おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

季節外れの桜

2021-10-31 10:01:32 | 福島

 今日は選挙の投票があるので、朝の散歩のついでに投票してくることにした。投票のハガキに開場が午前7時と書いてあったので、それに時間を合わせるため、いつもより遅く家を出た。

 投票所は普段集会所に使っている場所で、滅多に歩かない住宅地の中にある。早く出かけようというテオをなだめ、6時過ぎに家を出ると、まるっきり反対の方向へと歩き出す。テオは「へっ?」という顔で何度も僕らのことを振り返る。「こっちの道でいいんですか」と半信半疑だ。

 いつもは薄暗い中を歩く散歩も、今朝はすでに太陽が顔を出し、秋らしい空気に包まれている。お日様に輝く柿の実の色が、日本の秋の里を演出しているので、歩いているだけで呑気な気分になってくる。「日々是好日(ひびこれこうじつ)」というのは、こういう気分を指すんだろうな、などと考える。

 途中、古い農家をリフォームして造ったガーデニングのお店の庭を見学に立ち寄り、そのあとは住宅の密集した場所を縫うように歩く。普段は人気のない里山の中を歩いているテオにとっては、住宅地の中を歩くのは新鮮な経験だろう。散歩する犬の数が多いからか、頻繁にあちこちの匂いを嗅ぎ、たまに足を上げてマーキングの真似事をする。

 住宅地の中には、昔の農家をそのまま使っている家も多く、家の前には立派な石垣があったり、畑の横に藁が積み上げてあったりする。その上には、日向ぼっこをする猫がいて、人馴れしているのか近寄って頭を撫でてやっても逃げることはない。

 と、一軒の庭先に小さなピンク色の花をたくさんつけている木を見つけた。遠くからでもすぐに桜だとわかった。この時期に桜の花が咲くなんて、異常気象なのか狂い咲きなのか、どうしたわけだろうと思っていたが、あとで調べたところによると、マメザクラとヒガンザクラの雑種のようで、とりわけ狂い咲きでもないようだ。

 投票所になっている集会所に着くと、テオを連れて入るわけにはいかないので、タミちゃんと交代で外で待つことにして、投票を済ませた。

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お化けサツマイモ

2021-10-30 10:27:42 | 福島

 今日まで天気が良く、明日からあまり良くないらしいというので、今日のうちに芋掘りをすることにした。

 ジャガイモは夏には掘ったが、我が家の家庭菜園には春先から里芋とサツマイモも少しばかり植えてある。いつ収穫したらいいのかわからないので、散歩のたびにあちこちの畑を観察し、里芋やサツマイモを掘り返しているかどうか確認していた。で、ほとんどの家で収穫が終わったのを確認したうえで、いよいよ我が家も収穫することにした。なんたって、どこよりも里芋などは背丈が低いから、一番後でも構わないだろうと考えていたのだ。

 で、朝食後カフェの準備を済ますと、早速芋掘りの準備をして出かける。僕が里芋を担当し、タミちゃんがサツマイモを担当して、土を掘り返し始めると、途端に「なんだこれ」とタミちゃんが大きな声をあげる。どうしたのかと思えば、ひとつだけ普通のサイズ5本分くらいの、ビッグなお化けサツマイモが出てきたのだ。他のも全部こんなんだとしたらどうする、と心配したが、お化けサツマイモは1個だけだった。

 里芋掘りは初めてだったので、どういう具合に実がついているか想像がつかず、離れたところから攻めて行ったが、実際里芋がついていたのは、茎の周辺に密集する形で、ジャガイモのようにツルにつながってついているわけではないのを、今頃になって知るアベさんであった。

 右上にあるのがお化けサツマイモ。形から想像するに、何本かのサツマイモがひとつに同化してしまったように見える。

 本来ならサツマイモは土をつけたまま保存すべきだが、このくらいならすぐに食べてしまいそうなので、洗っておくことにした。サツマイモを使った我が家のメニューは、サツマイモチップス、大学芋、コロッケ、サラダ、煮物などである。

 今年は唐辛子も豊作で、食べきれないので自家製タバスコでも作ってみようかと思っている。 

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仮想の空間

2021-10-29 10:37:31 | 日記

 フェイスブックの社名が「メタ」に変更したというニュースが流れていた。社名が変更になることは多々あることなので驚くに当たらないだろうが、ニュースの中身を見る限り、事はそう簡単なことではないようだ。

