アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

「仲間は助けるが同志は助けない」デモ?~四トロ同窓会二次会掲示板より(3)

2012年08月19日 17時10分37秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
(2)からの続き

●Re: 日の丸は 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)14時42分11秒 返信・引用

バッジ@ネオ・トロツキストさんへのお返事です。

> 在日外国人やアジア諸国民を運動から排除する。
> ま、代々木とも気の合う、今の日本社会のレベルに相応しい「国民運動」路線だけどねw
> ドイツ人やインド人もビックリ!!!www
>
> だけど、ジョンやジミや清志郎が生きていたら、多分、泣くぜぇ。

この「ジョンやジミや清志郎」が自分たちと同じ意見だと勝手に思い込むのはなんだろう?
一種の権威主義なのかな。

https://twitter.com/kdxn

●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)15時16分18秒

野間易通さんへのお返事です。

> > 今までの議論から考えて、それは「あなた以外の」反原連ということになりますね。
>
> 意味がわからない。反原連が、組織としてやってます。
> 当然会議で合意を経たものですし、実務の担当者とそうでない人がいます。

私はあなたの返事に対して質問をしたのですが?
「自分は反原連だ=主催者だ」としながら、
「自分のこと」への質問に「集団としての主催者」として答えている。
あれほど逮捕者についての対応に無知な自分をさらけ出しておきながら、
平然と「反原連は組織としてやってます」で済ませるのだから。

まあ、いいでしょう。集団の中で自覚が高まってゆけば。
始めはだれでも失敗だらけです。
がんばってください。

> 自分の考えと同じでないと「きちんと考えてない」とするのはいかがなものか。運動が大きくなってきた場合、責任範囲を限定的・分散的にしておかないとこういう個人主体の運動体そのものがつぶれてしまいます。大きな組織でないと運動ができなくなる。そういうことを避ける方策を考えるのは当然でしょう。

責任範囲のことではなく「仲間は助けるが同志は助けない」みたいなことを言ったのは
主催者ではなく、主催者の一員である「野間さん個人」ですよ。
まず「反原発のために集まった人はすべて仲間である」という認識にたって
だれでも(日の丸を掲げた人でも)逮捕者には救援対策を行うことは確認事項なんじゃないでしょうか。
ぜひそういう風にお願いします。

> 救援連絡センターの歴史ではなく、「誰が救援連絡センターや弁護士と連絡を取り、救援会を組織するか」の話。それを「担い手」と言ってます。救援連絡センターが「担い手」なら、そこに連絡すりゃすむ話ってことになっちゃいますが、ちがうでしょ?

実務を行う組織の問題と、活動の主体の問題の違いですよ。
運動の中で逮捕者が出れば、その運動体が救援対策を行うのは当たり前です。
その時、「実務集団」として救援センターを使うのです。
たとえば印刷物を発行しようというのはその発行主体の判断によります。
しかし、実際の印刷物は印刷屋に委せるでしょ? それと同じですよ。

> そうです。「主催の呼びかけに応じて集ま」る人が、主催が「歓迎しないことをやる」のは、何にたいして「大丈夫」なんでしょうか?

「何に対して」って? 大丈夫とは、やっても大丈夫ということであって
「何に対して」などという条件がつかないから「大丈夫」なんじゃありませんか?

> 「反原連はそのように考えない」と表明することは当然反原連の「権限」の範疇でしょう。というか、そもそも権限云々とは関係がない。

いえ、発言をすり替えないでください。
「反原連はそのように考えない」という表明なら、それでまったく問題はありません。
あなたは日の丸に反対の意見に対して「一面的で単純な歴史観や国家観」であると言ったのです。
これは「反原連はそのように考えない」の範疇を超えて、相手の歴史観への批判です。
反原連は様々な歴史観の人々を受け入れるのではないのですか?
それとも反日の丸・君が代史観は「一面的で単純な歴史観や国家観である」と主催団体の中で確認されたのですか?

