おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

幸福の七カ条

2015-07-31 15:54:57 | 福島

 水木しげるさんの「水木さんの幸福論」の中に、幸福の七カ条というのがある。水木さんが立ち上げた「幸福観察学会」の活動の中で、幸福になるための知恵を世間に広めるという目的のために「幸福の七カ条」を作ったというが、会員は水木さんひとりいうことだ。

 で、この七カ条がなかなかよくできているので、紹介することにする。

第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 なまけ者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。

 幸せになるための七カ条というと、新興宗教みたいだが、戦争の最前線で戦い、仲間がみな玉砕していった経験を持つ水木さんはリアリストだ。第五条の「才能と収入は別」だとか「努力は人を裏切る」というのは、学校や宗教では言わないことだ。

 「なまけ者になりなさい」と我が子に教える親は少ない。

 

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迷信

2015-07-30 14:58:24 | 福島

 「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な水木しげるさんの自伝を読み返す。少し前に朝ドラの「ゲゲゲの女房」でドラマ化されたので、水木しげるさんの生涯は案外知られているかもしれないが、戦争では最前線で戦い片腕を失ったことは有名だろう。本を読み終え、後ろの広告を見ていたら、「水木さんの幸福論」というエッセイが紹介されていたので、早速本屋に行って買ってきた。

 昔から水木しげるさんのとぼけた味わいの作品が好きで、かなりの作品を読んだが、漫画ばかりでなくエッセイにも味わい深いものも多く、少年時代のことを書いた「のんのんばあとオレ」は、フランスでも賞を獲得している。

 水木しげるさんと言えば、とにかく妖怪の大家というより、水木さん自体が妖怪みたいなものかもしれない。とにかく、目に見えない得体の知れない存在と、まるで友達のように付き合うことができる人というのは、今の日本にあっては国宝並みに貴重なのである。

 妖怪だの化け物だのいうのは、非科学的ということで、まず学問として学校で取り上げられることはない。世の中で信用できるものは科学的なものだけだという考え自体が、実は非科学的で妖怪じみているということには案外気づいていない。人は「科学的」ということを口にし、非科学的なものは信仰や迷信として退ける。

 が、恨みを買うと化けて出るとか、縁起でもないことを口にすることはタブーだとかいうのは、いまだに普通のことだ。人迷信と退けるのは簡単だが、意外と生活の知恵から生まれたのが迷信だったりするからややこしい。

 「誰にも迷惑をかけていないからオレの勝手だ」とか、「誰にも迷惑をかけているわけじゃないからオレの好きにさせろ」とか、「法律のどこにも書いてないからやっても平気だ」とか言いながら、実は世間に大変な迷惑をかけている人は多い。

 昔なら「そんなことをしたらバチが当たる」と言っていれば済んだ。誰が見てなくても、誰に迷惑をかけていなくても、法律に書いてなくても、バチが当たることがあった。罰を下していたのはカミサマだったのだろうか。それとも妖怪だったのだろうか。

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暑いからこそ

2015-07-29 16:12:55 | 福島

 今日も朝からぐんぐんと気温が上昇している。こう暑くっちゃあ何にもしたくなくなるものだが、こんな日だからこそジョギングに出てみる。目いっぱい汗をかけば、その後は少々の暑さくらいでは堪えなくなるのだ。

 というわけで、半ズボンに履き替え、帽子をかぶり、スニーカーを履いてお宮までの5キロのコースを走る。最近は歩きながらだが10キロほど走っているので、短いコースなら新記録が出るかと思ったが、走り始めるとすぐにバテバテになる。新記録どころではない。最後まで歩かずに走り通せるかどうかも怪しいものだ。

 雑木林からはミンミンゼミの大合唱。青い空にはもくもくと白い入道雲が発達していく。ヨロヨロヘロヘロゼーゼーと走る姿は誰にも見せられない。

 なんとか最後まで歩かずに走り通したが、いつもより3分ほど遅い記録だった。

 シャワーを浴びると、とりあえず水分を補給し、その後は扇風機の前で熱いコーヒーをすする。暑いからと冷たいものばかり口にしていると、かえってバテバテになる。僕の夏ばて対策は、「目には目を歯には歯を」作戦なのである。

