おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

魚歌を描いてみよう

2024-03-31 12:56:14 | イラスト
 水墨で絵を描いているが、そこに習字を練習しているので文字を入れてみたい。昔の中国や日本の絵には、文字が入っているものが多い。純粋絵画なんてのは、西洋画が入って来てからのことで、「絵は絵でなければならない」みたいな風潮がある。が、そんなことには興味がないので、せっかく絵を描いて習字もやっているので、合体させてみたいのである。

 というわけで、どんな文字にしようかと考え、この前池内紀さんの本で見つけた吉田一穂の詩「魚歌」を題材にしてみることにした。

 では、絵の方はどうしよう。「魚歌」というからには、海辺か漁村あたりの絵がいい。と思うものの、そんなに都合がいい題材がすぐに見つかるわけもなく、自分で撮った写真や自分が描いた絵をひっかき回し、それっぽい海辺の絵があったので、改めて水墨で描き直してみることにした。



 以前描いた時には当然カラーで描き、爽やかな夏の絵になっていたのだが、水墨にしてみるとなんとなく晩秋あたりの寂しげな絵になり、「魚歌」っぽくなっている。

 で、次は空の部分に「魚歌」の詩(と言っても漢字が18字並んでいるだけの詩だ)を書く番である。が、一発勝負となるので、どんな具合にしたらいいか、半紙を切って練習してみる。



 とりあえず草書・行書の書体で書いてみたが、大きさも均一だし、墨の濃さも同じなので面白味はない。字の大きさを変えたり、墨の濃さを変えたりしたら、違う雰囲気になるのだろうが、果たしてうまく行くのかどうか。うまく行けば、この先もう少しいろいろ挑戦してみるつもりである。
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一日あれば

2024-03-30 21:04:42 | 日記
 日記らしきものをつけ始めたのは、20歳の頃からだ。1日あればいろんなことがあり、いろんなことを考える。それを書けば、ネタに困ることはないはずだと思ってのことだ。「今日は特筆すべきものは何にもなかった」とか「昨日も今日も似たような1日だった」というようではもったいない、せめてなんでもいいから1日生きたという証拠だとしてあれこれ書くようになった。

 ノートに書いていたが、そのうちパソコンで書くようになり、その後ホームページ上に、そして今はブログに書いている。人に読んでもらおうと思って書いているわけではないし、作品でもないので読み返すこともほぼないし、反響があろうとなかろうと書くことに何か変化が生じるということもない。

 が、さすがに用事が入ったり具合が悪かったりして書く余裕がない日も出てくる。

 昨日の午後6時半から地区の集まりがあり、その後ビールを飲みながらの話し合いになった。気がつけば11時半を回り、日付が変わろうとしていた。

 今日は朝からランニングに出ようと考えていたが、朝のテオの散歩から帰り、朝飯を食べ終えた頃から猛烈な寒気に襲われ始めた。鼻水はずるずる出てくるし、アルコールは抜け切っていないし、こりゃ風邪をひいたなとコタツに潜り込み、お昼まで寝ていた。

 お昼に起き、昼飯を食べたが、朝には普通に食べることができた食事が喉を通らない。こりゃダメだと再びコタツに潜り込み、夕方の散歩はタミちゃんひとりに任せ、僕は夜までコタツで寝た。

 夕飯にはなんとか食べられるようになったので、その後は習字をした。久しぶりに一日中寝ていたので、今日はほとんど何もしていないのである。

 考えてみれば、若い頃から花見の時期はいつも風邪をひいて寝込んでいる。桜の下で昼間ビールを飲み、夕方になって寒くなり、翌日は風邪をひいて起きることができないということを何度繰り返しただろう。歳をとり、さすがに花見で風邪をひくまで飲むことはなくなったと思っていたが、相変わらず酒を飲んで風邪をひくということは、ちっとも学んでいないのである。
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微妙にごまかす

2024-03-29 12:09:28 | 日記
 小林製薬の紅麹を使ったサプリメントを摂取した人が死亡した事件が、ニュースを賑わせている。健康のために飲んだサプリメントが原因で病気になったり死んでしまったりするのだから、たまったものではない。一体に何が起こっているんだと大騒ぎになるのも不思議ではない。