 というのも、フェイスブックというソーシャルネットワークが古くなり、最近は様々なツールが出てきたことで、その影響力も弱くなってきたことは想像がつく。が、新しい社名は、新しい事業を推進するために、軸足をフェイスブックから移したことを意味している。

 社名の「メタ」というのは、これから構築しようとする「メタバース」という仮想空間を社の主軸に置こうとしてのことである。それを聞いただけで、別次元の社会が誕生していることがいよいよ間近に迫ったことを感じる。それは民間のロケットで宇宙を旅する以上のインパクトなのである。

 素人が想像するだけで、「メタバース」という仮想空間が、現実に近い存在になろうとしていることはわかる。というのも、コロナウイルスの蔓延によって、リモートワークや、リモートでの学習が当たり前に行われているからである。

 「メタバース」では、僕らの分身であるアバターが、仮想空間内で生きて行くことになる。リモートワークが可能なら、「メタバース」内に会社を移し、そこで仕事をすることは簡単だ。リモートで授業を受けていた生徒たちは、仮想空間にある学校に通学し、アバターを通じて学習することが可能になる。スポーツだって、eスポーツがオリンピック種目になろうとしていることを考えると、いずれ仮想空間内でアバターたちが競技を競うようになるだろう。肉体的に恵まれたものだけが参加できるスポーツから、誰でもが参加できるスポーツになるのなら、当然そちらの方が主流になって行くはずである。

 そうなると、現実世界では、食事を摂ったり排便したり、睡眠を取ったり、あるいは農業や漁業のように、自然界に依存しているような活動だけが行われるようになるだろう。

 果たしてそんな世界が、僕が生きている間に現実となって行くのだろうか。はっきりしているのは、「メタバース」のような仮想現実の世界が、大企業によって世界を席巻するようになれば、否応なく世界は、現実世界と仮想現実の世界へと二極化して行くことになるだろう。

 ニュースでは、仮想現実の世界を構築するために、「メタバース」は1万人を雇用する計画を発表した。

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スキヤキ

2021-10-28 10:58:23 | 日記

 我が家の畑の作物たちが順調に生育している。これもみなテオのおかげである。というのも、我が家の畑に植えられた苗の多くが、散歩の時に犬を通じて知り合った人から貰い受け、ほかにも作物の植える時期や、肥料のやり方など、いろいろと指導してもらえているからだ。テオが我が家に来たことで、どれだけ近所に知り合いが増えたかを思うと、テオ様様なのである。

 で、そろそろ食料の確保に行かないと食卓が寂しくなってきたので、今朝は畑に寄ってくることにした。まだ薄暗い中、テオを連れて畑に行くと、周りの空き地の持ち主がついでに我が家の畑の周囲まで草刈りをしてくれていた。もう一回くらい草刈りをしておいたほうがいいんだけどな、と思いながら、そのままになっていただけに大変ありがたい。これもすべて僕の日頃の行いが良いからだろう、ということにしておく。

 大根はまだまだ大きくなるが、とりあえず1本引き抜くと、食べるには十分すぎるくらい成長していた。見えていた部分は細いものの、しっかりと長く成長している。春菊は何度も収穫しているので、硬い部分が多くなっているが、茹でて食べる分にはまだ大丈夫だ。ネギは植え替えた成果が現れ、白い部分が大きくなっている。白菜も結球し始めていたので、ひとつ持って帰ることにした。

 さて、これで今夜はすき焼きだな。というわけで、スーパーで糸コンやら焼き豆腐やらを買ってくる。肉なんてちょっとあればいい。楽しみなのは、すき焼きにうどんを入れて食べることなのだから。

 で、話変わるが、すき焼きと言えば、坂本九ちゃんの歌を思い出す。スーパーに車で買い出しに出る途中、ハンドルを握りながら「すき焼き、すき焼き」と念仏のように唱えていたら、自然と「上を向いて歩こう」を口ずさんでいた。

 日本語のタイトルは「上を向いて歩こう」だが、なぜだかアメリカでは「スキヤキ」というタイトルでヒットした。子供の頃、僕はその理由がよくわからないので周囲の大人に聞いてみたことがあるが、誰ひとり答えられる人はいなかった。

 それならばと、今になってネットで調べてみたが、やはり本当のところはよく分からないらしい。ただ、日本語のタイトルが長く覚えられないことから、アメリカのスタッフだかバンドマンだかが、知っている日本語を仮タイトルとしてつけて呼んでいるうちに、それが正式名になってしまったらしい。

