マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

治療薬イベルメクチンはどうなったのだろう?(その2)

2021年08月27日 | 医療

 イベルメクチンには新型コロナの感染者数や死亡者数を劇的に減らす効果があるーーそんな臨床実験の結果が今世界で続々と発表されているそうな。日本でも北里大学がその治験を細々とながら続けて来た。 
 BS・TBS「報道1930」はその治験を主導する北里大学の花木秀明教授(大村智記念研究所感染制御研究センター長)に出演してもらい色々と聞いていた。

 この治験はダブルブラインド(二重盲検)と呼ばれる、非常に手間のかかる、大変な治験のようだ。治験参加に同意した被験者を2つのグループに分け、一方のグループには
本物のイベルメクチンを投与し、他方のグループには見た目では全く分からない偽薬が投与される。最大のポイントは、与える薬が本物か偽薬かを医者さえも分からないよう仕組みになっていて、その全体を把握している観察者のみが知っているという治験だ。
 イベルメクチンの販売権を持っているメルク社に治験協力を依頼したら断られた。そこで、日本の医薬品メーカー興亜と相談をしたところ、三輪社長から「利益を度外視し、国民の為、世界のため、イベルメクチンの新しい治験をしましょう」との話が立ち上がってきた。興和という製薬メーカーが乗り出してくれることで、今までより大規模な治験が可能となって来ている。イベルメクチンは安い薬なので大きな利益を見込めないからメルク社は共同治験に乗らなかったかもしれないが、逆に安い薬ゆえ発展途上国がいち早くこの薬を展開していった理由もそこにあった。

 世界の動き見ると、世界各国のイベルメクチンの臨床試験を調査・解析するFLCCC(米国の救急救命医学領域の医師らによって結成された組織)は「イベルメクチンは新型コロナに有効」として使用を推奨してきた。一方、
WHOは「証拠が非常に不十分」として使用に否定的な立場だ。









 そのような状況のなかで治験に向けた大きな動きが始まっている。アメリカでは政府関係サイトでの15000人参加者の募集を開始。
イギリスではオックスフォード大学主導で、自宅療養者を対象5000人のボランティア対象の治験が開始された。
 治療薬レムデシブルはアメリカでの認可が下りたので日本でも治療薬として認められ、健康保険適応がなされている。イベルメクチンに期待されるのは軽症のうちに投与して重症化を防ぐ効果があるか否か。


 花木教授以外にも武見氏(自民党新型コロナ対策部長代理)と岡本氏(立憲民主党政調会長代理)をコメンテイターとして招いていた。
 花木教授・・・治験は現在第Ⅲ相。年内にも終了し来年にも厚生労働大臣に申請できる。興和との話し合いでは今年中に治験を終わらせたい。



 武見氏・・・我が国には海外で治験実績がある医薬品・ワクチンには特例承認がある。国内で治験されたものについては特例承認の対象ならないという難しい課題を持っている。そこで緊急使用権限を我が国でもきちんと法例化しようと野党とも相談して、この緊急時に早く適用することを考えている。
 花木教授・・・アメリカでは緊急に治験をやってレムデシブルなど承認された。アメリカで承認されたものは、日本に持ってくれば1週間もあれば日本で承認されてしまう。それが日本ではなぜ出来ないのか。人命がかかっているからアメリカと同様な緊急使用権限を使えるようにして頂きたい。
 岡本氏・・・私たちは6月8日に法案を出し、自民党に審議の要請をしている。しかし国会を閉じてしまった。医師はイベルメクチンを処方することは出来るが、副作用が出た時の補償がない。補償が出来きかつ健康保険の適用が出来るようにしよういう法案で、患者には実質的に承認されたと同様の効果がある。特例承認ではないが、より医師主導で使えるように出来る。
 武見氏・・・緊急使用の新たな制度は昨年の10月頃から自民党のガバナンス小委員会の中では私たちは提言している。昨今はそういった認識を持つ仲間が増えてきている。与野党合意が出来る成案が出来て早ければ臨時国会に出せればいいと思っている。
 花木教授・・・大村先生は大変喜んでいる。効くかどうか判断した上で、効くならば多くの国民に飲んで頂きたい。イギリスやアメリカは国が主導で動いている。日本は逆で、我々の方から国に依頼して治験をやらせて下さと言っているが国は渋っている。日本では何故国の主導で出来ないのか。
 武見氏・・・この方面の担当者の中で、それほど積極的に資金を提供しようという認識が生まれてない。これを政治的な圧力でやらせるわけにいかない。野党の皆さんと協議し不当な政治的圧力と言われないようにしたい。

 日本は官僚主導国家と言われてきた。国民の命と健康を守る政策を積極的に推進しようとしない官僚たちの存在を武見氏は認めている。現政権には一刻も早く国会を再開し、法案審議に応じてほしい、と思う。

