おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

まだまだ春の花

2023-03-31 11:31:25 | 福島
 梅の花、桜の花が咲いているが、春の花はまだまだある。



 木瓜(ボケ)の花。果実が瓜に似ているところから、もともとは「もけ」と呼ばれていたものが、ボケに転訛したという。覚えにくい植物の名前も、漢字で書くとイメージが湧きやすいのである。



 四手辛夷(シデコブシ)。北国の春で有名なコブシの花は白い花を咲かせるが、それの紫色バージョン。漢字を調べるまでは、紫の手のコブシと書くんだろうと思っていた。コブシも握り拳のコブシだと思っていたが、シデは紙垂、四手で、しめ縄なんかにくっつけてある四角い紙のことだという。



 黄色い花を咲かせているのが、連翹(レンギョウ)。これを書くのに調べたら、こんな難しい漢字だった。もう2度と書けないのだ。黄色い花というけれども、鮮やかな黄色ではない。英語での名前をゴールデンベルとも言うので、黄色というよりは金色と言ったほうがいいのかもしれない。もう少し後になると濃い黄色のヤマブキが咲き始めるが、今はレンギョウの黄色い花が目立つ。



 白い小さな花をたくさんつけるのが雪柳(ユキヤナギ)。中国産とも日本原産とも言われているが、自生種では石川県などでは絶滅危惧種に指定されているという。清潔感のある可憐な花なので、大分に住んでいた時は、庭の隅に植えた。福島に来ても窓の下に植わっているので、この季節は窓の向こうに白い花が見えている。

 桃の花は蕾がほころびかけてはいるが、まだ咲いているのを見かけることはない。二、三日中に咲けば、梅、桜、桃の花が勢揃いし、三春町の名前の由来となる。
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男前な犬

2023-03-30 12:24:36 | 福島
 昨日ちらほら開花したソメイヨシノは、一日経つとビックリするくらい花をつけていた。



 今週末には、近くの磐越東線舞木駅の桜がライトアップされる。この調子で行くと、ライトアップの日には五分咲きくらいになっているかもしれない。近頃は温暖化でなかなか開花とライトアップが足並みが揃わず、そろそろ桜が終わろうかという頃になってライトアップを始め、緑の葉っぱばかりを照らすということもあった。

 テオを連れ、トコトコと歩いていると、空き地で近所の犬のリンス君と出会した。リンス君もテオと同じく、近くの愛護センターから貰い受けてきた保護犬だ。

 リンス君は雑種には違いないが、一体何の混血なのかまるでわからないところが魅力だ。ビーグル犬みたいなのが入っているみたいだが、手足はヒョロッと長く体は細い。何より特徴的なのは、犬のくせに受け口で、いつも牙のひとつが上唇に引っかかり、口が歪んでいるところだ。見かけによらず人懐っこいので、リンス君に尻尾を振られると、ついつい笑ってしまう。



 そんなリンス君は、飼い主さんの話では今の時期はツクシが大好物で、散歩の間はツクシの頭を食べるのに忙しいんだそうだ。



 リンス君が何やら地面に鼻先を近づけ、パクパクやっているので、テオも真似して地面を探すが、うまそうなものは何も見つけられない。怪訝そうにリンス君の周りを歩き回る。



 2匹を見ていると、小心者で内弁慶なテオがどうしてもジャニーズ系のアイドルに見えてしまう(ジャニーズファンには申し訳ないが)。それに引き換えリンス君は、田中邦衛みたいな性格俳優みたいで、映画なら主役級の役所といった雰囲気がある。テオ、もう少し度胸をつけて頑張れ。

そうやってリンス君をパチパチやっていたら、カメラに気付いたのか急にリンス君がカメラのレンズをペロペロと舐めに来た。



 リンス君、近い近い。君が男前なのはわかっているけど、レンズに接近しすぎだよ。
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ひきこもり

2023-03-29 11:49:07 | 日記
 NHKのワイルドライフという番組で、キノコの話をやっていた。木の子とは言うが、森の地面の下にはキノコの菌糸が張り巡らされ、森を育てているとも言える。キノコは木の子でもあるとともに、木の親でもあるという。

