函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

九条の死文化

2017年03月28日 07時01分33秒 | えいこう語る
▼アベ政権が目指す憲法改正の本丸は「憲法第九条」だ。戦後70年を過ぎて、世界の秩序が混乱する中、一度も変えることのなかった憲法が、現実に対応するかという問いが、政治家ばかりではなく、国民の間にも湧き上がってきたからだ。そこで、我が国の憲法下での大きな問題は、次の三つだ。
1・自衛隊は合憲か違憲か。
2・日米安保条約は合憲か違憲か。
3・日本の防衛の在り方は。
▼この問題を整理しないと、政権の維持は困難で、政権交代も難しいようだ。2009年に政権が自民党から民主党に交代したが、3年という短命に終わった。その大きな理由に、この三つの問題がある。当時の民主党鳩山首相のつまずきは、沖縄の米軍基地移設問題からだ。日米安保の壁は、ベルリンの壁同様、堅固だった。この三つの問題を国民にはっきり示そうと息巻くのがアベ政権だ。それを阻止する勢力も、果たして「九条死守」だけでいいのか。このジレンマが、政権を批判する野党自身にもあり、国民の中にもある。このジレンマが、アベ政権の長期化を容認させ、再び政権交代を容易にしない要因の一つではないか。
▼先日、市民グループが主催した「不思議のクニの憲法」という映画を観た。私は総理をアベとカタカナ表記するが、国もカタカナ表記されていたので、親近感を覚えての鑑賞だ。そこで印象に残ったのが、東大大学院法学部政治学科教授、井上達夫さんの「九条は死文化している」という発言だ。簡単に述べると、九条があるにもかかわらず、軍隊である自衛隊を持つ国だからだという。現憲法下での自衛隊の存在矛盾は、誰もが感じている。だが、その矛盾を放置していたため、我が国は「九条の放棄」をしてしまったという、強烈な指摘だ。
▼東大の井上教授の名は、記憶にあった。昨年12月2日の北海道新聞に「戦力統制規範を条文に」という題のインタービュー記事が、印象深かったからだ。憲法学者の多数派の「原理主義的護憲派」は、自衛隊と日米安保は違憲と主張する。ただ、自衛隊を違憲状態で凍結している原理派は、立憲主義の裏切りだと断言する。これに対し、近年台頭してきたのが「修正主義的護憲派」だ。専守防衛の範囲なら、自衛隊と日米安保は合憲と主張する。だが、自衛隊は世界有数の軍事力なのに容認するという矛盾だ。この派のアベ政権の解釈憲法批判は、理屈が通らないという。
▼井上教授は、安保法制の成立過程からみて、今よりタカ派の政権ができた場合、現憲法では法律を変えるだけで、骨抜きにされるという。文民統制というが、総理が軍隊の最高指揮官だとするのは,九条があるために効力は発揮できない。『九条は、戦力統制規範を憲法に盛り込むことを不可能にすると同時に、日本の今後の安全保障政策について、実質的な議論を妨げている』と指摘する。井上教授の長年の持論は『憲法から九条を削減する』だ。憲法改正そして国民投票という、政治的スケジュールが本格化してきた昨今。井上教授の憲法論は、立憲主義の意義を確認する、新たな憲法解釈の視点のような気がする。
▼今朝の北海道新聞の小さな記事だ。「海上自衛隊が、フィリッピンへ練習機(TC60)を2機貸与。フリッピン軍の警備能力向上を支援し、今年もあと3機貸与する」とある。さらにインターネット情報だ。「防衛省、主力輸送機(C2)開発完了。機動戦闘車やヘリも積める。海外派遣任務が敏速に対応できる」とある。
▼実(げ)に恐ろしきは、自由に曲解解釈できる我が国の憲法。それに目を伏せる、主権在民の私たちなのかもしれない。