おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

犬の意見だって聞きたい

2020-04-30 11:23:02 | 福島

 ここに来て、明らかに客足が減ってきた。もともと四月という月は、日本三大桜のひとつでもある三春の滝桜の効果で、県外からも観光客が多く訪れ、うちのカフェに立ち寄ってくれる人もいたのだが、今年は滝桜が観光客の受け入れをやめたため、県外からわざわざ来たというお客さんはいなかった。

 それでも自粛自粛で出かけられない地元の人が、時々顔を出してくれたりしていたのだが、近所の飲食店も少しずつ自粛し始め、営業し続けること自体が何やら悪いことをしているような雰囲気になって来た。予定では5月4〜6日を臨時休業することにしているが、それだけではどうやら足りないようだ。

 そんな中でも、いまだに歯医者には通っている。年末に隣り合った詰め物が2箇所とも外れたので、年明け早々に歯医者に行った。そこで歯周病の治療をしなければ、詰め物をしても意味がないので、まずは歯周病の治療、その後に詰め物という段取りになった。半年から1年はかかりますよと脅されていたが、新型コロナウイルスの流行で、いつもまでも通ってられなくなった。なんたって、歯医者なんてのは簡単にウイルスが伝染しそうなのだから。

 背中のできものの切除でせっせと通っていた病院は、とりあえず自宅で様子を見て、次の来院は1ヶ月後ということにしてもらったが、歯医者の方は詰め物が終わるまでは途中でやめるわけにはいかない。そうこうしていたら、今日の治療で歯型を取り、ゴールデンウイーク明けに被せることになった。

 とりあえず、歯医者のほうも見通しがついたので、気になっていた車の定期点検をしてもらうために、ディーラーに電話した。ゴールデンウイーク中に診てもらえますかと言うと、本社からのお達しでゴールデンウイーク中は全店休業するとのこと。車の販売と新型コロナウイルスは関係なさそうだが、来店する客が減っているに違いない。いよいよ日本中が本格的な自粛モードに突入したのだ。

 さて、こうなって来ると、ますますカフェの営業を悩んでしまう。いっそのこと5月は10日ほど臨時休業にしてしまったほうが良くはないか。今日1日じっくり考え、テオにも意見を聞き、タミちゃんにも相談して、明日には結論を出そう。

 

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再放送

2020-04-29 11:16:35 | 福島

 テレビを見ていると、新型コロナウイルスのせいで新たな番組が作れないのか、再放送ばかりになっている。普通に「再放送」と言ってくれればいいが、「傑作選」なんて言葉がタイトルについていると、テレビ局も官僚と同じで、少しでも国民を騙せればと考えているとしか思えない。新型コロナウイルスでは、何かというと法律がなく強制ではなくお願いしかできないと言い続けている。お願いなら補償する必要がないからで、本気で法律がないと嘆いているなら、チャッチャと法律を作れと言いたい。

 で、再放送の話だが、昔やった番組なんて面白くないだろうと思っていたら、「激レアさんを連れてきた」という番組で、「洞窟おじさん」を取り上げた回をやっていた。そんな回があったなんて知らなかったので、再放送は録画しておいてじっくりと観た。

 「洞窟おじさん」こと加村さんは、13歳の時に家出をして足尾銅山の採掘跡の洞窟で、文明から切り離されて自給自足の生活を始めた。その後の43年間を、あちこちの山や川で暮らしたという実在の人物である。現代にそういう人がいるのかと驚かされるが、加村さんは昭和21年生まれで、戦後の人なのである。

 昔、NHKでドラマ化もされ、それを観て感動した僕は早速原作を読んでみた。今回改めて再放送で最近の加村さんを見たことで、再び原作を読み返し始めた。

 山の中で少年が自給自足の生活なんてできるのかと、今の人なら思うだろうが、戦後すぐの山の生活というのを想像してみると、近所にスーパーがあるわけでもなく、仕事も会社勤めというわけにはいかなかったろうから、普通の人の生活自体が自給自足に近く、山に入って生活するのに今ほどの距離感はなかったろう。

 その頃の子供は、スマホでゲームをしているわけではない。親の手伝いをして一緒に山に入り、獣や山菜を採り方、調理の仕方など、子供は自力で生きて行くということがどういうことかを、親を見て学んだことだろう。