 キノコは繁殖のために胞子を風に運ばせるが、鹿に自分を食べさせることで鹿に運んでもらい、遠いところでフンに紛れ込んで外界へと出てくる。また、キノコの種類によって、キノコに集まる虫の種類も違ってくる。それは特定の昆虫にとって好物のキノコがあることで、同じ種類の昆虫がひとつのキノコに集まることで、昆虫の繁殖のための出会いの社交場となる。メスはそのキノコに卵を産みつけることで、生まれた子供たちは、そのキノコを食料として育つことができる。

 キノコひとつとっても、木々や風や鹿や昆虫と固く結ばれ、お互いの存在が複雑に絡まり合いこの世での生を営んでいるというのは、まるで地球全体、宇宙全体がひとつの生命体のように感じられるのである。

 ところが、どうしたわけか人間だけが、そんな大きな有機体から離脱してしまい、人間だけの世界を作り上げてしまった。

 このところずっと一休さんの本を読んでいるのだが、お坊さんの話を読むと、この世のことを娑婆だとか修羅だとか、地獄だとか極楽だとか、理想郷だとか黄泉の世界だとか、難しい言葉が次々と出てくる。が、キノコや昆虫や鹿の世界を見ていると、食うか食われるかという過酷な自然の中にあっても、キノコや昆虫や鹿がこの世を、娑婆だとか修羅だとか、地獄だとか極楽だとか、理想郷だとか黄泉の世界だとかに感じているとはとても思えない。

 要は、この世界に存在するものの中で、人間だけが難しいことを考えすぎ、自分で自分自身の殻から出てこれなくなっているように見える。民族だの国家だの宗教だの階級だの、人間が生み出した面倒な観念にからめ取られて、身動きができなくなっているのだ。

 僕たちは「引きこもり」になってしまっている人に対して、「きっと何かいろんなことを考えすぎてしまっているんだろう。考えすぎてしまっているから、自分の殻から出てこれなくなっているに違いない」と想像する。それと同じことが、人間の世界にも起きている。人類こそが、無限に広がる宇宙の中で、引きこもってしまっているのではないだろうか。

 そして、引きこもっていることに気がつかないほど、人間は自分たちで作り出した観念の世界に住み、そこから一歩踏み出せば、すべてがひとつに親密につながった世界が存在していることさえわからなくなっているのではないだろうか。
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ネギ苗を植える

2023-03-28 11:08:27 | 福島
 朝飯を食うと、タミちゃんとふたり、すぐに畑に直行した。今日は畑をやる日と決めていたからだ。すでに買ってある種芋をそろそろ植えなければならない。ネギ苗も買ってから時間が経った。キャベツの苗も買ってある。というわけで、とりあえずネギ苗を植え、ジャガイモとキャベツの場所をもう一度丁寧に耕す。これでいつでも植え付けOKだ。

 畑をやっていると、近所の人が散歩途中で寄って行った。「去年おたくからもらったジャガイモがおいしかったので、今年は我が家でも作ることにした。昨日植えたところだ」と言う。野菜を作って商売をしているわけではないから、出来不出来はそんなに気にすることはない。太陽の下で体を動かし、安全安心な野菜が収穫できれば、それ以上のことを望むまでもないのである。

 今日のYahoo!ニュースを見ていたら、戦争が起きたら日本人の6割が餓死するという研究が、アメリカの大学で発表されたという記事が出ていた。記事は衝撃的だが、当然と言えば当然、別に驚くことでもないと解説してあった。というのも、食料自給率というのを考えれば一目瞭然で、アメリカは121%、フランスは131%、ドイツは84%、イギリスは70%、日本は38%である。もし、局地的な核戦争が起き、物流が止まった場合、世界全体で2億5000万人が餓死し、そのうち3割に当たる日本人7500万人が餓死する。この数字は日本人の6割が餓死するということを意味している。

 戦争さえしなければ、戦争の被害を受けないと思っていたら大間違いで、世界のどこかで戦争が起き、物流が滞ると、一番被害を受けるのは日本なのである。

 なければ金で買えばいいと考えるのは浅はかで、日本の食料自給率にはトリックがあって、肥料や飼料は海外からの輸入に頼っているため、本当の自給率は10%なのだという。こうなるといくらお金を払ったところで、日本人全体が生き残るのに十分な食糧を確保することが困難だ。そもそも世界的に食糧が不足するのに、他国に売るような真似はしないのである。