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避暑へ

2015-07-28 11:23:27 | 福島

 カフェがお休みの月曜日は、朝の散歩も長目になる。おまけにタミちゃんも会社が夏休みとあって、慌てる必要がない。

 とは言うものの、朝からピーカンの天気で気温もグングン上がる。天気予報では35度の猛暑日になるらしい。近所をぶらぶらしただけで、暑さに弱いドリとタミちゃんはヘロヘロしている。その点、九州の暑さに慣れているトトとアベさんは、ようやく夏らしくなったなあとテンションが上がる。

 こんな日は家の中にいて、いくらクーラーをつけようとじっとりと汗ばむ。かえって外に遊びに行った方が暑さを忘れるだろうと、朝食を食べた後、裏磐梯の檜原湖に行ってみることにした。車中が暑いので、犬たちのためにはなるべく短時間で移動しなければならない。あんまり遠くまでは行けないし、山のてっぺんが涼しいと言っても、ドリの体力では途中で動けなく可能性も高い。地図で見ると檜原湖沿いに自然探勝路というのがある。ここなら高速道路を使えば1時間以内で着くし、湖の近くなのできっと涼しいに違いない。

 湖から吹く風のおかげで、体感温度は2、3度は低いだろう。木陰にいれば汗ばんだ体が、すうっとクールダウンする。ドリはそのくらいでは体は冷えないと、湖が見えた途端、風呂につかるオッサンのように体を沈める。

 檜原湖には遊覧船も行ったり来たりしていたが、なんと言っても釣り船が多い。湖なので、入り江に入れば湖面は鏡のようだ。暑くなると、岸辺の木陰にボートを移動し、その上で昼寝する人たちも多い。釣りはあまり興味がないけど、ボートに横になっての昼寝は憧れるなあ。

 1時間半ほど歩いて、吊り橋に出る。今日の終点はこの橋を渡ったところまで。ここで再び元来た道を引き返す。

 それにしても、日向がよほど暑いのか、ドリは木陰から日の射す場所に出ると、次の木陰までダッシュする。その様子に僕らは大笑いする。

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絵を展示する

2015-07-27 04:46:10 | 福島

 水曜日から日曜日まで、郡山駅前のビッグアイというところで「平和美術展」があり、絵を展示してもらった。作品展に「平和」の冠を掲げるだけあって、展示された作品の中には、画面いっぱいに「憲法九条を守れ」と大書きされたものや、福島原発の事故を題材にしたものなどもあった。チラシのあいさつでも「私たちはこれからもこの平和美術展を通して日本国憲法を守り、反戦平和のための活動を続けてまいります」とあった。僕の考えからすれば、反戦平和を願わない人なんてのは、ごくごく限られた人だと思っているし、プラカードやチラシに今まで歴史の流れを変える力があったかどうか首をかしげるところもある。

 もっとも、「平和」という言葉を、人種や性別、出身や所得などでは制限を受けないという意味で捉えるなら、「平和美術展」は、さまざまなジャンルの作品が珠玉混交あるので、まさに平和な眺めなのである。

 自分の作品を、自分の身の回りから離れた場所に置いて見直すというのは貴重な体験である。久しぶりに会った人との対面のように、どことなく照れくさかったりする。少しだけ、自分の作品が自分の手を離れて独り立ちしたような気分も味わえる。

 が、それも最初の頃だけで、何度もあちこちに作品を展示してもらっていると、だんだんと展示が機械的な作業になり、感動も薄れてくる。そんなことを考えていると、自分の作品を他人に見てもらうというのは難しいもんだなとつくづく思う。自己満足は、自分だけで完結させたほうがいいようにも思う。

 夕方、犬たちを散歩させていると、家の中が暑いからか、庭先でバーベキューをやっている人たちが数組いた。我が家も夕食作りが面倒なので、七輪に炭を起こし、冷蔵庫にあった塩サバ、ウインナー、イカを焼き、ビールを飲んだ。しめはおにぎりを網の上に載せ、醤油を塗って焼きおにぎりだ。犬たちはおすそ分けにあずかろうと、足元を行ったりきたり。夕日が沈み、次第にあたりが闇に包まれてくると、涼しい風が吹き始めた。

