この5年間、元同僚のMさんから歌舞伎のチケットを頂き、東京での歌舞伎を何度も観る幸運に浴しているが、演目『六千両後日之文章 重忠館の段』を観たことは無かったし、内容も全く知らなかった。青年団作成のパンフレットには「この演目は大鹿歌舞伎のオリジナルな演目」と書かれていたが、歌舞伎座などでは演じられたことは無かったのだろうか?(帰宅して色々調べたらそれは事実だった。その話は後段に記した。)
予めストーリーを読んでおいたことが観劇に大いに役立った。それにしても登場人物の多い芝居で、何と17人もが登場する。そのうち主役級が6人もいる。芝居は三部構成で、全ての段が畠山二郎重忠の館。
第一部は重忠が、梅の花を通して、妻道柴の心の奥にある平家への思いを捨てるように諭す。妻道柴は平家方の主馬判官守久の妹。この道柴を演じるのが『大鹿村騒動記』の主舞台となった、食堂「ディアー・イーター」の女店主の由美子さん。その道柴が、かつての主人筋に当たる、囚われの身の、清盛の孫六代御前を折檻する場面では、小学校5年可南美ちゃん演じる六代が健気にも「恥辱の憂き目より早く首を討ってくだされ~」などと語る。泣かせる場面だ。(写真:道柴が六代を折檻する場面)
(重忠と妻道柴)
第二部は梶原景高が頼朝の偽りの令状を持参して、早く六代の首を差し出すように迫る場面。景高が階段からコケる演技がコミカルで面白い。
第三部は修行者となった悪七兵衛景清が、六代を救うため三保谷四郎国俊と壮絶な戦いをする場面。見事な立ち回りが演じられた。この演目の見所の一つだと思う。国俊側の捕り手の一人、大鹿村中学の校長先生が花道から登場すると、客席から「先生~」、「校長!頑張れ!」と声が飛び、会場は爆笑の渦。(写真:景清が花道から登場)
(捕り手集団。右は大鹿軍内。一人おいて校長先生) (左はコケた後の景高)
(景清と道柴) (景清対国俊)
(両眼をくりぬく景清) (頼朝様のお出まし)
1時間半に及ぶ芝居は大拍手のうちに終了した。
歌舞伎が全て終了すると裏方さんも含め関係者全員が舞台に並んだ。竹本登尚太夫の〆でお手打ち。観客も皆一緒に手合わせた。大きな拍手で大鹿歌舞伎は大団円のうちに終演。来年も来るぞの思いを抱いたのは私一人だけだろうか?(写真:”お手打ち”風景)
この『六千両後日之文章』は10月22日(土)に松本でも公演とのこと。ご同慶の至り。
2002年に長野市での公演でこの芝居が演じられ、その様子が詳しく記録されている。そこには
「『六千両後日之文章 重忠館の段』は、大鹿歌舞伎にだけ伝わる演目で、十五人の配役が登場する一時間半の長編芝居である。 平成 12年 3月 11日には、国立劇場(大阪市)において、「地芝居」としては初めて大鹿歌舞伎が上演され、その際に演じられたのが、じつはこの『六千両後日之文章 重忠館の段』だった。大鹿歌舞伎ならではの、素朴な演技は、訪れた多くの歌舞伎ファンを魅了し、今では大鹿歌舞伎の代表作として知られている。太夫弾語りは、保存会で「地芝居」の伝承に活躍されている竹本登尚太夫(片桐登さん)によるもので、その熱演ぶりも注目されている」とあった。