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吉見教授の橋下への反論 慰安婦の強制性についての講演録1

2013年05月26日 19時42分26秒 | 都構想・IRカジノ反対!
「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実
クリエーター情報なし
大月書店


 標記の講演録が「慰安婦問題関西ネットワーク」HPに掲載されています。非常に長文ではありますが、慰安婦問題に関する重要な資料だと思いますので、このブログにも後学の為に転載させて貰います。以下、2012年10月23日に大阪で行われた吉見義明・中大教授による講演録からの抜粋です。長文なので二部構成の記事にしましたが、それでも各々一万字以上もの分量になりますので、講演録本文のみの転載に止め添付資料や参考文献については割愛させて貰います。それらはリンク先の原文で参照して下さい。(以下転載)

緊急講演会
橋下市長に反論! 吉見義明さん語る~「強制連行」はあった 日本軍「慰安婦」問題の本質は強制連行と強制使役

はじめに

 中央大学の吉見です。今日は集会にお集まりいただきまして、ありがとうございます。
 午前中に橋下市長宛に抗議の申し入れをしました。明白な事実誤認であって、私の人格を否定し、名誉を毀損するものですから、この発言を撤回し、謝罪することを要求しますという内容です。(参考注:吉見教授の抗議の発端となった橋下の記者会見動画
 今日、これを申し入れまして、橋下さんの方からどういう反応があるのか、あるいはないのかということを見つめていきたいと思いますが、撤回されるまで僕は追及し続けるつもりでおります。(拍手)

 今日は、強制連行があったかどうかというよりも、強制連行と強制使役、両方が日本軍「慰安婦」問題の本質ですので、それをお話ししてみたいと思っています。
 橋下さんの発言の内容を見てみますと、四つぐらいで構成されているように思います。

 ひとつは強制を、①軍・官憲による、②暴行・脅迫を用いた連行があったかどうかと、非常に狭く限定しているわけですね。①②の二つが重なっていないと強制連行ではないということですが、非常におかしな議論ですね。橋下さんはご自分の会見で、鳥のように視野を広くして見なければいけないといっておられますが、最初から小さく見ていると思います。その記者会見の映像を見ていますと、繰り返し同じ言葉が出ますね。「証拠がなかった」「証拠がなかった」「証拠がなかった」と、もうひとつは、官憲による暴行・脅迫を用いた連行があったかどうかという言葉が何度も出てきています。同じ言葉の繰り返しであるという点が大きな特徴だと思います。

 それから2番目に、軍慰安所の経営での軍の責任を否定しようとする。公安委員会が風俗営業を管理するのと同様の構造だという。どう見てもこれは成り立たないですね。軍が主役であるということは、公文書でだけでも、もう十分に立証できるようになってきているのです。これは後で述べます。

 3番目ですが、強制の定義自体を極小化しようとするわけですね。1993年の河野洋平内閣官房長官談話では、本人の意思に反して行われたことを強制だといっている。それから、後でも触れますが、北朝鮮による、いわゆる拉致問題の時に、警察庁の強制の定義も、本人の意思に反して行われたものが強制だといっているわけですね。橋下さんは北朝鮮による騙しや甘言による誘拐は強制ではないといわれるのでしょうか。河野談話の定義は、広すぎるのではなく、ごく当たり前のことではないでしょうか。それを否定しようとしているのはあまりに無理があると思います。

 それから4番目に、証拠がなかったといっていますけれども、それはどうも、日本の公文書に書いてあるかどうかということを問題にしているようにも受け取れます。証拠は、被害者の証言、加害者側の証言・記録、それから内外の公文書と、それらを通して問題にしなければいけないわけですが、証拠を日本の公文書に限定しようとしているような気がします。問題を起こしたのは日本軍ですので、「強制せよ」とか、「強制した」と、公文書に書かれるという可能性はそもそもないわけです。強盗犯を捕まえて、強盗自身が、自分が強盗をやったと書いてないので無罪だと判定するのはいかにも乱暴な議論ですが、それに類したような議論になっているのではないでしょうか。

Ⅰ.軍・官憲による暴行・脅迫を用いた連行は数多くあった。

 証拠がないとおっしゃっていますので、順番に証拠を並べてみたいと思うんですが、まず、軍・官憲による、暴行・脅迫を用いた連行があったかどうか。暴行・脅迫を用いた連行は刑法では「略取」といいますが、軍・官憲による略取があったかどうか。中国・東南アジアでは、数多く確認されています。