 加村少年も成長し、20歳になった頃、山にハイキングに来ていた老夫婦に見つかった。老夫婦はイノシシの毛皮で手作りした服や靴を履いていた加村さんを恐れることなく、家に来るように誘った。「もう、戦争は終わりましたよ」と。その時老夫婦は、戦争で山に隠れて生活していた人だと思っていたのだという。今なら不審者としてすぐに警察に通報されただろうから、普通の人だって山で暮らすことは特別なことだとは考えていなかったのだろう。

 50年前には、日本人の多くは山菜を採るすべも知っていたし、肉は生きた動物や鳥をさばいていた。そしてそれがゴクゴク当たり前のことだった。新型コロナウイルスで、食べ物に困る、食べ物がないとスーパーマーケットに人が群がる光景をテレビで見ていると、人間というのは半世紀でこうも変わってしまうものなのだなあと、妙なところに感心してしまうアベさんなのである。

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ステイホームと言われても

2020-04-28 12:04:30 | 日記

 昨日の休日は珍しく好天になった。月曜日になるといつも天気が悪く、昨日も朝のうちは雲の多い天気だった。せっかく予定を立てていてもちっとも実行できないことが多い月曜日だが、曇っていたのも少しの間で、朝飯後は気温がグングン上がり、真っ青な空が顔を出している。もう初夏といってもおかしくない陽気だ。

 朝飯を喰ったあとは、早速草刈りの用意をして家を出る。この辺りは今でこそ住宅地になっているが、少し前まではポコポコと小さな山がいくつもあるような場所で、住宅地になった今でもあちこちに土地を持っている地主さんみたいな人がいる。そういう人から、使っていない土地があるから畑をやらないかと誘われ家庭菜園を始めたが、雑草が伸び放題になるくらいなら、タダでいいから畑をやってほしいという土地持ちは多い。

 それに、カフェをやるのに案内の看板を立てさせてもらったり、駐車場を借りたりと、いろいろ近所にご迷惑をかけているというのもあって、急斜面の土手の草刈りは積極的にやるようにしている。

 まだそんなに伸びていない雑草を、バリバリと片っ端からなぎ倒していると、畑を貸してくれている人も出てきて、刈った草を一緒に片付けてくれだした。こうなると途中で止めるわけにはいかないので、徹底的に草刈りをやってしまわなければならない。そんなことを思いながら草刈りを続けていたが、なんだか物凄く草が切れない。いつもこうだったかなと首をひねるが、やはり道具の方に問題がありそうだという結論に達した。

 機械を止め、「新しい歯と交換してきます」と告げて一旦家に帰る。草刈り機を購入した時に替え刃が付いていたことを思い出したのだ。で、倉庫の奥から新しい歯を引っ張り出すと、今までついてた歯と形状が全然違っている。というか、正確には同じ歯なのだが、今までのものは刃先がすっかり摩耗して、ギザギザの部分がなくなり、丸いお盆のような形状になっていたのである。これではいくら草を刈ろうにも、刈れるわけがないのだ。

 20分ほどかけてようやく歯を交換し、草刈りを再開すると、今度はビックリするほどの切れ味で、今までの草刈りは草刈りではなく、お盆で草を力任せになぎ倒していただけだったことがわかった。道理で腕がクタクタになるはずだ。とにかく、素晴らしい切れ味で、力を入れなくてもどんどん仕事がはかどる。

 2時間半ほどかけて、目的の場所はすべて綺麗にした。「お茶を飲んで行ったら」と誘われたが、「早く帰ってビールを飲みます」とお誘いを断る。

 午後はテオを連れて長い散歩だ。住宅街を出て、人っ子ひとりいない里山を、カメラを首からぶら下げて歩き回る。時間を気にすることなく、気分に任せてのんびり歩くというのは気持ちがいい。テオが道草を食えば、付き合って立ち止まり、野鳥がいれば正体が判明するまでは見上げている。道端には、住宅街では珍しかったニホンタンポポが数多く棲息していた。というようなわけで、ステイホーム週間なんて言われても、一日中お日様の下にいるアベさんなのであった。

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花は咲けども

2020-04-27 12:01:06 | 日記

 桜も終わり、桃の花も盛りを過ぎた。散歩をしていると、雑木林の若葉が目立つようになってきて、季節は着実に春から初夏へと移行しているのが手に取るようにわかる。

 この辺ではゴールデンウイーク中に田植えをするところが多い。早い所では田んぼの黒塗りを終わり、すでに水を引いているところもある。早速カエルがケロケロと鳴き声をあげ、アメンボがスイスイと水面を移動している。