 小林製薬の会見によると、紅麹の製造過程で「未知の物質」が混入した恐れがあると、原因について説明していた。これを聞いて、みんな「えっ」となった。「未知の物質」とは宇宙からやって来たのだろうか。未知の生物という時には、それは今まで地球上で確認されていなかった生物を指す。ただ単に発見されなかったということもあるが、普通は「宇宙には未知の生物がいる」というふうに、地球上に存在していないということが前提になっている。

 さすがにこれでは日本国民がパニックになると思ったのか、すぐに林官房長官があわててコメントを出した。「未知の物質とは、新たに発見された物質ではなく、製造過程で混入するはずがない物質のこと」と補足した。

 「未知の物質」ということで、「我が社はちゃんとやってましたが、どこからか未知の物質がやって来たのです」とごまかそうとする意図が見えてくる。自分が悪くないと思いたいのは理解できるが、微妙にごまかそうとする姿勢に、きっと触れられると困る状況が裏にあるんだろうと僕なんかは思ってしまう。

 同じような微妙なごまかしは、政府が進めようとしている「子育のために創設される支援金」について、こども家庭庁が試算を示した会見だ。その試算では、国民1人あたりの平均の負担額がひと月450円程度ということで、「たかだかひと月450円ですよ。これで子育てを支援できますよ」と言いたいのがありあり見える。

 が、ひと月450円というのが、実際には支援金を納めない子供なども含めた日本国民全体の人数で割った平均額で、実際に分担しなければならない金額ではない。単純に考えれば、夫婦ふたり暮らしなら、4人家族なら450円の2倍が毎月徴収される。1年で1万800円だ。4人家族なら1年で2万1600円になる。

 こうした微妙なごまかしは、通販の宣伝でよく使われる手だ。高額の物を高額だと感じさせないために、「毎日コーヒー1杯の値段で、手に入ります」と言い換えてしまう。大企業や国がこうしたケチなごまかしを言う時、事実はその正反対だと考えていた方がいい。
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久々にひねる

2024-03-28 11:16:33 | 12音詩
 テオを連れて散歩する時、持って行くカバンには、散歩の七つ道具が入っている。テオが用を足した時のためのビニール袋、テオをブラッシングするためのクシ、余計な毛を切ったり、花や野菜を切って持ち帰るためのハサミ、それからメモ帳と筆記道具だ。

 メモ帳と筆記用具は、散歩をしながら思いついたことを書き留めるためで、一番書き留めているのは、僕が勝手にオリジナル俳句だと言っている12音の俳句である。普通の俳句が五七五の計17音なのに対し、オリジナル俳句は5音少ない12音で、五七五のような決まりはなく、総数が12音になればOKにしている。



 のんびり春を陽を浴びながら、空を見上げ、雲を追いかけ、足元の花々を見たりしていると、何気ない言葉が浮かんでくる。それを12音にまとめてみる。句の出来はどうでも良く、ほとんど頭の体操である。いつかやってくるであろうボケのため、今から脳みそを使う習慣をつけている。

 ただ、12音しか使えないというのは、ネタがつきるのが早い。最初の1年はせっせと作ったが、2年目になるとグッと句数が減ってくる。この半年ほど、そういうことをやっていたことさえ忘れていたので、早くもボケかけているかもしれない。



 そこで最近は久々に歩きながら一句ひねっている。

「菜の花と風の音聞く」



「山の影のへりを歩く」



「おおい、聞こえるかカラスよ」



「腕をまくって春の風」
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嘘をつくという病気

2024-03-27 11:35:57 | 日記
 週末になると競馬に出かけ、せっせと馬に賭けていても、それくらいではそういう人をギャンブル依存症とは言わない。毎日せっせとパチンコ屋に通い、趣味がパチンコしかないと言っても、依存症と言われることはない。

