東日本大震災・福島原発事故からちょうど一年後の3月11日、全国各地で脱原発の集会・デモが取り組まれました。スポンサー大企業の意向を汲んでか、マスコミが追悼一色で脱原発デモについて殆ど報じない中、お膝元の福島県郡山市では保守的な土地柄にも拘わらず1万6千人もの参加で盛り上がり、東京では1万人超もの「人間の鎖」で国会が警備の警察官ごと包囲されたと聞きます。私の地元・大阪でも8千人と、前回の脱原発デモを更に上回る規模の参加で盛況のうちに終わる事が出来ました。以下、遅くなりましたが先般告知していた集会・デモの参加報告をしておきます。
集会会場の中之島公園には開始1時間ほど前に着き、講演開始直前まで手製のプラカードを作っていました。プラカードの文面は以下の通り。
まず表は「モグラ叩きの除染より非核・脱原発こそ真の震災復興」。幾ら放射能を取り除こうと屋根を洗い流したり土を掘り返したりしても(除染)、放射能が川や海に流れ出すだけで、やがて蒸発して雲になり再び放射能雨となって降り注げば同じ事。所詮はモグラ叩きでしかない。放射能は元から断たない(非核・脱原発)とダメだろう。
裏は「原発推進の真の狙いは核開発 核シェルターより憲法9条 欲ボケ橋下に国民をエゴ呼ばわりする資格なし!」。原発ほど経済的に引き合わないものはない。たかがお湯を沸かしてタービン回して発電するだけの為に、何故わざわざコストもリスクも高い核燃料を使いたがるのか。それは原料のウランやプルトニウムがそっくり核兵器にも使えるからだ。そんな軍需利権のために、なぜ環境破壊や被曝の飛ばっちりを受けなければならないのか。核シェルターより憲法9条・非核三原則。その当然の思いを橋下が「お国の一大事より我が身が大事とは国民のエゴ」と貶めたが、エゴイストなのは寧ろ権力亡者の橋下の方だろう。そんな奴の為にむざむざ殺されて堪るか。
そういう思いで作ったものの、何せ急ごしらえなもので、文字ばかりの無粋な、まるでかつての大学紛争当時の新左翼の立て看板みたいなものに仕上がってしまった・・・。
そうこうしているうちに講演が始まる11時になり、会場の中之島公会堂に入ると、もう人・人・人で前へなかなか進めない。受付と昼食弁当購入を済ませ、ようやく入口付近に空席を見つけそこに座る。まず11時45分まで福島県飯館村の元酪農家・長谷川健一さんのお話があり、その後12時過ぎまで福井県美浜町の市民団体代表・松下照幸さんの報告という二部構成で講演が行われた。
長谷川さんの話は迫力のある凄いものだった。原発事故で飯館村も放射線量が40~100ミリシーベルト超まで跳ね上がり(ちなみに一人当たりの年間許容限度は1ミリシーベルト)、ゴーストタウン化を恐れた村長は区長の長谷川さんに口止めを依頼。長谷川さんは早速部落住民全員を集会所に集め、外出禁止を申し合わせ。事実、スピーディによる当時の放射能拡散予測図を見ても、「巨大な(放射能の)たんこぶ」(長谷川さん談)が飯館村を襲っていた事が分かる。
しかし、その事実は公表されず、栃木県への最初の避難も希望者のみ。しかも、その後に御用学者が大挙して飯館村にやってきて、「大丈夫、生活に何ら支障はない」「放射能も”病は気から”」とトンデモをさんざ吹聴した後で、全村が計画的避難区域に指定される破目に。その一方で京大の今中教授から「人が住めないレベルだ」と聞かされて、初めて真相を知る事に。村民全員の避難が終了したのは7月末になってから。これではわざと被曝させられたようなものじゃないか。
その後、有志で見廻り隊を組織し、時期を決めて村内を巡回。耕地が次第に荒れ果て、雑草がビニールハウスを突き抜けている映像や、牛の処分が決まり、家族同然に育てた牛を泣く泣く場に送り出す農民、見捨てられ厩舎の中で餓死した牛を生き残った豚がついばむ映像が映し出された。長谷川さんも「本当はこんな惨い映像なぞ公表したくなかったのだが、真相を知ってもらう為に敢えて公開した」と仰っていた。その中でも、酪農家が自殺間際に倉庫の壁に残した「原発さえ無ければ」という書置きの映像には、私も胸が張り裂けそうになった。改めて原発を推進してきた者への怒りが湧き上がってくるのを感じた。