 同じ散歩をしていても、ただ闇雲にウオーキングをするのと、足元に注意し草花や昆虫に注目して歩くのでは面白さが断然違ってくる。何気無く見過ごしてしまいそうになる草花でもそれぞれに命があり、戦略を立てて生きていると思えば、十把一絡げで雑草と呼びたくなくなる。

 散歩をしていて目につく赤い花といえば、ヒメオドリコソウやホトケノザだろう。どちらも赤紫の小さな花を咲かせるが、最近ホトケノザに似た別種の花を見つけた。早速調べてみると、ムラサキケマンという植物で陽の当たらないような場所で育つとあった。漢字で書くと、紫華鬘という立派な名前だ。プロトピンという毒があり、誤食すれば嘔吐・呼吸麻痺・心臓麻痺などを引き起こすというからおっかない。それなのに、ウスバシロチョウの幼虫はこの草を餌にしているというから不思議だ。

 雑木林で今一番目立っているのは、あちこちで群生している山吹だろう。

 山吹の花を見ると、いつも思い出すのが「七重八重」で始まる昔の歌だ。有名なエピソードとして、太田道灌が父を尋ねて越生の地に来たとき、にわか雨にあった。蓑を借りようと農家に立ち寄ると、娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出した。道灌は蓑を借りようとしたのに花を差し出されたと腹を立てたが、家来からそれは「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」という後拾遺和歌集にある兼明親王の歌にかけて、娘は「家には蓑がひとつもありません」と返答したのだと教えられ、自分の無学に恥じ入ったという。

 で、今朝は「七重八重」と口に出したまでは良かったが、その後をど忘れしてしまっていた。「七重八重」の後がどうしても思い出せない。その後に続く「山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」は思い出したが、「花は咲けども」が出て来ない。

「七重八重、金はなくとも」だったかな、「七重八重、花はなけれど」だったかなと、散歩をしながら頭をひねるが、道灌のエピソードを考えると、絶対に違うのだけはわかる。結局、家に帰り着くまで正解は思い出せなかった。

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キャベツの天ぷら、大根の天ぷら

2020-04-26 11:07:58 | 福島

 めちゃくちゃ天気がいいので、さっさとカフェの準備を済ませ、我が家の畑に出かけることにした。ジャガイモとネギを植え、レタスやキャベツは苗をネットで覆っているが、これからキュウリやトマトといった夏野菜を植えなければならない。その前にほったらかしになっている畑を耕しておかなきゃならない。

 白菜が成長し、今や菜の花がきれいに咲いているが、これは撤去しなければならない。ルッコラも花盛りだが、これは畑の隅っこなので、虫除けも兼ねてしばらくこのままにしておくことにする。

 1時間半ほどタミちゃんと二人で鍬で畑を掘り返し、そこに石灰を撒く。

 掘り返していると土の中から、小さいけれども大根が4本ほど出てきた。2本は小さすぎるが、残りの2本は食べられそうだ。ラッキー。

 それにしてもコリアンダー(またの名をパクチー)は、料理で出てきても強烈な匂いだが、畑に生えているのも周囲に屁こき虫の匂いを散乱させている。畑仕事が終わっても、しばらくは体に匂いが染み付いている気がする。

 畑には白菜の菜の花のほかに、キャベツの菜の花と大根の菜の花が咲いている。昨日はタミちゃんが「これ、食べられそうだから」と菜の花の先っちょの食べられそうな箇所を少しばかり採ってきた。

 これがキャベツの花。

 そしてこれが大根の花。

 昨日の夕食は、たまたまもらったタラの芽があったので天ぷらの予定にしていた。せっかくなので、キャベツと大根の茎立も天ぷらにしてみることにした。湯がいてしまうと、味がなくなってしまう気がする。きっと天ぷらなら、その植物が持つ味をそのまま味わえそうに思ったからだが、天ぷらにしてビックリ。キャベツはちゃんとキャベツの味がして甘いし、大根は辛みのある大根の味なのである。天ぷらに大根おろしを添えたりするが、大根の茎立なら、大根おろしも同時に食べているようではないか。こんなことなら、来年からは大根やキャベツをさっさと撤去せずに、収穫後も春まで残し、茎立として食べても美味しそうなのだ。

