これだけ徹底的に謂わゆる“天皇制批判”を展開したときの横田喜三郎は数え年52歳以上、見識が十分に育成し、すでに動じることなどないはずの成熟期でした。もはや若気の至りと頭をかいてすますことのできる年頃ではありません。それが13年後には「天皇による正式の任命」を受けて最高裁判所長官に就任します。
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日本人論がさかんに書かれていた頃の話である。日本人の特性として「縮み志向」を取り上げる韓国の学者がいた。日本の半導体産業が世界の脚光を浴びた情勢にこと寄せての話ではなかったかと思う。何事でも先入見と固定観念はよくない。われわれは日本の歴史のなかに、巨大なスケールのものを数多く持つ。奈良の東大寺は、当時の世界最大の木造建築だった。また、その大仏ほどの巨大な金、銅でつくられた彫像は、中国や朝鮮はもちろんのこと、世界のどこにも存在しなかった。 . . . 本文を読む
それにしても、と思わざるを得ません。中国は強大な国になったなあ、という感慨です。ついこの間まで貧しかった国が、どうしてこのように急速に成長し、豊かになることができたのか。その理由ははっきりしています。独裁の力です。全体主義の賜(たまもの)です。独裁政治には急速に経済を伸ばす力があることを知らなければなりません。 . . . 本文を読む
昭和天皇が敗戦後も退位されないでいたことは、日本人にとって、何にもまして幸いなことであった。天皇廃止のなかったことは、マッカーサー元帥とアメリカが日本に与えた最大の恩恵であるし、辛い立場にもかかわらず、退位を最後まで口にされなかった昭和天皇の偉大さは、時間とともに明らかになってくる。 . . . 本文を読む
アメリカやシナでの反日運動、ホーリー・スムート法をきっかけとして始まったブロック経済による不況、「天皇制打倒」を唱えるソ連共産主義に対する軍事的・イデオロギー的恐怖――この三要素が相まって、日本も真の危機感を抱くようになった。昭和初年において、このような状況に対して最も危機感を募らせたのは、満洲にいた日本陸軍、すなわち関東軍の将校たちであった。 . . . 本文を読む
先日、比較憲法学の権威である西修・駒沢大名誉教授の憲法に関する講演を聞く機会があった。なるほどそうかと納得したり、わが意を得たりと手を打ったりで有意義な時間を過ごせたが、中でも鋭い指摘だなと感心したのは「憲法前文は『コピペ』なんです」という言葉だった。 . . . 本文を読む
「朝日新聞を糺す国民会議(渡部昇一議長)」が、朝日新聞集団訴訟の原告団参加を呼びかけてから、わずか3か月。途中に衆院選もあったが、原告団参加は2万5千7百人を突破し、平成27年3月2日、原告団参加募集を締め切った。 . . . 本文を読む
H27.05.31
ものの見方を変えれば、ものが変わる
( ウエイン・W・ダイアー )
Change the way you look at things and the things you look at change.
( Wayne W. Dyer )
H27.05.30
和をもって尊しとなす
( 聖徳太子 )
Harmony should be valued and quarrels . . . 本文を読む
中国大陸の場合には宋以後にも文明の歴史がつづいていたような錯覚がある。たしかに中国の民衆史はつづいていた。しかしモンゴルや女真族などの異民族統治へとその国家形態を交代させ、中国は社会的、人種的、言語的にいちじるしい変質をとげた。文字、律令、儒教、仏教を最初に刻印した決定的役割にもほぼ等しい役割をわが国が中国大陸から受け止め、懸命に習得しようとする体験の時代は、もう二度と訪れることはない。 . . . 本文を読む
ここで注目すべきことは、アメリカにある日本資産、イギリス領土全土にある日本資産、オランダ領インドネシアにある日本資産が凍結され、日英通商航海条約の廃止通告を受けて2ヵ月も経ってから、ようやく日本は開戦準備の決断をしていることである。アメリカは、これよりさらに2年前の昭和14年(1939)の7月に、日米通商航海条約の廃棄を通告してきているのだ。 . . . 本文を読む
自由や民主主義や人権観念が間違っているというわけではない。しかし、それらを普遍的な価値とみなして、その実現に世界史的な使命を求めるアメリカの価値観は日本のものではない。日米安保体制の基礎に、日米共通の価値が存在するとしばしばいわれるが、もしもそれをアメリカ型の歴史観、戦争観まで含めていうとすれば、われわれはいまだにポツダム宣言の呪縛から解かれてはいないことになるだろう。 . . . 本文を読む