おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

男子三日会わざれば

2019-02-28 13:20:48 | 福島

 テオが来て1週間が経った。先週の木曜日の朝には、まだ新しい犬を飼うことには半信半疑だったが、いざ飼ってみると、ずっと前から飼うことが決まっていたような気がする。

 犬の成長は早い。半年もすればほぼ成犬になる。雌犬なら一年経たずに子犬を生むこともできるわけだから、子犬の半年は人間でいうと10年には相当するかもしれない。となると、ひと月あたりに換算すれば1歳半づつは成長する。テオが保護されたのが生後ひと月ほど。我が家に来たのが生後2ヶ月くらいだから、いまは人間で言うと4歳くらいか。ちなみにテオの誕生日は、生後ふた月ということで引き取ったので、誕生日を逆算して覚えやすいように12月25日、クリスマスにした。

 今日はテオが来て初めての雨。オシッコを外でさせるようにしているので、時々中庭に出すが、オシッコをするよりも遊ぶほうが忙しく、出すたびに濡れネズミになる。その度に乾いたタオルで拭いてやらなければならず、早く自分で体を拭けるようになればいいと思う。

 雨なのでなるべく家の中に閉じ込めているが、午後にはカフェを開けるので、お客さんがやって来る。まあ、可愛い、抱っこしていいかしらと追いかけ回すが、知らない人を怖がって逃げ回るので、ちっとも捕まらないのがご愛嬌だ。半年もすれば、面構えも精悍になって、抱っこしたいなどというリクエストは来なくなるだろう。

 日一日と成長するテオは、日一日と力がついて来ている。頼りない甘噛みだったものが、人の手をしっかりがぶりと噛むので、その度にアタタタタと悲鳴を上げ、風呂に入ると噛まれたところがヒリヒリするようになった。まったく、男子三日会わざれば刮目して見よ、なのである。

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ハードル

2019-02-27 11:29:17 | 日記

 図書館から、雑誌太陽の中原中也特集を借りて来て読んだ。中原中也の詩を一番読んだのは、20代の半ばだったろう。それからほとんど手に取ることもなく、興味は次から次へと変わって行った。特集号に掲載されていた詩を読むうち、なんだか大切なものをいつの間にかどこかに置き忘れてきているような気がしてきた。それが何かはわからないが、なんだかとっても大事なものだった気がする。

 そんなこともあって、アマゾンに中原中也全詩集という文庫本を注文した。

 若い頃というのは、多くの人がハシカにかかるように哲学や心理学、宗教のような精神世界に触れるものに興味を抱くのではないだろうか。若者にとって、世界はまだ見ぬ世界で、想像もつかない広がりを見せている。その前に立って不安と戦うためには、なんでもいいから心の拠り所が欲しくなるものだ。

 が、大人になり、仕事や家庭を持つと、精神的なものなんてのはどうでも良くなって行く。とにかく目の前の煩雑な物事を、いかにうまくこなして行くかに力を出さなければならないからだ。だから、大人は若者に向かって「頭でっかちになるな」と忠告する。世の中を渡って行くには、頭脳以上に丈夫な肉体が必要なのだ。

 しかしながら振り返ってみると、頭でっかちにならなかったものの、屈強な肉体を持つこともなく、実に中途半端な大人として、行く当てもなくウロウロしているというテイタラクだ。若い頃は、どこまでも高く掲げたハードルを飛び越えようと理想を抱いていたものだが、いつの間にやら飛び越えやすそうな高さのハードルばかりを狙って、手っ取り早く飛び越えて来た自分に気づく。

 中原中也という人は、詩人として身を立てようと決心したときから、長屋のご隠居のように人生という舞台から下りてしまった感がある。「帰郷」という詩を読むと、人生の後半に突入したオッサンには、身につまされるものがある。

  (前略)

