マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

麻布界隈の「東京歴史散歩」は13名の参加(前半)

2019年10月30日 | 東京散歩

 10月最終土曜日の26日、都高退教主催の「東京歴史散歩」は13名の参加を得て無事終了した。前日の25日は千葉県のみならず東京も激しい降りの集中豪雨にみまわれたが、予報通り翌日の空は晴れ上がり、遠く富士も見えていた。参加者13名の内訳は「都高退教ニュース」を観ての参加が4名、元向丘高校が3名、退職者会幹事が6名だった。(写真は麻布山善福寺で撮影のもの)
 10時に広尾駅に集合後有栖川公園へ移動。そこで自己紹介をしてもらい、資料をお渡しした。元同僚真中さん作成のプリントに加え、「江戸東京重ね地図」をコピーした現代と安政時代の地図を加えた。最下段の図が現代の地図で、当日訪れる場所とその移動順をも示したものでその通りに進んだ。

 
①の、斜面を活用して造られた有栖川公園を訪れたことのある人は僅か2名。園を一周したが、その広さに驚く人ありて「どの位の広さ」と聞かれ私は知らず。後に調べたら広さ67,000m2で東京ドームの5倍もありました。
 
南部坂を上り②ドイツ大使館公邸を見て③の「ありすいきいきプラザ」へ。実踏時にここは港区のコミュニティー施設と知り、その建物にも魅了されて、事前に見学をお願いししておいた場所。所長さんから快諾を得ての見学。この日は所長さん自らが案内して下さった。
 “高齢者のレクレーション・学習”や“区民の交流・コミュニティー”の場として集会室や健康トレーニング室などが用意され、浴室やカラオケ施設まで備えられていた。台風19号の時は一時避難所ともなったが、20数名の避難者はゆったり過ごせただろうなと推測できた。羨ましいほどの施設だが、地域間格差を実感する瞬間でもあった。




 ④のフィンランド大使館を眺め、⑤の天真寺の鐘楼と黒田家墓所を見学の後、⑥の安藤記念教会へ。大谷石とステンドグラスが有名なこの教会。大谷石造りの建物を外から眺めながら通り過ぎようと思っていたのだが、なんとこの日は内部公開の日。幸運にも2階へ上がり内部からステンドグラスを観ることが出来た。明るい陽射しを通して見るステンドグラスは美しい。(下の写真は大谷石で造られた建物)

  
 当教会の創立者安藤太郎についての面白い話を聞いたので付け加えておく。彼は徳川幕府の海軍操練所の生徒となり、榎本武揚に従い函館戦争に参加。敗れて獄に入れられたが、赦免の後明治政府の外務省に勤務。岩倉具視使節団として米欧を訪れた。その後夫人とともに洗礼を受けクリスチャンとなったそうな。(後半に続く)



「定泉寺こども食堂」

2019年10月27日 | 身辺雑記

 我が家から徒歩5分の地にある定泉寺も明暦の大火の後、駒込に移って来たお寺さんの一つ。創建に関しては「元和七年(1621)本郷弓町に堂宇を建立、増上寺定誉随波上人を開山に迎え、東光山見性院定泉寺と号した」とある。江戸三十三観音中九番目の札所で、十一面観世音菩薩を本尊としている。
 昨年の4月26日のブログに書いたように、ここの副住職さんは、私が高校で数学を教えていた頃の在校生で、朝の散歩で寺の前を通ると門前の掃除をしていることが多く、話し込むこともある。その折に「こども食堂」に参加させて下さいとお願いをしていた。




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月15日(火)の夜、予め勤務は休みにしてもらい、「定泉寺こども食堂」に参加して来た。2階にあるホールにはテーブルと椅子がセットされ、片隅には調理された3種類の料理が置かれていた。この日の参加人数を総勢で200人程度と見込んで、大量の料理が用意されていた。部屋の隅では多数の子供たちが遊んでいた。





 18時過ぎからこども達の食事が始まった。料理を乗せるトレイや盆を持つ列が出来始めた。実はこの料理、「こども食堂を支える会」代表の水木さんが中心になって調理したもので、水木さんに話を伺うと現在はとある小学校のPTA会長で、ボランティアの大学生と一緒に準備したとのこと。「本日のメニュー」には、☆鶏肉じゃが・☆キャベツとじゃこの卵炒め・☆ミートボールのトマト煮込みの3種類とあった。

  