 今日は午前中いっぱい畑で汗を流して働いたが、お日様を浴びて外で作業するというのは気持ちいい。

 汗をかいた体に、涼しい風が吹き抜け、畑の周りではモンシロチョウやアゲハチョウなどがヒラヒラ舞っている。なんと贅沢な時間なんだろうと、ウットリする。お偉いさんは、ゴールデンウイークは外出自粛と口を酸っぱくして言っているが、我が家ではゴールデンウイーク中はまだまだ畑仕事が残っているのである。

 

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我が家の庭で

2020-04-25 12:19:16 | 福島

 連日新型コロナウイルスのニュースばかりで、考えることもどうしてもコロナウイルス関係のことばかりになってしまうので、あえて全然関係ない話を書くことにする。

 久しぶりに朝から天気が良く、いつもよりも早く散歩に出た。土日はテオの友達のケンくんがボール投げをしてもらっているので立ち寄ってみると、すでにケンくんはボールを追いかけていた。すぐにテオのリードを外してやると、矢のようにケンくんのもとへと走って行く。ケンくんも来たばかりとあって、2匹してボールを全力で追いかけるが、さすがにボーダーコリーのケンくんの運動量にはかなわないようで、しばらくするとテオは地面にお腹をつけて休憩してしまった。というわけで、今日のところはおしまい。

 ケンくんに別れを告げて散歩を続けると、道端にハルジオンの花が咲いているのに気づいた。

 春から夏にかけ、あぜ道や空き地などどこででも見かけるようになる花で、地域によっては貧乏草とも呼ばれているらしいが、これもまた園芸種として輸入されたものが、庭から逃げ出し繁殖したらしい。

 ハルジオンによく似たヤツにヒメジョオンというのがいて紛らわしいが、ヒメジョオンのほうは暑くなってから目立つようになる。見分け方としては一番簡単なのは花びらに注意すると、ハルジオンは糸のような花びらで、ヒメジョオンのほうはもう少し花びらに幅がある。ともかく、花が咲いていなければただの雑草だが、気にしてみるとすでにあちこちで花を咲かせる直前だった。二、三日もすれば、あぜ道をお花畑に変えてくれるだろう。

 ヤマトシジミという小さな水色のチョウチョが、植物のカタバミがなければ繁殖できないという話をタミちゃんにしたら、カタバミなんてそこら中にあると言う。じゃあ、見つけたら教えてと頼んでおいたら、我が家の庭で黄色い花を咲かせていた。「ほら、ここに咲いているよ」と言うので、すぐにカメラを持って出て写真を撮る。

 写真だと大きさが分かりにくいが、花の直径は5ミリくらいだろうか、とにかく小さな花だ。庭の隅でわずかに繁殖しているカタバミの葉っぱでしか、ヤマトシジミの幼虫は育たないというから、ヤマトシジミの幼虫にとってはこれが世界のすべてということになるのだろうか。

 そうやって地面に這いつくばっているうちに、ふと横に顔を向けるとタンポポが咲いているのに気づいた。きっとセイヨウタンポポだろうと何気なく花の下のガクを確認してみると、なんとニホンタンポポではないか。おまけに、その隣にセイヨウタンポポも咲いているのである。まさか、こんな身近にタンポポのサンプルみたいなものがあるとは思いもよらなかった。

 で、左のシラっちゃけているのがニホンタンポポ、右のガクが下にめくれているのがセイヨウタンポポ。

 カタバミの花といい、ニホンタンポポといい、我が家の小さな庭はなかなか優秀なのだ。そうこうしてたら、中庭を自分の世界にしているテオが近寄ってきて、「何してんの」と聞いてきた。

 

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ゴールデンウイークの予定

2020-04-24 11:07:09 | 日記

 カフェのブログにはお知らせを書いたが、「アトリエ・カフェ 青い犬」のゴールデンウイーク中の予定をここでも書いておく。

 GWの前半は、定休日以外は今まで通りの営業ですが、5月5日(火)と5月6日(水)を臨時休業とし、定休日の月曜日と併せて、GW後半の5月4〜6日までの三日間はお休みとします。ただこれも、新型コロナウイルスの感染が広がり福島県に営業自粛命令が出ればすぐに従う予定なので、現実にはそれ以上にお休みとなるかもしれません。

 さて、新型コロナウイルスが登場したのが去年の11月。それから中国での感染が大々的なニュースになったにも関わらず、中国の春節が終わるまで、日本政府は経済の落ち込みを心配して指を咥えて傍観するにとどめた。3月になり、急遽全国の学校を休校にしてみたが、そのまま春休みに突入したわけだから、世の中的には子供たちの長い春休みとしてしか感じられなかった。そしてようやく4月になり尻に火がついたのか、緊急事態宣言となった。