そして今も出鱈目がまかり通っている。例えば放射能の除染がそうだ。たった400平方メートルの土を入れ替えるだけでも6億円かかる。230平方キロもの広さがあり、しかも67%が山林の飯館村全村の除染なぞ到底無理。実際に、20年かけても除染できるのは周辺の里山のみ。しかも前述したように、そこまでしても所詮は「モグラ叩き」でしかない。川に垂れ流した放射性物質が再び雨となって降り注ぐだけ。
それにも関わらず、国民は加害者たる政府・東電の責任逃れを放置し、被害者の福島県民を逆に「放射能がうつる」と差別する。こんな国はどこにもない。「福島を差別するな、事故を風化させるな」という事で話を締めくくられた。
続いて福井県美浜町から松下さんの報告。残り少ない時間の中で以下の要点を述べられていた。それによると、今も原発銀座の福井では「反原発・脱原発」への風当たりが強い。美浜町長は町長室で私の話を1時間余りも聞いてくれたが、町議は全員関電の言いなりで話も聞いてくれない。これが原発銀座の地元の実情だ(その中で1万6千人もの参加で脱原発集会を成功させた所に郡山の歴史的意義がある)。
現在、定期検査で次々と原発が運転休止に入り、今も稼働している原子炉は全国54基中僅か2基のみ。このまま「脱原発」が実現してしまうのを恐れる国は、よりによって福井県おおい町の関電大飯(おおい)原発3・4号機を原発再稼働の突破口にしようとしている。建設後40年が経過し原子炉も配管もボロボロで、直下に3本もの断層が走る大飯原発で、福島のような事態になれば、放射能は関西の水がめ琵琶湖を「死の湖」に変え、偏西風に乗って全国に広がる。今の原発の事故対策は、どこか1ヶ所のみの事故しか想定しておらず、福島のような複合要因事故(電源も注水も不能に)には為す術がない。それでも原発再稼働を目論むとは、もはや正気の沙汰とは思えない。「それを変えていく為にも、電力の大消費地たる東京や大阪からまず脱原発の声を上げて欲しい」「大飯原発の再稼働阻止に向けて、3月25日に福井市で大規模な脱原発集会を予定しているが、そちらにも是非参加してほしい」という事で話を終えられた。
午後は13時過ぎから中之島の公会堂と公園2ヶ所の計3ヶ所に分かれて集会とデモ。私は公会堂横の階段を公園に降りて直ぐの女神像前に集合。ここに集まった人は御堂筋を南下して難波に向かうデモコースに参加する。最近はこの手の草の根の集会には必ず誰かがゲバラの赤旗を持ち寄るのが恒例になっている。只の赤旗ではなく、カストロと共にキューバ革命を担いながら、ソ連などの大国モデルを拒否してあくまでも民衆自身による革命を目指したチェ・ゲバラの顔写真入りというのが、この場合のミソである。独裁政権を倒したタイやエジプト・チュニジア・イエメンなどアラブ諸国の民主革命や、それに触発されて米国などに波及した格差社会反対のウォール街占拠デモ(オキュパイ・ウォールストリート)でも、この旗が掲げられたと聞く。この脱原発集会も、「ストップ・ザ・もんじゅ」などの既存の反原発運動が母体となりながら、それに生協や独立系労組などの多彩な市民団体が加わり、更に3.11以降はそれを聞きつけた有象無象のネットユーザーが勝手連的に加わる形でここまで広がってきた。そういう意味では、大労組・政党中心の従来の集会とは全く雰囲気が違う。それは参加者の顔触れや出立、以下に紹介する手作りのプラカードからも分かる。
●志を果たして いつの日にか帰らん 山は青きふくしま 水は清きふくしま
●The Power Plant Still Out Of Control (その発電所は未だに制御不能だ―政府の「冷温停止」宣言への風刺か?)