  これが私の故里(ふるさと)だ
  さやかに風も吹いてゐる
      心置なく泣かれよと
      年増の低い声もする

  あゝ、おまへはなにをして来たのだと……
  吹き来る風が私に云ふ 

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種を超える

2019-02-26 11:27:15 | 日記

 この前、NHKで介助犬のことをやっていた。盲導犬や聴導犬、介護犬などいろいろな働く犬を紹介していたが、セラピー犬というのもいた。解説がとても興味深く、「なるほどなあ」と納得したのが、人間は犬や猫などのペットに愛情を注ぐと「オキシトシン」という脳内物質が出るという。これは人間に優しさや愛情を感じさせるもので、脳内に放出されると人間は幸福感を感じる。ここまでは、ある程度の予測がつく話だったのだが、ここからが実に不思議な話だったのだ。というのは、人間の脳内にオキシトシンが放出されると、それを感知した犬の脳にもオキシトシンが放出されるというのである。そして、そうした相互作用が、種を超えて起こるのは、人間と犬の場合だけだということだった。

 おそらく原始の昔から人間と生活をともにするうちに、犬は人間の脳と自分の脳を同調させることができるようになったに違いない。そんなバカなことがあるかと思う人もいるだろうが、生物は自分の意思の力で、自分の体を変化させて来た進化の歴史は、いたるところで見つけることができる。

 リュック・ベッソンが監督した映画「グラン・ブルー」は、素潜りで世界新記録を狙う人たちの物語だったが、モデルになったフリーダイバーのジャック・マイヨールは、訓練の中であり得ないような肉体を手に入れた。素潜りで100メートルも深く潜る競技では、いかに血中の酸素を消費しないかが勝負の決め手となる。そこで選手は、体を激しく動かすことなく海底へと向かうのだが、ジャック・マイヨールはその際、血流のほとんどを脳だけに限り、全身の血流を止めていることが科学者たちによって証明されている。そして、この能力を持つ哺乳類は、クジラとイルカだけだという。

 あまりに人間に近い場所で生活するペットたちは、時々自分を人間だと思っている節が感じられるが、案外、種の垣根なんてのは、軽々と飛び越えられるものなのかもしれない。

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テオを描いてみる

2019-02-25 10:39:22 | イラスト

 我が家にやって来て5日目になった。初日には震えていたテオも、2日目にはだいぶ慣れ、3日目には庭を走り回るようになり、4日目には無防備な格好でゴロリと横になって寝るようになった。

 生え変わる前の歯が気持ち悪いのか、あちこちガジガジと噛むので、早速オモチャを買って来て与えているが、何でもかんでも噛んで確かめようという本能があるのか、人の髪の毛だろうが指先だろうが、ジーパンの金具だろうか、スリッパだろうが、枯れ木だろうが、とりあえず噛むことで認識しているように見える。

 たった4日だが、日一日と成長しているのがわかる。僕はトトの子供の頃はこんなだったかなと記憶の底を探り、タミちゃんはタミちゃんでドリの子供の頃はどうだったか忘れてしまったなあという始末だ。子犬の成長は早いが、人間のボケるのも同様に早い。

 トトのように真っ黒で、胸に少しだけ白いものがあるが、足の大きさをみる限りはトトのように大きくはなれない気がする。それでもイラストに描くと、トトと見分けがつかなくなるんじゃないかと思い、なるべくテオの特徴を観察して描いてみた。なんたってテオの最大の魅力は、クリクリした縫いぐるみのような黒い目だ。

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害獣防護ネット

2019-02-24 11:45:31 | 福島

 テオはオシッコ用のシートにもするが、家の中にシートをいつも広げておくのが嫌なので、なるべく外でしてもらうようにしている。が、中庭はドリやトトが逃げ出さないようにはしていたものの、まだまだ片手で持てるほどのテオには、簡単に逃げ出せる抜け穴がたくさんある。オシッコをさせるたびに逃げないように目を光らせているのは大変なので、ホームセンターに行って、逃亡防止のネットを探して来ることにした。