 ちなみに、スピッツのヒット曲「ロビンソン」も、タイトルと歌詞にまったく関連性がないが、曲作りをする時にタイトルが決まっていなかったので、仮タイトルとしてつけていたものが、「それでいいか」となって正式名になったと聞いたことがある。案外曲名なんてのは、いい加減なものらしい。

 「スキヤキ」で調べて行くうちに、坂本九ちゃんがザ・ドリフターズの初期メンバーだったという記述があった。その頃のドリフターズは、のちのドタバタコントのドリフターズへと繋がって行くのだが、当初はちゃんとした音楽のバンドだったのである。九ちゃんが大ヒットを生むのは、バンド脱退後、ソロ活動を始めてからである。

 ちなみに、1963年、アメリカビルボードで3週連続1位を獲得した「スキヤキ」以来、日本人でビルボードのヒットチャート1位を獲得した者は出てきておらず、日本語の歌の1位もそれ以来ないということなので、本当に大変なことなのである。

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意は似せやすく

2021-10-27 10:07:43 | 日記

 今朝も早起きして良寛さんの本を読んだが、こんな話が紹介されていた。禅を日本で始めたのは道元さんだが、中国のお寺で修行していたとき、500人ほどいる修行僧のために高齢の用和尚が干し椎茸を作っていた。それを見た道元さんは、そんなことは人夫にでもさせればいいのではないですか、と進言すると、「他人にやらせたことは自分でやったことにならぬ」ときっぱりと答え、道元さんはその言葉に感得したのであった。道元さんを勉強していた良寛さんは、この故事を知ると、率先して炊事係を引き受けていた和尚さんのことをバカにしていたことを痛感したのである。

 そんな良寛さんも、いよいよ修行も終わり、禅僧修行の修了書をもらう。それは偈文(げぶん)といい、お師匠の和尚さんからいただく言葉なのだが、その中に「とうとうとして運に任す」のいう一文があった。意味は、万事を尽くして天命を待つといったところだろうか。やることをやったらリラックスして、あとは運命に任せよといったような意味である。

 が、「とうとうと」のほうには、「万事を尽くして」の文章が持つような、どことなく悲壮な決意みたいなものがなく、やるだけやったんだから、あとはなるようになるだろうというトボけた感じがあって、座右の銘にしてもいいかなと思ったくらいだ。

 本居宣長さんの言葉に「姿は似せがたく意は似せやすし」というのがある。中身を真似るのは簡単だが、姿を似せるのは難しいという意味だが、この言葉を聞いた人の多くが、反対じゃないのかと思うかもしれない。外見を真似するのは簡単だが、中身を似せるのは難しい、と。

 が、よくよく考えてみれば、意味を似せるというのは案外簡単なものである。「万事を尽くして」と「とうとうと」はほぼ同じような内容だ。が、同じような意味であるにもかかわらず、その言葉の姿は全然違っているのである。

 僕の好きな言葉に星野道夫さんが書いていた「人生とは何かを計画しているときに起こる別の出来事のこと」というのがあるが、これも意味としては「人生何が起こるかわからない」と同じことだ。だが、その姿は全然違ったものだ。僕にとっては、後者の言葉はちっとも心に響かないのである。

 映画「アレクセイの泉」では、おそらくロシアのことわざなのだろう、こんなセリフがあった。「とにかく始めることだ。そうすればいずれ終わる」。これなんかも「とにかく始めなければ何も始まらない」という言葉とよく似ているが、その姿はまるっきり違っている。

 有名アスリートの使っている道具や衣類を身につけたことで、本人はそのアスリートに少しでも近づいた気でいるかもしれない。が、そんな気分になっているのは本人だけである。たとえ同じ道具や衣類を身につけたところで、他人の目には似ても似つかない姿をしているのである。姿は似せがたく意は似せやすし。

 

 

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面白そうな人

2021-10-26 11:17:01 | 日記

 親鸞さんの教えを書き残した唯円さんの「歎異抄」を頑張って読み終わった。難しい本なので、一回読んだくらいではとても僕の頭では理解できないのだが、とりあえず一旦横に置いておくことにする。というのも、昨日、ネットで注文していた「良寛の生涯その心」(松本市壽著)が届いたからだ。

