に岩ガキを加えるもの2名。東京ならば2000円はすると思われる定食に舌鼓をうった。新鮮な刺身10点盛り。実に実に美味しかった。ここ酒田港から飛島へのは定期船「とびしま」が運航されている。(写真:刺身定食のうちの刺身)


 酒田から鶴岡に向い、鶴岡公園内の「藤沢周平記念館」へ。私は2度目の入館だが、掲示されているものを初めてのように熟読した。周平の心に生き続けたで間にあろう鶴岡・庄内の原風景の写真がいい。藤沢作品の全てが展示されている。大泉学園での書斎も展示されていた。藤沢ファンは多い。若菜さんはここを訪れたかったと言っていた。菅原さんは周平作品の全てを単行本で持っていて、しかもそれが全部が初版本とのことだった。(写真:記念館入口)










 特別展示は『又蔵の火』。これは、故郷・鶴岡の史実「土屋丑蔵・虎松の仇討」を作品化した仇討ものだそうで、本人は直木賞を受賞作品『暗殺の年輪』よりもこちらの作品のほうを評価していたそうな。ともあれ藤沢作品のうちでも初期のもの。(写真:文春文庫)













 この日の宿泊先は「東急ハーヴェストクラブ 裏磐梯グランデコ」。夕食は部屋食と決めていたから、鶴岡で食料等を調達しておきたかった。記念館のスタッフに聞くと、「主婦の店 イーネ」を紹介された。食料や御酒などを購入し、一路裏磐梯へ。
 リニューアルされた露天風呂(右写真)で寛いだ後は夕食。皆よく食べ、よく飲み、よく喋った。朝はバイキング。10時過ぎにスターし、14時には駒込着。この旅行での走行距離は1200Km近いと思われる。全区間を一人で運転してくれた草野さんには感謝!感謝!
 帰宅後に貰ったメールには皆楽しかったと記され、嬉しかった。終わり良ければ全て良し、か。