 畑の作物をカラスなどの野鳥から保護するネットにしようかなと手を伸ばすと、隣に害獣防護ネットというのがあった。1m×10mなので、サイズはおそらくドンピシャだ。早速購入して、中庭に張り巡らす。

 門扉の下の隙間も油断ならないので、ネットで塞ぐ。

 ドリ、トトが脱走しないように作った格子の扉も、テオには簡単にすり抜けられるので、ネットを張る。

 これで放っておいても、逃げ出す心配がない。「害獣防護ネット」は「脱走防止ネット」でもあるのだ。

 おそらく全速力で走るのは生まれて初めての経験に違いない。テンションが上がると、庭の隅から隅を走り回る。自分の能力に気づいた喜びは、人間と同じなのだ。

 でも、花壇に入り込み、悪い顔をして木をかじるのを覚えてしまった。毎日少しずつ知恵がつく。

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お気に入り

2019-02-23 11:28:22 | 福島

 子犬がやって来て3日目、すでに我が家は子犬を中心に回っている。早朝出ていた散歩は、テオを1匹で留守番させておくことはできないので、もう少し大きくなるまで中止だ。

 トイレは外に出すと大も小もするので、1時間おきに庭に出す。その度にオシッコをするのだが、それだけさせても間に合わずに家の中でしてしまうこともある。そこで庭を勝手に走り回れるように、害獣よけのネットを買ってきて、中庭にぐるりと張り巡らせて、出ていかないようにした。ほんのわずかな隙間でも通り抜けることができるし、おまけに黒いので夜は足元にいても見えない。これで脱走でもされたら、2度と捕まらないに違いない。

 初日には身を固くして、部屋の隅っこから動こうとしなかったが、さすがに3日目ともなれば、ドタバタと短い足で走り回っている。それでも早くも人間の手では捕まえられないくらいのスピードだ。

 ピョンピョン跳ねては可愛いと騒ぎ、丸くなって寝ている姿が可愛いと騒ぎ、テレビの画面を不思議そうに見ているのが可愛いと騒ぎ、すでに親バカ全開になっているが、お通夜のような毎日が続いていただけに、身近な場所で命が躍動しているのを見ているのは楽しい。我が家も春に向けてにぎやかになった。

 おっかない顔をしたシメ。

 まん丸い目をしたジョウビタキのメス。

 給餌台のヒマワリの種をくわえるシジュウカラ。

 ドリ人形と一緒にいるテオ。

 すっかりお気に入りだ。


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テオ

2019-02-22 10:37:49 | 福島

 昨日、朝一番で救護センターに行き、その場で黒い子犬を譲り受けることを決めた。受け付けで手続きを進めている間にも、子犬を譲り受けたいという電話が鳴りっぱなしだったようで、お昼には3匹いた子犬すべての譲渡先が決まったようだ。家を出るのがあと10分遅かったら、もしかしたら手ぶらで帰ってきたことになっただろうと思うと、譲り受けるタイミングがピッタリ合ったのかもしれない。

 初めての家に、しばらくはあちこち陰に隠れたり、小さく震えたりしていたが、夜になる頃にはずいぶんと慣れ、夜中の2時に家の中で大運動会を始めていた。朝、寝不足で起き出すと、部屋の隅っこにしっかりオシッコがしてあった。

 救護センターではポコと呼ばれていたが、親犬の素性がわからない雑種なので、成長した時にはどんな姿になるかわからない。ポコではあまりに子犬に特化した名前なので、やはり改めて名前をつけることにした。呼びやすい名前で、犬にとっても聞き取りやすい発音でなければならない。そうなると二文字くらいがいいのだろうが、あ行から順番に考えてもなかなかアイデアが出ない。