 こども達は食事を終えると又遊び始めた。18時15分頃から大人の食事タイムで、私も列に並びトレイにご飯と3種類の料理を盛ってもらった。食事を始めると前の席は民生委員の方々で、横の席はラジオ体操仲間。会話を交わしながら食事を頂いた。手作り料理は美味しい。食事を終えた子どもたちは”くつろぎスペース”でボランティアの大学生に遊んでもらったり、仲間と楽しそうに遊んでいた。


 満足に食事がとれないこどもが増えてきての「こども食堂」と認識していたが、ここは食事よりも食事前後の遊びを楽しみにやってくる子供が多いようだった。この日は児童だけで150名の参加があったらしいが、皆元気過ぎるくらい元気に遊んでいた。帰りに門前で知り合いの方に出会い、聞くと子どもたちにお話をしてあげるとのこと。お話会も用意されていた。
 定泉寺を初めとして、大学生のボランティアや地域の人々の尽力によって支えられたこども食堂、次回は11月18日(月)開催とのことだった。


『パパ、I Love You!』を観る

2019年10月24日 | 映画・美術・芝居・落語

 4日前の20日(日)、本多劇場で『パパ、I Love You!』を観てきた。“カトケン”こと加藤健一主演・演出のコメディーで、実に面白かった。
 
台風19号が関東・東北を直撃した10月12日の朝、突然、都高教退職者会の元事務局長・寺井さんから電話が掛かって来た。主旨は「今日観に行く予定だった公演が中止となってしまいました。間もなく福知山に帰らなければならないので、替わりに行ってくれませんか」とのこと。寺井さんは、現在は郷里福知山に帰っていて、用事があると時々大宮の自宅に戻って来る、大のカトケンファン。以前も落語のチケットを頂いたことがあり、それもあってか私を思いついてくれたらしい。有り難いことである。
 
漸く、本多劇場への電話がつながり、12日の代替として千秋楽20日14時の観劇が確保出来た。私も“カトケンワールド”が大好きで、何度も観に行った。しかし、概して演劇はお値段が高く、定年退職した身からは遠ざかりつつある。
 下北沢駅は大きく変わり、小田急線と井の頭線の改札口が別々となっていた。私は小田急側改札口のうちの一つ東口(?)を出て、ビル内を通るルートで劇場裏側から正面へ。

 原作はレイ・クーニー、訳は小田島雄志・恒志親子、演出が加藤健一。購入したパンフレットから察するにレイ・クーニーは現在88歳になるイギリス人で“喜劇の王様”という異名を持ち、作家のみならず役者、演出家、プロデューサーとしても活躍中の御仁だ。
 時はクリスマス直前。処は英国、セント・アンドルーズ病院の医師談話室。主人公はそこに勤務する医師デーヴィッド(加藤健一)。大きな出世が約束された講演に向けて準備中だが、同僚の医師ヒューバート(清水明彦)が邪魔をしてきて、全く集中できないでいる。さらにそこに、かって秘密の関係を持った元ナースのジェーン(加藤忍)がとんでもないことを知らせにやって来た。「あなたとの間で出来た息子がいたの」との話だ。天地がひっくり返りそうな事態だ。妻のローズマリー(日下由美)にこのことがばれてはまずいし、講演の時間は刻々と迫ってくるし・・・。こうなったら“口から出まかせ”で逃げ切るほかないデーヴィッド。喜劇はここから始まる。(写真:主演の加藤健一)



 他に婦長(そのまま)・看護婦(そのまま)・患者・警官など総勢12名が登場してのドタバタ劇。刻々と変化する舞台。一糸乱れぬ進行。一つの嘘から絡まりだした糸が増殖を続けていく展開。息つかせぬ舞台はもう見事という他ない。
 これには舞台装置にも工夫がありそうだ。舞台は医務談話室の一つのみ。その部屋にはドアが4つ。雪景色の見える窓が一ヵ所。ここからも人が出入り出来るから、部屋に通じる出入口が5ヵ所もあるのだ。それでこそ12名の登場人物の流れが自由自在となる。スピーディな流れが可能となったのだと思う。カトケン健在を示す熱演で、久しぶりに笑い転げて帰って来た。(写真:同僚の医師を演じる清水明彦。人間関係図は最下段に)。

 今日の一葉:富士山初冠雪(23日朝撮影)
 



