おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

夏のレシピ

2018-07-31 11:16:27 | 福島

 台風が通り過ぎ、再び猛暑になるらしい。今日の福島の最高気温は37度の予報が出ている。

 我が家の家庭菜園にとってはお情け程度の雨にしかもたらさなかったので、昨日、今日と再び畑に水をやりに行く。なんだかんだで、台風が近づいた一日だけ水やりせずに済んだに過ぎない。近くの田んぼはすっかり干上がり、ひどいところでは地面がひび割れてきている。西日本の方は豪雨被害がひどかったが、東北はもしかしたら干ばつの恐れさえある。

 そんな中でも、我が家ではなんとか野菜が収穫できている。おまけに畑をやっている人からのおすそ分けもあるので、夏の野菜にはこと欠かない。こと欠かないどころか、頑張って食べ続けなければこの暑さでせっかく収穫した野菜がダメになってしまう。

 そこで、毎日夏野菜づくしのメニューが食卓を賑やかにしている。今朝はオムレツの上に、トマトとナスを角切りにしたものをオリーブオイルで炒めたものを乗せ、粉チーズとバジルをかけて食べた。パスタに、トマトとナスの角切りを大量に炒めたものに大量の大葉を刻んで合わせてもやたらにうまい。大葉は餃子の白菜やキャベツのカサ増しに大量にみじん切りにして入れても、さっぱりした和風な餃子になって、これもやたらにうまい。次々に取れるキューリや万願寺とうがらしは、ナスとともに出汁で煮て、水溶き片栗粉でトロミをつけ、生姜をすり下ろしたものを乗せて食べると、食欲増進になる。キュウリは煮るとトロッとしてうまいので、麻婆ナスの代わりに麻婆キュウリにしても大量消費できる。キュウリの大量消費でいえば、キュウリのQちゃんを作ろうとすると、意外とキュウリが足りなかったりする。

 あまりに野菜が多い時は、とにかくすべて鍋に放り込んで、トマトとコンソメで煮てしまえば、冷めても美味しい夏野菜のスープができる。

 というようなわけで、毎日毎日手元にある野菜で、新メニューを考えている毎日なのである。

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ウォーキング

2018-07-30 12:50:22 | 福島

 朝食後、空いっぱいに雲が広がっていたので、暑くならないうちにと思い畑の草刈りをすることにする。草刈り前に、畑のキュウリやトマトにたっぷり水をやり、その後畑の周囲の草刈りをやる。ところが、曇っていたのは水をやる間だけで、草刈りを始めると台風一過、抜けるような青空が頭の上に広がった。大気中の埃が吹き飛ばされたせいか、気温の割に太陽光線が強烈だ。日焼けをしているというよりも、なんだか針の先で皮膚をあちこち刺されているような気になる。

 水やりと草刈りでたっぷり2時間も働くと、全身シャワーを浴びたようにビッショリになった。すぐにでもシャワーを浴びたいところだが、せっかくの休日なので、一旦家に帰ると、ランニングに出る準備をする。汗かきついでに、もうちょっと汗を流し、クタクタになった後にビールを飲みたいのだ。

 が、走り始めると、最初の30分で顔面に何発もパンチを食らったボクサーのようにグロッキーとなり、そこからは持参した1リットルの水を、頭からかけたり顔を洗ったり、喉を潤したりしながら歩いて帰ってきた。走った時間はたった30分だったが、同じ距離を歩くとなると何倍も時間がかかるのだ。

 どうせ走らないなら、のんびり周囲の夏景色でも楽しんでやれと、空を見上げたり、河川敷にキジを見つけたり、柳の木の上のカラスに挨拶したり、安達太良山にかかる雲を眺めたりしながら歩いた。結局出発から2時間、走ったのは最初だけで、炎天下を歩き通した。天気予報では過度の運動は避けてくださいと言っていたが、ウォーキングなら文句はあるまい。

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夏野菜

2018-07-29 11:19:01 | 福島

 今回の台風ほど、雨を期待したことはないが、予定のコースよりだいぶ西に外れてしまったので、福島では夜半にお湿り程度の雨しか降らなかった。しばらく畑に水を撒きに行かなくてよくなることを願ったが、この程度の雨では、明日からまたせっせと水撒きに行く必要があるだろう。

 台風がもし東北寄りの進路をとった時にために、赤くなっていたトマトを収穫に出かけた。今まで何度も挑戦してきては野生動物や鳥に食べられていたトマトは、今年は見事に大粒の実をつけることができた。

