マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

1年ぶりの熱海伊豆山

2021年10月29日 | 

 10月25日(月)から28日(木)まで、東急ハーヴェストクラブ「熱海伊豆山」VIALAに3泊し、昨日帰宅した。新型コロナ感染者数が減少し始めていた9月下旬、まだ緊急事態宣言が継続中ではあったが、ハーヴェストの予約状況を見て、妻が予約したのだったかと思う。11ヶ月ぶりの、宿泊を伴う旅行であった。(ホテルベランダでの撮影) 
 東京都では飲食店の「時短制限」が解除された25日、往きは、東海道線を利用しグリーン車に乗車した。自宅を11時55分に出発すると16時10分にはホテル着。途中、駒込駅で昼食を、小田原駅で夕食を、熱海駅では翌日の朝食を調達した。妻の体調がホテルでの食事に適さない現状では部屋食にならざるを得ない。それでも「ラスカ小田原」内の鮮魚店「魚力」の刺身は安くて新鮮で美味しい。地元早川漁港から仕入れの魚があるかもしれない。


 26日の朝の天気予報は雨。散歩は断念し朝風呂に向かうと露店風呂には小雨がちらほら。しかし水平線付近の雲間には昇り始めた太陽光があった。案の定、直ぐに天気は上がり、比較的暖かい陽気のなかMOA美術館に向かった。この日が展覧会「琳派」の最終日。光琳・乾山・光悦・宗達・抱一など色彩豊かな作品を堪能した。写真撮影が許されているのが有難い。特に野々村仁清作国宝「色絵藤花文茶壺」をじっくり観賞出来た。(写真:右はMOAを特徴づける長いエスカレイター。下は「色絵藤花文茶壺」)

  

 27日は朝6時散歩に出かけた。今年7月3日、この地で起こった激しい土石流の映像には実に驚いた。熱海からホテルに向かうシャトルバスから何度も見た街に突然襲い掛かった土石の塊。26名の方の尊い命が失われ、まだ1名の方が行方不明だ。藍染橋の現場付近ではいまだ復旧工事が行われていた。海岸近くにある「走り湯」へと階段を下りて行ったが、途中から「立ち入り禁止」。やむ無くまき道を上ると、そこも土石流が襲い掛かった一角で、民家にはその爪痕がくっきりと残されていた。森り土が主原因とされているが最終結論に至るまでには多くの難問が控えているらしく、熱海市々議会は「100条委員会」を設置する方向と、テレビは伝えていた。
 この日朝食は私一人ビュッヘで食し、夕食はルームサービスで和食を頼んだ。28日、小田原「魚力」で夕食用の刺身など購入して帰宅した。(写真はルームサービスの和食)
 
 


家人の家事(男の家事かな)・・・妻の投稿から

2021年10月22日 | 身辺雑記
 今週は楽をします。妻がとあるところに投稿した「家人の家事」に私が登場していますので、それを借用しました。“家人”という表現は、とある方に注意されて以来私は使用していませんが、妻は、妻が夫を家人と呼ぶのは問題ないと考えているらしく、原文に何ら変更は加えていません。 
 『暮らし始めた頃、実に何もできないことを知った。「戦争未亡人」の子だから、おぼっちゃま育ちのわけがない。定時制高校→授業料の安い国立大学→改めての社会人 というまぁ結構苦労人の経歴であるが、そういう人は家事力もあると思っていた私は、世間の男たちを知らなかった。家人は、母親と妹というふたりに支えられて、高校時は昼は正規の勤め、大学時はアルバイトで稼ぎまくるという生活で、考えてみりゃ高度経済成長期の「猛烈社員」みたいな生活だったのだ、とは後で気がついたこと。
 ふたりでいるうちは。ごみで死にはしないから掃除は毎日じゃなくてもよかろうし、洗濯だって枚数揃えればいい、飲んだくれてそのまま寝てそのまま出勤したって(極稀ダヨ)誰が気づくわけもない。
 子が生まれてからは、男の家事で一番やりやすくカツ上達するのは、育児 と気づいた。保育園対応なんて、最高。勤務先を近くにできたので、専ら「送」は専門だった。何十年も前の話である。週明けにシーツやカバーの交換をしていると、「後光がさす」と褒めてくれるママもいたり、少し位時間に遅れたって、私には何かと「愛情が薄い」とか尖んがってくれる保育士さんたちも寛容だった。
 そしていよいよ今。家人の日常の家事は、食器洗い ごみ出し 朝の☕ 奇数日のスムージー 朝の掃除機かけ ベランダの水やり 週1の風呂掃除、炒め物などの調理、炒り(丹波)黒豆の黒酢漬け…と見違える程だが、一番は外廻り、買物と3区立図書館の本の借り・返却である(長時間歩くと死にそうな位の足の痙攣が出るようになってから、私はせいぜい3千歩程度に留めている。これが、コロナ禍下の外出減少とアイマチ足の機能の退化に繋がる不安はあるのだが)。これらが、ともかくこの分子が、まともに食事をしたり、文化生活を送っていられる原動力と言える。
 