もちろん「主催者として」ではなく「あなた個人として」の発言なら問題はありません。
しかし、文脈からいって、「主催者の意向」として発言されているのですから
そういうことにはなりませんね。

まぁ、労組については、がんばってほしいという事で、それ以上私にもどうすることもできません。
残念ですが、今後の発展に期待しましょう。
野間さんもがんばってください。

●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)15時31分29秒 返信・引用

まっぺんさんへのお返事です。

> > > 今までの議論から考えて、それは「あなた以外の」反原連ということになりますね。
> >
> > 意味がわからない。反原連が、組織としてやってます。
> > 当然会議で合意を経たものですし、実務の担当者とそうでない人がいます。
>
> 私はあなたの返事に対して質問をしたのですが?
> 「自分は反原連だ=主催者だ」としながら、
> 「自分のこと」への質問に「集団としての主催者」として答えている。
> あれほど逮捕者についての対応に無知な自分をさらけ出しておきながら、
> 平然と「反原連は組織としてやってます」で済ませるのだから。

ますます意味不明。反原連が組織として何をやったかという話はすべて単なる事実です。
私の個人的考えとは関係がない。

> 責任範囲のことではなく「仲間は助けるが同志は助けない」みたいなことを言ったのは
> 主催者ではなく、主催者の一員である「野間さん個人」ですよ。

それは「責任範囲のこと」です。あなたが「主催の責任」について述べたものに対する私個人の考えを書いたものなので(笑)。

> 実務を行う組織の問題と、活動の主体の問題の違いですよ。
> 運動の中で逮捕者が出れば、その運動体が救援対策を行うのは当たり前です。

その「運動」というのが、入れ子になってるわけですよ。たとえば労組の組織参加の場合、救援対策を行う「運動体」は反原連なのかその労組なのかといった、そういう問題。救援のスムースさ、意思疎通の容易さなどさまざまな要素を加味して、これはケースバイケースで判断していけばよいのではないかと思っています。

> > そうです。「主催の呼びかけに応じて集ま」る人が、主催が「歓迎しないことをやる」のは、何にたいして「大丈夫」なんでしょうか?
>
> 「何に対して」って? 大丈夫とは、やっても大丈夫ということであって
> 「何に対して」などという条件がつかないから「大丈夫」なんじゃありませんか?

「やっても大丈夫」って意味わからないです。主催が歓迎しないことをやるのは、少なくとも主催にとっては迷惑なのでは? 自分たちだけよければ「大丈夫」ということでしょうか。

> > 「反原連はそのように考えない」と表明することは当然反原連の「権限」の範疇でしょう。というか、そもそも権限云々とは関係がない。
>
> いえ、発言をすり替えないでください。
> 「反原連はそのように考えない」という表明なら、それでまったく問題はありません。
> あなたは日の丸に反対の意見に対して「一面的で単純な歴史観や国家観」であると言ったのです。
> これは「反原連はそのように考えない」の範疇を超えて、相手の歴史観への批判です。
> 反原連は様々な歴史観の人々を受け入れるのではないのですか?

さまざまな歴史観の人々を受け入れるのですから、そういう単一の(一面的で単純な)歴史観には立たないということです。何も矛盾がない。

> それとも反日の丸・君が代史観は「一面的で単純な歴史観や国家観である」と主催団体の中で確認されたのですか?

ここに書くのは私個人の意見だと表明したはず。「一面的で単純な歴史観や国家観である」というのも、私の評価です。「反原連はそうしたものに依拠しない」というのも、反原連の行動原理に対する私の評価です。

> もちろん「主催者として」ではなく「あなた個人として」の発言なら問題はありません。
> しかし、文脈からいって、「主催者の意向」として発言されているのですから
> そういうことにはなりませんね。

この「主催者の意向」は、主催者でなくても説明できるものです。「反原連は核武装賛成論には立たない」といったことは、「主催」でなくてもさまざまな情報から言うことができるでしょう?  私はまっぺんさんの歴史認識を「一面的で単純なもの」と思っており、反原連がそうしたものを表明していない以上、「反原連はそうした一面的で単純な歴史認識を共有しない」と説明するのは当然のことです。

