おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

身近な変化

2019-09-30 12:59:14 | 福島

 今日で9月もおしまい。日増しに秋は深まって行く。

 散歩の途中で拾ってきた栗を剥いて栗ご飯を炊き、こんな美味いものがタダで食べられるなんてと舌鼓をうつ。

 それにしても、今年は彼岸花の咲き方が異常で、誰もがそのことを口にする。というのも、彼岸花は体内時計でも持っているかのように、毎年正確にお彼岸の前後1週間に咲き誇る。ところが今年に限って言えば、お彼岸前に咲いていたものもあれば、お彼岸を1週間もすぎた今頃咲いているものもいる。中にはまだ蕾のままのものもある。これだけバラバラに咲く彼岸花を見たことがない。

 都市に住んでいると気温の変化や日照時間くらいしか季節の移り変わりを感じないかもしれないが、昔から日本人は草花や虫や野鳥といった生き物に季節を感じてきた。それは気温の変化ほど身近には感じないかもしれないが、見過ごすことができない変化と言えるかもしれない。

 というのも、病気はいつだって一番弱い場所に発症する。体力のない幼児や老人から発症する。同じように環境破壊は目に見えないような場所から起こっているはずである。

 彼岸花の咲き方がおかしいというのは、生活する上ではどうでもいいようなことかもしれない。が、それがこれから起こるカタストロフの前兆かもしれないということを否定してしまうことは、誰にもできないだろう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャイアント・キリング

2019-09-29 11:26:34 | 日記

 ラグビーワールドカップで、日本チームが世界ランク2位のアイルランドに勝つというジャイアント・キリングが起こった。前回のワールドカップの時、何気なくつけたテレビでたまたま日本対南アフリカ戦をやっていた。ロスタイムに入り、日本が奇跡の逆転劇を演じた時、久々にスポーツを観てこれだけ興奮させられるのかと思うくらい感動した。そういうこともあって、にわかラグビーファンとなったアベさんは、昨日のアイルランド戦を楽しみにしていたのだが、再び大興奮させてもらったのであった。

 ジャイアント・キリングとは巨人を倒すということから、日本語では番狂わせという意味になる。ラグビーはスポーツの中でも番狂わせの起こりにくいスポーツと言われている。まず出場選手の数が多いことから、ひとりひとりの体調の影響が出にくいこと、手でボールを持って運ぶことからミスが少ないということ。その点、サッカーなどは足でボールを扱うため、頻繁にボールの支配者が変わり、得点も少ないことからちょっとしたミスが勝敗を分けてしまうことが多々ある。

 では、番狂わせの起こりやすいスポーツと起こりにくいスポーツを調べてみると、バスケや卓球、テニスのように得点を重ねていくというスポーツはひとつのミスでも取り返す余地が残されているので、番狂わせが起こりにくい。カーリングなどはちょっとしたミスショットが相手の大量得点に繋がったりするので、番狂わせは起こりやすい。

 野球はどうかというと、打撃戦の場合は打線に力のある方が勝ちやすいが、投手戦になるとエラーひとつが大勢を決定してしまうということがある。高校野球にファンが多いのは、実力通りの結果にならないことも要因になっているのだろう。

 ゴルフなどは孤独な自分との戦いのように見えるが、自然を相手にしているだけに、ショットの時の風向きや風力に差があり、条件自体が公平とは言い難い。

 番狂わせとか奇跡と言われているうちは、日本のラグビーはまだまだだと言うことになるだろうが、きっとこういう試合を観た子供たちの中には、将来ラグビーをやりたいという衝動を感じた子も多いことだろう。スポーツに限らず、どんな世界でも、世界の一流の技を見せられるというのが一番の宣伝になる。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

童話の木

2019-09-28 11:24:13 | 福島

 朝から庭のモッコウバラの剪定をした。玄関のフェンスに這わせているモッコウバラは、時期が来ると白い可憐な花を咲かせる。棘のないバラなので剪定するのは難しくないのだが、成長が早いので、少し放っておいたらピンピンと枝が突き出てみっともなくなる。庭先で人目に付く場所なので、きちんと剪定していないとあばら家みたいに見えてしまうのだ。