 大雨や高温の被害で、今年は夏野菜が高騰しそうな気配があるだけに、自家菜園で収穫できる野菜は実に貴重なのだ。

 ほかにもパプリカや万願寺とうがらしも大きくなっている。

 ずっと小さい苗のままだったオクラも、せっせと水を撒いている効果が現れたか、ここにきて花を咲かせ始め、いくつか収穫までこぎ着けた。

 朝の散歩は、畑に行くことがルーティンになっているので、ドリも迷わず畑へと向かう。畑に着くと、何か味見させろと催促する。まったく野菜や果物に目がない妙な犬なのである。

 今朝はキュウリとミニトマトをやると、嬉しそうにペロッと食った。我が家で家庭菜園を一番喜んでいるのは、ドリに違いない。

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進路変更

2018-07-28 12:03:20 | 福島

 台風が近づき、今日は雨になるという予報だったので、昨夜から雨が降るのを期待している。二日前の天気予報では、昨日の午後には雨になっているはずが、夜半からに延期し、結局朝まで降らず、お昼前にお湿りにもならないくらい、ちょびっとだけ降った。天気予報では相変わらず午後から雨になるようなことを言っているが、どうやら当初の進路予定より、台風が西へずれて行っているようである。

 それにしてもこの異常気象と地球温暖化の間に、関連性がありそうなのは誰の目にも明らかだと思うが、科学的にはしっかりした因果関係を証明する証拠がなければ、地球温暖化の影響かどうかを断言するのは難しいそうだ。が、そんなことを言っているうちに、地球温暖化はますます進み、因果関係が分かった頃には、時すでに遅しとなっているのだろう。

 読む本がなくなったので、久しぶりに図書館に行った。借りてきたのは、池内紀さんの「カント先生の散歩」、山渓叢書の「小屋番365日」、ジャン・ジオノ「木を植える男」の三冊。この暑さなので、どこか山のてっぺんにでも出かけ、涼んできたいところだが、老犬ドリを置いて出かける気にもならず、それならと山小屋のことを書いたものを借りた。「木を植える男」は、南フランスのプロバンス地方で数十年に渡りせっせと木を植え続けた男の話だ。

 ドングリを集め、それを毎年数万という単位で土に植えて行く。それは誰の土地かもわからない不毛の荒野で、誰からも頼まれたわけでもない。時が経ち、背丈ほどに育った木により、ようやく人々は不毛の土地に森ができつつあるのを認識する。お役所も、自然発生的に森ができたと驚き、そこでの焚き火を禁止する命令で出したりする。

 男は、第一次大戦も第二次大戦も関わりなく、せっせと木を植える。不毛だった土地は、緑に溢れ、小川まで流れるようになる。

 地球温暖化を食い止める行為というのも、どこか不毛な土地に木を植えることと似ているのかもしれない。号令をかけても人は動かない。黙々と続けられる努力によって変化が現れて、初めて社会は自分たちに何ができるのかを悟るのだろう。

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人生相談

2018-07-27 11:37:56 | 日記

 NHKのEテレで、世界的な哲学者による人生相談という番組をやっていた。見る前から硬派な番組で、視聴率が低いと思ったのか、司会を高田純次が務め、なんとか軽い番組にしようと努力していた。

 相談は、夫の母親が何かにつけ口を出し、夫も子供も言うことを聞いてくれないという主婦の悩みで、わざわざ哲学者に難しい話を聞かなくてもと思うが、もともと哲学とは人生をいかによく生きるかという学問であることを考えれば、より実践的悩みの方がわかりやすいのかもしれない。人生いかに行くべきかとか、生きていることの意味なんてことを言い出せば、それこそ答えはどこにもなくなってしまうだろうから。

 そもそもこの番組を覗いてみようと思ったのは、この回の回答者にフランスの哲学者アランが取り上げられていたからだ。と言っても、死んだ人が相談に応じるわけではない。彼の著作からためになりそうな箇所を紹介するのである。ただ、それがほんのごく短い文章であっても、さすがにアランさんだけあって、掘っても掘っても掘りつくせないほど深い意味を持っている。

「幸福であることは義務である。なぜなら幸福は他人に伝染するから」とか、「悲観主義は感情により、楽観主義は意志による」なんてことを言われると、膝をポンと叩き、おまけに額もペチッと叩きたくなる。

 ひと味違うのは、普通人が考えることの、もうひとつ先を行っているからだ。「不幸は周りの人にも悪影響を及ぼすから幸福にしていなさい」ではない。「幸福は他人に伝染するから幸福でいなさい」である。

 悲観主義や楽観主義は、その人の性質からくると考えていたら大間違いで、感情に身を任せれば悲観的になることもあるだろう。楽観的でいるには、意志の力を発揮しなければならない。