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アイデンティティ

2015-07-25 13:52:16 | 福島

 卒業式になると、君が代を歌いたくないという教員が必ず出てくる。日の丸や君が代が戦争を連想させるというのは、個人の思想の問題なので、歌いたくなかろうが、国旗や国歌を認めないのも自由だ。

 が、先生が卒業式で自分の思想信条を貫くというのは、教育的な観点からだとどうかと思う。というのは、昨日紹介した「教科書が教えない社会科の授業 先生、日本のこと教えて」(服部剛著)に書いてあったが、国旗や国歌に対してどういう態度で接すればいいかという国際的な常識は、子供たちに教えなければいけない義務が先生にはある。例えば、こんな話が紹介されていた。

 ある学校の先生が、生徒たちを連れて外国旅行をした。あるイベント会場でのこと、国歌が流れると、会場にいた人は全員起立した。ところが、日本から来た先生と生徒たちだけは椅子に腰かけたままでいたため、大変な顰蹙を受けたということである。おそらく彼らには悪意はなかったに違いない。ただ、国歌が流れるときには起立しなければならないという、国際的な常識が身についていなかっただけの話だろう。

 日の丸や君が代が戦争を想起させて嫌だというなら、それに代わる国旗や国歌を考えればいい。そんなことより、国歌や国旗が世界ではどう扱われ、どういう態度で接するのがマナーかということを、ちゃんと教えたほうがいい。というのも、僕自身が学校でそんなことを教えられた経験がないからだ。

 外洋を航海する船舶は必ず国旗を掲げている。でなければ不審船として拿捕される。好きだの嫌いだのに関係なく、国旗や国歌は僕たちのアイデンティティと深く結ばれている。そして、そのことを意識することは、戦争だの国粋主義だの愛国心だのには何の関係もない話なのである。

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雰囲気で物を言う

2015-07-24 10:50:41 | 福島

 朝の犬の散歩の前、夜明けの涼しい時間帯を利用して読書をしている。今読んでいるのは、図書館から借りてきた「教科書が教えない社会科の授業 先生、日本のこと教えて」(服部剛著)で、ようやく今日読み終わった。読んでいる途中、何度も「目から鱗」体験をし、僕が今までいかに雰囲気でしか物事を考えていなかったか、情緒に流され、浅い観点からしか物事を見ていなかったかを教えられた。

 最近の安保法制についての議論を聞いていると、皆同様に内容がよく理解できないという。それでも自分の立場はある程度ははっきりさせないと議論にならないので、それなりの意見を持っている。ところが、その意見というのが、僕同様知識や体験に裏打ちされているわけではないのが実情だろう。というのも、学校時代に誰も現代史についてちゃんとした授業を受けていないからである。

 「軍隊とは」「軍人とは」ということについても、ぼやっとしたイメージでしか捉えてはいないだろう。現に、この本の中でも中学生にアンケートを取った結果、軍人とは「マッチョ」とか「ミリタリーマニア」とか、「血の気が多い人」などの答えが多いという。

 軍隊の仕事とは何か。「国と国民を守る」のがその任務である。だから、東日本大震災のときのような災害時にも出動する。最近はその姿がマスコミでも幾度も取り上げられ、子供たちにとって尊敬すべき存在に変わってきたが、昔は「人殺し集団」などと呼ばれていたのである。

 「国を守る」という観点から、外国では原子力発電所は軍隊が守っている。当たり前のことで、そこを攻撃されれば、原爆と同等の被害を受けるからだ。近頃では自爆テロをしなくても、ドローンという便利な機械が出てきたので、こいつを飛ばせば簡単に攻撃できる。となれば、ますます軍隊が原発を守る必要性は高くなるはずである。ところが、日本では自衛隊が原発を守るなどということは絶対ない。なぜなら、原発は安全で、避難マニュアルでさえ必要としなかったのだから。

