おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

栗とカラス

2023-09-28 08:11:22 | 山頭火を描く
 雨の中、傘をさして散歩していると、突然目の前にイガグリが落ちてきた。アスファルトでパカっと割れたイガからは、丸い栗がひとつ飛び出て、コロコロと坂道を転がって行く。それにテオが反応して追いかけたので、栗が止まるまで後を追った。振り返ると、早速タミちゃんが落ちた栗を拾って回り、早くも両手いっぱい栗を抱えている。今までに拾った栗で2回栗ご飯を炊いているので、今回は渋皮煮でも作ろうかななんて言う。

 落ちた栗で、秋のご馳走が食べられるとはなんと贅沢なんだろうと考えているうちに、ふと落ち栗の連想で井上井月の名前が頭に浮かんだ。
 「落栗の座を定めるや窪溜り」

 井月は漂泊の俳人などと呼ばれているが、最後はほとんど乞食として放浪していたような人で、僕が初めてその名前を知ったのは、つげ義治の漫画「無能の人」である。無能の人である主人公が、乞食俳人である井月に自分を重ねるという筋立てだった。ちなみに「無能の人」を竹中直人が監督をして映画を撮り、ヴェネチア国際映画祭で賞を獲った。

 井月に影響を受けたのは、つげ義治のほかにも、芥川龍之介や種田山頭火も挙げられる。山頭火は長野県伊那谷にある井月の墓参りも果たしている。その時に詠んだ句のひとつ「お墓撫でさすりつゝ、はるばるまゐりました」

 さて、昨日途中まで描きかけていた鴉の絵を描き終えた。タイトルは山頭火の句から取って「風の中からかあかあ鴉」


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イラスト、今の実力

2023-09-23 11:31:45 | 山頭火を描く
 この前描いたイラストを、背景の部分をすべて削除し、全面的に空の部分を描き直したが、前回より少しはマシになったとは思うものの、イメージしていたものとはまだまだかけ離れている。といって、どう描けば気に入った絵になるのかは自分でもわからない。大体、こんなイメージと言ってみても、その像はぼんやりして、はっきりとした鮮やかなイメージではないのだからどうしようもない。

 とにかく、今の僕の実力ではこのくらいしか描けないという、ということがはっきりした。

 描き直し前に比べると、奥行きが出てイラストに立体感は出ているので、その点は描き直しただけ進歩したかなと思う。

 そういえば、昨日観た映画「ミステリーと言うこと勿れ」の中で、登場人物の少女が、子供の頃から絵を描くのが好きだったが、大きくなるに従って自分の描く絵があまりうまくないということに気づき、描くのをやめてしまったという。それを聞いた主人公が「絵が下手くそなのに気づいたというのは、それだけ絵が上達したからで、実力がついたからこそ自分の下手くそなところに気づいたわけだから、そういう時こそ上達するチャンスだ」とアドバイスする。

 確かに、自分の実力がわからない人は自分が下手くそだということに気づかない。本当の音痴は、マイクを握ると堂々と歌を披露する。自分が音痴だと気づくとは、それだけ音感が良くなっているとも言えるのである。

 今回のイラストのタイトルは山頭火の句のひとつ「あの雲が落とした雨にぬれている」だ。画中に小さく山頭火らしき人物も描き入れてみた。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雲へ歩む

2023-09-18 11:43:50 | 山頭火を描く
 完全なにわかファンになっている。今、フランスで開催されているラグビーワールドカップに釘付けだ。野球のWBCでも日本戦は欠かさず見ていた。サッカーワールドカップでも、日本戦や強豪国の試合を見ていた。普段は全然興味がないだけに、我ながらにわかファンぶりに驚くばかりだ。

 ラグビーに関しては、前々回大会あたりの日本対南アフリカをたまたま見ていて、残り数分の逆転劇に近年まれにみる大興奮で、それ以来ラグビーの面白さがわかったような気がしている。国内で行われている大学のラグビーの試合などは、ボールが行ったり来たりするばかりで、ちっとも面白くない。昔のサッカーがそんな感じで、ボールが行き来するわりに、点が入る予感がしないのだ。何でもそうだが、一流と言われる人たちがやっているのを見て、初めて本当の面白さにふれることができる。

 というわけで、今朝は日本対イングランド戦を見るために早起きをした。

 どのくらい早起きかというと、午前2時半に起きた。試合開始は4時だが、その前に描きかけだった絵を終わらせたかったからである。昨日1日せっせと描いたが終わらず、ラグビーの開始までには終わらせるつもりで眠い目をこすって頑張った。完成したのがこちら。



 タイトルは「もりもり盛りあがる雲へ歩む」である。前回に引き続き、種田山頭火の自由律俳句のひとつだ。ただ、ネットで調べると、「もりもりもりあがる」なのか「もりもり盛り上がる」なのか、「もりもり盛りあがる」なのか、表記がはっきりしない。どれが山頭火自身が書きとめた表記なんだろう。