●日本は(かつては)世界第5位の農業大国、第4位の海洋大国だったのに、世界第3位の原発大国になったばっかりに、最悪の被曝大国になってしまった。(これに負けずに)今度こそ世界トップの新(自然)エネルギー大国を目指そう。
●ダメ。ゼッタイ。核乱用撲滅デー
●脱原発 ゆうと4歳11ヶ月 さな2歳1ヶ月 (お子さんの手形入りトレーナー)
●なぜ放射能は流して情報は流さない
(資源エネルギー庁が脱原発のネットの書き込み監視を始め、この間の脱原発デモの盛り上がりや、福島のお母さんたちが経済産業省前にテントを張ってずっと抗議の座り込みを続けている事もマスコミは殆ど報道しない。日本も一皮むけば北朝鮮と同じ)
●デモコースの道頓堀から心斎橋のグリコ広告を垣間見る。橋に掲げられた工事の公示は、ひょっとして橋下大阪市長の思いつき事業「道頓堀川を天然のプールに」の開始を告げるものか?(わら) ついでに言っておくと、橋下の「脱原発」公約も実は「脱原発」に非ず。野田首相も原発推進の煙幕として時々口にする、単に原発依存度を少し引き下げるだけの「脱原発依存」にしか過ぎない。
●原発が、放射能が、危ないこと、怖いこと、日本人みんな知ってたじゃないか、何だよ、いまさら。いっつも後からだな、戦争の反省ないのか? 全部他人のせいか? (戦争と原爆投下の原因究明・責任追及が曖昧に終わり、単に「危ない、怖い」=「自分さえ逃れれば良い」というレベルに国民が止まってしまったからこそ、広島・長崎やビキニ事件、今回の福島原発事故の被曝者への差別も起こったのだと思う)
この様な手製のプラカードを掲げ、スローガンの連呼だけではなく、「電力会社の経営者が株主総会で言いよった、原発はミサイルが当たっても大丈夫やと」「え~、そりゃ無茶苦茶でっせ無茶でっせ、無茶苦茶でっせ無茶でっせ」とか、「さんざん電力不足を煽っておきながら、一方ではオール電化を推進する、これみなさんどう思われますか?」「え~、そりゃ無茶苦茶でっせ無茶でっせ、無茶苦茶でっせ無茶でっせ」というノリで創意工夫を凝らしたシュプレヒコールもしながら、15時から16時半まで、私たちのグループは御堂筋を淀屋橋から難波までデモ行進してきました。集会・デモに参加のみなさん、本当にご苦労様でした。つたない私の報告記事ですが、それでも雰囲気の一端は伝わったのではないでしょうか。マスコミは、「絆」連呼や首都圏の鉄道ダイヤを止めてまで行った「やらせ黙祷」パフォーマンスばかり取り上げて、この集会・デモの事は「臭いモノに蓋」で殆ど報道しませんが、事実は斯くの如しです。勝負はまだまだこれからです。最後に、私のプラカードのスローガンも再度掲げておきます。
●モグラ叩きの除染より非核・脱原発こそ真の震災復興
●原発推進の真の狙いは核開発 核シェルターより憲法9条 欲ボケ橋下に国民をエゴ呼ばわりする資格なし!