 良寛さんの本を本屋に出かけて探してみたが、結局1冊も見つけられなかった。その点ネットでは検索すれば、いろんな関連本が出てくる。おまけに中古本もあるから、近頃はもっぱら中古本ばかりを買っている。どうせ読んでいるうちに、コーヒーをこぼしたり、折り癖がついたりするのだから、よほどオンボロでない限り、中古本で十分だ。図書館の本のほうがよほどボロボロだったり、書き込みがあったりして、残念な本が多い。

 で、今朝も4時に起きて(すっかりルーティンになってきた)コーヒーを飲みながら良寛さんの本を開く。

 まだ頭の50ページを読んだところで、良寛さんが二十歳過ぎになったところまでだが、なかなか面白いそうな人なのである。

 家は出雲崎一帯を仕切る名家であり、そこの長男として生まれた良寛さんは、13歳の頃には寺子屋で書と共に論語やら荘子やら老子を習う。18歳になると、俳句の道楽のあった父親が良寛さんに後を継がせて、自分は隠居生活に入ろうとしていたのだが、良寛さんは家出をしてしまうのである。

 今でも何か悶々とした理想を抱えた若者が、家の跡継ぎとして期待されるというのは反抗したくなるものだが、おそらくそれと同じことが良寛さんにあったのだろう。ただ、未成年は仏門に入るにも親の許可が必要だったため、友人を頼ったり、あちこちの寺に潜り込んだりしていたのだが、ある時実家に近い立派なお寺のお坊さんの仲介により父親と和解し、正式に仏門に入り修行することになる。

 修行ののち、22歳にして大愚良寛の法号を授かり、正式に禅僧となったわけだが、実家へは帰らず、将来を期待された良寛さんはさっさと放浪の旅に出てしまうのである。

 と、今朝はここまで読んだところだが、良寛さんの人気は生きているときから大変なものがあった。が、良寛さんという人は、書家として抜きん出ていたというわけではないし、学者として何か業績があったわけではない。立派なお寺の和尚さんでもなければ、歌は詠んでもずば抜けた詩人だったわけでもない。それなのに、当時江戸からも尋ねてくる人もあったし、夏目漱石はその生き方に理想を見ていたというから、何がそれほど人を惹きつけたのか興味が湧くのである。

 ちなみに生きていた時代は、江戸幕末。良寛さんの死から40年後、時代は明治に突入する。

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ゆるく13音

2021-10-25 11:30:15 | 12音詩

 昨日で三春美術展が終わり、とりあえずは喫緊に大きな用事はなくなったので、今日のお休みは気分的にのんびりしている。午後から天気は悪くなるようだが、午前中は雨の心配もないので、のんびり走ってくるつもりで出発した。

 ところが、出発してみると、とてものんびりなんて気分ではいられなくなる。結局のところ、走り出せば余裕なんてなくなるのである。どうせシンドイ思いをするなら、頑張って走った方が疲れも少ない。適当にサボると、時間はかかるだけだし、それだけ体の負担も精神的にもちっとも良くないのだ。

 というわけで、いつもと同じように時間を気にしながら懸命に走る。幸い気温が低い上に風もないので、ランニングには上々のコンディションだ。おかげで普段は30分かかるところを29分を切るスピードで、60分かかるところを56分で走った。

 その後は、土手の景色を眺めながらクールダウンついでに一句ひねることにする。ただし、脳みそが酸欠状態なので、頭の回転はすこぶる悪い。

「黄色く泡立つ土手を行く」

 見たままの景色を詠んでみるが、指を折ると13音ある。

 空を大きな鳥たちが無数に飛び回っている。よく見てみると、カラスとノスリが互いに縄張りを争ってか、時々体当たりを繰り返している。「おまえ、向う行けよ」「おまえこそ」と言っているように見える。

「空を取り合うノスリカラス」

 おや、これも13音ではないか。12音で句をひねくり出すと言いながら、今日は13音になってしまう。

 まあ、いいか。今日はゆるい休日を過ごそうと思っていたところだから、句だってきっちり杓子定規に12音にすることもないか。

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組織が平等をはばむ

2021-10-24 10:13:57 | 福島

 「犬を放さないように」という看板が設置されて以来、ケンくんは別の場所に遊びに行くようになったため、テオがケンくんと顔を会わせるのはケンくんちの前だけになった。以前のように一緒に駆け回ることができなくなって寂しい思いをしているのか、散歩の途中、以前だったらケンくんを乗せた軽トラックがやって来ていた方向を、今だに注目するテオなのである。