 では、どこからが依存症になるのかと言えば、ギャンブルを続けるために嘘をつくということを実行できるようになった時である。ギャンブルで大負けし借金を負っても、自分で返せるうちは予備軍ではあっても依存症とは呼ばれないだろう。境界線は、ギャンブルを続けるためなら、嘘をつくこともできるようになるかどうかである。借金がなくても、パチンコ屋に行きたいために熱があると嘘を言って仕事を休んでパチンコ屋に行くなら、すでに依存症である。

 なぜ、身の回りの人間に嘘がつけるのか。別の言い方をすれば、嘘がつけるから病気なのである。嘘をつくことでどうなるかというような先の話はどうでも良くなる。とにかく目先のことを遂げるためには、どんな嘘をついてでも成し遂げようとするのが依存症である。

 というふうに考えると、薬物依存だろうとギャンブル依存だろうと万引き依存だろうと、依存症と呼ばれるものが同じ症状だということに納得が行く。僕たちの行動を制限してくれるはずの「嘘をつく」という敷居がなくなる、というそのことが病気なのである。

 世の中には「虚言癖」と呼ばれる人たちがいるが、それは癖で済ませられるようなものではない。嘘をつくということが当たり前の状態にある人は、一見何に対しても依存していないように見えて、実は嘘をつくということに依存しているのである。
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ゴイゴイスーな猫

2024-03-26 11:08:18 | 福島
 手作りのリクライニングチェアに座り、足を伸ばすと、必ずアンが太ももの上に乗っかってくる。最初にやるのが、自分の寝床を整えるために両方の前足を交互に動かし、太ももをフミフミしてくる。喉をゴロゴロ鳴らし、満足するまでフミフミを続けるが、長い時には5分以上もやっている。

 そこまでのルーティンを終えると、太ももの隙間にピッタリと体を入れ、膝の向こうに両手を伸ばす。そうしておいて自分のアゴを乗せると、伸び切った体勢でテレビ鑑賞を始めるのである。

 テレビは野鳥が出たり、野生動物が出たりすると釘付けだ。微動だにせず熱心に見ているので、後ろから思わず声をかけてしまう。「アン、面白いかい」

 するとアンは片手を伸ばしたままこちらを振り返る。その姿がいつも漫才コンビ・ダイアンのギャグ、「ゴイゴイスー」のポーズになっているので、ついついポーズに釣られて「ゴイゴイスー」と言ってしまうのである。(注:ゴイゴイスーを知らない人は各自で調査を)



「アン、ゴイゴイスー」と言うと、満更でもないのかシッポを振る。



 今日の天気予報は朝から雨、のち雪になっている。昨日の午後も今にも雨が落ちて来そうだったので、テオの散歩はいつもの散歩コースを変えて、普段はあまり行かない近くの集落を歩いた。そこは毎年稲刈りの時期に、たくさんのカカシが登場してニュースになる。今時期は冬枯れの寂しい景色が広がるが、地元の人の手作りなのか、ステンレス製の馬の頭のオブジェがあった。



 首の下に「何事も馬く 今日も一日安全に」というフダがぶら下がっていたが、「なにごともうまく」と読むんだろうか。文章の流れだと「なにごともなく」と読むのが正しいんだろうが、「馬」を「な」というふうに読めるのかは、僕にはわからなかった。
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タイヤを買う

2024-03-25 14:09:30 | 福島
 凍りつきそうに寒い日があったり、汗ばむような暑い日があったり、上昇と下降を繰り返しながら、少しずつ春めいて来ているのを感じる。



 春になると、東北で忙しくなるのがタイヤ交換だ。冬タイヤが必須ある東北では、自分でタイヤ交換をする人もいるが、多くはタイヤ交換を本職の人にやってもらう。僕は自分でやるので、タイヤ交換の予約が取れないといったような事態にならないのだが、タイヤ自体が古くツルツルになり、すぐにでも新調しなければならない状態になっていたからだ。



 そこであちこちでタイヤ交換が始まる前にタイヤを新しくしておこうと、今日は朝一番でタイヤ屋さんに出かけた。古いノーマルタイヤと古い冬タイヤを破棄してもらい、新しいタイヤをつけてもらうことにした。