集会会場の中之島公園には開始1時間ほど前に着き、講演開始直前まで手製のプラカードを作っていました。プラカードの文面は以下の通り。
まず表は「モグラ叩きの除染より非核・脱原発こそ真の震災復興」。幾ら放射能を取り除こうと屋根を洗い流したり土を掘り返したりしても(除染)、放射能が川や海に流れ出すだけで、やがて蒸発して雲になり再び放射能雨となって降り注げば同じ事。所詮はモグラ叩きでしかない。放射能は元から断たない(非核・脱原発)とダメだろう。
裏は「原発推進の真の狙いは核開発 核シェルターより憲法9条 欲ボケ橋下に国民をエゴ呼ばわりする資格なし!」。原発ほど経済的に引き合わないものはない。たかがお湯を沸かしてタービン回して発電するだけの為に、何故わざわざコストもリスクも高い核燃料を使いたがるのか。それは原料のウランやプルトニウムがそっくり核兵器にも使えるからだ。そんな軍需利権のために、なぜ環境破壊や被曝の飛ばっちりを受けなければならないのか。核シェルターより憲法9条・非核三原則。その当然の思いを橋下が「お国の一大事より我が身が大事とは国民のエゴ」と貶めたが、エゴイストなのは寧ろ権力亡者の橋下の方だろう。そんな奴の為にむざむざ殺されて堪るか。
そういう思いで作ったものの、何せ急ごしらえなもので、文字ばかりの無粋な、まるでかつての大学紛争当時の新左翼の立て看板みたいなものに仕上がってしまった・・・。
そうこうしているうちに講演が始まる11時になり、会場の中之島公会堂に入ると、もう人・人・人で前へなかなか進めない。受付と昼食弁当購入を済ませ、ようやく入口付近に空席を見つけそこに座る。まず11時45分まで福島県飯館村の元酪農家・長谷川健一さんのお話があり、その後12時過ぎまで福井県美浜町の市民団体代表・松下照幸さんの報告という二部構成で講演が行われた。
長谷川さんの話は迫力のある凄いものだった。原発事故で飯館村も放射線量が40~100ミリシーベルト超まで跳ね上がり(ちなみに一人当たりの年間許容限度は1ミリシーベルト)、ゴーストタウン化を恐れた村長は区長の長谷川さんに口止めを依頼。長谷川さんは早速部落住民全員を集会所に集め、外出禁止を申し合わせ。事実、スピーディによる当時の放射能拡散予測図を見ても、「巨大な(放射能の)たんこぶ」(長谷川さん談)が飯館村を襲っていた事が分かる。
しかし、その事実は公表されず、栃木県への最初の避難も希望者のみ。しかも、その後に御用学者が大挙して飯館村にやってきて、「大丈夫、生活に何ら支障はない」「放射能も”病は気から”」とトンデモをさんざ吹聴した後で、全村が計画的避難区域に指定される破目に。その一方で京大の今中教授から「人が住めないレベルだ」と聞かされて、初めて真相を知る事に。村民全員の避難が終了したのは7月末になってから。これではわざと被曝させられたようなものじゃないか。
その後、有志で見廻り隊を組織し、時期を決めて村内を巡回。耕地が次第に荒れ果て、雑草がビニールハウスを突き抜けている映像や、牛の処分が決まり、家族同然に育てた牛を泣く泣く場に送り出す農民、見捨てられ厩舎の中で餓死した牛を生き残った豚がついばむ映像が映し出された。長谷川さんも「本当はこんな惨い映像なぞ公表したくなかったのだが、真相を知ってもらう為に敢えて公開した」と仰っていた。その中でも、酪農家が自殺間際に倉庫の壁に残した「原発さえ無ければ」という書置きの映像には、私も胸が張り裂けそうになった。改めて原発を推進してきた者への怒りが湧き上がってくるのを感じた。