 たとえば、インドネシアでは、スマラン慰安所事件というのが起きました。これは現地の日本軍部隊がインドネシアのスマランというところで、抑留所に収容されているオランダ人女性たちを無理矢理連行して来て、軍慰安所に入れて使役したというものです。すくなくとも24名の少女を連行して使役をしています。これは河野談話が発表される前年の1992年に、『朝日新聞』が大きく報道しています(7月21日夕刊・8月30日)。ですから、河野談話は、こういう事件があったということを前提にして書かれていると僕は思うんですが、そのことが無視されているということになります。
 2008年に梶村太一郎さんたちが『「慰安婦」強制連行』という本を出されました(株式会社金曜日)。この中にスマラン事件とともに、マゲラン事件、スマラン・フロレス島事件を含めて、被害者の供述が翻訳されています。有力な証拠になると思うんですが、そういうものがあるということです。
 次に、1994年にオランダ政府は、日本軍「慰安婦」問題でのオランダ人の被害をまとめた報告書を出しています。これは翻訳されて、日本の戦争責任資料センターが出している『戦争責任研究』(4号・1994年6月)に載っているんですが、梶村さんたちの本にも翻訳されて載っています。これを見ますと、実に様々な事柄が書かれているのですが、これもオランダ政府の公文書です。そのもとになっているのは、オランダ政府が持っている文書で、それをもとにして述べているわけです。その中の7件については、僕の『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波ブックレット・2010年)の中に要約して書いていますので、それをご覧になっていただければわかります。さらに詳細は、梶村さんたちの本に全文が翻訳されていますので、ぜひ皆さんに読んでいただければと思います。
 その一端をちょっと紹介してみますと、スマラン慰安所事件の他に、マゲラン事件というのがあります。これは1944年1月に抑留所に入れられているオランダ人女性たちを日本軍と警察が選別をして、反対する抑留所住民の反対を抑圧して連行したというものです。その一部は送り帰されて、代わりに「志願者」が送られていますけれども、帰されなかった残りの13名はマゲランに連行されて、売春を強制されたと書かれています。これがマゲラン事件です。
 それから2番目のスマラン・フロレス島事件というのは、1944年4月に、抑留所に入れられているのではない女性たち、町にいる女性たちを憲兵と警察が数百人検束して、慰安所で選定を行って、20名の女性をスラバヤに移送したというケースです。そのうち17名がフロレス島の軍慰安所に移送されて売春を強制されたと記されています。
 スマラン・フロレス島事件の供述調書は梶村さんたちの本に載っていますけれども、それを見てみますと、たとえばこんなケースがあります。フロレス島に送られたある女性は、慰安所で午前中、兵隊だけ20人、午後は下級将校2人、それから夜は将校1人を相手にしなければならないというのがノルマでした、といっています。夜の1人の客が短時間で帰った場合には別の客の相手をさせられたともいっています。
 それから別の女性は、毎週少なくとも100枚の切符を渡さないと殴られた。100枚というのは軍人がやってきて、一人ひとりが1枚づつ切符をその女性に渡すわけですね。1週間に100枚というのがノルマになっている。それを達成しないと殴られたと書かれていますので、フロレス島の慰安所に入れられた女性たちがいかにひどい目に遭ったかということがわかります。
 そのほか、シトボンド、ボンドウオソ、マランで、ソロとパダンというところは未遂だったようですが、同様のケースが起こっているのです。
 オランダ政府の報告書は、自分のところで持っている資料に基づいて、主としてオランダ人、白人の被害者を中心に記述をしているんですが、軍・官憲による略取だけでも、これだけのものがあります。インドネシア人女性の被害についてはあまり注意が払われていないんですが、その数はもっと大きなものになると思われます。

 次に中国ですけれども、中国の山西省のケースでは3件が被害者により提訴され、裁判になりました。それから海南島のケースも裁判になっております。裁判の結果、被害者の請求は棄却されましたけれども、日本の裁判所はいずれも事実認定をしています。その事実認定はこの4件すべて、女性たちが軍によって暴力的に連行されて、強制的に使役されたということを認定しています(坪川宏子・大森典子『司法が認定した日本軍「慰安婦」』かもがわブックレット・2011年)。裁判の判決は証拠ではないんでしょうか。
 山西省のケースでは、石田米子さんと内田知行さんが『黄土の村の性暴力』(創土社・2004年)という本を刊行しておられます。これは実際に山西省の村に入って、被害者の女性、それから、その村に住んでいる被害者ではない村人の証言を詳細にとって、記録したものです。
 これが事実ではないと反証するのは無理だと思うんです。軍・官憲による略取、暴行・脅迫を用いた連行と使役があったということは否定できない段階に来ていると思います。