 ああ、大変だ。家庭菜園を作っていれば大丈夫という話ではない。あちこちで飢餓が起これば、家庭菜園なんて格好の標的になり、あっという間に作物は持ち去られてしまうだろう。とにかく戦争だけは起きないでください、と神様にお願いしながら、畑を耕すアベさんなのであった。
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春の花

2023-03-27 11:34:45 | 福島
 昨日は一日中雨で、満足な散歩ができなかったので、今朝はカメラを持って長い散歩に出ることにした。

 家を出ると、近所は梅の花が満開だ。ここ三春町は、梅、桜、桃の花が同時に見られることから、三春町という名前になったという由来が、まことしやかに語られている。が、実際はおそらく違うだろうが、名前の由来としては三つの春の代表的な花が同時に咲くというほうが面白い。面白いから俗説として、語られるのだろう。



 北国の春と言えば、まず思い浮かぶのは桜ではなく、コブシの花だ。「しぃ〜らかば〜あおぞ〜ら みいなあみいかあぜえ〜 コブシさく あの丘北国の ああ北国のはあるぅ〜」のコブシだ。



 春と言えば、早春に短い期間姿を見せるのが、スプリングエフェメラル。春の妖精たちである。紫の花を咲かせるカタクリや白い花を咲かせるキクザキイチゲも、春の妖精のひとつである。



 水芭蕉の花も春の花だが、歌の影響でどうしても夏のイメージが強い。



 「夏がく〜れば思い出す〜はるかな尾瀬 遠い空 水芭蕉の花が咲いている」というが、尾瀬は初夏近くまで雪が残るような場所なのだ。

 毎日桜をチェックしている。近所に満開になると豪華な花をつけるので、我が家ではそれを勝手に標準木と呼んでいる。この木に花が三つ以上咲くと、我が家では開花宣言するのである。



 で、今朝、ついに小さな花があっちでもこっちでも咲いているのを確認した。晴れて開花である。このまま暖かい日が続けば、3月中に満開を迎えるかもしれない。桜が咲けば、ツバメの姿を見かける日も近い。
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展覧会まで1ヶ月

2023-03-26 13:04:14 | 福島
 今日は朝から雨。天気予報でも一日中雨の予報だ。畑に行くこともできず、ランニングに出ることもできない。仕方ないので、1日家の中で過ごすことにする。

 4月に開催する美術展が25日から30日までなので、ちょうどひと月前となった。案内状を送付したり、イラストを入れるフレームを買いに行ったりして、少しずつ準備を進めている。2週間ほど前には三春町役場に行き、三春美術協会のふたりで展覧会をやるので、広報誌で紹介するようにお願いに行ったら、4月初めの広報誌で取り上げてもらえることになった。

 僕の場合、原画はデータとしてしか存在しないので、展覧会に出すには印刷する必要がある。A3サイズまでなら我が家のプリンターで出せるが、それ以上になると印刷所にお願いしなければならない。

 展覧会場となる郡山駅前のビッグアイというビルでは、2ヶ所にポスターを貼ることができるので、そろそろそれも印刷所に頼んでおかなければならない。

 というわけで、自作したポスターがこちら。



 作品を展示するために必要なフレームは、ホームセンターにある安価なものにするが、フレームの色は好みの色にしたいので、天気のいい日に塗装する必要がある。また、規格外の横長作品もあるので、これは木材を買ってきて自作しなければならない。展覧会まで1ヶ月と余裕があるように見えて、ぼやぼやしているとあっという間に尻に火がつきそうなので、早め早めに行動に起こそうとは考えている。

 ちなみに、今回の展覧会のタイトルは、もうひとりは「二人展」でいいということだったが、あちこちで宣伝してもらうためにはテーマがあったほうがいいだろうと、僕が勝手に考えたものだ。
「What A Wonderful World〜この素晴らしい場所で〜」は、ルイ・アームストロングの名曲「What A Wonderful World〜この素晴らしき世界〜」から頂戴した。
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本質と経済的価値

2023-03-25 11:39:36 | 日記
 テレビの人気番組に、「なんでも鑑定団」というのがある。有名人の絵画やら掛け軸やらを鑑定に出し、値踏みをしてもらう。出品する本人は「西郷隆盛の書です」と胸を張るが、鑑定人から「これは印刷です」と言われ、本人はガッカリし、会場はその結果に大笑いする。