そして今も出鱈目がまかり通っている。例えば放射能の除染がそうだ。たった400平方メートルの土を入れ替えるだけでも6億円かかる。230平方キロもの広さがあり、しかも67%が山林の飯館村全村の除染なぞ到底無理。実際に、20年かけても除染できるのは周辺の里山のみ。しかも前述したように、そこまでしても所詮は「モグラ叩き」でしかない。川に垂れ流した放射性物質が再び雨となって降り注ぐだけ。
それにも関わらず、国民は加害者たる政府・東電の責任逃れを放置し、被害者の福島県民を逆に「放射能がうつる」と差別する。こんな国はどこにもない。「福島を差別するな、事故を風化させるな」という事で話を締めくくられた。
続いて福井県美浜町から松下さんの報告。残り少ない時間の中で以下の要点を述べられていた。それによると、今も原発銀座の福井では「反原発・脱原発」への風当たりが強い。美浜町長は町長室で私の話を1時間余りも聞いてくれたが、町議は全員関電の言いなりで話も聞いてくれない。これが原発銀座の地元の実情だ(その中で1万6千人もの参加で脱原発集会を成功させた所に郡山の歴史的意義がある)。
現在、定期検査で次々と原発が運転休止に入り、今も稼働している原子炉は全国54基中僅か2基のみ。このまま「脱原発」が実現してしまうのを恐れる国は、よりによって福井県おおい町の関電大飯(おおい)原発3・4号機を原発再稼働の突破口にしようとしている。建設後40年が経過し原子炉も配管もボロボロで、直下に3本もの断層が走る大飯原発で、福島のような事態になれば、放射能は関西の水がめ琵琶湖を「死の湖」に変え、偏西風に乗って全国に広がる。今の原発の事故対策は、どこか1ヶ所のみの事故しか想定しておらず、福島のような複合要因事故(電源も注水も不能に)には為す術がない。それでも原発再稼働を目論むとは、もはや正気の沙汰とは思えない。「それを変えていく為にも、電力の大消費地たる東京や大阪からまず脱原発の声を上げて欲しい」「大飯原発の再稼働阻止に向けて、3月25日に福井市で大規模な脱原発集会を予定しているが、そちらにも是非参加してほしい」という事で話を終えられた。
午後は13時過ぎから中之島の公会堂と公園2ヶ所の計3ヶ所に分かれて集会とデモ。私は公会堂横の階段を公園に降りて直ぐの女神像前に集合。ここに集まった人は御堂筋を南下して難波に向かうデモコースに参加する。最近はこの手の草の根の集会には必ず誰かがゲバラの赤旗を持ち寄るのが恒例になっている。只の赤旗ではなく、カストロと共にキューバ革命を担いながら、ソ連などの大国モデルを拒否してあくまでも民衆自身による革命を目指したチェ・ゲバラの顔写真入りというのが、この場合のミソである。独裁政権を倒したタイやエジプト・チュニジア・イエメンなどアラブ諸国の民主革命や、それに触発されて米国などに波及した格差社会反対のウォール街占拠デモ(オキュパイ・ウォールストリート)でも、この旗が掲げられたと聞く。この脱原発集会も、「ストップ・ザ・もんじゅ」などの既存の反原発運動が母体となりながら、それに生協や独立系労組などの多彩な市民団体が加わり、更に3.11以降はそれを聞きつけた有象無象のネットユーザーが勝手連的に加わる形でここまで広がってきた。そういう意味では、大労組・政党中心の従来の集会とは全く雰囲気が違う。それは参加者の顔触れや出立、以下に紹介する手作りのプラカードからも分かる。
●志を果たして いつの日にか帰らん 山は青きふくしま 水は清きふくしま
●The Power Plant Still Out Of Control (その発電所は未だに制御不能だ―政府の「冷温停止」宣言への風刺か?)