 とは言うものの、いまだ実施されている対策は、ごく一部でのウイルス検査と発送し始めたマスク2枚のみである。半年近くが経ち、やったのがそれだけというのが現実なのである。ある外国の識者が、日本という国は指導者はボヤボヤしているだけで、国民はそれに対して怒ることもないと指摘していたが、まったくその通りだ。これは黒船の時代から変わらない。

 日本では、新型コロナウイルス対策のトップが経済再生大臣というのも、何かの冗談のようだ。世界中でこんな国はない。ウイルスを押さえ込まないことには経済再生などと言っている場合ではないのである。

 ウイルスの押さえ込みに必要なのは「三密を避けて」と政治家は訴えるが、必要なのは「他人に近寄らない」というそのことだけだ。それには外出禁止令が一番だ。が、それを言えば補償というものがくっついてくる。「三密を避けて」と言っておけば、感染拡大は国民の意識が低いためだと言い張ることができる。

 世界的には新型コロナウイルスの騒動は、戦争と同等に扱われている。ということは、普段の生活はできない事態にあるということだ。日本だって太平洋戦争真っ只中では、非常事態ということで、ひとりひとりが毎日を工夫して生き延びた。普段の生活ができない、と考えるからストレスも溜まる。今は普通じゃないと思えば、今だからこそできることや、やっておいたほうがいいことを優先的にやれるだろう。食うに困れば、その辺の野草を天ぷらにでもして食えばいい。

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ニッポンのタンポポ

2020-04-23 11:30:35 | 福島

 春は三寒四温という通り、昨日に引き続き今朝も青空が広がった。もっとも晴れているだって放射冷却のせいなのか寒かったりするので、暖かい日が天気がいいとは限らない。が、気分的には晴れていれば温かいのだ。

 雨の日は遊ぶことができないサクちゃんと、散歩の途中でひと暴れ。今ではテオのほうがひと周り大きくなった。立ち寄ると必ず組んず解れつでじゃれ合うのだが、飼い主にとってほかの犬と遊んでいる姿を眺めているのは、犬を飼う幸せのひとつと言っていいだろう。

 散歩の風景も、若葉が目立つようになり、春から初夏へと季節が変わって行くのが実感できる。二十四節気で言えば今は「穀雨」。作物のための温かな雨が降る季節だ。

 若い芽とともに、テオの尻尾もフッサフサ。

 散歩していて目につくようになったのがタンポポの黄色い花だが、タンポポといっても僕らが普段目にするタンポポのほとんどが外来種のセイヨウタンポポというやつだ。こいつは受粉する必要もなく繁殖できるし、おまけに年中花を咲かせる。春だけ咲いているわけではないが、日本人の脳みそにはタンポポは春の花だと刷り込まれているので、春になると「タンポポが咲いているなあ」と感慨深くなってしまう。

 セイヨウタンポポが日本中にはびこる前には、ニホンタンポポがタンポポの代表だった。これは春にしか咲かないから、タンポポと言えば春ということに決まっていたのだが、今ではセイヨウタンポポに棲み家を追われ、日本のタンポポの8割がセイヨウタンポポということになっている。

 実際、どれくらいの割合で混在しているのだろうと、今朝は注意深くタンポポを見て回った。2種を見分ける方法の一番簡単なものは、花の下の箇所のガクを見ればいい。上の写真のガクはすべて下にめくれてしまっている。だからセイヨウタンポポ。

 で、1時間近く歩き回って、まったくニホンタンポポを見つけられずに、そろそろ自宅が近づいて来たとき、ついにニホンタンポポを発見する。

 このガクのめくれて反り返っていないのが、ニッポンの由緒正しいタンポポなのである。

 それにしても、1時間歩いてひとつしか見つけられないとは。この辺の分布では9割以上がセイヨウタンポポになってしまっているということなのだろう。単純に、タンポポの黄色い花がキレイだなと感激している場合ではない。セイヨウタンポポは、日本の侵略的外来種ワースト100にも名前が挙げられているのである。

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下駄箱を作ろう

2020-04-22 11:26:59 | 福島

 週末からの風雨ですっかり桜も散り、あちこちの桜もずいぶんみすぼらしくなった。

 これからは桃の花の季節になるのだろうが、桃の花は桜と比べると、白から濃い赤まで色のバリエーションが幅広い。クレヨンでも桃色というのがあるが、はっきりしたピンクの花を見ていると、日本の花というよりも中国っぽさがどことなく漂う。