 次に、フィリピンでのケースは、裁判所は事実認定をしませんでしたけれども、実際に訴えた女性たちのほとんどは、軍によって暴力的に連行されて監禁・レイプされたというケースですね。藤目ゆきさんが、フィリピンで最初に名乗り出られたマリア・ロサ・ルナ・ヘンソンさんの聞き書きを行っていますが、ヘンソンさんのケースもそうです(『ある日本軍慰安婦の回想』岩波書店・1995年)。彼女は日本軍に対抗するゲリラに協力をしていたわけですけれども、軍に捕まって連行され、監禁されレイプされるというケースです。フィリピンでも数多くあった、いうことになります。

 インドネシアでも同様のケースが色々と起こっています。これは女性たちの証言だけではなくて、軍人側の証言もいくつか出ています。代表的なものを【資料1】として引用しておきましたので、見ていただきたいと思います。僕の『従軍慰安婦』(岩波新書)の中にもこの資料は引用していますが、アンボン島にいた、海軍の主計将校だった坂部康正さんという元将校の人が回想記の中でいっていることです。1945年3月以降に起こった出来事です。
 M参謀は……アンボンに東西南北四つのクラブ(慰安所)を設け、約一〇〇名の慰安婦を現地調達する案を出された。その案とは、マレー語で、「日本軍将兵と姦を通じたるものは厳罰に処する」という布告を各町村に張り出させ、密告を奨励し、その情報に基づいて現住民警察官を使って日本将兵とよい仲になっているものを探し出し、決められた建物に収容する。その中から美人で病気のないものを慰安婦としてそれぞれのクラブで働かせるという計画で、我々の様に原住民婦女子と恋仲になっている者には大恐慌で、この慰安婦狩りの間は夜歩きも出来なかった。
 坂部さんは「慰安婦狩り」が行われたといっておられます。
 日本の兵隊さんとチンタ(恋人)になるのは彼等も喜ぶが、不特定多数の兵隊さんと、強制収容された処で、いくら金や物がもらえるからと言って男をとらされるのは喜ぶ筈がない。クラブで泣き叫ぶインドネシヤの若い女性の声を私も何度か聞いて暗い気持になったものだ。
 これは海軍将校の側から、橋下さんが「ない」といった、軍・官憲による略取が「あった」と明白に述べているわけですね。
 このような回想はいくつか確認されています。日本の戦争責任資料センターでは国会図書館に所蔵されている部隊史や戦争体験記をチェックして、そのようなケースがあったという証言をいくつか見つけ出しております。略取以外のケースを含め、代表的なものを『戦争責任研究』の中に載せていますので、ご覧ください(5号・66号・67号・68号・70号・77号)。

 もうひとつは、暴行・脅迫を用いた連行ではなくて、だまして連れて行く、あるいは楽な仕事だといって、甘言を用いて連れていくケースを、法律用語で誘拐というんですけれども、軍・官憲による誘拐が行われたということを示す資料もいくつかあります。
 非常に有名なものは、極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決に書かれています。中国の桂林で、軍は女性たちを工場で働くとだまして連れて行き、兵隊の性の相手を強要した、次のように認定しています。
 桂林を占領している間、日本軍は強姦と掠奪のようなあらゆる種類の残虐行為を犯した。工場を設立するという口実で、かれらは女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した。(『極東国際軍事裁判速記録』10巻・雄松堂書店・1968年)
 インドネシアでは、元軍人や軍属などがそのような場面に直面したということを記している記録を資料センターは見つけているんですが、ひとつだけ紹介してみたいと思います。
 インドネシアのパレンバンという石油がとれるところがあって、そこに三菱石油の社員が派遣されていたのですが、1945年にバンカ島という島から若い女性たちを、誘拐と人身売買が絡んだ方法で、軍が連行したということを、この社員は回想しています。「軍では、昨年〔1944年〕あたりから慰安婦の数に不足をきたしてきた。日本から女性を連れてくるには船便が少なくなったので、現地で調達するようになった。軍はその事を当然のことと考えていたようだが、彼女達こそ、戦争がもたらした不幸な犠牲者であった。……女性を徴発する時は、米や金品を親達に与え、別の目的であるかのごとく偽って連れてきて、売春の用に供したものであった」と、この三菱石油の社員はいっています(田尻啓『石油に散った火焔樹の花――ある陸軍徴員の従軍記』菁柿堂・1993年)。
 この人は、慰安所が出来たというので見に行くのですが、その時のことをこう記しています。「初めのうちは物珍しさと好奇心で眺めていた田中も〔自分のことを田中というふうに回想しているんですが〕、バンカ島から連れて来られた殆どの女達が二十歳になるかならないかの生娘達であることに驚いた。彼女達が遣手婆さんにおどかされて、無理やり客を取らされ泣き叫ぶ有様は、まさに地獄絵に等しく、その日は、恐ろしく逃帰った」と。自分も遊びに行こうと思ったんだけれども、あまりのすさまじさに怖くなって逃げ帰ったという回想を残しているんです。