 国際的に、軍人になるにはふた通りしかない。志願兵制度と徴兵制度だ。世界的に見れば徴兵制度のほうが当たり前の制度で、志願兵制度は例外である。というのは、アメリカなどの志願兵を見ればわかるように、兵隊になって最前線に行くのは、人種差別を受けている有色人種だったり、移民系の人間だったり、つまりは所得の低い貧困層が軍人になることが多い。裏を返せば、政治家や官僚、富裕層の子供は戦場に赴くことはなく、そうして、社会を牛耳り制度を作り、戦争へ舵を取ったりするのもこういう層なのである。

 徴兵制度にして、地位や身分によって兵役免除がなされないような制度にしておけば、政治家や官僚の息子だって同じように兵役につく。そうなれば、親心として簡単に戦争には突入できないのである。自分の子供が安全無事だと思うから、戦争をするのが平気になる。

 国や国民を守るためには、そのリスクと義務は国民全体で平等に担わなければならない。「地区のゴミ清掃は有志がやってくれているから、義務化することはない、やりたい人がやればいい」などという意見がおかしいのは誰にだってわかる論理だ。

 フランスは1990年代まで徴兵制度だったが、その後志願兵制度に変えた。その代わり、リスクと義務を他人事にしないために、「体験入隊」という制度を始めた。これは18歳になると国民はすべて軍隊に体験入隊しなければならいという制度で、入隊経験の資格を得なければ、選挙権も大学入試も運転免許も取れない。その根底には、義務を果たさない者には、権利は与えられないという考えがある。

 スイスは永世中立国だ。どことも同盟は組まないと宣言した以上、どこの国にも守って欲しいというわけには行かない。従って、スイスは国民皆兵で、兵役の義務がある。

 徴兵制度になるとすぐに戦争になるのかどうか。志願兵制度なら戦争にならないのか。また、軍隊を放棄して国民ひとりひとりが国を守る義務を負うのがいいのか。そこまで考えなければ、安全保障をとやかく言っても始まるまい。

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寂しい声

2015-07-23 17:58:25 | 福島

 連日猛暑が続く福島だが、どんなに暑い日でも朝晩は涼しい。考えてみれば僕が福島に来て、一度も熱帯夜はなかったような気がする。布団もかぶらず扇風機を回しっぱなしにしていても、明け方には寒くってあわてて扇風機を止めて毛布にくるまる。

 蝉たちの声もずいぶんと騒々しくなったが、東北にはクマゼミはいないので、あの真夏の山全体が鳴り響くようなシャーシャーという猛烈な蝉時雨はない。カナカナと鳴くヒグラシ、ミンミンゼミ、そしてジージーとアブラゼミが鳴いているが、どことなく遠慮がちな気がする。

 ヒグラシは早くから鳴き始める。クマゼミの大音量がないせいで早くから耳にするようになるのだろうか。夕方になるとカナカナカナカナと涼しい風とともに聞こえてくるヒグラシの声を聞くと、なんだか夏も終わりの気配が漂う。多分これは、子供の頃、お盆になるとご先祖の墓参りに親父の里帰りにくっついていって、裏山の墓地で線香を焚いてお参りした記憶がよみがえるからだろう。お盆が終われば、手つかずだった夏休みの宿題をまとめてやらなければならず、いつしかお盆と聞くと憂鬱な気分になったものだった。

 その頃のトラウマなのだろうか。カナカナという声が聞こえてくると、なんとなく物悲しい、寂しい気分になる。夏の暑いのはたまらないが、夏が終わるののはそれ以上に寂しい。ヒグラシに加え、ツクツクボウシの声が聞こえるようになると、夏は本当に終わりに近づくのだ。

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先見の明

2015-07-22 15:42:23 | 福島

 新国立競技場の建設費があまりに高いというので、建設計画自体が白紙になった。すっかり有名になったキールアーチなるものが、建設費を吊り上げたという話は聞くが、他にも観客席に小さなモニターを設置して、競技の細かいところまで見てもらうような至れり尽くせりのハイテク競技場を目指していたという話もある。

