結婚してから必ずしも幸せでなかった一人の卒業生が、手紙を書いてくれました。ようやく家庭が平和になり、自分も幸せになったという近況報告の後に、「結局、大切なのは、簡単な決意と実行なのですね」と、書き添えてありました。 . . . 本文を読む
例えば、夫が会社から戻ってきて、「ああ今日は疲れた」といった時に、しらん顔して、その言葉を聞き流したり、「私だって、一日結構忙しかったのよ」と自己主張したのでは、二人の間はうまくゆきません。その時に、「ああそう、疲れたの」と、相手の気持ちをそのまま受け入れてあげることが大切なのです。 . . . 本文を読む
許すということは、損をすることなのかも知れないと思う。しかし“シングルの損”だけにしておくと、残るのは、腹立たしさ口惜(くや)しさだけであり、折あらば仕返しをと考える自分だけである。ところが思い切ってダブルに損をすると、そこには、ほめてやりたい自分が残り、「よかった」という満足感が残るから不思議だ。 . . . 本文を読む
不屈の精神というと、とかく山登りとか、ヨットでの世界一周といった大変な仕事を思い浮かべがちです。しかし、私たちの毎日の生活の中で遭遇する、一つひとつの困難、挫折に対して、希望を失うことなく、それらをしっかりと受けとめてゆく勇気もまた、そのように呼ばれていいのではないでしょうか。 . . . 本文を読む
門から入らず、ほかの処(ところ)からのりこえて羊の柵の中に入りこんで来るのは盗人であり、略奪者である。門から入るのは羊の牧者である。すると門番はかれのために門を開く。羊はかれの声を聞き、かれは自分の羊のおのおのの名を呼んで外に引き出す。 . . . 本文を読む
同じ過酷な状況のもとにありながら、最後まで生きのびた囚人もいれば、力尽きて死んでいった人々もいました。その両者を分けたのは、決して体の頑強さではなかったのだとフランクルは述べているのです。では、何だったのでしょうか。それは、「希望」の有る無しでした。 . . . 本文を読む
いったん自分が使おうと選んだ教具は、大切に扱うこと、その教具の目的に沿って使われること、最後までやり遂げること、そして、以前置かれていた場所に、置かれていたように戻すことが、子どもたち一人ひとりに求められます。かくて子どもたちは、自由とは、勝手気ままにすることではなくて選ぶこと、自由には責任がついてまわる“難しさ”があるということに気づいてゆくのです。 . . . 本文を読む
99年5月。プライベート版『景子ちゃん ありがとう』を読まれた方の感想を、知人より伺いました。「鈴木さんの子供は、天国にいく運命の子供だったけれども、鈴木さんは幸せですね……」と言われたそうです。私は、「子供を亡くした親が、どうして幸せなのか……」と思い、その意味が理解できませでした。 . . . 本文を読む
いのちには、限りがあるのです。自分の人生には限りがあると心したとき、人は、人生を意味あるものにしたい、今を力の限り生きよう、とするのではないでしょうか。そして、強い想いを抱き、今を力の限り生きるとき、いのちは輝きを発するのです。その輝きは、多くの人に大切なものを遺(のこ)し、引き継がれていくのです。たとえ、短く、重荷を背負ったいのちでも、輝きのある、価値のある人生にすることができるのです。 . . . 本文を読む
「人間の使命は単体だけで果たすものではないということです……。時には親の更なる覚醒(かくせい)を促(うなが)すために、子供が先立つことがあります。親にとって子どもの死ほど深刻な打撃を与えるものはないのですから。でもそのことによって、親が新しい世界を獲得できたとしたら、その子どもさんは自分の生を全うする以上に大きなことを成し遂げたとして、大きな安心の世界に入っていくのです」 . . . 本文を読む
私が若い頃に仕えた海上自衛隊佐世保地方総監の話ですが、佐世保市内で隊員が酒を飲み、飲食店のスダンドを壊したことがありました。すると、次の日に地元の新聞記者が総監に詰め寄るわけです。「あなたは昨日の事件を知っているのか。そんなことも知らず、本当に国を守れるのか」と。 . . . 本文を読む
『致知』の読者よ。身近な坂村真民先生が96年のご生涯の中で常に「念ずれば花ひらく」「志のあるところ道がつく」と説かれていたではないか。あなたの一隅を照らす光は、必ず千波万波となってこの国を照らし、夢多き、志高い若者たちが陸続(りくぞく)と生まれてくるはずだ。 . . . 本文を読む
こうした戦力の逐次投入というのは、以前の戦争でも経験しましたが、負けパターンにつながるのですよ。だから前述したように、このような戦時体制時には、重要な決定に財務大臣を入れてはいけないわけです。 . . . 本文を読む