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「復興」の論争前に被災者が望むことは-2(「避難」と「強制移住」は別にして)

2024年01月20日 | 社会(歴史・都市計画含む)

「絶対残りたいという人もいて…怒号も飛び交った」 被災地外への移送を拒否する人も コミュニティを崩さずどう命を守るか 能登半島地震(CBCテレビ) - Yahoo!ニュース

抜粋:

輪島市南志見地区は人口700人あまり。里山が広がり一次産業や観光業に従事する人たちが多い地区です。地区内には孤立した集落があり、現在もとどまっている住民がいます。 このまま地区内で生活を続けていくのは非常に難しい状況となっていることから、1月11日に石川県は金沢市へ被災者のヘリでの移送を開始。

しかし、この移送は前日の10日に急遽決まったとのことで、住民説明会は紛糾したと言います。

(住民) 「『家財と命とどちらが大事なんや』という人もいれば『絶対残りたい』という人もいて、多少怒号も飛び交った」 金沢へ行くことを拒否する住民を説得しに来たという石川県の吉田修議員は、こう話します。 (石川県議会・吉田修議員) 「自分の村を守りたい。家を守りたいという思い。これも田舎の良いところ。しかし、今は有事。集団で避難する」 元々地区の人たちの結びつきが非常に強いコミュミティ。それゆえ移転するにも配慮が必要と強調します。

(吉田議員) 「コミュニティがバラバラになると崩壊する。今後このコミュニティが回復するためには、できるだけ避難先でもコミュニティを崩さず1つで(いるべき)。(避難所に)入らなければ2つ。なんとかまとまっていられるように」 復旧・復興の過程でふるさとを離れることの難しさは、これまで起きた災害でも指摘されました。 コミュニティを崩さずに被災者の命を守る、暮らしを守る。新たな課題が能登の被災地でも立ちはだかっています。

 

【独自】石川 孤立地域“全住民避難”すでに始まっていた“集団”移動の現実 (tv-asahi.co.jp)

2日で255人移送…その時何が?

大きな被害を免れた金沢市は、輪島市・南志見地区からの被災者255人を受け入れました。ほぼ全ての住民が2次避難したことになります。なぜ、そのようなことができたのでしょうか。

輪島市南志見から避難 堂前知恵子さん(71)
「議員さんが南志見出身の人と話して『きょうのうちに貴重品を取りに家に戻り、12時までに帰って来い』と(避難所にいる)みんなの前で言った。(Q.持ち出してきた荷物は?)これとリュックサックだけ。時間も1時間で限られているから、その範囲にしないといけなく必死で。ブレーカー下ろせと言われて、水の栓も閉めろと言われて」

◆県議が説得するも…割れる意見

どうやら議員の発案だったようです。思いがけず、その本人がやってきました。石川県議会の吉田修議員です。

石川県議会 吉田修議員
「自衛隊でも警察でも消防でもないけど、1人の人間として(南志見地区の)避難所の環境を見た限り、あと3日でも1週間でも10日でも、あの状態で置いておくことができない」

吉田県議の親族が、南志見地区出身だといいます。現地入りしたのは8日の夜。避難所で被災者の説得にあたりました。

輪島市南志見から避難した男性
「『ライフラインの復旧は、GWが過ぎてもお盆が過ぎても分からない。確約できるか分からないから“全員避難”にふみ切りますよ。県庁での話し合いがそうなった』という言い方。『県庁で』と強調しましたので」

輪島市南志見から避難した男性
「『絶対行かない』という人はいて『自分の財産があるのに』『家がある』とか、『俺はここに生まれたから、ここにいる』『建てて間もない立派な家がある』そういう理由を言う」

◆県は「検討」の5時間後に「方針決定」

被災者のなかでも意見が割れたという、集落単位の丸ごと避難。石川県としての動きが明らかになったのは、11日の災害対策本部会議でのこと。

石川県 馳浩知事
「道路の復旧のめどが立たず、集落の孤立状態が長期化することが判明した以上、災害関連死を防ぐためには、集落の避難者を丸ごと、金沢市以南の避難所に移送することも考えなければならない時期にきているのではないか」

この5時間後、石川県の公式アカウントには…。

石川県公式X
「孤立の長期化が判明した地区では、集落単位で丸ごと避難いただく方針としました」

◆すでに始まっていた“集団”移動

この投稿があったのが、11日午後9時過ぎです。ところが、被災者の移動は10日から始まっていました。10日に南志見地区からヘリで移動した夫婦は、こう話します。

輪島市南志見から避難 濱高悦朗さん(83)
「ペースメーカーを入れているので、色んな機材でキュッと痛くて。だけど、そんなふりはできないと思って頑張りました」

輪島市南志見から避難 濱高泰子さん(81)
「もう南志見には来られないと思って出てきました」

こういう流れだったようです。孤立した南志見地区から、まずは自衛隊の輸送拠点となっている輪島市の中心部へ。そこからは大型ヘリで金沢に移動します。10日も11日も、この動きが繰り返されました。

石川県議会 吉田修議員
「(Q.どういう言葉で説得を?)『最終的には、個人の判断で決めてください。でも、私の立場から、金沢から能登を見た状況では、これ以上ここでお住まいになっても、生きていける保障はありません。ある意味、命がかかっている状況下で、協力をお願いできませんか』と」

◆「命令に近い」避難者の本音

ただ、こう受け止めた人もいます。

輪島市南志見から避難 今寺四郎さん(70)
「『この地区は閉鎖して、金沢へ引っ越すよ』と。これはある種、選ぶのではなくて“移動する命令”に近いものが、9日の夜にありました」

輪島市南志見から避難 堂前知恵子さん(71)
「水も電気も出ないところにおっても、ひと月ふた月なら我慢できるけど、1年も2年も我慢できない。“避難が正しい”と思ったから従いました。20歳で嫁に来たからね。50年いました。離れるのはつらいけど、仕方ないです」

(後略)

 

吉田議員は「この地区は閉鎖して、金沢へ引っ越す」という説明をしたのでしょうか?

それがなければ吉田議員の行動は賞賛するにあたいしますが、「この地区を(永遠に)閉鎖」ととれることを言ったのでは、被災で傷ついている住民たちには酷です。

とはいえ、地震や津波の恐れのある小さな集落は日本全国にありますが、それに加えて「豪雪」がある地域となると、過疎化は進み、廃村になるのはそう遠くないかもしれません。

廃村ー息子が小学校2年の時の担任の先生が、宮ケ瀬ダムをつくるために廃村となった村の出身でした。

ダム湖に沈んだ遺構を見に渇水の宮ヶ瀬ダムへ | エンジニアのメソッド (engryouri.net)

住民がいるにもかかわらず、「廃村」となるのは、ダム建設、鉱山(これは環境汚染もあり)などがあるようです。

Category:日本のゴーストタウン - Wikipedia

の中で見ると、廃村のなかでも、三重県熊野市に組み込まれた紀和町花井が恵まれたケースか。

 

紀和町花井 - Wikipedia

抜粋:

紀和町花井(きわちょうけい[注 1])は、三重県熊野市の大字[6]。熊野市が公表する2022年(令和4年)11月1日現在の人口は0人であり[1]、元住民が地区外の本宅から通いながら住宅や墓を維持している[7]。

北山川を挟んで向かい合う熊野川町九重(和歌山県新宮市)とは密接なつながりがあり[5]、近世の初頭には同じ村として扱われていた[8]。住民はいなくなってしまったが、地名にまつわる百夜月の伝説や優れた自然に魅せられて訪問する者がある[9][10]。

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