●日本は(かつては)世界第5位の農業大国、第4位の海洋大国だったのに、世界第3位の原発大国になったばっかりに、最悪の被曝大国になってしまった。(これに負けずに)今度こそ世界トップの新(自然)エネルギー大国を目指そう。
●ダメ。ゼッタイ。核乱用撲滅デー
●脱原発 ゆうと4歳11ヶ月 さな2歳1ヶ月 (お子さんの手形入りトレーナー)
●なぜ放射能は流して情報は流さない
(資源エネルギー庁が脱原発のネットの書き込み監視を始め、この間の脱原発デモの盛り上がりや、福島のお母さんたちが経済産業省前にテントを張ってずっと抗議の座り込みを続けている事もマスコミは殆ど報道しない。日本も一皮むけば北朝鮮と同じ)
●デモコースの道頓堀から心斎橋のグリコ広告を垣間見る。橋に掲げられた工事の公示は、ひょっとして橋下大阪市長の思いつき事業「道頓堀川を天然のプールに」の開始を告げるものか?(わら) ついでに言っておくと、橋下の「脱原発」公約も実は「脱原発」に非ず。野田首相も原発推進の煙幕として時々口にする、単に原発依存度を少し引き下げるだけの「脱原発依存」にしか過ぎない。
●原発が、放射能が、危ないこと、怖いこと、日本人みんな知ってたじゃないか、何だよ、いまさら。いっつも後からだな、戦争の反省ないのか? 全部他人のせいか? (戦争と原爆投下の原因究明・責任追及が曖昧に終わり、単に「危ない、怖い」=「自分さえ逃れれば良い」というレベルに国民が止まってしまったからこそ、広島・長崎やビキニ事件、今回の福島原発事故の被曝者への差別も起こったのだと思う)
この様な手製のプラカードを掲げ、スローガンの連呼だけではなく、「電力会社の経営者が株主総会で言いよった、原発はミサイルが当たっても大丈夫やと」「え~、そりゃ無茶苦茶でっせ無茶でっせ、無茶苦茶でっせ無茶でっせ」とか、「さんざん電力不足を煽っておきながら、一方ではオール電化を推進する、これみなさんどう思われますか?」「え~、そりゃ無茶苦茶でっせ無茶でっせ、無茶苦茶でっせ無茶でっせ」というノリで創意工夫を凝らしたシュプレヒコールもしながら、15時から16時半まで、私たちのグループは御堂筋を淀屋橋から難波までデモ行進してきました。集会・デモに参加のみなさん、本当にご苦労様でした。つたない私の報告記事ですが、それでも雰囲気の一端は伝わったのではないでしょうか。マスコミは、「絆」連呼や首都圏の鉄道ダイヤを止めてまで行った「やらせ黙祷」パフォーマンスばかり取り上げて、この集会・デモの事は「臭いモノに蓋」で殆ど報道しませんが、事実は斯くの如しです。勝負はまだまだこれからです。最後に、私のプラカードのスローガンも再度掲げておきます。
●モグラ叩きの除染より非核・脱原発こそ真の震災復興
●原発推進の真の狙いは核開発 核シェルターより憲法9条 欲ボケ橋下に国民をエゴ呼ばわりする資格なし!
(大阪市 関電に全原発廃止突きつけ)
骨子を読んだ限りでは、即時廃炉や再稼働を一切認めない!というようなものではなく、電力需給状況を見つつ再稼働しなければならないようなら、必要最小限(?)は動かす、そして徐々に原発を減らしながらも他のエネルギーで代替していき、将来的にはゼロへ。。ということですよね。。
まず大阪市・京都市・神戸市あわせても関電株式の15%程度にしかならないので、他の株主をまきこんでいかなければ提案が通らないし、仮に通っても、そもそもこの案でいいのでしょうか?
まるでこの前、新聞にでていた世論調査(原発には反対だ。しかし当面は電力需給状況に応じて、必要な分は再稼働せざるをえない)を、そのままなぞったような内容ですね。
とりあえず、大阪市の住民投票実現は難しそうですが。(これがいいのか悪いのか私も判断保留ですけど)
単純に「橋下さんが原発ゼロを実現してくれる!」とデモや脱原発運動が尻すぼみにならないでしょうかね。。?
原子力を「社会倫理」の側面から認めてはならないという市民活動を期待する。原子力はそのリスクをゼロにすることはできず、またそのリスクは社会が許容できる限度を超えていることが福島原発事故ではっきりした。さらに将来世代に多大なリスクと危険をつけ送りにしてまでも「経済論理」の下、現世利益を追求することは社会倫理的に許されることではないということである。被曝とか原発の安全性という具体的事象では、いくらでも「原子力技術の専門家」に言いくるめられてしまう(例:技術的側面からだけの「原発ストレステスト」)。彼らに愚の根も言わせないのは、まさにこの「社会倫理」の側面からの否定でしかない。ドイツでの脱原発が最終的に原子力技術の専門家を排除した倫理委員会の判断に拠ったことを鑑みると、我が国の草の根の市民運動もそろそろ、具体的事象ではなく、「倫理」の側面から反対の声を大きくしていくべきだろう。