江戸時代後期から長い間、『古事記』は平安時代初期に作られた偽書であると言われ続けてきました。なぜなら、作者である太安万侶の実在を示す史料が無かったからです。ところが、昭和54年(1979)に、奈良県奈良市此瀬町(このせちょう)の茶畑で、畑を掘り起こしていた作業中に、木棺に入った人骨と、四十一文字が刻まれた銅板が偶然出土し、歴史的発見となりました。 . . . 本文を読む
この「序」の部分からのみ『古事記』の成立について知ることができます。第四十代天武(てんむ)天皇の命によって編纂が始まった『古事記』は、天皇の崩御によって一時中断されるも、第四十三代元明天皇によって再開され、太安万侶が稗田阿礼(ひえだのあれ)の口述を筆記して編纂し、元明天皇に献上され、上・中・下の三巻から成る我が国最古の歴史書がここに成立しました。 . . . 本文を読む
僕は日本人は軽薄だと思っていましたが、向こうから見れば、勝とうが負けようが、戦前であろうが戦後であろうが、同じ天皇がずっといらっしゃるということは、想像できないほどの感動だったようです。それで、私は「これだ」と思いました。日本人の誇りとして自慢できるものが、たった一つある。最後の踏ん張りにして、ぐらつかないものがあるぞ、ということに気づいたんです。 . . . 本文を読む
H29.02.28
つねに汝の敵を許せ
それ以上に敵を悩ませるものは何もない
( オスカー・ワイルド )
Always forgive your enemies - nothing annoys them so much.
( Oscar Wilde )
H29.02.27
戦闘に敗れることは時に戦争に勝利するための新たな道を見出すことがある
( ドナルド・トランプ )
Sometimes b . . . 本文を読む
アメリカのメディア崩壊は、日本のメディアの凋落ともつながる。2015年の安保法制で各メディアはあれだけ安保政権を批判したにもかかわらず、政権の支持率はまったく落ちなかった。リベラルメディアが反安倍を掲げるSEALDs(シールズ)(自由と民主主義のための学生緊急行動)などを「若者の代表」とやたらと持ち上げていたが、2016年の参議院選挙では若者のほうが自民党に投票する割合が高かったことも話題となった。 . . . 本文を読む
「喝」とは、よく「一喝(いっかつ)食(く)らったなどと言いますが、大声で叫ぶことです。この喝は中国唐代の臨済禅師の言葉として大変名高いもので、『臨済録』にもしばしば「師、すなわち喝す」(師はカーッと一喝した)とあります。しかし「喝」は、ただ大声で叫ぶことでなく、人を叱咤激励するというのが、本来の意味です。修行者を叱咤激励するのが「喝」なのです。 . . . 本文を読む
以上の所説もまた、縄文農耕が近年事実として判明した情勢の変化に応じた「推論」であり、渡来人の役割の大幅な制限も「仮説」のひとつであることに変わりはない。私は古い時代についてはどんなケースでも断定を避けなくてはならないと考える。しかるにこの方面の学者のもの言いには、つねづね納得のいかぬ傾向があるのを遺憾に思っている。 . . . 本文を読む
謹(つつし)んで思うに、天皇陛下(当代・第四十三代元明(げんめい)天皇)は天子の徳を得て、その聖徳は四方に及び、天と地と人に通じ、人々を育て養っていらっしゃいます。皇居にいらっしゃっても、御徳(おんとく)は馬の蹄(ひづめ)の音が届く最果ての地までを覆い、また、船の舳先(へさき)の及ぶ海の果てまでお照らしになります。その徳によって、日と月が同時に輝いて光を重ね、また慶雲が空に現れ、そして枝がつながった二本の木や、穂がつながった二本の稲など、瑞祥(ずいしょう)を記録する筆が絶えることはありません。 . . . 本文を読む
韓国では新聞の購読率が日本ほど高くないという事実もある。言論機関として重きを置かれてはいるものの、読んでいるのはいわゆる知識層だけなのだ。なぜかといえば、ハングルは表音文字であり記号でしかないため、「ハングルは読めても漢字が読めない」という人が国民の大多数だからである。 . . . 本文を読む
あるとき、光巌童子(こうごんどうじ)が、騒がしい毘耶離(びやり)城を離れて、どこか静かな場所で修行をしようとお城を出ると、維摩居士(ゆいまこじ)と出会いました。光巌童子が「どこへいらっしゃるんですか」と聞いたら、居士は「道場へ行く」と答えます。童子が騒がしいと嫌って出てきた都心に居士が行こうというので、童子は怪訝に思って、「道場は、どこにあるのですか」とさらに尋ねます。 . . . 本文を読む
文字記録が欠けているがゆえに、なにひとつ論証はできないといわれるかもしれない。しかし、この国の文化が、人が考える以上に多様性に富んでいて、さまざまの外来文化の受け入れにきわめてふところが広く、貪婪(どんらん)に対応し、外からの多様なものを吸収し、そしてそれを濾過して自分のものに同一化していく形成力に富んでいるということも疑いをいれない。それもなにかしら縄文文明、縄文精神とも呼ぶべきものが、現代の日本にも生きつづけている証拠ではないかという気がしないではない。 . . . 本文を読む
H29.01.31
私たち一人ひとりの人生は自分自身だけの一度きり
( エウリピデス )
There is just one life for each of us: our own.
( Euripides )
H29.01.30
毎日は昨日を学ぶ生徒である
( プブリリウス・シルス )
Each day is the scholar of yesterday.
( Publilius Sy . . . 本文を読む
朕(ちん)が聞くところによると、諸家に伝わる帝紀(ていき)(天皇の事績を記したもの)と本辞(ほんじ)(旧辞(きゅうじ)、神話などの伝承)は、すでに真実と異なっていて、多くの偽りを加えているという、今この時にその誤りを改めなければ、幾年も経たずしてその趣旨は滅んでしまうであろう。帝紀と旧辞は、すなわち国家組織の原理であり、天皇の統治の基礎となるものである。ゆえに、帝紀と旧辞を調べ直して、偽りを削り、真実を定めて撰󠄀録(せんろく)し、後の世に伝えようと思う。 . . . 本文を読む
西尾幹二教授は、『支那の眞相』(長野朗著、1930年出版)を引用しながら、「支那人の本質」について考察しています。『支那の眞相』は実に驚くべき洞察の書であり、支那人のこの現代に通じる正体を1930年代に、しっかり見抜いている、と評価します。 . . . 本文を読む