> まぁ、労組については、がんばってほしいという事で、それ以上私にもどうすることもできません。
> 残念ですが、今後の発展に期待しましょう。

いつも不思議に思うのですが、労組の意義などについてここで熱い議論を闘わせているみなさんは労組とどういうかかわりを持ってるの? 自分はそこに参画してないのですか?

https://twitter.com/kdxn

●工作員なのw 投稿者:転載君 投稿日:2012年 8月18日(土)15時49分52秒

某ツイッターより転載

「@kdxn あのね野間易通さん、原発再稼働賛成、という人は馬鹿でいいけどねえ。あなたの言っている馬鹿は、「エートスに反対して子供を非汚染地帯に逃がそうと努力している人たち」に「馬鹿」と言っている。どっちが馬鹿だ?はっきり言います。あなた権力側からの工作員じゃないの?え、ちがうの?」

●Re: 工作員なのw 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)15時55分18秒

転載君さんへのお返事です。

> 某ツイッターより転載
>
> 「@kdxn あのね野間易通さん、原発再稼働賛成、という人は馬鹿でいいけどねえ。あなたの言っている馬鹿は、「エートスに反対して子供を非汚染地帯に逃がそうと努力している人たち」に「馬鹿」と言っている。どっちが馬鹿だ?はっきり言います。あなた権力側からの工作員じゃないの?え、ちがうの?」

こういうのってちゃんとURLつけないと。

https://twitter.com/kdxn

●野間さん、まぁがんばってください 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)16時27分52秒 返信・引用 編集済

野間易通さんへのお返事です。

> ますます意味不明。反原連が組織として何をやったかという話はすべて単なる事実です。
> 私の個人的考えとは関係がない。

おやおや(^^)
それならなんで、そんな無責任なことをおっしゃるのですかねえ。
というか、反原連の中には統制主義な輩もいるらしいけど、少なくとも「救援」に関しては
野間さんよりはちゃんと考えているようですね。
その意味で「反原連主催者は」(約1名を除き)救援についてちゃんと考えている
というご意見なら同意しましょう。

> > 責任範囲のことではなく「仲間は助けるが同志は助けない」みたいなことを言ったのは
> > 主催者ではなく、主催者の一員である「野間さん個人」ですよ。
>
> それは「責任範囲のこと」です。あなたが「主催の責任」について述べたものに対する私個人の考えを書いたものなので(笑)。

ですから、その結果、あなたの「無責任さ」あるいは、責任というものについて
きちんと考えていないことが明らかになってしまったのではないでしょうか。主催者とは別に。
まぁ、これからがんばってくださいね。

> > 実務を行う組織の問題と、活動の主体の問題の違いですよ。
> > 運動の中で逮捕者が出れば、その運動体が救援対策を行うのは当たり前です。
>
> その「運動」というのが、入れ子になってるわけですよ。たとえば労組の組織参加の場合、救援対策を行う「運動体」は反原連なのかその労組なのかといった、そういう問題。救援のスムースさ、意思疎通の容易さなどさまざまな要素を加味して、これはケースバイケースで判断していけばよいのではないかと思っています。

はぁ? 入れ子も何もないと思いますが?
それに救援対策を行うのは、まず第一に「主催者」である反原連なのは自明の理です。
なぜなら、その労組の中の逮捕者は、反原連運動全体とは無関係に逮捕されたのではなく、
運動の中で逮捕されたのですから、主催者のもとに両者が協力しあって救援を行うのです。
こういう常識的なことはこれからぜひお勉強していってもらいたいと思います。
なお、「ケースバイケース」とは、救援のスムースさとか意思疎通などではなく、逮捕時の状況、
被逮捕者の職場・学校や肉親などの関係、要するに被逮捕者を第一に考えなきゃ駄目でしょ。

あのー。この議論の発端は、逮捕者対策をきちんとするかどうか、ということでしたが
なんでこんな方向に話が進むんでしょうかねえ。
野間さん。
要するに主催者としてきちんと行っているというならそれでいいのです。
あなたの以下の発言は撤回すればそれでいいのです。
----------------------------------------
私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をする
というのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセク
トや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を
奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参
加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
----------------------------------------