 この句に関しては、以前に托鉢姿の坊さんを描き加えた絵を描いた。今回は同じ句だが、坊さんは登場させなかった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たたずめば風わたる

2023-09-14 04:35:35 | 山頭火を描く
 何を描こうか、ああだのこうだの頭をひねってひと月、ぼんやり構想がまとまってとりあえず描き始めて2週間、途中何度か描き直し行ったり来たりしながらようやく描き終える。

 タイトルは「たたずめば風わたる空のとほくとほく(山頭火)」 種田山頭火の「柿の葉」にある自由律俳句のひとつを引用した。

 タイトルは別になんでもいいような気もするが、今回はまず句が先にあり、それをイメージする絵を描こうと決めていたので、山頭火の句とピッタリ同じでなくても、この句をタイトルにしておく。もっともピッタリ同じものを表現していたとしたら、単なる説明になり、この句に絵を付け足すことは蛇足になってしまうだろう。

 とりあえず1枚描いてホッとしているが、果たして2枚目、3枚目へと繋げていけるのか。できそうな気もするし、全然ダメそうな気もするし。そこがわからないから、描いてみるしかないというのが、創作の面白さかもしれない。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道のり

2019-01-22 10:59:56 | 山頭火を描く

 この前描いた絵に、タミちゃんが山頭火の句を書いてくれた。世捨て人となってあちこちを放浪し、その放浪を謳った山頭火の句を読むと、机上で作られたような句がほとんどないことに気づく。青空は歩くには暑すぎる炎天下だし、雨は気持ちも沈む時雨だ。山はどこまで行っても終わりがなく、道は歩けど歩けどまっすぐにどこまでも続いて行く。

 「まつすぐな道でさみしい」は、山頭火の句の中でも人気のある句だ。目の前に続く長いまっすぐな道は、見通しが良すぎるくらい何もない孤独な山頭火の心の中の道でもある。人気があるというのは、書家も多くが取り上げていて、人真似にならないように書くというのが意外と難しかったようで、タミちゃんはずいぶん苦労していたようだ。

 テレビでスーパーボランティアの尾畑さんが、東京から大分までを徒歩で旅行中というのが流れていた。僕も頻繁に車で行ったり来たりしているので、その距離感はわかっているが、尾畑さんが1日に進む距離は15キロだそうだ。僕が車で行き来する場合、福島〜大分間を高速なら2日、一般道なら3日かけて移動する。15キロという距離は、自分の足で走れば1時間半ほど、自転車ならもっと早い。そんなことを考えていると、道のりというのは移動手段によってまるで別物になるというのがよくわかる。

 パイオニアと呼ばれる人たちが、誰も足を踏み入れたことのない場所を進むのと、すでに敷かれた既成のレールの上を進むのとでは、たとえたどり着いた場所が同じだとしても、全然違った景色が見えるのだろう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

群れ飛ぶカラス

2019-01-21 11:46:36 | 山頭火を描く

 本来、絵の題材なんてのは無尽蔵にあるはずなのだが、描いているうちに発想が貧困なのか、意外とすぐにネタがつきてしまう。アイデアに詰まった時はいつもそうだが、自分の頭の中をいくら掻き回したところで、何も出てこないことのほうが多い。そういう時は、外をほっつき歩いたり、図書館に行ったり、本屋に行ったり、新聞やテレビを見たりと一旦自分から離れることが大事だ。

 山頭火の「雪のあかるさが窓いつぱいのしづけさ」の句を絵にしてから、次が思い浮かばないので、図書館であれこれ本を眺めているうちに、ゴッホの麦畑にカラスの群れが描いてあるのに目が止まった。カラスが絵のアクセントと描かれることは多い。が、僕の知る限り、カラスの群れを主題にした絵というのは見たことがない気がする。よし、次はこれだと早速取りかかる。

  この季節、夜明けや夕暮れ時になると、暗い空に驚くほどたくさんのカラスが、北風に飛ばされそうになりながら、群れ飛ぶ姿をよく見かける。で、描いた絵がこれ。

 色は、夕焼け空の朱色、雲と林のこげ茶色、雲の端の光の黄色、そしてカラスの黒だけしか使わなかった。思い切って単純化して見たが、成功したかどうかは怪しい。

 山頭火の句は「霜夜の寝床がどこかにあらう」。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒さより雪

2019-01-16 11:34:43 | 山頭火を描く

 今日は晴れるが気温は上がらないと天気予報は出ていたが、確かに青空は出ているものの、冷たい強風が吹き荒れている。これじゃあ気温は上がりようがないのだ。もしこんな日に雨雲でもやってきた日には、大雪を降らせてしまうに違いない。