 『九十歳のラブレター』(加藤秀俊)という作品がある。家人が借りてきて、「あぁ好みみたい」と思ったが、読み易くさらさらと読み終えた。小学校の同級生だったというおふたりだが、加藤さんは著名な社会学者で、その83年間は、日本の社会世相史ともなっている優れた著作と思う。
 それはさておき、「あなた」の亡くなった朝、加藤さんは「いつものように朝食の準備をはじめた」「果物は季節のナシとブドウ…ブルーベリー入りのヨーグルト…野菜ジュースをそれぞれの食器に用意し、コーヒーメーカー…セット…あなたのゆで卵は半熟で七分半、ぼくは…コーンフレークスとミルク…いつもかわらない我が家の朝食メニュウー」。心筋症の入退院と骨粗鬆症の「あなた」に代わり、数年来の加藤さんの役目だったそうだ。
 そこで思ったことは、これ位なら不器用な家人にもできるぞ、ナニセ習慣化すればという自信を持ってるからね。

『藤井聡太論』(著:谷川浩司 出版:講談社α新書)を読む

2021年10月15日 | 読書

 藤井聡太三冠の強さの本質に迫ろうとして、あるいは又藤井将棋の魅力を探ろうと、いろいろな書物が出版されている。その中でも特に十七世名人資格保持者谷川浩司が著した『藤井聡太論』が面白い。 谷川は“はじめに”で「将棋の世界はいま、歴史的な変革期にある。」と書き始める。その原動力のひとつが将棋研究にAIが取り入れられたことであり、もう一つが彗星のごとくあらわれた藤井聡太という天才だ。 
 本書は藤井聡太という巨大な才能の謎に迫ることを通して、新たな時代を迎えつつある将棋の現在と未来を展望し、読み応えのある「将棋論」
となっていた。(今回は敬称を略させてもらっています)
 谷川と藤井には共通点が多い。中学生でプロ棋士になったこと。詰将棋を愛好し、創作もすること。鉄道好きということ。(谷川は時刻表を見るのが大好きで、藤井は「乗り鉄」)。更に又二人とも数学好きであること。谷川は83年6月、21歳2ヶ月の最年少で名人を獲得したが、この最年少記録を藤井が更新する可能性があることも共通点として挙げておこう。
 従って、谷川の過去の記録や体験と藤井のそれを比較することに多くのページが割かれている。天才だけが知る若き天才の秘密に迫ろうとしたのが本書だ。
 終盤力については現在5連覇している詰将棋解答選手権が語られる。
 粗削りだった序盤は将棋AIを活用して指し手の精度がより向上していることが紹介される。(得た賞金で2台目のパソコンを組み立て、ディープランニング系のソフトで研究している)
 谷川が特に注目したのは中盤だ。今までに両者は2度顔を合わせ、谷川の0勝2敗。谷川は、特に持ち時間6時間という長時間の順位戦で対戦したときに計り知れない可能性の一端を皮膚感覚で見極めたそうな。藤井は50手目で104分の長考、谷川が1手指したあと、夕食休憩中も盤の前で再度の大長考。何時間でも考え続けられるケタ外れの「頭の体力」に谷川は驚愕したのだ。
 最年少記録などの記録を意識しない点も谷川は大きく評価している。今のより自分がより強くなることが使命と、藤井自身が語っているのだ。
 元名人中原は藤井将棋を「プロが観ても面白い将棋」と評価している。
 10月9日には竜王戦第1局で豊島竜王に逆転勝利し、タイトル4冠獲得への期待も高まっている。今までに将棋に無関心だった人々の関心をも集めたということが一番大きい功績かもしれない。所謂“観る将棋”ファンの増加だ。かなり年配と思われる女性の次の短歌が朝日歌壇に入選していたことには正直驚いた。
 “中盤に紗の羽織ぬぎ挑む棋士十九歳の目指す三冠” (9月12日の朝日新聞より)
 かつては将棋を指した私も今では観るのみだが、藤井が8つタイトルを全冠制覇する可能性のある時代に生きている。果たしてその瞬間を目にすることが出来るだろうか、楽しみにしている。