 確かにモニターが客席にあれば、前の人の頭が邪魔になっても大丈夫だし、選手の顔のアップも見ることができるかもしれない。が、ちょっと考えてみれば、そんなものはスマホかタブレットが自由に使えるようにしておけば済む問題なのである。わざわざすべての席に用意する必要はない。

 車でも、少し前までは、高価なナビをつけるのが当たり前のようになっていた。ナビがなければ遠出ができないという人もいた。が、それだって今はスマホがあればナビの役目もちゃんと勤めてくれるので、わざわざナビを設置する必要はなくなった。

 高速道路を走るためのETCも、国が設置を進めるわりにETCをつけていない車はたくさんある。高速料金が少しくらい割引になっても、ETCの機械自体が1万円を超えるようでは二の足を踏む。国際的に見れば日本製のETCの装置はべらぼうに高い。なぜ1万円を超えるような高額な価格になっているかと言えば、開発に伴い将来はナビやその他多彩な機能を設けるために、前もって複雑な機械にしてしまったからだ。が、ナビでさえスマホに取って代わられる時代なのだから、複雑な機能のついたETCなんか将来役に立つとは考えにくい。ここでも、新国立競技場の客席のモニター同様、お役所が将来を見据えて計画した結果、時代遅れになった観がある。「先見の明」という名のもとに、世の中にはずいぶんと無用な長物があるのだろう。

 ちなみに、高速道路の料金の支払いくらいなら、コンビニでそれ用のステッカーを貼って窓にでも張れば済むという話もある。宅配便が小包にステッカーを貼って仕分けする技術があることを思えば、開発は簡単なはずである。

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燻製に挑戦する

2015-07-21 05:40:11 | 福島

 三連休の間、近所を散歩していると、子供たちが夏休みに入ったせいか、庭でバーベキューをしている家庭が数軒あった。食欲がないような猛暑日でも、外でやるバーベキューは意外に食欲が出る。特に子供たちには最高のイベントだ。

 最近アウトドアの本を読んでいたら、焚き火料理についての話の中で燻製についての記述があった。次から次へと網に乗せて食べ続けなければならないバーベキューが若者向きだとしたら、じっくりと時間をかけて調理し、後でゆっくり食べることができる燻製は食の細い年寄りにはぴったりのような気がする。バーベキューでビールは最高にうまいが、たまには燻製でワインや冷酒を傾けるというのもオツなのではないか。そう考えたらすぐに実行したくなるアベさんなのである。

 燻製の道具は一斗缶か中華鍋があれば、あとはサイズのあった網さえあればできる。が、あいにく我が家には一斗缶も中華鍋もない。そこでホームセンターに行くと、1000円から5000円ほどで幾種類か燻製の道具が売っていた。普通は一斗缶みたいな中に食材をぶら下げて作るのが一般的だが、中華鍋タイプのほうが使い勝手は良さそうだ。で、3500円ほどの中華鍋タイプを購入する。桜の木のチップも併せて購入。

 夜、夕方の散歩を終えると早速七輪で炭をおこし燻製鍋をセットする。原理は鍋の底にチップを入れ、その上に網、食材、蓋を乗せるだけで、あとは完成を待つだけ。バーベキューより数段ラクチンだ。

 用意したのは、ソーセージ、チーカマ、ベーコン、ゆで卵、シシャモ、サーモン、チーズ。

 適当に並べて作ってみたが、これはあまりに適当すぎた。なぜなら、食材に併せてそれぞれ適温と最適な燻製時間があるからだ。もっとも、そんなことは燻製初心者の僕にはわからない。そろそろ完成したかなと蓋を開けてみると、なんとチーズがメルトダウンを起こし、網を通り抜けて鍋底に落ちているではないか。

 シシャモは煙いばかりで香ばしさがないので、七輪の上で改めて焼き直した。シャケ、ベーコン、ソーセージはうまかった。燻製前に塩コショウなどの下処理をしておいたほうが数段うまくなるようだ。

 というわけで、燻製初挑戦は、半分成功半分失敗というところか。でも、完成品を肴に、赤ワインを一本開け、昼間山のようにつくっておいたいなり寿司にぱくつくと、すっかり満足できる晩餐になった。

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