 風が強い中、シジュウカラが餌を求めて給餌台にやって来る。最近、近くまでヤマガラが姿を見せるようになったので、ヤマガラの好きな松ぼっくりをいくつも給餌台に置いている。そのせいですっかり給餌台が狭くなり、一度に1羽か2羽しか立つことができない。スズメなどは群れでやってきて十羽ほどで占領していただけに、松ぼっくりはスズメ除けにもなり、シジュウカラは落ち着いて食事ができるようだ。もっとも、お目てのヤマガラは、近くの柿の木までしか近づかない。この前、サッシで頭をぶつけたのが、トラウマになってしまったのだろう。

 近所の肉屋に買い物に行くと、レジのおばちゃんが寒いですねと声をかけてきた。
「でも、今年は雪が積もらないので助かります」と応えると
「その代わり、ビックリするくらい寒いですね」という返事。

 いえいえ、今年は雪も降らないし、寒くもないんじゃないですか。僕なんか普段から散歩にランニングと外をうろついているから、寒さは大して気にならないんですよ。と、言ってやりたかったが、いちいち反論するまでもないので、「本当にそうですね」とだけ応えておいた。

 寒いのはいくら寒くても、生活のペースは乱されないが、雪が積もると朝から家の前や借りている駐車場の雪かきに半日はかかるし、車で出かけようにも、みんなテレテレ走るので、大渋滞を起こしているのである。雪国の人は本当に大変だと感じてしまうのだ。

 話は変わるが、この前描いた絵にタミちゃんが山頭火の句を書いてくれたので、アップしておく。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪のあかり

2019-01-13 11:20:54 | 山頭火を描く

 夜がしらじらと開け始めると、散歩に行くためにゴソゴソと起き出す。寝ぼけ眼でトイレに行くと、白み始めた窓辺に飾った小瓶が目に入る。この時期は花が少ないので、庭の隅に野鳥が落としていった名前もわからないひとり生えの赤い実を摘んできて入れたものだ。

 この窓辺は以前にも描いたことがあるが、冷え冷えと凍りついた空気の中でも、ツヤツヤと輝いている赤い実が可愛らしかったので、絵にしてみることにした。絵の題材なんて、わざわざ出かけなくたって、身の回りに目を凝らせば、きっといくらでも見つかるだろう。

 窓から入る光を主題にした画家といえば、最近人気のフェルメールが挙げられるが、真似しようとしてできるものではない。カーテンや紫の小瓶、赤い実は実際より強烈な色合いにし、僕がリニューアルの際に塗った漆喰の壁は、より白く強調した。窓から漏れ入る光は、色をつけず純粋な白のまま残した。

 山頭火の歌に、冬の朝をうたったものがあるだろうと探してみると、こんな句が見つかった。句自体は山頭火にしては率直さに欠ける気がするが、この絵の情感にはぴったりくる。

「雪のあかるさが家いつぱいのしづけさ」

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

描き初め

2019-01-12 09:09:43 | 山頭火を描く

 お正月が終わってすぐに誕生日が来るので、子供の頃から新年のエンジンがかかるのは、いつも誕生日が過ぎてからだった。今年はいつも以上にのんびり過ごしてきたが、そろそろ本格的に活動を始めようと、誕生日に合わせて絵を一枚仕上げた。去年の暮れから始めた山頭火シリーズで、山頭火の俳句に合わせて絵を描き、タミちゃんには書を書いてもらう。それぞれに自由な解釈で作った作品を合わせることで、面白い効果が現れるかもしれない。とにかく、1年間でも続けて行けば、コンスタントに作品は増えて行くだろう。

 で、今回のお題は「雪がふるふる雪見てをれば」

 人によって、その雪が粉雪だったり牡丹雪だったり、ふぶいていたり、しんしんと音もなく降っていたりとイメージするところは違うだろう。これを絵にするとなると、俳句の説明になってしまってはつまらないので、自分のイメージしたところと、少しだけ離れたところを狙って描く。

 今回はタミちゃんの書の方が先にできた。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まっすぐな道

2018-12-22 12:18:58 | 山頭火を描く

 山頭火の第2弾を描く。当初、「あの雲がおとした雨にぬれてゐる」という句を絵にしようと頑張っていたが、どうしても雨雲がうまく描けない。雨雲というのは、雨を降らせていなければ雨雲ではないが、それだと雲自体は見えないことが多い。遠くにあり、ああ、あそこは雨だなと思わせてくれる雲というのは、案外難しいのだ。仕方がないので、雲を描くのを諦めた。

 さて、絵は完成したものの、これに合う句を探すため、絵を前にして一句一句並べては絵と比べて見る。すると、面白いことに俳句が絵の方向を決め、それまでなかった情緒が絵に生まれてしまう。

 例えば、完成した下の絵に「炎天をいただいて乞ひ歩く」という句を添えると、隠れるところのない夏の野を感じさせるし、「どうしようもないわたしが歩いている」と添えると、悶々とした空気が漂い始める。

 で、いろいろ検討した結果、今回は「まつすぐな道でさみしい」という句を選ぶことにした。何を感じるかは、見る人に任せよう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする