おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

ダサいはオシャレ

2022-09-13 12:02:27 | 日記
 テレビを見ていたら、最近はファッションモデルもあまり痩せているのはダメだというような話をしていた。つい最近までは何がなんでもとにかく痩せていなければダサいという風潮だったが、どうやらこういった傾向も終わりが近づいているように思える。

 そもそもモデルさんの体型が皆似ているというのは、洋服を作る側からすれば、ひとりひとり特徴ある体型の採寸をするよりも、モデル全員が同じ体型である方が手間が省ける。ところが見ている側からすると、モデルの誰もが同じような体型をしているから、ああいった体型がカッコいいのだと思い込む。

 流行はすぐに廃るからこそ流行なのであった。いつも同じものが好まれるようでは流行ではなくスタンダードになる。その時その時の社会の反映が流行とも言えるということだろう。

 昔の映画を見ていると、豊満な肉体を持つ女性がヒロインだった。それが「ティファニーで朝食を」のオードリー・ヘップバーンやミニスカートの女王と呼ばれたツィッギーあたりから、痩せて棒のような女性がもてはやされるようになった。ちなみにツィッギーというニックネームは、小枝という意味である。想像するに、多くの人が土に生きた時代には、たくましく豊満な女性が好まれ、世の中が豊かになり肉体労働から解放された時代には、痩せっぽっちで華奢な女性が好まれたということになる。となると、これからのいよいよ生きづらくなる世の中を想定するなら、「バイオハザード」のミラ・ジョボビッチみたいな鍛え上げられた体で戦うことができる女性というのが好まれるのではないかと予想がつく。

 おっさんである僕の経験から見ても、昔のズボンは裾がラッパみたいに広がったのがカッコいいと言われた時代があった。その後今後はくるぶしが見えるくらいちんちくりんなズボンがオシャレという時代になった。素足で革靴を履くのがオシャレと言われたり、ズボンをパンツがはみ出すくらい下げて履くのがかっこいいみたいな時もあった。

 わざわざダサくするのがあえてカッコいいと考える傾向は、今に始まったことではない。フランス革命の頃の王様のファッションなんて、クルクルにカールさせたロン毛のカツラを被り、首にはラジエーターみたいなひらひらな襟をつけ、タイツの上にカボチャのブルマーを履き、ハイヒールを履いていたのだ。今でこそ笑い者にしかならない姿だが、当時は最高にイケてるファッションだったのは間違いない。

 きっと今の流行も、次の時代の人間には、タイツにハイヒールの王様みたいに見えてしまうのだろう。そう思うと、流行を追うことに躊躇してしまう、ということがあっても、なんら不思議ではないのである。
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