 さすが我が心の師、アランさんである。

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無料の映画

2018-07-26 11:34:14 | 日記

 面白いテレビ番組もないし、無料動画サイトのGyaoで、映画でも観ようとアクセスする。大体がすでに何度も観た映画だったり、B級の得体しれない映画だったりで、アクセスしたものの観るものがないということが多いのだが、昨夜は「Way Back」という映画を何気なく選んで見始めた。サブタイトルに脱出行6500キロみたいなことが書いてあったので、何かから逃げる映画なのか。

 舞台は1940年、スターリン時代の ソ連である。思想犯を片っ端からシベリア送りにしたという事実は歴史としては知ってはいても、日本が第二次世界大戦を戦っていた時に、ロシア国内では粛清の嵐が吹き荒れていたというのは驚きだ。確かノーベル賞作家ソルジェニー・ツインさんの「イワン・デニーソヴィチの一日」も、シベリアの強制収容所の話ではなかったか。

 どうやら映画は原作があるらしい。主人公は、拷問を受けた奥さんの供述により、シベリア送りとなる。で、仲間たちと嵐の日に脱走する。シベリアを渡り、ゴビ砂漠を横断し、ヒマラヤを越えてインドまで、主人公たちは過酷な道のりを強靭な意志で歩き通すのだが、悲惨な状況にもかかわらず、映像が恐ろしく美しく、砂漠も雪山も圧倒的で神々しいほどだ。映画を観ながら、しきりに同じシベリアを舞台にした「デルスウ・ウザーラ」のことを思い返していた。

 今朝、何気なく本棚から池内紀さんのエッセイ「海山のあいだ」を取り出して、パラパラ斜め読みしていたら、「山の本棚」というタイトルで、「デルスウ・ウザーラ」について触れていた。池山さんは山の登りに行く時には、この本を読んでから出かけるそうである。ちなみに、黒澤明も同名のタイトルで映画を作っているので、レンタルビデオ屋さんによっては置いてあるところもあるだろう。

 「Way Back」というタイトルは、どういう意味だろう。日本語なら帰り道とでも訳すのだろうか。なぜそう考えるのかは、映画のラストシーンを観れば納得するので、ネタバレしないよう、ここでは理由は書かないことにする。

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生産性で言うと

2018-07-25 11:27:31 | 福島

 僕が子供の頃には、ホモだのオカマだのと言うのは明らかに差別用語で、実際相手がどうであろうと、バカにするときに使う言葉だった。多分同じような使い方なら、相手が蛸じゃないのに、「このタコ」というのがあったが、冷静に考えれば蛸がなぜバカにされたのか、不思議な気がする。

 時代は変わり、最近はいわゆるLGBTが問題になっている。要は昔なら性別は男と女しかなく、結婚も法的には男と女の間にしか存在しなかった。が、科学が進んでくると人間というのはそんなに簡単に分類できるわけではなく、その中間だとか、見かけと実質が異なっているとか、いろんなタイプがあるのがわかってきた。病気ではなく、あくまでもそういうタイプとしてこの世に存在しているのだから、そういう人たちにも当たり前の権利というのがあるだろうというのが今の流れだ。

 ところが、頭ではわかっていても、生理的になかなか受け付けないのが、伝統や習慣というものだ。が、これが一般人ならともかくも、よりによって自民党の衆議院議員が幼稚な発言を始めた。「LGBTの人たちには生産性がない」と非難したのだ。

 さて、これが幼稚な発言なのは誰でもわかる。生産性とは簡単に言えば子供を作れるかどうかということだ。つまり、LGBTはもとより、お年寄りや障害者や病気の人も生産性がないと言われても仕方がないのだ。

 いつ頃からか、この世の最も重要な指針は「生産性」ということになってしまったようだ。この世で一番大切なことは経済であり、収入や収益であり、儲かるということがこの世の正しい在り方なのだ。アベノミクスとは、簡単に言えば、儲かれば幸せになるという思想だ。

 が、よくよく考えてみると、この世で一番生産性が低い人たちというのは、政治家なんじゃないだろうか。彼らは一体何を生み出しているのだろう。ただ、雨後の筍のごとく、次々にわけのわからない輩が出てきては、官僚の操り人形のように振る舞い、税金を無駄にしているとしか思えないのだ。

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久々の筋肉痛

2018-07-24 10:10:43 | 福島

 ネット通販で犬用のバリカンを買い、ドリを虎刈りにした。それは言葉通りの虎狩りで、ゴールデンレトリバーらしからぬ縞模様の体になった。遠目で見ると、プードルみたいにチリチリの毛質みたいで、一体何犬だと言いたくなる。顔や首回りも短くしたので、頭でっかちの子犬っぽくなったとも言え、可愛くなったとも言える。と、バカ親はそんなことばかり言っているのである。