 今日は三春の美術展の最終日で、最後は会場の片付けと作品の撤去のため、美術展に足を運ばなければならない。そのため、カフェの営業は午後3時までとしたので、もし今日カフェの来店を予定している人がいたなら、注意してもらいたい。

 ところで、この前から読み始めた「歎異抄」は、ようやく後序まで読み進んだ。序に始まり、18条、そして後序となり、全部合わせても今の400字詰原稿用紙なら50枚もないだろう。それに10日かかったのは、何が書いてあるかチンプンカンプンの内容を、注や解説を読みながら読み進めたからで、長い道のりだった。

 で、いろいろと知らないことが多かったのだが、そもそも親鸞さんの言葉を、弟子の唯円が書き残そうとしたのは、親鸞さんの死後30年で、その教えが違った解釈で広まり始めたせいだ。中でも唯円が一番心配したのは、親鸞さんの曽孫である覚如による教団設立への動きだったようである。

 親鸞さんの教えである浄土真宗というのは、絶対的存在である阿弥陀様のお力に頼るということである。それ以外の神様仏様はすべて阿弥陀様の化身なので、宗教とすればキリスト教やイスラム教と同じ一神教に近い。

 多神教の世界では、神様の間に序列があるので、それを反映する人間界に序列があっても不思議ではない。それに対して一神教の世界では、絶対的な存在の前ではすべてのものが平等であるため、階級はない。その考えが現代の民主主義や平等の思想へとつながっている。

 が、実際に世界を見渡せば、階級や差別は存在する。そもそも平等が当たり前のキリスト教世界でも、教会という団体が作られると、その組織にはトップが存在し、煌びやかな装飾品に身を包み、ピラミッドの下の方が上を支えるという形ができあがる。

 唯円も、阿弥陀様の前では四民平等を唱えていた親鸞さんの教えが、教団が設立されることで間違った方向へと進むのではないかと危惧していた。

 イエス・キリストにしても、お釈迦さんにしても、親鸞さんにしても、その姿は簡単な服を身にまとい、乞食に近い暮らしぶりだ。それなのに、教団ができた途端、その弟子たちはまるで違った姿になる。

 今は選挙活動の真っ最中で、政治家たちは弱者救済だの、平等な社会の実現だの声高に訴えている。が、政治団体という組織でしか活動できない政治家たちそのものが、階級に縛られ、上の支持通りにしか動けずに苦しんでいるようにしか見えないのである。

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良寛さん

2021-10-23 11:07:19 | 日記

 家にあった書の歴史の本を2冊読んだ。もう少し詳しく知りたいのだが、家にあるのは2冊だけなので、とりあえず大雑把な歴史は頭に入れたことにする。大昔の中国から現代の日本までの有名な書家のエピソードをほんのちょっと触れただけだが、そんな中気になる人物を見つけた。名前だけは聞いたことがあった良寛さんである。

 本当は名前どころか、良寛さんの実家を訪れたことがあるが、見学するのにお金を取るので、興味のなかったその頃は中に入ることなく帰って来た。今思えば残念だが、知識がないというのはそういうことだ。

 良寛さんは江戸末期に活躍した新潟県の出雲崎の人である。出雲崎というのは、昔は貿易で栄えた町で、今も昔ながらの町並みで観光客も多い。僕もそんなひとりで、犬を連れてブラブラするうちにひょっこり、当時大変な名家だった良寛さんの家の前まで歩いていたのだった。

 良寛さんは18歳の時に曹洞宗のお寺に入り、修行をする。曹洞宗というのは禅宗のひとつで本山は近くの福井県の永平寺だ。で、34歳の時に「好きなように旅をするのが良い」と助言してくれたお師匠の言葉通りに、放浪の旅に出る。

 書がうまいということで、全国から訪れる人も多く、良寛さんの書に影響を受けている人も多い。有名なところでは、夏目漱石や北原白秋も良寛さんを手本としたようだ。当時も江戸から有名な能書家の鵬斎という人が良寛さんを訪ね、江戸に帰ってからは良寛さんの影響を受けたミミズがのたくったような字を書くようになった。それを庶民は「鵬斎は越後帰りで字がくねり」と川柳に読むほどだった。