 開店と同時にお店に着いたが、肝心のタイヤの在庫がなく、配達が11時くらいになると言われた。仕方ない、その辺で買い物で時間を潰し、11時に再来店しようと、お金の支払いを済ませ、古い冬タイヤを車から下ろして処分してもらった。



 予定になかったが、そろそろ切れそうになっていたテオとアンのご飯をホームセンターに買いに行く。犬猫の餌も、大災害が起きた時には手に入りにくくなることが多い。そこで最近我が家では、水や乾電池と同様に買い置きしておく品物として余分に買うことにしたところなのである。



 買い物を済ませてタイヤ屋さんに戻ると、ピッタリ11時だった。タイヤ交換は15分で終わり、うどんを食べて帰ってきた。

 近く車の半年点検があり、前々からタイヤが限界だと言われていたので、古い物だと新しい物を買わされそうだったので、ひと安心である。そろそろ廃車を考えている愛車なので、ここに来て立派なタイヤをつけても、あまり乗る機会はない。使うのは畑に行くのに利用しているくらいで、普段は車の荷台にはクワやスコップ、長靴やジョーロ、土や肥料が常に乗っかっているのだから。
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お酒を飲んだ翌日は

2024-03-24 11:41:46 | 日記
 科学雑誌「ナショナル・ジオグラフィック」の記事に、お酒を飲んだ翌日に襲われる不安はなぜ起こる、というような記事が出ていた。頭痛、吐き気、疲労感といった二日酔いの症状は多くの人が経験しているかもしれないが、翌日に起こる不安状態については意外と気にされないでいる。が、お酒を飲むことでリラックスし、気持ちが大らかになり、ネガティブな考えから解放されるという気分が実は関係しているらしい。

 普段僕たちは、社会的な不安に包まれ、それに悩まされている。ただそれにどっぷり浸かっていると病気になってしまうので、体内にそれを抑える神経伝達物質がある。ガンマアミノ酪酸(GABA)と呼ばれる神経伝達物質で、中枢神経系の鎮静や、睡眠、リラクゼーションに重要な役割を果たしている。アルコールは、普段はGABAが結合する脳内のタンパク質と結びつくことによって、GABAと似た効果を引き起こすという。僕らの体内にある神経伝達物質の代わって、アルコールが役目を負うことができるというわけである。

 そんなこんなで、アルコールが抜けるにつれ、体内のコントロールができない状態になり、その結果不安に襲われるという話なのだが、これが続くとどうなるか。

 アルコールが抜けると、神経が高ぶり不安に包まれるということになってくると、リラックスするために、次のアルコール摂取を望むようになる。そういう記事を読んでくると、これがアルコール依存症へと進んで行く原因となるのだろうと想像できる。麻薬と呼ばれるものから抜け出せなくなる人たちにも、これと同様のことが起きているのだろう。麻薬以外にも世の中にはさまざまな依存症があるが、不安からの解放という要素は相当大きなものに違いない。

 そういう記事を読んでいたら、「楽あれば苦あり」、「人生楽ありゃ苦もあるさ」という言葉を連想した。「雨降って地固まる」とか「失敗は成功の母」という言葉もあるが、こっちが実現するのは大変だ。
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多幸感って

2024-03-23 11:54:24 | 日記
 ランニングをする人の世界には、ランナーズハイと呼ばれる現象がある。走っているうちに、ハイな状態になるんだろうなと想像するが、調べてみると、「マラソンやジョギングを行うと通常、次第に苦しさが増してくるが、それを我慢し走り続けるとある時点から逆に快感・恍惚感が生じることがある。この状態をランナーズハイと呼ぶ」とあるから、想像通りだ。

 ただ、定期的にせっせと走っている割には、今まで一度もランナーズハイを感じたことはない。「快感・光悦感が生じることがある」なんてことはまるっきりなく、ただただキツく、筋肉痛と疲労感に襲われるばかりである。

 今日の天気予報は正午は雨になっている。気温は朝の時点でマイナス3度。さて、こんな日に走ってくるかどうか悩ましいところだ。が、風がまったくないので、寒さを別にすればランニングをするのに支障はない。走らないと、後で自分の意志の弱さに幻滅するのはわかっているので、尻込みする気持ちに鞭打って走ってくることにする。