> 「やっても大丈夫」って意味わからないです。主催が歓迎しないことをやるのは、少なくとも主催にとっては迷惑なのでは? 自分たちだけよければ「大丈夫」ということでしょうか。

それについてはもう議論済みですよ。

(A)あなたは「主催が歓迎しない」こと「だけ」を強調している。
しかし「禁止はしない」ということも言われたのですよ。そうですね。

(B)その上で、逆に主催者の態度に対して参加者が抗議していることも申しました。
つまり言い換えれば「参加者が歓迎しないこと」を主催者が強制しているのです。

つまりあなたは(A)の半分だけの主張を繰り返しているだけなのです。
私はそれに対して(A)のあとの半分の主張で対抗し、その上で(B)の観点からも反論しています。

ですから、同じことを繰り返しても、何の説得力もありません。おわかりでしょうか?
あとは「主催者が歓迎しない」行為がどのような行為なのかを現場で判断するしかないでしょう?
それともあくまでも「主催者が歓迎しないことは一切やるな」というのであれば、
それこそ横暴な態度として糾弾の対象となるでしょう。
すでにそれが糾弾されていることについて私は(B)で表明しているのですよ。

> > いえ、発言をすり替えないでください。
> > 「反原連はそのように考えない」という表明なら、それでまったく問題はありません。
> > あなたは日の丸に反対の意見に対して「一面的で単純な歴史観や国家観」であると言ったのです。
> > これは「反原連はそのように考えない」の範疇を超えて、相手の歴史観への批判です。
> > 反原連は様々な歴史観の人々を受け入れるのではないのですか?

> さまざまな歴史観の人々を受け入れるのですから、そういう単一の(一面的で単純な)歴史観には立たないということです。何も矛盾がない。

「そういう歴史観に立たない」は立場の表明、「そういう歴史観は一面的だ」は批判です。
意味が違います。それをいっしょくたにして語ってはいけません。
反原連は前者であって、後者はあなた個人の態度です。
そのふたつを混ぜこぜにして、あたかも「反原連の立場」であるかのように言うのはいけません。

> ここに書くのは私個人の意見だと表明したはず。「一面的で単純な歴史観や国家観である」というのも、私の評価です。「反原連はそうしたものに依拠しない」というのも、反原連の行動原理に対する私の評価です。

それなら問題ありません。

> > もちろん「主催者として」ではなく「あなた個人として」の発言なら問題はありません。
> > しかし、文脈からいって、「主催者の意向」として発言されているのですから
> > そういうことにはなりませんね。

> この「主催者の意向」は、主催者でなくても説明できるものです。「反原連は核武装賛成論には立たない」といったことは、「主催」でなくてもさまざまな情報から言うことができるでしょう?  私はまっぺんさんの歴史認識を「一面的で単純なもの」と思っており、反原連がそうしたものを表明していない以上、「反原連はそうした一面的で単純な歴史認識を共有しない」と説明するのは当然のことです。

核武装賛成論の話はしてませんが? それに「核武装賛成論には立たない」と言っているだけで
「核武装賛成論は一面的で単純だ」とは言っていませんよね?
まぁ、野間さん個人が私の歴史観を「一面的で単純なもの」というのは全く自由です。
しかしそれは「主催者の意向」として説明はできません。

> いつも不思議に思うのですが、労組の意義などについてここで熱い議論を闘わせているみなさんは労組とどういうかかわりを持ってるの? 自分はそこに参画してないのですか?

ひとりひとり立場が違いますよ。僕は労組には入っていないので関われません。
ただし、いま関西の関西生コンに期待し、協力関係にありますから、無関係とは言えませんけど。

●Re: 野間さん、まぁがんばってください 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)17時03分16秒

まっぺんさんへのお返事です。

> > ますます意味不明。反原連が組織として何をやったかという話はすべて単なる事実です。
> > 私の個人的考えとは関係がない。
>
> おやおや(^^)
> それならなんで、そんな無責任なことをおっしゃるのですかねえ。

事実を事実として記述するのに「無責任」も何もないでしょうに…。

> > > 責任範囲のことではなく「仲間は助けるが同志は助けない」みたいなことを言ったのは
> > > 主催者ではなく、主催者の一員である「野間さん個人」ですよ。
> >
> > それは「責任範囲のこと」です。あなたが「主催の責任」について述べたものに対する私個人の考えを書いたものなので(笑)。
>
> ですから、その結果、あなたの「無責任さ」あるいは、責任というものについて
> きちんと考えていないことが明らかになってしまったのではないでしょうか。主催者とは別に。
> まぁ、これからがんばってくださいね。

いや、まっぺんさんは「責任範囲」について何も語ってないでしょう? 「責任範囲のことではなく」と言ってるぐらいだから、こちらが何を言っているのかまったく理解してないとしか思えないです。態度としては、イラク人質事件のときに「自己責任だ!」と言って人質たちを非難した人たちと変わらない。まあ日本人によくありがちな糾弾姿勢ですけどね。

> > その「運動」というのが、入れ子になってるわけですよ。たとえば労組の組織参加の場合、救援対策を行う「運動体」は反原連なのかその労組なのかといった、そういう問題。救援のスムースさ、意思疎通の容易さなどさまざまな要素を加味して、これはケースバイケースで判断していけばよいのではないかと思っています。
>
> はぁ? 入れ子も何もないと思いますが?

ありますよ。

> 野間さん。
> 要するに主催者としてきちんと行っているというならそれでいいのです。
> あなたの以下の発言は撤回すればそれでいいのです。
> ----------------------------------------
> 私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をする
> というのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセク
> トや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を
> 奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参
> 加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
> ----------------------------------------

意味がわからない(笑)。「主催者としてきちんと」ということがアプリオリにどういう状態か決定されているのなら、議論の余地など最初からないわけで、これは典型的な思考停止でしょう。糾弾の欲望が先にたつとそういうことになりがちですね。

> > 「やっても大丈夫」って意味わからないです。主催が歓迎しないことをやるのは、少なくとも主催にとっては迷惑なのでは? 自分たちだけよければ「大丈夫」ということでしょうか。
>
> それについてはもう議論済みですよ。
>
> (A)あなたは「主催が歓迎しない」こと「だけ」を強調している。
> しかし「禁止はしない」ということも言われたのですよ。そうですね。
>
> (B)その上で、逆に主催者の態度に対して参加者が抗議していることも申しました。
> つまり言い換えれば「参加者が歓迎しないこと」を主催者が強制しているのです。
>
> つまりあなたは(A)の半分だけの主張を繰り返しているだけなのです。
> 私はそれに対して(A)のあとの半分の主張で対抗し、その上で(B)の観点からも反論しています。

で、それは《自分たちだけよければ「大丈夫」ということでしょうか》?

> あとは「主催者が歓迎しない」行為がどのような行為なのかを現場で判断するしかないでしょう?
> それともあくまでも「主催者が歓迎しないことは一切やるな」というのであれば、
> それこそ横暴な態度として糾弾の対象となるでしょう。
> すでにそれが糾弾されていることについて私は(B)で表明しているのですよ。

(B)では何も表明されていないです。主催が歓迎しないがそれに逆らってまでやるべきなのかどうかということをいま話し合っているわけで、「組織旗を出す」というのはあなたにとってそういう意味付けのある行為ですか?ということです。「OKとはどういう意味か」というのはそういう質問です。落ち着いてよく考えましょう。

> 「そういう歴史観に立たない」は立場の表明、「そういう歴史観は一面的だ」は批判です。
> 意味が違います。それをいっしょくたにして語ってはいけません。
> 反原連は前者であって、後者はあなた個人の態度です。
> そのふたつを混ぜこぜにして、あたかも「反原連の立場」であるかのように言うのはいけません。

いけませんもなにも、「混ぜこぜ」にしているわけではなく、私は私の立場から語るしかないのですからしょうがないでしょう。《あたかも「反原連の立場」であるかのように言う》というのがあなたの誤読にすぎないだけです。

> > ここに書くのは私個人の意見だと表明したはず。「一面的で単純な歴史観や国家観である」というのも、私の評価です。「反原連はそうしたものに依拠しない」というのも、反原連の行動原理に対する私の評価です。
>
> それなら問題ありません。

あわてて誤読しないように、よく落ち着いて読んでくださいね。

> > この「主催者の意向」は、主催者でなくても説明できるものです。「反原連は核武装賛成論には立たない」といったことは、「主催」でなくてもさまざまな情報から言うことができるでしょう?  私はまっぺんさんの歴史認識を「一面的で単純なもの」と思っており、反原連がそうしたものを表明していない以上、「反原連はそうした一面的で単純な歴史認識を共有しない」と説明するのは当然のことです。
>
> 核武装賛成論の話はしてませんが?

それは「たとえ」です。落ち着いでください。

> > いつも不思議に思うのですが、労組の意義などについてここで熱い議論を闘わせているみなさんは労組とどういうかかわりを持ってるの? 自分はそこに参画してないのですか?
>
> ひとりひとり立場が違いますよ。僕は労組には入っていないので関われません。
> ただし、いま関西の関西生コンに期待し、協力関係にありますから、無関係とは言えませんけど。

概ね労組にシンパシーを抱く人が多い感じですかね。

https://twitter.com/kdxn

●Re: 日の丸は 投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト 投稿日:2012年 8月18日(土)17時50分41秒

野間易通さんへのお返事です。

> バッジ@ネオ・トロツキストさんへのお返事です。
>
> > 在日外国人やアジア諸国民を運動から排除する。
> > ま、代々木とも気の合う、今の日本社会のレベルに相応しい「国民運動」路線だけどねw
> > ドイツ人やインド人もビックリ!!!www
> >
> > だけど、ジョンやジミや清志郎が生きていたら、多分、泣くぜぇ。
>
> この「ジョンやジミや清志郎」が自分たちと同じ意見だと勝手に思い込むのはなんだろう?
> 一種の権威主義なのかな。

ははははっ、こりゃ、付ける薬ないねぇ。
ま、トシ食って変節するヤローもこの世にゃいるから、ナンとでも言えるか!

それにしても、貴兄の論法も思想内容も、これだけでよく判りましたわw

●議論は出尽くして堂々巡りモードですね 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)18時29分35秒

> 事実を事実として記述するのに「無責任」も何もないでしょうに…。

はい、そうですねえ。「主催者がおこなった」のは事実なんですね。
でもあなたはそんなもの不必要と思ってるんですよねえ。逮捕された連中は「仲間じゃ無い」んでしょ?
それは自分を「主催者失格」と言っているのと同じじゃないでしょうか?

> いや、まっぺんさんは「責任範囲」について何も語ってないでしょう? 「責任範囲のことではなく」と言ってるぐらいだから、こちらが何を言っているのかまったく理解してないとしか思えないです。

おいおい! それは言葉のすり替えだなぁ。
「責任範囲のことではなく」とは言いましたが、「責任のことではなく」と言ったんじゃありませんよ。
つまりあなたが主催者の責任を「範囲」に分けて「自分には責任がない」ような言い逃れをしたからです。
あなたがここで「主催者の立場から」発言するなら、そのような分担による反論は無効ですよ。

> 態度としては、イラク人質事件のときに「自己責任だ!」と言って人質たちを非難した人たちと変わらない。まあ日本人によくありがちな糾弾姿勢ですけどね。

おいおい! あのイラクの人質問題では私は「自衛官人権ホットライン」に所属し
あの運動を「主催していた」立場なんですけどねえ。
あなたにそんなことを言われるとは思わなかった。
http://www.jca.apc.org/gi-heisi/
それに私は「主催者の責任」をあなたに問うているのであって、それを問うているのは
私も参加者であり、主催者の指示について吟味しているからなのですよ。
どうしてそれが「自己責任」になるんでしょうねえ? 論理も何もなくなってしまってますね。

> > > その「運動」というのが、入れ子になってるわけですよ。たとえば労組の組織参加の場合、救援対策を行う「運動体」は反原連なのかその労組なのかといった、そういう問題。救援のスムースさ、意思疎通の容易さなどさまざまな要素を加味して、これはケースバイケースで判断していけばよいのではないかと思っています。
> >
> > はぁ? 入れ子も何もないと思いますが?
>
> ありますよ。

「ありますよ」だけでは反論になっていません。
私は「入れ子も何もない」のあと、ちゃんとその理由を説明していますよ。

> > 野間さん。
> > 要するに主催者としてきちんと行っているというならそれでいいのです。
> > あなたの以下の発言は撤回すればそれでいいのです。
> > ----------------------------------------
> > 私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をする
> > というのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセク
> > トや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を
> > 奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参
> > 加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
> > ----------------------------------------
>
> 意味がわからない(笑)。「主催者としてきちんと」ということがアプリオリにどういう状態か決定されているのなら、議論の余地など最初からないわけで、これは典型的な思考停止でしょう。糾弾の欲望が先にたつとそういうことになりがちですね。

ついに議論放棄ですか(^0^)
あなた自身が「どの立場で発言しているのか」に係っているのですよ。
あなたは「救援など必要かどうか疑問」と言っている。それは「あなた個人の立場」です。
しかし私は救援の必要を主張しました。すると今度は「主催者は救援をやっている」と言った。
自分の個人的立場と、主催者の公的立場とを併用しながら批判をかわしているだけじゃないですか。
だから、さっきいったのですよ、「主催者は約1名を除いて救援についてきちんとやっている」とね。
それでいいんでしょう? それなら同意しますが、なにか問題ありますか?

> (B)では何も表明されていないです。主催が歓迎しないがそれに逆らってまでやるべきなのかどうかということをいま話し合っているわけで、「組織旗を出す」というのはあなたにとってそういう意味付けのある行為ですか?ということです。「OKとはどういう意味か」というのはそういう質問です。落ち着いてよく考えましょう。

おやおや! あなたの「主催者命令」に固執する態度については落ち着いて観察していますが?
この問題に関するあなたの態度は「主催者が主役だ。参加者は主催者に従え」という事ですよね。
私は、そのような一方的態度が批判されてきたと言っているのですよ。
だから「主催者に従え」をいくら強調しても、それに従うわけには行きません。
主催者を尊重しつつ、従えないものは従えないと言う他はありません。
(B)ではそのような主催者の一方的態度が参加者からの反感を買っている「事実」を述べているのです。

するとあとは、あなたの口から、次の言葉がいつでるのでしょうか?
「俺様の命令に従わないなら、排除する!」 さあ、さっさとそう言ったらどうですか?
参加者に命令し、統制し、逮捕されても知らん顔で、よく「主催者」なんて言えますねえ。

> > 「そういう歴史観に立たない」は立場の表明、「そういう歴史観は一面的だ」は批判です。
> > 意味が違います。それをいっしょくたにして語ってはいけません。
> > 反原連は前者であって、後者はあなた個人の態度です。
> > そのふたつを混ぜこぜにして、あたかも「反原連の立場」であるかのように言うのはいけません。
>
> いけませんもなにも、「混ぜこぜ」にしているわけではなく、私は私の立場から語るしかないのですからしょうがないでしょう。《あたかも「反原連の立場」であるかのように言う》というのがあなたの誤読にすぎないだけです。

はい、それならそれで手を打ちましょう。
「主催者の公式見解ではなく、野間さん個人の立場からの発言です」ということで確認いたします。

> > > この「主催者の意向」は、主催者でなくても説明できるものです。「反原連は核武装賛成論には立たない」といったことは、「主催」でなくてもさまざまな情報から言うことができるでしょう?  私はまっぺんさんの歴史認識を「一面的で単純なもの」と思っており、反原連がそうしたものを表明していない以上、「反原連はそうした一面的で単純な歴史認識を共有しない」と説明するのは当然のことです。
> >
> > 核武装賛成論の話はしてませんが?
>
> それは「たとえ」です。落ち着いでください。

落ち着いています。ぜんぜん「例え」になっていませんが? ま、いっか。

http://6305.teacup.com/mappen/bbs?page=1&

※当該掲示板での議論はこの後もまだまだ続きますが、これ以上転載してもキリがないので、こちらではこれにて完。
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