 良寛さんの字は、全体のレイアウトを重視したため、何が書いてあるのかわかりにくいということだ。素人が見ると、ピカソが描く子供のような絵に近い感じがする。当時、良寛さんに字を書いてもらおうと頼みに来る人が、できれば読める字をお願いしますと頼むと、「いろは」とか「一二三」とか、内容には無頓著に書いて渡したということである。

 その性格は無邪気だったといい、いつも子供と一緒に遊んでいた。懐には手毬を潜ませ、伝説では子供たちとかくれんぼをした時に、見つけてもらえずに夜明けまで隠れていたという逸話もある。本当の話かどうかはともかく、それくらい世間体などに縛られず、飄々と暮らしていると世間は見ていたのだろう。

 辞世の句は「うらをみせ おもてを見せて ちるもみじ」で、裏表なく他人に見せて死ぬだけだというような意味である。こんな歌も詠っている。

 歌もよまむ 手毬もつかむ 野にもいでむ 心ひとつを定めかねつも
 世の中に まじらぬとには あらねども ひとり遊びぞ 我はまされる

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その口になっている

2021-10-22 11:06:13 | 日記

 クッキングペーパーのリードというのがある。使い勝手がいいので我が家では切らすことがないのだが、この前買って来てみると、中に「リードで作れちゃう 10分間でできる!超簡単味しみレシピ」という小冊子がくっついていた。なにげなく開いてみると、「レンジでラーメン屋さんのチャーシュー」というのが最初のレシピとして載っていた。作り方を見ると、豚バラのブロックをリードで巻き、そこに醤油やお酒で作ったタレを満遍なくかけ、ラップをせずに4分間チンした後に、裏返して再び4分間チンするとある。

 おお、これだけでラーメン屋さんのラーメンの上に乗っているチャーシューができるとはなんて簡単なんだ。と、感激し、早速タミちゃんに見せると、すぐに食べてみたいという話になった。

 なんたって面倒臭いのは豚バラブロックを買うことだけである。というわけで、昨日は市場に行ったついでに豚バラブロックをひとつ購入した。夕食には早速レシピ通りのやり方で、チンをする。ホカホカできたてチャーシューの粗熱が取れるのを待って切り、すぐに一切れ味見だ。

 おや、全然考えていたのと違うぞ。これじゃあ茹でた豚肉の周りにうっすら醤油の風味がするだけではないか。どうみても料理として未完成なのでもう一度タレを作り、再びチンをする。やっぱりチャーシューはしっかりと味がしみていて欲しいのである。

 が、再チャレンジしたものの、できあがったもののさっきと同じものである。そこにタミちゃんが帰宅して来たので、味見をしてもらうが、あからさまにガッカリした顔をしている。

 そこでハタと、僕らが想像していたのは「豚の角煮」だったんじゃないかということに気づく。写真を見ただけで、すっかりトロトロに溶けかけたような豚肉だと信じ込んでいたのだ。「そうだよな、8分チンしただけで角煮になるわけないよな」。というようなわけで、結局角煮でもない、チャーシューでもない、こういった料理ということにして夕飯のおかずにした。

 とは言うものの、口はすっかり角煮になっていたので、せっかく豚バラブロックを買って来たのにと思うと残念で仕方がない。これはどんなに手間がかかろうと、本格的な角煮を作るべくリベンジしなければと決意を固めるアベさんなのであった。

 それにしても、「その口になる」というのは恐ろしいもので、想像を超えたものを口にした時というのは、美味いも不味いもないのである。

 その昔、四国を旅行中に立ち寄ったスーパーのお惣菜コーナーでイカフライを買った。車の中で早速かぶりつくと、イカの味とも食感ともまったく違う白い塊がフライの中から出て来て、瞬間、「腐ってる」と判断して窓から吐き出した。が、よくよく見るとそれはイカフライではなく、茹で卵を平たく押しつぶした後にフライにしたものだったのである。

 子供の頃、お客さんが帰った後のテーブルの上に、小皿に盛られたキャラメルがあった。すぐにひとつをかすめ取ると銀紙を剥ぎ、中の茶色い立方体の個体を口に入れて気を失うほどビックリした。キャラメルと思って噛んだ瞬間、マグロの生臭い味が口いっぱいに広がったのだ。それはキャラメルではなく、ツナピコというマグロのフレークを固めたお酒のおつまみだったのである。「その口になる」というのは、実に恐ろしい。

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