 今までに飼った犬たちが、「ミツバチのささやき」のアナ、「ニューシネマパラダイス」のトトと、映画の中の子供の名前に由来するので、今回も映画から見つけたい。それでふと浮かんだのが「ぺぺ」という名前だったが、タミちゃんが「保積ぺぺから」なんて言うのでやめた。本当は映画「ぺぺ」ってのもあったし、「カサブランカ」のジャン・ギャバンの劇中の名前なんだけどなあ。

 そこで、以前ふたりで映画を見ていた時に出てきた子供の名前を再考することにした。それはジャン・レノ主演の「プロヴァンスの休日」という映画で、その中に聴覚障害を持つ子供が出ていて、可愛らしかったのだ。名前を「テオ」といった。ただ、「テオ」という名前には僕にとっては少しだけ悲劇的な印象がある。というのは、炎の画家と呼ばれたゴッホが自殺した後、それまで兄を経済的に支え続けた弟テオも、半年後に精神を病んで死んでしまったからだ。

 さて、どうしようとひと晩考えることにしたが、朝になってみるとやはりこれ以外の名前は思いつかないような気がする。それに子犬の顔を見ていると、いかにも「テオ」といったふうな顔つきをしているではないか。

 

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救護センター

2019-02-21 11:08:07 | 福島

 朝の散歩中、救護センターで働いている人と時々顔を合わせる。犬が死んでしまったことを気にかけてくれていたのか、先日会った時には救護センターに子犬が保護されていることを教えてくれた。ただ、ネットに上げるまでは勝手に見せるわけにはいかないので、更新されるのを注意しておくように言われていた。

 昨日、夕食後にスマホをいじっていたタミちゃんが、突然「子犬がアップされている」と声を上げた。お昼に見た時には更新されていなかったから、午後にアップされたということだろう。スマホの画面には、兄弟犬3匹が写っていた。茶色いオスのポン、黒いオスがポコ、茶色いメスがリンとなっている。兄弟ながら、なぜか真ん中のポコだけが、毛が黒くてモジャモジャしている。雑種なので、1匹だけ毛色の違う遺伝子が強く出たのだろう。

 僕としては次に犬を飼うとしたら、比較しないためにもドリにもトトにも似ていない犬と考えていたが、ポコのとぼけた顔を見た途端、ふたりの意見は一致した。この犬しかないな、と。

 ネットに出るとすぐに貰い手が現れるというので、もしかしたら今日はいないかもしれない。ただ、こういうことは何事も縁なので、貰い手が決まっていたら諦めようと決めて、朝一番でタミちゃんが電話してみる。幸いにしてまだ決まっていなかったので、夕方にふたりで見に行くまで貰い手を決めないでおくことは可能か聞くと、それは無理とのことだった。

 仕方がない。それじゃあ僕が行くしかないと、救護センターが開くのを待って車で乗りつける。電話で黒い犬を見たいと告げていたので、会わせてもらえたのはポコだけだった。でも、顔を見た瞬間に、他の犬はあり得ないと悟ってしまったので、その場で即決してすぐに譲渡の手続きに入る。誓約書を書かされたり、これから行われるしつけ教室への参加やら体内に埋め込むマイクロチップの説明を受け、30分ほどで手続きは完了した。3匹の子犬はお隣の須賀川市で保護されたという。誰かが飼いきれずに持ち込んだのかと思えば、そうではないという返答だった。いまだに捨て犬というのが存在するのかと思うと、日本はまだまだ情の薄い国だなと感じる。

 ポコを助手席に座らせると、きちんと背筋を伸ばしてお座りしてこちらを見ている。なんだかトトそっくりで、不思議な気がした。子犬の間はポコでも可愛いかもしれないが、やはり名前はこっちでちゃんと考えてつけてやろう。捨て犬だったトトは、僕が貰い受けるまでトミーという名前で呼ばれていた。

