ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




塩田畳店。中央区入船3-5。1987(昭和62)年5月3日

新大橋通りの入船橋東北の築地電報電話局(現・アーバンネット入船ビル)の北の横丁。右奥へ行くと鉄砲洲通りへ出る。写真左から、橋本商会、塩田畳店、広瀬電気、広沢ビル。この並びの建物は今もあるが、商売が続いているのかどうか。広沢ビルの先のブロックからビルが立ち並んでいるが、戦時中に建物疎開になったところだ。



塩田畳店。2004(平成16)年1月1日。袖看板が外されている。



広沢ビル。2004(平成16)年1月1日。「廣澤製作所」は製本所だったのだろうか。モダンな外観だが切妻屋根である。現在は1階の出入り口と窓がベニヤ板で塞がれている。

廣澤製作所(2012.08.03追記)
先日、日本電機株式会社という会社の方から廣澤製作所の写真の使用許可を依頼するメールを頂いた。日本電機は大田区矢口に本社を置く中堅の配電盤のメーカーといことだ。創業100周年を記念して編集中の社史に、会社の前身である廣澤製作所の写真を載せたいということだった。
少し会社の沿革も教えて頂いた。分かった範囲で以下に記しておく。
入船町の会社は1910年に廣澤二郎という人が電気機器メーカーを創業したもので、後に蒲田区や日野にも工場を増やしたらしい。昭和の初めに当時の牛尾財閥~野村財閥に経営が移行し、その後日本電気㈱と改称、本社を現在地に移した。
廣澤家の方の談話によると、入舟町の廣澤製作所は創業者の子孫の方々が日本電機とは別にしばらく事業を続けていたが、隣家の火災を機に廃業、以降建屋は他者に間貸ししていたそうだ。

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追記 (流一)
2012-08-03 10:27:10
廣澤製作所に関して、少し分かったことがあり、追記しました。
 
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