 が、この番組が出品された物の経済的価値を判断しているだけで、そのものの質を鑑定しているのではないということには注意を要する。さっきまで「これはいい書だ」と感じていたのに、「偽物です」と言われると、途端につまらないように感じるというのは、考えてみればおかしなことだ。目の前の品物に変化はない。変化があったのは、「偽物です」と言われた本人の気持ちの問題である。

 ある小説家の自筆原稿が高額で取引される。原稿に書き込みやら削除跡があちこちに見られる。こんな原稿を読んでも、僕たちは素直に小説の世界には入っていけないだろう。印刷所で活字を組んでできあがった小説のほうが、よほど読者には作品として価値がある。映画監督がスクリーンに映り込み、ダメ出しばかりするような映画を観に行っても、観客は一体何を観せられているんだと思うだろう。

 その物の本質から言えば、直筆原稿よりも製本された小説にこそ価値がある。が、直筆原稿のほうに価値を見てしまうのは、そこに経済的価値が存在するからである。

 本来足を守るためのスニーカーも、コレクターが関われば、汚れることはおろか履くことさえ嫌がられ、仕舞いにはスニーカーがガラスケースに収められる、ということになる。これもスニーカーとしての本質よりも、経済的価値に重きが置かれるからである。壊れたブリキのオモチャだって、コレクターの手にかかればオモチャとしての価値がなくても、経済的価値がつく。

 そういうことを考えていると、原画を見なくても画集を眺めているだけでも、十分に芸術的価値は堪能できるということになる。写真はフィルムに限るという人は多いが、それを写真集で見る人は、デジタルデータに変換した写真集でもその写真の本質には触れることができるはずである。

 本質とはまるで関係ない価値というのは、どこにでもついて回る。有名なラーメン屋も、大勢が押しかける観光地も、案外その本質とは関係ないところで人気になっているということが多い。
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日本五大桜

2023-03-24 12:41:36 | 日記
 今日はニュースで、福島市の桜が開花したと言っていた。最近では桜と言えばソメイヨシノが代表格みたいになっているが、犬で言えば雑種であり、そのために繁殖力も生命力も強いために、明治以降、日本全国に広まった桜である。

 桜の名所と言えば、東京では千鳥ヶ淵だとか目黒川の桜が有名で、大勢の人が押し寄せる。自然の少ない東京都心にあっては、どんな桜であろうと見応えがあるが、江戸時代の日本には一本もなかったということは知っておいた方がいいだろう。で昔から和歌に詠まれてきた桜はソメイヨシノではなかったということがわからなければ、昔の日本人が感じていた桜というものを勘違いしてしまうからである。

 目黒川の桜や伊豆の河津桜を知っていても、案外日本三大桜をすらすら言える人は少ないかもしれない。

 三春の滝桜(福島県)
 山高神代桜(山梨県)
 根尾谷薄墨桜(岐阜県)くらいは、即答できるようにしておきたい。

 これに、
 石戸蒲桜(埼玉県)
 狩宿の下馬桜(静岡県)
のふたつを加えると、日本五大桜である。ここまで即答できる人は、ほとんどいないかもしれない。

 ちなみに僕が初めて見た五大桜は、埼玉県北本市にある石戸蒲桜だ。その頃、東京の神田で働いていたが、住んでいたのは埼玉県の朝霞市だった。免許取り立てで、中古の車を手に入れたので、休日はなるべく都心から離れるかたちでドライブに出かけていた。ひとりで知らない場所を、地図帳を見ながらのドライブだから、いつだって心臓バクバクで、長瀞に出かけたり、越生の梅園を見に行ったりしていた。ある時、桜の写真集を見ていたら、日本五大桜のひとつが、埼玉県内にあると知り、地図帳を頼りに出かけた。途中、何度も道に迷い、ようやく目的地に到着すると、日本五大桜のひとつと言われている割に、観光客は数人いただけだった。もっとも、今ではそんなことはないかもしれないが。

 ニュースで「桜が開花しました」と言っているのを聞くと、いまだにその頃のことを懐かしく思い出すアベさんなのである。
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野鳥の声を聞く

