「ビッグデータと人工知能」(西垣通著)を読み終えた。いろいろ知らないことが多い中で、「集合知」ということを初めて知り、大変面白かった。
あるイベントで、目の前の牛の重さを予想し、一番近い人に賞金を出すというコンテストがあった。参加した人は800人ほどいて、それぞれに想像した数値を投票したのだが、興味深いのは、その総数から平均値を出したところ、本当の牛の重さとの誤差が500g以下という近似値だったのである。
また、ある大学で教授が学生たちにこんな質問をした。「ここに用意した瓶詰めのゼリービーンズは何個入っているか」。その教室には60人ほどの学生がいたが、それぞれ勝手に出した数値の平均値は、実際に瓶に入っていたゼリービーンズの数850に対し、871とわずか21の誤差しかなかった。おまけに正解数との誤差21内の答えを推測した学生は、わずかひとりだったにも関わらずにである。
ここから、大勢の人間が出した答えの平均値は正解に限りなく近い、ということがわかってきた。その際、なるべく答えがバラついていたほうが、より正解に近くなるのである。別の言い方をするなら、ある偏見に囚われたグループよりも、さまざまな考えの人間の集まりの方が正解に近い答えを導くことができるということである。「女性がいると会議が長くなる」なんて偏見を持った集まりの会議では、答えは正解からはるかに遠くなってしまうのである。
こうしたことから、チェスの王者に一般人は勝てるかという実験も試みた。チェスの天才とアマチュア数万人で戦ってみた。アマチュアはそれぞれに次の一手を10分以内に考え、一番多い指し手を選ぶというものである。が、これは30手ほどでチェスの天才が圧勝した。そこで今度はアマチュア側は丸一日かけ、ネットで次の一手を相談したのである。そこではセミアマチュアが解説して話し合いを進めるという方法を取ったが、結果はかろうじて天才が勝つというもので、天才に「これほどの対戦はかつてなかった」と言わせるほど僅差の戦いだったのである。
ここから、最近耳にするようになった「デジタル民主主義」というものが生まれたことがわかる。政治や行政にひとりの天才は必要ない。数万人、数百万人というアマチュアでも、ネットの世界を利用し話し合うことにより、またその道に詳しい人がアドバイスすることで限りなく正解に近い回答を導き出すことができるという考え方である。大量のデータを一瞬にして処理できるようになった現代では、個々の人間がわざわざ自分たちの代表を選ぶ必要はないのではないか。専門家と呼ばれる人たちに偏見があれば、正解から遠い回答を出すのではないか。
なぜ多様性のある社会のほうが、より良い社会になるのか。「集合知」という考え方が有効なら、社会が道を踏み外すことが少なくなるからである。
あるイベントで、目の前の牛の重さを予想し、一番近い人に賞金を出すというコンテストがあった。参加した人は800人ほどいて、それぞれに想像した数値を投票したのだが、興味深いのは、その総数から平均値を出したところ、本当の牛の重さとの誤差が500g以下という近似値だったのである。
また、ある大学で教授が学生たちにこんな質問をした。「ここに用意した瓶詰めのゼリービーンズは何個入っているか」。その教室には60人ほどの学生がいたが、それぞれ勝手に出した数値の平均値は、実際に瓶に入っていたゼリービーンズの数850に対し、871とわずか21の誤差しかなかった。おまけに正解数との誤差21内の答えを推測した学生は、わずかひとりだったにも関わらずにである。
ここから、大勢の人間が出した答えの平均値は正解に限りなく近い、ということがわかってきた。その際、なるべく答えがバラついていたほうが、より正解に近くなるのである。別の言い方をするなら、ある偏見に囚われたグループよりも、さまざまな考えの人間の集まりの方が正解に近い答えを導くことができるということである。「女性がいると会議が長くなる」なんて偏見を持った集まりの会議では、答えは正解からはるかに遠くなってしまうのである。
こうしたことから、チェスの王者に一般人は勝てるかという実験も試みた。チェスの天才とアマチュア数万人で戦ってみた。アマチュアはそれぞれに次の一手を10分以内に考え、一番多い指し手を選ぶというものである。が、これは30手ほどでチェスの天才が圧勝した。そこで今度はアマチュア側は丸一日かけ、ネットで次の一手を相談したのである。そこではセミアマチュアが解説して話し合いを進めるという方法を取ったが、結果はかろうじて天才が勝つというもので、天才に「これほどの対戦はかつてなかった」と言わせるほど僅差の戦いだったのである。
ここから、最近耳にするようになった「デジタル民主主義」というものが生まれたことがわかる。政治や行政にひとりの天才は必要ない。数万人、数百万人というアマチュアでも、ネットの世界を利用し話し合うことにより、またその道に詳しい人がアドバイスすることで限りなく正解に近い回答を導き出すことができるという考え方である。大量のデータを一瞬にして処理できるようになった現代では、個々の人間がわざわざ自分たちの代表を選ぶ必要はないのではないか。専門家と呼ばれる人たちに偏見があれば、正解から遠い回答を出すのではないか。
なぜ多様性のある社会のほうが、より良い社会になるのか。「集合知」という考え方が有効なら、社会が道を踏み外すことが少なくなるからである。