 以上を見ていきますと、橋下さんが「証拠がない」といった軍・官憲による暴行・脅迫を用いた連行は数多くあったと確認される段階に来ているということです。それは今確認されるというだけではなくて、「河野談話」が発表される前からすでに明らかになっているものもあるわけですね。オランダ政府報告書のもとになっているのは、オランダが行ったBC級戦犯裁判ですけれども、これは戦後すぐに行われている。それから東京裁判の判決は、軍による誘拐ですが、1948年に出された。そして、日本政府はサンフランシスコ平和条約で東京裁判とBC級戦犯裁判の判決を受諾しているわけですから、これは否定できない。そういうことを考えれば、河野談話の段階ですでに十分そういうものがあったということはいえたということになります。現在になりますと、ますますそうだということになる。

Ⅱ.朝鮮・台湾では、軍または総督府が業者を選定し、業者が誘拐や人身売買などにより連行した。これも強制連行。

 次に、朝鮮・台湾ではどうだったのか、みてみましょう。朝鮮・台湾では、軍または総督府が業者を選定して、業者が誘拐や人身売買によって連行するということが普通に行われていた。これも強制連行になります。なぜ強制といえるのかということですが、戦前の日本・朝鮮・台湾に施行されていた刑法第226条が非常に重要になります。刑法第226条には略取・誘拐・人身売買は犯罪だと書かれている。法律用語でわかりにくいですが、こう書かれています(【資料2】参照)。
帝国外に移送する目的を以て人を略取又は誘拐したる者は二年以上の有期懲役に処す
 日本・朝鮮・台湾から海外に人を移送する目的で、略取または誘拐した場合は2年以上の懲役に処するということです。略取というのは暴行または脅迫を用いて連れて行くことですね。誘拐というのはだまして、または甘言により連れて行くことです。たとえば看護婦さんのような仕事だとか、レストランのようなところで働くとかいうのはだましですし、非常に楽な仕事だということは甘言で、どちらも誘拐罪になります。
 226条はあとふたつの罪を規定しています。次の段落です。
 帝国外に移送する目的を以て人を売買し、又は被拐取者もしくは被買者を帝国外に移送したる者亦同じ
 人身売買により海外に連れて行くことも犯罪である。それから、略取または誘拐または人身売買された者を「帝国外」に移送した者も2年以上の有期懲役に処すると書かれています。人身売買罪も規定されているということですね。
 戦前の日本でも、戦後の日本においても、2005年までは人身売買は犯罪ではなかった。ただし、海外に連れて行く場合は、人身売買は犯罪だったのです。アメリカ国務省から日本は人身売買に非常に寛容な国だという報告書が出されて、慌てて刑法を改正したのが2005年になります。それまでは人身売買罪というのは国内についてはなく、人身売買に非常に甘い国であったわけですけれども、それでも海外(「帝国外」)に連れて行く場合は犯罪だとされていたのです。「慰安婦」にされた女性たちはほとんど海外に連れて行かれたので、ほとんどのケースがこれに該当するわけですね。したがって、橋下さんが問題にする略取だけでなく、誘拐・人身売買も強制連行、あるいは犯罪であるとはっきりいうべきでしょう。