 今朝、起きるといつになく体が痛い。特にふくらはぎやお尻の筋肉がコリコリになっていて、立ち上がるのに「よっこいしょー」とか「どっこらしょー」とか掛け声が必要になる。毎週のように走っているので、近頃はひどい筋肉痛というのはなかっただけに、暑さのせいかとも思うが、原因はどうやら新調したランニングシューズにあったようだ。

 今度の靴は前の違い、クッション性が低い上に、靴底も薄めにできている。足の裏で道路をつかんで走るような感じになるのだが、その分、筋肉に負担がかかるようだ。僕のような実力がない人間は、まだまだプワプワした靴底のシューズのほうが良かったのだろうか。どんな道具でも、プロ用の仕様に近づくほど扱いが難しくなる。扱いが繊細になり、思い通りにはならなくなる。その点初心者用に近づくほど、応用は効かないが失敗は少なくなる。

 ただ、考えようによっては、始めた当初のように翌日に筋肉痛が出るというのは、筋肉を酷使し、鍛えている感が味わえるとも言える。山登りを始めた頃は、次の日には大概「あいたたた」と言いながら、階段をソロソロと降りたものだが、そういう時には「痛い」と言いながら、顔は笑顔だったりする。

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負けない体

2018-07-23 12:29:11 | 福島

 先週の休みは葬式で潰れてしまったので、今日は休日らしい休日を過ごそうと、朝食後は畑に水を撒きに行き、ついでに鍬でもってネギの根元に土を寄せて高くしてやった。こうすることでネギの白い部分を増やすことができるのだ。

 その後は、借りている駐車場が雑草に占拠され、どこまでが我が家の駐車場かわからなくなっているので、草刈機でキレイにする。カフェのお客さん用に3台分を借りているが、実際には車を回したりするスペースも必要になるので、かなりの範囲の草を刈ってやらなければ、駐車場としての体裁が整わない。1時間ほどバリバリと刈ると、草刈機のオイルが切れ、プスプスと止まってしまった。最後のオイルだったので、新たに買ってこないことには草刈りの続きをすることはできない。今日のところはこの辺でやめておこう。

 家に帰るとまだ10時前だったので、次は着替えてランニングに出かけることにする。天気予報ではなるべく運動は避けるようにと言っているが、そんなことに構っちゃいられない。宮沢賢治のように雨にも負けず風にも負けず、夏の暑さにも負けない、丈夫な体を持つことが理想なので、暑い時こそ体を動かしてやるのだ。

 但し、暑さ対策も必要だ。いつもは膝や腰が痛くならないようにスポーツ用のタイツを着用するが、さすがにこの暑さでは着たくない。膝が痛むかもしれないが、熱中症対策としてはタイツは辞めておきたい。それからいつもは500mlのペットボトルを持って出るが、今日は2本持っていくことにする。たとえ飲まなくても、頭や首筋を冷やすための冷却水として必要になるかもしれない。

 というわけで、万全の体制を取り、新調したばかりのランニングシューズを履いて阿武隈川の土手を走る。幸い、風があるのであまり暑さは感じない。それでも尋常でない汗が頭から吹き出す。ふう〜、やっぱりきついぞ。

 ランニングの後半は、ひたすら「ビール、ビール」と呪文のように唱えながら、ひたすら家を目指して走ったり歩いたりした。

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夏を描く

2018-07-22 11:02:24 | 福島

 この前鳥居の絵を描いたが、その延長で今度は小さなお宮の絵を描いてみた。鳥居にしろお宮にしろ、里山には欠くことのできないものだ。この一年、里山の草花や生き物を中心に描いて来たが、今度は里山の風景を四季を通して描いてみるのもいいかなと思っている。

 夏が来たと言っても、昔と今では全然過ごし方が違っている。暑いとなれば、家の中でエアコンの風にあたっているか、クーラーの効いた場所での食事やショッピング、劇場や映画館で過ごすことが多いだろう。「家の中で遊ぶな、外へ行け」と怒鳴られていた僕が子供だった時代は、遊ぶ場所にも工夫があった。空き地で遊ぶには暑すぎるときは、川に出かけて水遊びをする。

 一番涼しいのは、何と言っても鎮守の森のお宮の境内だった。蝉時雨でうるさくってかなわなかったはずだが、記憶の中ではいつだって薄暗く、ひっそりと静まり返っている。お堂に上がり込み、板の上で昼寝をしていると、嘘みたいに汗は引いて行き、ゆっくりと睡魔が襲ってくる。

 近所に小学校の跡地があり、その脇に小さなお堂がある。東日本大震災の影響で石段は壊れたまま放置されている。それでも毎年春になると見事な桜が咲く。夏らしい絵に仕上げるため、ここではヒマワリを描き加えておいた。

 

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