 

 

 


治療薬イベルメクチンはどうなったのだろう?(その1)

2021年08月20日 | 医療

 新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからない。東京都のモニタリング会議では専門家が「制御不能で災害レベルの非常事態だ」と現状を分析。医療提供体制は「深刻な機能不全に陥っている」とした。13日段階での東京都の感染者は5773人、自宅療養者と入院・療養調整中の者の合計は3万4千人を超えている。東京都医師会々長は厚労大臣に野戦病院的なものの建設を提案したと伝えられている。東京都はどうしてこの政策を取らないのだろう?
 特措法31条の2には、医療機関が不足し、医療の提供に支障が生ずると認める場合には、患者等に対する医療の提供を行うための施設であって都道府県知事が臨時に開設するものにおいて医療を提供しなければならない・・・と定められているではないか。

 一方、軽症・中等症患者向けの新治療薬の「抗体カクテル療法」が、医療機関で使われ始めている、との報道も目にした。少しは明るい話題だが、私はイベルメクチンに思いが行く。医療に門外漢の私が僭越にもこう書くのは、イベルメクチンについての、7月7日の
BS・TBS「報道1930」を見て、日本の治験体制に疑問を感じたからだ。(写真:イベルメクチンは飲み薬)
 エジプトの治験では投与しない群と比較して投与群の死亡率は7分の1になり、インド・トルコなどの6か国の治験では投与群の死亡率は非投与群の約4分の1になったと報道されていた。日本でも最終治験が始まったとか。


 6年も前になるが、イベルメクチン発見者の大村智先生のノーベル賞受賞のニュースを聞いたとき、その経歴を知って先生が身近に感じられる一方、イベルメクチンの投与でオンコセルカ症から救われた子供たちに囲まれた先生の写真を見て、本当に嬉しくなった。私にとってイベルメクチンは印象深い治療薬となっていた。更にそれが新型コロナの治療薬の可能性があるとは。(写真:イベルメクチン投与でオンコセルカ症から救われた子どもたちに取り囲まれて、歓迎される大村先生。2004年。ガーナ共和国で)

 


 この間『大村智物語』など何冊かの本を読んだ。多くの方が知っていることかも知れないが、今回のブログでは大村先生とイベルメクチンそのものに触れ、各国の治験の様子や疑問に感じたことについては次回に回したい。
 大村先生は1958年に国立山梨大学学芸部自然科学を卒業後、都立墨田工業高校定時制に理科教師として赴任した。私も地方の国立大学出身で、人文学部理学科数学専攻を卒業後、都立高校の定時制に勤務した。出発点だけは同じ様な環境だったから身近に感じれらたのだろう。
 イベルメクチンが発見されるまでの経緯は波乱に満ちたドラマのようだ。
 1973年、ウエスレーヤン大学に留学していた、大村先生は帰国後、製薬会社メルク社と産学連携の契約を結んだ。研究開発のターゲットは、動物の消化器官にいる線虫という寄生虫を殺す薬を探すことだった。
 メルク社は大村研究所から送られて来た放射菌「OS-3153」株(OSは先生のイニシャル)の培養液をマウスに投与したところマウスの寄生虫が減っている実験結果を得た。大村先生とメルク社の研究グループは、この微生物から抽出して単離した化学物質をエバーメクチンと名付けた。
 メルク社からは「OS-3153」株を3億円で買いたいと申し出があったが、大村先生はこの提案を拒否し、売り上げに応じたロイヤリティ支払いを主張。こちらの契約から、その後北里研には200億円以上のロイヤリティーが支払れたそうな。これは先生に先見の明があった逸話として今に語り継がれている。
 メルク社はマウスの実験結果を受けて、家畜動物にも効果があるかを調べるための大掛かりな動物実験に取り組む。エパーメクチンを動物に投与するように化学的に改良し、これをイベルメクチンと名付けた。放牧された牛のグループを2つに分けた治験ではイベルメクチンを1回飲ませた牛のブループから寄生虫は殆ど無くなっていた。
 イベルメクチンを動物薬として特許申請後製品化し、犬への投与を試みると、ただ1回の投与でフィラリアとうい寄生虫にも効くことが分かった。犬の寿命が延びた理由とされている。ここから人間の疾病にも使ってみようと思い至ったのは自然の成り行きだった。
 イベルメクチンは世界中で知られるようになり、河川盲目症といわれるオンセルカ症にも劇的に効くことが分かった。1回の投与で治療および予防薬としての効果がある。現在までに全世界で3億人の人々に投与されて来た。そのイベルメクチンが新型コロナウイルス感染症にも効く可能性が出て来ているそうな。多くの国で治験が開始され始めた。 