Bーぐる本郷・湯島ルートと傘寿と

2021年10月08日 | 東京散歩

 文京区コミュニティバスに第3の「本郷・湯島ルート」が加わり、9月30日(木)から運行が開始されている。このルート、文京シビックセンターを起点として、25のバス停で構成され、主に本郷や湯島を巡る循環コースだ。バスに限らず地下鉄などの交通網が増えていくことは嬉しい。運行開始前からわくわくし始め、9月24日(金)にその一部を歩いて来た。バスに乗車してルートや停留所の位置を知ってしまう以前に、コース概略の地図を頼りに停留所を探すのが面白いことを昨年冬に知った。







 さて、実踏の24日は①のシビックセンターから⑨の御茶ノ水駅前を経由して⑰の上野松坂屋前まで歩いた。春日通り、本郷通り、千川通りなど全て歩いたことのある道路上にバス亭は造られているので停留所発見は容易だった。ただ、バス停は右写真の様に未完成で、停留所名などは埋め込まれてはいない。紙の時刻表が貼られているのみだ。この循環ルートの1周の所要時間は50分と知った。
 このルートを見て、妻は都バスで御茶ノ水まで行き、そこからこのルートを利用して上野松坂屋まで行きたいとのことだった。画材店「トゥ―ルズ御茶ノ水」で孫たちの遊び道具を購入し、その後、上野松坂屋下車後「吉池」で刺身などを仕入れたいとのこと。私の傘寿の、祝いの刺身とご酒の調達が目的だった。

 10月1日が私の80歳の誕生日で、傘寿だった。ただこの日は教え子の「ひろこのうたうおはなし会」に出席することにしていたので、傘卒での一献は2日に日延べしていた。そこで2日に新ルートに初めて乗車し、吉池で刺身とご酒「〆張鶴 純米吟醸」などを買い終えて帰って来た。一献始める直前に義妹夫妻から焼酎3本セット「田苑」が届き、妹夫妻から貰った「〆張鶴」と併せてまずはこちらから味わった。共に旨い酒だ。二人だけの静かな宴だった。






 10月5日にラジオ体操を終了後、都バスで本駒込5丁目から上野松坂屋前へ。⑰から歩き始め㉓の菊坂通りを経て①のシビックセンターに。これで本郷・湯島の全コースを歩き終えた。



小石川植物園の年間パスポートを妻も購入

2021年10月01日 | 東京散歩

 私が小石川植物園の年間パスポートを2,500円で購入し、何回か植物園を訪れる話を聞いて自分もパスポートを購入したいと思っていたらしい。しかし、何せ足にも弱点がある。1日に3,000歩以上歩こうものなら、最後には痙攣に見舞われてしまう身だ。
 自宅から植物園に行くには、白山までは都バスを利用しても、その先、薬師寺坂の下り、蓮華寺坂の上り、御殿坂の下りと、坂の上り下りが待っている。そこを越え漸く植物園に着いたとしても園内を歩く余力は残り少ない。この点がネックになって、購入は諦めていた節がある。(写真:植物園温室に咲くムラサキマユミ)

 しかし、漸く楽な方法に気が付いた。タクシー利用ではない。そんな余裕は我が家にはない。都バスを2本乗り継げばいいのだ。上富士前→(上58 早稲田行)→千石3丁目→(上60 上野公園行)→白山2丁目、と行く。ここから植物園は近い。こんな簡単な方法に気が付かなかったのは私の怠慢ではあるが、ただ上野公園行のバスは時間帯によっては1時間に1本で、利用しやすい路線ではない。言い訳をすればそこが盲点になっていた。ただ時刻表を綿密に調べれば効率良く行けるはずだ。(写真:アサマフウロ)

 そこで9月26日(日)に二人して出掛けていった。上富士前を10時32分発に乗車すると、植物園には11時頃に到着した。自宅からでも30分強で、しかもあまり歩かないで植物園に到着することが分かった。
 この日は年間パスポートを購入後、まずは温室に向かった。道すがら、大学の頃休講の度に多くの級友とここにやって来たこと。まだ植物園が整備されていない頃、夜間に塀の穴を潜り、無賃で園内デートをしていたカップルのことなどを懐かしそうに語っていた。
 温室の脇に“メンデルのブドウ”と“ニュートンのリンゴ”が植えられていた。
 中学時代に、遺伝に関する“メンデルの法則”を学んだ。好きな分野だったので懐かしい名前だ。遺伝学の基礎を築いたメンデル(Gregor J Mendel 1822-1884)が実験に用いた由緒あるブドウの分株で、第2代植物園長を務めた三好学が、大正2(1913)年、チェコのブルノ―にメンデルが在職してた修道院(メンデル記念館)を訪ねたとき、旧実験室に残っていたブドウの分譲を依頼し、その翌年に送られてきたもの。その後、メンデル記念館のブドウは消滅したことがわかり、ここのブドウを里帰りさせて、現地にもブドウの株を復活させたとか。逆輸入というのだったか?