文京シビック合唱団第17回定期演奏会を聴く

2019年10月21日 | 映画・美術・芝居・落語

 10月19日()、ラジオ体操仲間の大橋千枝子さんからお招きを受け、小林さんと二人で「文京シビック合唱団」の第17回定期演奏会を聴きにいった。開場時間13時30分の少し前にシビックホールに到着。直ぐに入場できたので、大ホールの前から8番目のほぼ真ん中に着席。こんな前で演奏を聴くのは初めてだった。
 開演に先立ち合唱隊入場。ソプラノ51名、アルト50名、テノール16名、バス22名の合計140名ほどの構成だ。大橋さんの姿もはっきり見えた。そこへ指揮者松尾葉子氏登場。オーケストラの演奏はめったに出掛けないが、女性の指揮者は初めてのこと。プロフィールを読むと、1982年フランスのブザンソン国際指揮者コンクールで、日本人としては、あの小澤征爾氏に次いで二人目の優勝とあった。



 
今回はその彼女がイタリア作曲家べェルディの合唱曲を中心に曲目を組み「べェルディ・オペラ名曲選」と題して、第1部で3曲、第2部でオペラ「椿姫」セレクション。演奏は指揮者松尾氏プロデュースによるオーケストラの「アンサンブル・フォルテ」。(写真:第16回の演奏会で)



 前の方の席で聴く、140名からなる合唱もオーケストラの演奏も迫力があった。特にティンパニーの音は耳とお腹に響いた。
 以前にオペラ演奏を何時聴いたのか記憶は定かでない。「椿姫」は勿論初めてだった。ソリスト3人のジェスチャー交えての独唱は顔表現が豊かで面白く感じられ、特に椿姫演じる徳山奈奈さんに目が行った。(写真:間もなく演奏開始)


 シビックホール20周年を記念しての公演。気が付けば、シビックが建てられてから20年になるのか。“あっというま”の時の流れを感じてしまう。


シャンソンを聴きに

2019年10月18日 | 映画・美術・芝居・落語

 10月13日()、元同僚の小林奈緒美さんからお誘いを受け、「スタジオ ボン・クラージュ コンサート」を聴きに日本橋社会教育会館ホールへ出掛けた。小林さんが席を置いている会の第13回目のシャンソン発表会だった。音楽の素養の乏しい身、コンサートのことは後回しにして、コンサート周辺のことから書き始めよう。
 13日は、あの台風19号が通過した日で、まだ台風被害の全容は明らかになっていなかった。このコンサートも開催するか否かでさぞかし気を揉んだことだろう。開催に漕ぎつけてはいたが、集合時間には全員揃わず、上越新幹線を利用して漸く到着した団員もいたようだ。
 会場のホールにはこの3月に妹夫婦に誘われて「人形町噺し問屋」で三遊亭兼好の独演会を聴きに出かけていた。席数200あまりのこじんまりしたホールだが、前の席との段差が大きくて舞台は見やすく、音も聴きやすいホールだった。それもあってかこのホールの人気は高く、予約を取るのが大変だそうな。その予約を取ったのが奈緒美さん。
 奈緒美さんは覚えていないかも知れないが、今から30年ほど前、彼女が向丘高校へと転勤して来て間もないある日のこと。校門の立番当番が彼女と私に振り当てられた昼休時、私が「前任校で妻がご一緒でした」と語ったときの奈緒美さんの驚いた様子をよく覚えている。若い頃(今も?)の妻は怖がられる先輩だった。
 
お互い職場が違うようになってからはネットやメールが二人を繋いでいたように思う。こちらからは飛鳥山の花見へお誘いし、毎年のように参加して頂いている。私のブログも読んでいてくれて、私が書いた読書への感想メールが来たこともある。彼女からは、シャンソンコンサートや茨木のり子の詩の朗読会へのお誘いを頂いている。(写真は会の指導者の畠山文男氏)

 
今回の会場予約は彼女のお手柄。プリントされた「プログラム曲目紹介」も彼女が作成したはずだ。開演冒頭の「ごあいさつ」に登場した方が、第1回から今回まで皆勤の方が2人いますと、ピアノ演奏の方と奈緒美さんを紹介していた。などなどから察するに、彼女は縁の下の力持ち的な仕事をいとわない誠実なお人柄と私の目には映る。

 さて演奏会。第1部と第3部で団員が16曲のシャンソンを歌った。前回も思ったことだが、歌い手さんは皆楽しそうに歌っている様に見えた。独白にも聞こえる、恋人や懐かしい街への想いを語る、哀愁深い詩を、私はうっとりと聴いていた。第2部ではタンゴの演奏の後、畠山文男“先生”がスペシャルコンサートとして「パリ野郎」など6曲を歌った。
 最後に全員が舞台に登場し「パリのミュージックホール」を合唱。先生も含め団員皆さんの声量豊かなシャンソンを楽しく聴いた2時間45分。来年もお招き下さいとメールした。