もうすぐ東日本大震災の3.11がやって来る。テレビでも特番が組まれ、あちこちで追悼大会が開かれるようだ。去年の今頃、僕は会社に退社届を出し、東北・北海道旅行を指折り数えて待っているところだった。それから一年、なんのゆかりもなかった僕が原発事故のあった福島にいるのだから、人生どこでどう転ぶかはわからない。
去年の暮れ、政府は原発事故の終息宣言を出した。被災地が震災当時からほとんど何も変わっていないにもかかわらず、日本中が震災前の生活に戻ろうとし、震災が終わったものにしようとしている。日本中が「絆」を口にしながら、被災地の瓦礫を受け入れようという自治体はほとんどない。孫子のために不安だという。「絆」はいつの間にやらどんどん小さな世界に収縮し、絆の外の世界のことには目をつぶろうとする。
ところでニュースを見ていてびっくりしたのが、原発事故はまったく終息どころか危機的な状況にあるというではないか。そもそも今回の原発事故で、政府も外国も一番心配していたのは、4号機にある使用済みの核燃料棒だった。これが溶けだせば、被害は今くらいでは済まず、避難範囲は半径250キロにも及ぶというのだ。これは首都圏がすっぽりと収まる範囲である。で、この使用済み核燃料棒がメルトダウンせずに済んだのは、なんと手抜き工事によって、プールの水が抜けなかったせいで、おかげで核燃料プールに水が残っていて冷却できているというお粗末な話なのである。
しかしながら、この使用済み燃料棒のプールも、大きな余震でいつ亀裂が生じ水が流れ出すかわからないという。燃料棒を今のうちに運び出し、安全な場所に移動するには、建屋もクレーンもすべて壊れてしまったので、今はただ余震が来ないことだけを神頼みしているという状態なのである。もしこのプールに支障が生じ、燃料棒が冷却できなくなった場合、東京には人は住めない。それでも政府が終息宣言を出したのは、原発を早く動かしたいからである。