アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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原発問題を原発だけで捉えてはいけない

2012年07月17日 20時19分24秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 原発問題を原発だけで捉えてはいけない。つまり、安全とコスト・リスクを天秤にかけ、「どこまでなら許される」とかいう問題ではないという事だ。「原発を無くす」という事は、原発に象徴されるような、大都会による地方搾取や、元請け電力・エネルギー資本による下請け労働者に対する被曝・ピンハネ・使い捨て労働、放射能や温排水垂れ流しによる環境破壊・拝金主義とも決別し、人間あっての経済・社会に変えていく事を意味する・・・。
 しかし、そこまで考える事が出来るのは、脱原発運動の活動家に限られています。世間には、安全とコスト・リスクを天秤にかけ、「停電になったら、電気料金が上がったらどうしよう」と、「原発もやむなし」に流される人もまだまだ大勢います。
 何故そんな事になるかというと、今までの長年に渡るマスコミ報道の影響で、「原発だけの問題」「原発に雇われている人やそれを利用している人の視点」からしか捉えられなくなっているからではないでしょうか。だから、幾ら環境汚染や下請け被曝の問題を指摘しても、最後には「所詮関係者だけの問題」「彼らとて働き口がなくなれば困るだろう」「幾ら人間あってのだの何だのと言っても、そんなものは絵空事でしかない」という所に落とし込められてしまうのです。
 ところが、実際はそうではないという事が、最近はまりだしたツイッターをやっているうちに、頭だけでなく皮膚感覚でも次第に分かるようになってきました。以下、私の当該ツイートから。

●今日は社員の態度にキレかけた。最初に残業指示しておきながら、その残業も終わり帰り支度の途中で時間延長の連絡。しかも何時まで延長かも明示せず、終了間際になってようやく明示。余りにも無責任なので明日の朝礼で説明を求めると、まだ作業中なのにわざわざ説明に来て言い訳に終始。言い訳より先にまず謝罪だろう。(7月5日)

●みんなコメント有難う。この件でもバイトの大半は仕方ないとかよくある話とかいう反応。そんな事だからいつまで経ってもブラック企業の搾取がなくならないんだよ。そんな奴は社内のパワハラや粉飾決算もよくある話で済ますのだろう。道理で水俣病やJR福知山線事故や福島原発事故みたいな事が後を断たない訳だ。(7月6日)

(中略)

●世間は大津中学生の自殺ニュースばかり言うが、その温床たる競争教育の弊害や、大人のイジメたる過労死や格差社会の問題には沈黙。自分も脛に傷持つ身で、スポンサー大企業や政府から睨まれたくないから。だから他人事のように教委叩きで鬱憤晴らすだけ。その縮図がバイト叩きに走る社員やそれに何も言えないバイト。(7月13日)

●今日東京・代々木公園で開催の原発サヨナラ10万人集会の成功を願いつつ、我はひたすら職場の労働問題をツイート。所詮個人的なローカルネタの後者より前者に注目が集まるのも致し方なしと思いつつも、反原発が単なる放射能拒否に止まり、原発ジプシーなどの使い捨て労働廃絶(反格差)と直接結びつかない現状に苛立ちも。(7月16日)

●もっとムカつくのが原発推進派の主張だ。奴等は二言目には経済効率や核抑止力としての効能を説く。その主張のデタラメさは、原発大国日本の今でも高い電気料金や止まらない核軍拡競争を見れば分かるが、それよりも犯罪的なのが、原発ジプシー被曝労働の実態を隠蔽しながら、支配者目線で効率やリスクを説く姿勢だ。(同上)

●つまり、原発ジプシー被曝使い捨て労働の実態を隠蔽しながら、安全より効率追求・国威発揚を説く原発推進派の姿勢は、ピンハネ搾取・元請け言いなりの実態を隠蔽しながら、派遣労働の効能を説く政府・財界の姿勢と同じなのだ。そこをもっと突かないと、原水禁運動が原発を食い止められなかった愚をまた繰り返す事になるぞ。(同上)

●首相、異例の呼びかけ「いじめられたら…」 (読売新聞 - 07月16日 20:06) http://mixi.at/abyzlbP 「虐められている子は相談してほしい」「虐めは恥ずかしい卑劣な行為だ」。生活保護受給者虐めまくり、卑劣な原発推進やらせ聴取会を行う現政権にこんな事言う資格あるかw。(7月17日)

●7.16さようなら原発集会に17万人参加。御用メディアも右翼産経以外は取上げ始める。たかが電気の為になぜ命を危険に晒さねばならない?(坂本龍一)、原発再稼働強行は国民侮辱(大江健三郎)。我々もたかがバイトの為になぜ命をすり減らさねばならない?元請け言いなり・ブラック環境放置のウチの会社も労働者を侮辱。(同上)

●意見聴取会で電力企業幹部がヤラセ発言。放射能で死んだ人はいないと。本当は一杯死んでるのに、因果関係なしと隠蔽される。仕事で被曝しても自己責任にされ始末書まで書かせて。レントゲンによる医療被曝も同じ。皆知らないだけ。仕事でなった腰痛も個人の不養生のせいにされ休んだら咎められる我々も、これとどこが違う?(同上)

 http://mixi.jp/list_voice.pl

 じゃあ逆に、何故今までは皮膚感覚ではなく頭でしか分かっていなかったのか。それも少し考えてみました。どうやら、「人間あっての経済」を、抽象的な理屈でしか捉えていなかったからではないか。今の自分の具体的な労働実態からかけ離れた所で。要するに、まだまだ「頭でっかち」だったからではないかと。
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