 で、家に連れてきた黒い子犬はどうしているかというと、しばらくは初めての場所で臆病になっていたが、今はお日様の差し込む場所を見つけ出し、前脚に顎を乗っけて昼寝をしている。明日は写真をアップできるだろう。

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季節感

2019-02-20 11:45:32 | 福島

 いつものようにニットの帽子と手袋を身につけ散歩に出たら、生暖かい風が吹いていて、30分も歩くと汗が出た。2月も半ばだというのに、季節は早くも三月下旬から四月上旬の陽気だ。雪は降らず、糸を引くような春雨が道路を濡らす。

 九州ではすでに春一番が吹いたらしい。あまりの暖かさに北極海の氷が溶け、シロクマたちが餌を求めて島を占領するニュースが流れていた。スキー場は営業できず、早くも冬山は雪崩の危険性が出てきた。

 ここ三春町は、日本三大桜のひとつでもある三春の滝桜がある。目ぼしい観光と言えばこのくらいだが、毎年桜の季節だけは全国から人が集まる。中にはこの季節だけで1年の収入の多くを稼ぐ人もいるだろう。が、去年は満開の時期が1週間以上早まり、役所が用意していたシャトルバスは慌てて運用を早めた。各種催し物は即座に対応できないために、すっかり桜が散ってから開催という間抜けなことになってしまった。今年はそれ以上に開花が早まり、桜祭りの頃は桜の葉っぱを愛でることになるかもしれない。

 異常気象という。桜の開花がおかしいという。しかしながら、実のところ桜の開花は自然界の法則に従っている。植物によっては光の量の積算で花開くものもあれば、温度の積算で花開くものもある。桜は後者であり、ある一定の気温の積算がなければ花を咲かせることはない。そういう現象にはいたって従順なのである。

 本来季節を数値化するために発明された暦が、いつしか人間にとっては自然界の基準となってしまった。暦と季節がピタリと重ならなければおかしいと感じてしまう。暦は季節から生まれてきたのであって、季節には暦に従う理由はない。

 渡り鳥は春になれば北国へと旅立って行くだろう。それは春になったから旅立つのであって、日付を確認して飛び立つわけではないのである。

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無趣味

2019-02-19 11:34:23 | 日記

 Yahoo!ニュースに、日本人が年々無趣味になって行くという記事が出ていた。ガーデニングや旅行やドライブといった趣味が減る代わりに、微弱ながらパーセンテージが増えている趣味は、スマホゲーム、食べ歩き、ヨガなんだそうだ。

 時代とともに趣味のジャンルや傾向が変化して行くというのは、当然と言えば当然だろう。が、意外なのは、これだけ健康に気を使う人が増えているにも関わらず、定期的にスポーツをする人、スポーツのサークルに参加している人は数を減らしている。

 時代はどんどん便利になり、洗濯は全自動に、料理もどんどん手間が省けるようなものが出回り、交通機関もスピードアップし、どこへ行くにも近くなった。ということは、自由になる時間は昔に比べれば格段に増えているはずである。ところが、日本人はどんどん趣味離れしているというのだから、よほど仕事をしているか、まったく何にもしていないかのどちらかになるのだろう。

 海外旅行を趣味にしたいと言っても、時間もお金もかかってしまう。そんなことは無い物ねだりであって、自分の身の丈にあって遊べるのが趣味の世界のはずなのだが、現代の日本人は、遊ぶという精神的余裕でさえ持てないほどに追い詰められているのだろう。

 自由な時間が増えるほど、趣味を持つ人が減り、情報量の増加により趣味の選択肢が増えたにも関わらず、趣味を持たないというのはおかしな現象だ。これはもしかしたら莫大な量の情報が行き交う現代ほど、読書離れが進むというのと似ているのだろうか。忙しい人ほど熱心に遊ぶものだ。とすれば、現代生活は無気力になることを指向しているとも言えるのかもしれない。僕なんか、生きてることと趣味は同義語みたいなものなんだがなあ。

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