電脳筆写『 心超臨界 』

歴史とは過去の出来事に対して
人々が合意することにした解釈のことである
( ナポレオン・ボナパルト )

◆東京裁判史観に縛られたNHK《 「大東亜戦争」という呼称を使わないNHK 》

2024-04-30 | 05-真相・背景・経緯
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する


GHQ占領下で開催された東京裁判により、日本はアジアを侵略した極悪非道の犯罪国家であるという烙印を押されました。こうした自虐史観が東京裁判によってもたらされたことから「東京裁判史観」と名付けられたのです。しかし東京裁判史観の嘘は裁判当時から明らかでした。当時、戦争は犯罪ではありません。そこで「平和に対する罪」という事後法を持ち出してA級戦犯を捏造し処刑したのです。1951年4月、東京裁判を仕掛けた張本人であるマッカーサーは米国上院の軍事外交合同委員会において「日本の戦いは自衛戦争だった」と証言しています。しかし東京裁判史観を否定するこの明白な事実を日本の公の機関は無視し続けたままです。



もっとも残酷な嘘の多くは沈黙の中で語られる
( ロバート・ルイス・スティーブンソン )
The cruelest lies are often told in silence.
( Robert Lewis Stevenson )



録音が終わつたとき、担当の若いプロデューサーが、「大東亜戦争」を「太平洋戦争」に変へてもらいひたいと、クレイムをつけた。「それはあなた個人の意見ですか」。「いえ、局では“大東亜戦争”といふ用語は禁止になつてゐるのです」。「それは困つたな。“太平洋戦争”では、あの頃の実感に添はないんですよ」。はじめは、そんな調子の、のんびりしたやりとりだつた。若いプロデューサーは、入局したばかりで、深い事情は知らない様子で、とにかく言ひ含められた規則だから守る、と言つてゐる口調だつた。


◆「大東亜戦争か太平洋戦争か」――桶谷秀昭・文芸評論家

正論別冊 Extra.20『NHKよ、そんなに日本が憎いのか』
( 産経新聞出版 (2013/12/16)、p46 )

昭和59年6月の何日であったか、私はNHK放送局へ行って、「私の萬葉集」という30分くらゐのラヂオ放送の録音をとつたことがあつた。

「萬葉集」という古典をはじめて読んだのは、昭和18年、当時、国民学校と言つたが、今の小学校の6年生で、斉藤茂吉著『萬葉集』(岩波書店)をテキストに使つた。と言つても、生徒全員がこの本を買ったわけではなく、先生がこの本をテキストにして、説明をしながら読むのを聴くというかたちの授業で、本は買つても買はなくてもよかつた。

自由授業のやうなものだつたが、先生が、歴史や文学が好きだつたやうで、正課の修身の時間に、「萬葉集」を読んだといふ次第だつた。この授業は、固苦しい修身のかはりに、詩、文学の鑑賞といふ雰囲気があつて、心に残る楽しさがあつた。

しかし、昭和18年と言えば、2月に日本軍は死闘のすゑにガダルカナル島を撤退放棄し、以後ソロモン諸島において、米軍の反抗によつて撤退に次ぐ撤退を余儀なくされる戦局の悪化に直面しはじめた年である。

「萬葉集」と言へば、防人(さきもり)の歌である。

「おほきみのみことかしこみ磯にふりうのはらわたるちちははを置きて」の沈痛な声調が、さういう時局の中で、心に沁みた。

さういふことを思ひだして、私は放送局で話しはじめた。

「萬葉集をはじめてよんだのは、国民学校6年生のとき、大東亜戦争たけなはの昭和18年でした。……」

録音が終わつたとき、担当の若いプロデューサーが、「大東亜戦争」を「太平洋戦争」に変へてもらいひたいと、クレイムをつけた。

「それはあなた個人の意見ですか」

「いえ、局では“大東亜戦争”といふ用語は禁止になつてゐるのです」

「それは困つたな。“太平洋戦争”では、あの頃の実感に添はないんですよ」

はじめは、そんな調子の、のんびりしたやりとりだつた。若いプロデューサーは、入局したばかりで、深い事情は知らない様子で、とにかく言ひ含められた規則だから守る、と言つてゐる口調だつた。

「それでは、念のため、上の方にたしかめてみます」

「さうしてください」

やがて戻ってきたプロデューサーは、言つた。

「やはり、だめだといふことです」

今度はやゝ口調が固くなつてゐた。私は若いプロデューサーと口論したくなかつた。しかし、この禁止令は根が深いことがわかつたので、一層、妥協できなくなつた。

プロデューサーは、やがて、もう一度、上の意見をたしかめに出て行つた。しかし、今度も、上の意見は変はらないといふ。

私はプロデューサーが気の毒になつた。と同時に、上の方にたいして腹が立ちはじめた。妥協案は、事柄の性質からして、ありえない。録音ぜんたいを却下するなら、それもやむを得ない。

「それでは、私の考えへも変はりません」

と言つて、局を出た。

放送日にラヂオを聴いたら、問題の箇処は次のやうになつてゐた。

「萬葉集をはじめてよんだのは、国民学校6年生のとき、……戦争たけなはの昭和18年でした。」
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