天気予報では、記録的な寒波がやって来るから警戒が必要だと言っていた。大雪になれば、朝の散歩でケンくんと一緒に遊ぶことはできなくなるだろうと思っていたが、朝起きてみると、雪はたいしたことはなかった。
それでも、寒いのはめっぽう寒い。グズグズしていたら、いつもより家を出るのがずいぶん遅くなってしまった。ケンくんはしびれを切らしてもう帰ったかもと心配していると、いつも遊んでいる小学校跡地のグラウンドの下まで降りて来て、そこで伏せをしてテオを待っていた。
30分ほど2匹の犬が全力で追いかけっこをするのを、飼い主たちは震えながら見守っていたが、犬が楽しそうにしている姿を見ると、心はあったまるのだ。
ケンくんと別れた後は、いつもの散歩コースを歩く。丘の上まで来たところで、ちょうど山の向こうから朝日が昇ってきた。思わず手を合わせて拝みたくなるような黄金の太陽だったが、元旦じゃないからやめておく。
散歩中のテオを呼ぶと、立ち止まって振り返ったので写真をパチリ。全力で遊ぶので、全身筋肉質になってきたテオ。
家に帰るとアンちゃんが待っていたので、パチリ。
今年はコロナで世の中は大変な一年だったが、我が家はアンが新しく家族になったこと以外は、ほとんど事件らしい事件もなく、楽しく過ごすことができた。
政治家の不祥事など見ていると、歳を取ってから、それまでのキャリアを無駄にしてしまうようなことを仕出かして、バカだなあと思ってしまう。
若い頃は、とにかくどうやったら幸福になれるかということに固執していたが、歳を取って来ると、死ぬときに幸せだったらいいな、くらいの感じで生きている。
人生の大半をブイブイ言わせ、最後の最後でみじめにしんでいくのと、苦労ばかりの人生でも死ぬ間際に幸せに死んで行くのでは、後者のほうがよほどいい。苦労が実れば、その苦労さえも幸せな記憶として感じることができるだろうが、最後の最後でそれまでの人生をすべて否定するようなことになれば、オレの人生って一体なんだったんだということになりかねない。
終わり良ければ、すべて良しなのだ。