2023-03-23 11:22:01 | 福島
 すっかり日が長くなり、朝の散歩も出かけるときにはすでに明るくなっている。氷点下の日もあるとはいえ、梅の花も咲き気分は上々、それまでは早足で散歩していたのが、辺りをキョロキョロ見ながらのんびり歩くのが楽しくなった。

 春霞のかかる穏やかな朝は、耳を澄ますといろんな野鳥の声が聞こえてくる。雑木林の間を通ると、右からも左からもこれでもかというくらいにウグイスの声が聞こえてくる。ナワバリを主張しているとも、メスに求愛しているとも言われているから、この季節はウグイスにとっては青春真っ盛りということなのだろうか。ホーホケキョ、ケキョケキョケキョケキョ。

 梅の花の蜜を吸っているのはヒヨドリだ。スズメよりもふた周りくらいの大きさで、スタイリッシュだ。飛ぶ時にはあまり羽ばたかず、一直線ではなく、スーイスーイと上下動を繰り返す。遠くからでも、そんな飛び方ですぐにヒヨドリとわかる。ヒーヨヒーヨと鳴くが、そこからヒヨドリと呼ばれているのかどうかは知らない。

 ヒヨドリと同じくらいの大きさだが、ずんぐりしているのがツグミだ。飛ぶのはあまり上手ではないようで、バタバタと重そうに飛ぶ。クワックワッと鶏に似た鳴き声なのですぐにわかる。同じくらいの野鳥といえば、群れになって迷惑なムクドリがいる。オレンジ色の嘴と足ですぐに判別できるが、鳴き声はゲーゲーととても美声とは言い難い。

 シジュウカラはツツピーツツピーと可愛らしい。カワラヒワは、木のてっぺんや電線で群れになり、パッと見はスズメに似ているが、コロコロ鳴いているのですぐに判別できる。エナガは群れでジュクジュクせわしなく鳴く。

 そんな声に耳を澄ませていたら、足元の藪から、キジがケーンとけたたましい鳴いた。突然、バタバタと目の前を飛んで行くので、いつだってびっくりさせられる。

 ああ、春だなあ。そろそろツバメもやって来る時期にもなった。頭の上をカアカアとカラスがのんびり鳴きながら飛んでいく。年が年中いるカラスだが、春先に聞くカラスの鳴き声は、ひねもすのたりのたりしていて、ほっこりさせられる。
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テレビに釘付け

2023-03-22 12:37:27 | 日記
 昨日、午前中をテレビを見て過ごしたので、午後から畑に出かけ、やり残していた部分をスコップで掘り起こした。おかげで今朝は腹筋と背筋がガチガチになり、動きがロボットみたいになっている。

 で、そこまで頑張っているのは、今日も午前中はWBCをテレビ観戦するためなのだが、昨日の熱戦の後なので、どっちが勝ってもいいような感じで、どことなく安心して見ていられた。習字道具を広げ、コマーシャルが入るたびに半紙に向かう。昨日も今日も午前中いっぱい書いているので、それなりに上達している気がする。

 肝心の試合は、昨日同様ヒリヒリするような展開で、日本が僅差のリードのまま終盤を迎える。最終回は1点リードでアメリカの攻撃になる。ここで大谷くんの登場だ。まるで漫画の世界だが、最後のバッターがエンゼルスで同僚のトラウトという、漫画以上の展開になった。

 結果はここで書かなくても、おそらくこの先数日はこのニュース映像が流れ続けるだろう。

 それはともかくも、アメリカを引っ張るのがトラウト、日本チームを引っ張るのが大谷くん。どちらもエンゼルスの選手だ。ところがこのエンゼルスというチームが馬鹿みたいに弱い。アメリカと日本を代表する選手を二人とも抱えているにもかかわらず、年間を通して勝ち越すこともできないほどどうしようもない最弱球団なのだ。これも考えようによっては、漫画である。つまるところ、大選手を何人そろえようと勝つわけではないということで言えば、今回のWBCも同じであった。サッカーに比べ、チームプレイというよりは、個人の力量に左右されそうなスポーツではあるが、それだけではないというのが団体戦の面白いところだ。

 というわけで、午後は再び畑に登板しなければならないアベさんであった。
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