本日のJBpressに、英エコノミストの記事を翻訳したものがありました。
『高学歴者の苦悩:大学は出たけれど・・・』
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/21599
抜粋:
先進国ではそろそろ、高校を出た何百万人もの若者が両親に涙の別れを告げ、大学で新たな生活を始める頃だ。中には純粋な向学心に燃えている人もいるだろう。しかし、大半の人は同時に、大学で3~4年勉強すれば(その間、巨額の借金を積み上げることになる)、給料が良くて安定した仕事にありつく可能性が高まると信じている。
年長者はこれまで彼らに、教育こそがグローバル化した世界で成功するための最善の備えだと言い聞かせてきた。ブルーカラー労働者の仕事は海外に流出し、自動化されていく、というのがお決まりの台詞だ。中退者はカネに窮する不安定な生活を強いられるが、大学を卒業したエリートは世界を股にかけることができる、と。
(中略)
先進国のエリートたちは次第に、彼らより少ない給料でより一生懸命働く新興国のエリートと競争せざるを得なくなっているのだ。
また、かつて農業労働者の需要が19世紀に、工場労働者の需要が20世紀に塗り替えられたように、知的労働者の需要も技術によって再編されつつある。
(中略)
コンピューターはもはや、反復的な知的作業を人間よりずっと速いスピードでこなせるだけではない。今では、コンピューターを使えば、素人がかつて専門家が行っていた作業を行うことができる。
ターボタックス(納税申告用ソフトウエア)がわずかな費用で納税申告書を作成してくれる時に、わざわざ生身の会計士を雇う必要などないだろう。また、プログラマーが微妙なトーンや言語の曖昧さに対応できるようにしたため、コンピューターがこなせる仕事はますます増えてきた。
ポール・クルーグマン氏ら何人かのエコノミストは、ポスト工業社会は教養のある人材に対する需要急増ではなく、大規模な「空洞化」に特徴づけられるようになると論じるようになった。中級の仕事が賢いコンピューターに奪われ、ハイレベルな仕事も伸び悩むと見られるからだ。
マサチューセッツ工科大学(MIT)のデビッド・オーター氏は、コンピューター時代における自動化の主な効果は、ブルーカラーの仕事を破滅させることではなく、定型化が可能なすべての仕事を台無しにすることだと指摘する。
プリンストン大学のアラン・ブラインダー氏は、これまで大卒者が伝統的にこなしてきた仕事の方がむしろ、給料の低い仕事より海外に流出しやすいと言う。配管工やトラック運転手の仕事はインドにアウトソースすることはできないが、コンピュータープログラマーの仕事なら可能だからだ。
(後略)
人は効率化を求め、なるべく働かなくても良い(もしくは人件費がかからなくても良い)方法を考えてきましたが、それはまた、消費者となる人から仕事を奪い、目的と生きがいをなくす人を増やすことになっていく原因を作ったのではないか、と思います。
私が子供の頃から合理化・オートメーション化の名の下で無くなった仕事が数多いですが、そして次には経費削減のために途上国に製造業などを移してきました。
結果、知的労働者以外の仕事が減り、そうした仕事が減ってしまったために、本来、「中学や高校を出て仕事をしたいという希望を持っていた子どもたち」も塾に無理やりいかせ、大学へいくようになりました。
そして学歴バブルが始まり、次はバブルと無縁と思われたエリートたちも仕事にあぶれだし・・・。
そもそも、「合理化、効率化=善」なのか、それは経営者側にとっては都合が良いことであるけれど、長い目で見たとき、広い視野で見たときに、そういえるのか私はわかりません。
「合理化、効率化=善」なのは、それこそ高度成長期のような人手不足の時代には必要でしょうし、キツイ仕事(3D-dangerous(危険な), dirty(汚い), demeaning(品位を落とす))をなくす、楽にするのにも、それは当てはまると思います。
しかし現状は、「仕事=やりがい」と感じていた人達から仕事と同時に尊厳を奪い、労働賃金の低下、消費の低迷、サービス受益者達も時には不便・・・と、負の部分が目立つようになっています。
人間に取って代わって仕事をしてくれる機械やコンピューターは、電気は食うけれど、残念ながら人間と違って消費者となってくれません。
そして、こうして消えていった人間達の力-特に思うのは職人-は、一旦途切れさせたら、もう後世には残せません。
(私がシルバー人材センターで働いていたとき、高齢の畳職人から、「息子に仕事を継がせたいし、本人も希望しているけど、今は工場で一括畳を作ってしまうところが増えて仕事がないので、継がせられない」という話をきいたときに、危機感を持ちました。
こうした、畳職人のような人でなくても、事務員のプロなどは、使い捨てするにはもったいない貴重な存在だと思いました。)
また、学ぶ若者から「将来の夢」を奪うことは、学ぶ意欲も失わさせるでしょう。
参考:
『ケストナーのランドセル』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20090501
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