 梅も桃も桜も中国から入って来た花だが、梅の咲く頃はまだ寒すぎるし、桃は日本人にとってはちょっとばかり派手だ。桜の花が平安貴族にもてはやされ、その後日本の花として国民に愛されているのを考えると、桜という木が、いかに日本人の精神性に深く関わっているかが想像できるのである。

 さて、これからの季節を気持ち良く過ごすために、この前から花壇の再生計画を実行している。柵を作り替えたり、テオがいたずらしないようにネットを新調して張ったりと、少しずつ庭らしくなって来ている。タミちゃんも、買って来た花やもらって来た花をせっせと植えている。

 というようなことで、庭で過ごす時間が増えているのだが、ひとつだけ困ったことがある。庭で履くためのサンダルをテラスに置いているのだが、ゴムの適度な弾力が面白いのか、テオが片っ端から食いちぎってしまうのだ。届かないようにテーブルの上に置いても、ヒョイと足をかけて咥えて行ってしまう。今までに犠牲になったサンダルは四、五足は下らないだろう。そんなわけで、いつだってボロボロのサンダルを履いているのだが、数日前にタミちゃんが新たにサンダルを買って来た。で、サンダルを入れる棚のような物を作って欲しいという。

 この前柵を作った板切れや、以前の大工仕事のあまりの合板があるので調べてみると、なんとかサンダルを収める下駄箱くらいの量はある。幅も材質も違う木切れを細工して下駄箱を作るのは、思うように行かないことばかりで計算通りにはならなかったが、なんとか下駄箱が完成したので、ペンキを塗ってみた。ペンキを塗れば、少々ヘナチョコな大工仕事でも、遠目には形になっている。これは料理でいえば、天ぷらにすれば、大した食材がなくてもご馳走に見えるようなものだ。

 これでもテオがサンダルを略奪して行こうとするなら、次は下駄箱の扉を考えなければならないな。

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桜の花の散る頃

2020-04-21 11:19:10 | 福島

 週末から天気の悪い日が続き、今朝は久しぶりにお陽様が顔を出した。テオにレインコートを着せる必要はないし、僕らは傘を差さなくてもいいし、第一ビショビショになることがないので快適だ。おまけにポカポカと暖かく、気持ちも不思議と暖かくなる。天候が殺伐としているときは、気分だってすぐれなくなる。そう思うと、お陽様は実に偉大なのである。

 で、早速カメラを首に下げてテオの散歩に出る。

 満開だった桜は三日間であっという間に散ってしまった。まだまだ頑張っている桜もあるし、八重桜のように品種によってはこれからというのもあるが、散り行く桜を見てしまうと、気分は早くも初夏へと向かって行く。

 桜が終わると、一気にツクシが顔を出す。これからはワラビやゼンマイ、タケノコといった山菜の季節。

 カラスノエンドウも赤紫の花を咲かせる。

 ボケやヤマブキといった花もこれから。庭ではツツジやチューリップが目立つようになった。

 満開の時に桜と電車とともにテオを撮りたかったが、雨が続いていたので桜も終わってしまった。桜とテオの写真ははまた来年。

 近頃はテレビで「コロナ疲れ」とか「自粛疲れ」という言葉を聞くようになったが、新型コロナウイルスに感染しないように注意しているだけで疲れてしまうとは、少しばかり神経質なんじゃないかと思う。新型コロナウイルスに罹ったら、疲れるどころか倦怠感や呼吸器の痛みで、「疲れる」なんて言ってられないのだから、今は警戒しながらも体力は温存しておかなければいけない時期だ。

 「自粛疲れ」というのも、僕が子供の頃だったら、休みなんていくら長くっても疲れなかったけどな。朝から晩までひとりで遊びを見つけ、夢中になってひとり遊びに打ち込んだものだ。学校がないから暇だとか退屈だという子供の話を聞くと、よほど優等生なんだろうなあと感心してしまう。

 というようなことを考えていたら、「自粛疲れ」の中には、旦那や子供が一日中家にいるから、やることが増えて疲れるといった主婦の声もあるようなので、これに関しては同情する。そういう家は、旦那や子供にテントでも背負わせて、山にでも出かけるように追い出せばよろしい。

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