 次に、民法および国際法の問題がありますが、国際法違反については、僕の『従軍慰安婦』に書いているので省略し、民法だけ申し上げます。
 戦前の日本においても、売春によって借金を返させるという契約は民法第90条がいう公序良俗に違反するとされていました。日本の公娼制度のもとでは、女性たちはほとんど人身売買により遊郭に拘束されていた。本当はそれは違法であったのですが、さまざまな抜け道があって、まかり通っていた。しかし、売春によって借金を返させるということは民法90条違反だったということは確認しておきたいと思います。
 朝鮮・台湾で女性たちを集めるときに、日本軍はどうしたかというと、軍・官憲が直接徴募するのではなくて、業者に行わせた。業者は誘拐とか人身売買を日常的に行っている、女衒といわれる人たちです。そういう人たちに任せると、略取・誘拐とか人身売買になることはわかっていたはずなんですが、軍の強い要請があるから警察は大目に見ていたと解釈せざるをえないわけです。
 どういう証拠があるのかということですが、被害者の証言以外のものを三つあげてみましょう。【資料3】はアメリカ軍の公文書です。これはアメリカ戦時情報局心理作戦班がつくった有名なものです。「日本人捕虜尋問報告」第49号で1944年10月1日に作られたものです。ビルマでアメリカ軍が20人の朝鮮人「慰安婦」を保護し、日本人業者2人を―これは夫婦ですが―捕獲します。この20人の朝鮮人「慰安婦」と業者からのヒアリングをまとめたものがこの資料です。
 一九四二年五月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的にいえば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。
と書かれています。だまして連れて行くので、誘拐罪に該当します。次に、
 これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地―シンガポール―における新生活という将来性であった。
と書かれていますが、これは甘言にあたりますので、これも誘拐罪を構成します。次に
 このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、二、三百円の前渡し金を受け取った。
と書かれています。前渡し金を渡して女性たちを拘束して連れて行くので、人身売買でもあったということになります。米軍の資料によってもそのことが確認されるということですね。

 次に【資料4】を見てください。これは長沢健一さんという元軍医大尉が書いた『漢口慰安所』という有名な本です。今でも古本屋で簡単に見つけられるものです。長沢健一軍医は、女性が誘拐・人身売買されたと分かっていても軍は業者を逮捕せず、女性を解放しなかったという事実を自ら語っています。長いので全部読みませんが、日本から売春の前歴のない若い女性が漢口の慰安所に連れてこられる。彼女は次のように泣きながら抗議していた。
 私は慰安所というところで兵隊さんを慰めてあげるのだと聞いてきたのに、こんなところで、こんなことをさせられるとは知らなかった。帰りたい、帰らせてくれといい、またせき上げて泣く。
 慰安所で働くということは聞いているけれど、慰安所とは何かは聞かされていない。だまされて連れてこられたので、誘拐された女性ということになります。それから、あとのほうでは重い借金を負っていると書かれているので、人身売買でもあります。しかし、この女性が日本から誘拐され、人身売買により連れて来られているにも関わらず、軍はこの女性を解放せずにそのまま慰安所に入れるわけです。連れてきた業者はもちろん逮捕されていない。これは、こういうことが一般的に行われていた、ということを示すものではないでしょうか。
 刑法第226条の規定が全く無視されている。別のいい方をすると、それを無視することによって慰安所というものが成り立っていた、ということになるのではないでしょうか。

 もうひとつ、【資料5】を見てください。これは朝鮮人女性が誘拐されてビルマのラングーンの慰安所に連れてこられたという記録です。小俣行男さんという読売新聞記者、従軍記者が戦後に回想して本に書いたものです。
 ラングーンに朝鮮から4、50名の女性が上陸した。慰安所を開設したので、新聞記者たちには特別サービスをするから、というので大喜びで慰安所に行った。ところが実際に小俣さんの相手になった女性は23、4才の女性で、「公学校」で〔正確には一九四一年以降は初等学校は朝鮮でも国民学校とよばれていた〕先生をしていたという。学校の先生がどうしてこんなところに来たのかと聞くと、彼女はだまされて連れてこられたと語っている。その女性の話によると16、7の娘が8名いる、この商売が嫌だと泣いている、助かる方法はありませんかとこの読売新聞記者に相談する。何か助ける方法があるだろうかと考えた末に、これは憲兵隊に逃げ込んで訴えなさい、これらの少女たちが駆け込めば何か対策を講じてくれるかもしれない、あるいはその反対に処罰されるかもしれない。しかし、今のビルマでは他に方法はあるだろうか、と。この少女たちは憲兵隊に逃げ込んで救いを求め、憲兵隊でも始末に困ったが、抱え主と話し合って結局8名の少女が将校クラブに勤務することになった。その後少女たちがどうなったのか。将校クラブが何なのか、怪しい気がしますが、結局この少女たちは朝鮮に送り帰されていない。
 じゃあ、国民学校の元先生はどうなったのか。そのまま慰安所に入れられている。解放されていない。連れて行った業者も逮捕されていない。こういう状況がまかり通っていた。それを「強制ではない」といえるのでしょうか。
(→第2部に続く)
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