小石川植物園から白山浴場へ

2021年08月13日 | 草木・花

 7月30日(金)、小石川植物園内「柴田記念館」で、雨宿りを兼ねて、購入した『温室の植物』を読んでいて、旧温室の写真に気が付いた。先ほど見て来た温室は新たに作り変えたられたものだということに漸く気が付いたのだった。












 2016/11/20のブログに書いたように、「文京区海岸物語」に参加し、縄文時代の貝塚跡などを訪ねた時の最後の訪問先が小石川植物園だった。そのブログには「・・・温室建て替え工事中に新たな縄文遺跡が発見され、工事の進行はストップし、東大教授が中心となり遺跡の調査が進行中である」と書いておきながら、温室が新築されたことは全く失念していた。いやはやお粗末。














 埋蔵文化財や旧温室の調査など、建設に必要なさまさまの準備を経て2018年に本体工事に着手し、2019年5月に建物が完成し、新温室はその年の11月19日より一般公開された。(植物園訪問時に撮影した写真)















 温室は6つあり、例えば“小笠原諸島の固有植物”や“世界の熱帯植物”などのテーマのもと展示がされていた。夏の温室は高温になりすぎるのを防ぐため天井には大きな開口部が設けられ、全室にミスト装置が設備されていて、この日もミスト全開で涼しかった。旧温室のことは全く記憶にない。一部レンガ躯体だったそうだが、メインエントランスにはレンガ造りの構造を示すモルタルが保存・展示されていた。(新温室。手前が冷温室)






 山地植物の栽培展示の為床面積100平方米の冷温室が新設されたことは前回に書いた通りである。
 「柴田記念館」の閉館時間16時になっても、雨や止まないどころか激しさを増していた。ままよ、このまま白山浴場へとびしょ濡れを覚悟して小石川植物園を後にした。実は前日1年半振りにここの銭湯に来ていた。当然マスクを外しての入浴だろう、そこが一番心配だったのだ。天井近くの窓は完全に開かれ、空気循環が頗る良いことに確認し、今日も短時間の入浴の積りでやって来た。私がかなり濡れているこに気が付いただろうに、受付の方は嫌な顔一つせず普段通りの対応後、私が濡した、更衣室の床を丁寧にモップ掛けしてくれた。感謝!感謝!温度温めの薬用風呂にのんびりと浸かった。ただただ心地良かった。(写真は白山浴場の入口)
 雨が上がったころを見は図り再び植物園へ戻り、自転車で帰宅出来たのでありました。(以下、温室に花の写真展。その右側が花の説明)




 

 

 

 

 


小石川植物園へ

2021年08月06日 | 草木・花

 7月30日(金)、小石川植物園から白山浴場へ回る予定で14時頃に自転車で自宅を後にした。
 小石川植物園の入園料が大人500円、年間パスポート2500円と聞いて、お得感のある年間パスポート購入を決意したのは3月26日のことだった。少しは花や樹木の名前を覚えようとの思いもあった。購入後は何度か桜の花見に訪れたが、その後数回で少し足が遠のいていた。
 ワクチン接種予約やワクチン2回接種などの世事に気を取られ、気が付くと雨の季節。その後は猛暑の日々となり、本当に久しぶりに小石川植物園を訪れたのだった。
 受付で年間パスポートを提示すると、休園中の37日間の分が延長され、新たに、22年5月2日迄延長の簡易メモが添付された。
時計を見ると14時20分。温室が閉まる時刻まであと40分、他の処は後回しにして温室へ急いだ。(写真:園内の緑のトンネル)

 温室が6つと冷温室が1つあった。この日初めて冷温室に入室したのだが、吃驚した。白馬五竜高山植物園や日光植物園の協力を得ながら、日本の北部や山地などで見られる植物、いわゆる高山植物が多数栽培されていたのだ。心浮きたち、開花している花々を撮影した。(写真参照)
 冷温室から温室へ回る頃から雷鳴が聞こえてきた。まさかここで降られるとは思いもよらず、折り畳み傘を用意していなかった。温室を全部見終わった頃はすでに15時直前。外を見ると激しい雨の降りだった。この様な場合は15時になっても温室内に留まれるかと期待を持ったが、定刻直前にスタッフの方がやって来て閉園を告げられた。止む無く私は小冊子『温室の植物』を販売している「柴田記念館」に向かった。
 ここは、植物生理化学の研究業績に対して授与された学士院恩賜賞の賞金を柴田教授が寄付し、それをもとに大正8年に建設された古い建物。雨宿りしながら『温室の植物』を読み始め、取り壊し前の旧温室の写真を目にし5年前のことを思い出したのだった。この続きは次回に廻し、冷温室の花々を以下に。