 9時に出発し、11時過ぎに帰ってきたが、12時前には結構な量の雪が降ってきた。雨予報だったが、遠くが見えないくらい雪が降っているではないか。とにかくギリギリ間に合った。走って来たことで自分の意志が挫けなかったことに、少しだけ喜びを感じる。僕のランナーズハイとは、走っている時より、走り終わった後の頑張った感のことなのである。

 ランナーズハイに似ているが、ギャンブル依存症ではギャンブルをすることで、「気持ちいい」「幸福を感じる」「意欲的になる」という。いわゆる多幸感というものだ。これは別名「快楽物質」と呼ばれている脳内の神経伝達物質「ドーパミン」にあるとされている。が、勝っている間はともかくも、負け続けているのに幸福を感じることはないのではないかと疑問が湧く。それについて精神科医のお医者さんがこういう説明をしている。

 ギャンブルに勝ったときにドーパミンが活発になるわけではなく、「今日は勝てるのではないか、儲かるかもしれない」と、期待を抱いているときのほうが活発になるという。勝てば勝ったで「もっと儲かるかも……」、負けた場合には「今度は取り返す」と期待するドーパミンが出て、人間を依存という渦に巻き込んでしまう。 結局、人は何かを期待している時が一番幸せな状態にある、と言えるかもしれない。なんて厄介な生き物なんだろう。
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切ない事件

2024-03-22 11:22:06 | 日記
 韓国でドジャース対パドレスの試合が開催されている途中で、大谷くんと二人三脚でやって来た通訳の水原一平氏がドジャースを解雇になるというニュースが飛び込んできた。解雇の理由は違法賭博に関わったことからということで、本人も自らがギャンブル依存症であることを告白したとある。多額の借金を背負い、それを大谷くんが肩代わりしたのかどうか、大谷くんの銀行口座から勝手に水原氏が流用したのかというところは、今後の推移を見守るしかないようだ。

 が、事件の印象はなんとも切ないものである。依存症が病気であることは今や常識となっているが、依存症になることに関してはいまだに本人の意志の問題で片付けられることが多い。依存症が進めば、本人にはどうにも止められず、最後は事件を起こすところまで行き明るみに出る。時すでに遅しである。破滅の道を進んでいることを承知しながら、最後の一歩を踏み出し、破滅が完了したところで終わる。

 僕のような平凡な人間からすれば、自分が支えてきた野球選手が世界一の選手となったというのは、かけがえのないものを手に入れたに違いないだろうに、どうしてギャンブルに手を出してしまうのだろうと残念に感じる。が、なぜかということは本人にしかわからない。本人にもわからないのかもしれない。

 同様な事件で思い出すのは、TOKIOのメンバーでアルコール依存症になった山口達也氏である。事態が悪くなるほどに、ますますアルコールに依存するようになる。最後は強制入院して治療してもらうしかなくなる。それまで積み上げて来たものは、すべて崩れ去ってしまう。薬物中毒で何度も刑務所送りになるタレントも同様である。

 そんな中でも僕が一番切ないと思った事件は、お笑いコンビのキング・オブ・コメディーの片方が起こした窃盗事件である。コンビはコントの世界では最高峰でもあるキング・オブ・コントのチャンピオンに輝きながら、その直後に女子高生の制服など24点を盗んだとして、窃盗及び建造物侵入の容疑で逮捕された。自供によると、20年前から同様の行為をしていたと供述し、自宅からは制服など約600点が押収された。コントの世界で頂点に立ち、テレビの世界で活躍していた絶頂期に、裏では夜な夜な泥棒を働いていたというのだから、一体本人には何が起こっていたのだろうと思わざるを得ない。

 誰もが自分はこうなりたいと願っている。その夢を叶えながら、同時に破滅の道を進むことを止めることができない。破滅するまで進まなければ、自分の力では立ち止まることができないというのは、なんとも切ないのである。人間誰しもが、そういう資質を備えているのだろうか。

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