おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

夕暮れの散歩

2022-09-14 11:53:25 | 12音詩
 夕方、テオを連れて早めに散歩に出た。夕方の散歩はいつも短めだったため、たまには夕暮れ時の風景を味わってこようという気になったのだ。



 朝日とは違う太陽光線に、同じコースを歩いても、風景はまるで違った顔を見せる。





 メモ帳を取り出すと、いくつか句を書きつけておく。朝の散歩に比べ、夕方の散歩はウオーキングをする人に会うこともなく、虫の声や野鳥の鳴き声以外は何も聞こえず、静かな静かな秋の中を歩くことになる。

 一日ごとの秋の風
 お宮の太鼓と虫の声
 ひと夏だけのツル伸ばす
 雨上がり光る丸い月





 歩きながらキョロキョロしていると、「あれ、この感じ、知ってるぞ」という気分になる。いわゆるデジャブというものだが、これだけ毎日同じ景色を見ていれば、いつか見た光景を思い出しているだけかもしれない。

 最近は滅多にないが、子供の頃は不思議とデジャブを感じることは多かった。「これ知ってるぞ」とか「これからこうなるんだよな」と、まるで自分が予言者にでもなったかのように、今起こっていることを先回りして感じることがあるのだ。もしかしたら、子供の頃というのは、まだ脳みそが未発達で、データの読み間違いみたいなことが時々起こっていたのかもしれない。

 デジャブがどうして起こるのか、こういう説を聞いたことがある。人は見たり聞いたりした刺激を脳みそに取り込み、すべてを記憶しておく。ただしすべての記憶を常に思い出していては普段の生活に支障が起こるため、必要なものだけを思い出すことができる。順序で言えば、外部から刺激を受ける。脳の中の机の引き出しに整理して入れておく。必要な時に脳の中の机の上に取り出し、記憶を呼び戻す。ところが、今受けている刺激を引き出しにしまう前に、ひょいと机の上に置いたりすると、引き出しの中から取り出した記憶と混同して、すでにしまっておいた記憶を取り出したような錯覚に陥る。これがデジャブとして現れるというのだ。

 それぞれの個人の脳みそで起こることなので、この説が正しいのかどうか証明しようがない。ともかくも、数十年生きてきて、毎年同じような記憶を積み重ねていくのだから、今見ているものがすでにどこかで見たことがあるものであっても不思議ではない。それでもその度に新鮮に感動できるというのは、面白いことなのである。

 そんなことを、プラプラ歩きながら、ぼんやり考えてみる夕暮れの散歩なのであった。
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