函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

境目のない国

2017年03月13日 06時46分52秒 | えいこう語る
▼国有地払い下げで、誰もが納得がいかない契約をした森友学園。そこの名誉校長に、アベ総理夫人が名を連ねていた。この問題に端を発し「総理夫人は私人か公人か」ということが、国会内でも紛糾している。総理夫人と名前が使われると、私人ではないのではないかという野党の問に、我が国のトップであるアベ総理は「私人」であると理解しているようだ。私たち一般国民としては、総理夫人ともなれば、一般人としては思わない、やはり公人のように思う。この問題、些細なことのように感じるが、総理と国民の常識的判断に温度差があるという、事実ではないか。
▼いつから温度差ができたといえば、憲法解釈だ。国家の最高法規といわれる憲法、それを我が国の総理が変更しようとする。だが、我が国の憲法学者の大多数が、違憲と声を荒げているのだ。簡単に言えば、総理の常識は国民から見れば、非常識のようだ。だが、世論調査を行えば、総理の国民の支持は結構多いという、奇妙な現実に直面する。ノーベル賞作家の大江健三郎氏が言った「曖昧な日本の私」という言葉が、再び身近に感じられるこの頃だ。
▼さて、巷でも同様なことが起きている。焼き鳥を串から外して食べる人が多くなってきていることに対し、そんなことはしないようにという看板が、店の前に立ったという。その賛否が、またSNSなどで物議をかもしている。と思いきや、今度はラーメン店側が、残すぐらいだったら大盛りを頼まないでと、ツイッターしたことで、これまた賛否がかまびすしい。礼儀正しい日本人が、礼儀正しくなくなった程度の問題なのではないかと思ったりもするのだが、どちらでもいいのではないかという声も少なくないようだ。
▼そういえば、南スーダンのPKO活動で、現場の自衛隊員が「戦闘」だと感じても、政府は「戦闘ではない」と言う。「侵略戦争」も「自衛のための戦争」だと強調し、さらに、前者に同意する人を「自虐史観」に取りつかれていると決めつける。この問題、或る弁護士がヤクザの幹部に尋ねたら、自分のシマに無断で入ってきたなら「侵略」だと言ったという話もある。世の中がグローバル化している今日、我が国の価値観まで、大きな変化を見せてきているようだ。
▼鎖国が続いていた我が国の国民感情を「島国根性」と言った。だが、アベ総理は、それを「積極的平和主義」に、言い換えようとしている。「曖昧な日本の私」を率先実践しているのは、アベ総理自身かもしれない。そんな我が国の昨今だが、「境目のない国」という言葉も、私の心に浮かんできた。最近、遠近両用の眼鏡を購入したせいかもしれないけれど。