 滅多にしない剪定だが、我が家の木で一番の問題児が庭の真ん中に植えているフリーシアの木だ。別名ニセアカシア。アカシアの木に似ているが、葉っぱの色が柔らかな緑で見た目にも優しい。夏は、風に揺れる姿が実に涼しげだ。ただ、問題なのは成長がビックリするほど早いことと、鋭いトゲが幹や枝にあることだ。

 葉っぱの落ちた冬にはコリコリに枝を切り落とし、マッチの軸みたいな姿にまで刈り込む。これで大丈夫かと思うのだが、夏になればコリコリの幹から3メートルほどの枝がビッシリと伸びる。放っておいたら、あっという間に巨木になってしまうだろう。

 そんなことで毎年冬には剪定する。棘を通さない分厚い手袋をはめ、帽子を被り、完全防備で剪定に挑む。枝にロープを張り、引っ張ってもらいながらノコギリで一本一本切って行く。切り落とした枝は、さらに細かく裁断してゴミ袋に詰めていく。これだけで丸一日の作業だ。

 もし剪定しなかったら、一体どれくらいの高さになるのだろう。ひと夏で倍の高さに成長するニセアカシアの木を見ていると、「ジャックと豆の木」が自然と思い浮かぶのであった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

臆病もの

2019-09-27 10:52:47 | 福島

 朝、窓の外を見たら霧で真っ白になっていた。よく晴れ上がった秋空もいいが、たまには異界に紛れ込んだかのような幻想的な風景もいい。

 早速カメラを持って散歩に出かけるが、あまりに霧が濃いのでカメラを向けてもシャッターが切れないことが多い。近頃のカメラは頭がいいので、対象物がないと判断すると自動ではシャッターは切れなくなる。

 霧の濃い日というのは天気が良くなる前兆で、太陽が顔を出しさえすればあっという間に霧は晴れ、そのあとは晴れ間が広がる。天気予報では今日の福島地方は、日中30度くらいまでは上がるらしい。

 西日本の方は今日は雨というから、週末は天気が崩れるだろう。すっかり実ったお米だが、稲刈りは来週に持ち越すところが多いだろう。稲刈りが済み、殺風景になった田んぼがあちこちに出現すると、一気に秋は深まり、山々は紅葉に彩られる。ついこの前まで猛暑日が続いていたことを思えば、季節の移り変わりはびっくりするほど早いのだ。

 一緒に散歩していたテオが、突然唸り声をあげて何かを威嚇し始めたので、ウサギでも現れたのかと思えば、なんと蜘蛛の巣に向かって吠えていた。

 確かに昨日はその場所に蜘蛛の巣はなかったけれど、威嚇しなければならないほど怖いというのは情けない。根が臆病もののテオは、自分の家の中でも、見慣れない荷物が置いてあるだけで遠巻きにして吠えている。世の中、どっちかというと初めて見るもののほうが多いのだから、あんまり用心していると疲れちゃうぞ。

 それにしても「蜘蛛の巣」とは言うが、クモは罠を張っているだけで、巣にしているわけではない。鳥の巣と蜘蛛の巣では、同じ巣でも全然別物なのに、違和感を感じないのは不思議だ。きっと日本語を習っている外国人は戸惑うだろう。例えば、サバ缶は鯖の缶詰なのに、猫缶には猫が入っていないのと同じようなものだ。日本語というのはかなりいい加減なことでも通じてしまうのである。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栗を拾う

2019-09-26 12:08:31 | 福島

 朝から爽やかに晴れ上がった。放射冷却で長袖を着ていても涼しいほどだが、空気中の埃やチリが舞うことがないので、空は秋らしく青く高い。

 週末には天気が崩れるらしいので、そろそろ稲刈りをするところが出てくるんじゃないかと思っていたら、昨日までなかった稲のはせがけができていた。今年は気温が高く雨も適度に降った上、台風による被害もなかったので、きっといいお米がたくさん採れたに違いない。

 テオがいきなり吠え始めたので、一体どうしたのかと見てみると、はせがけに向かって吠えているではないか。確かに昨日まで黄色く色づいていた稲穂の揺れていたところに、突如として見慣れない物体が立っているのだから、臆病なテオはどうしていいのかわからないのだろう。とにかく、テオは初めて見るものに関しては、間違いなく最初は吠える。まだまだ教えなければならないことは多いらしい。

 めっきり涼しくなってきたせいで、少しばかり木々の葉っぱが色づいてきているようだ。夕方の散歩に出ると、日が短くなったこともあり、帰宅することには薄暮に包まれる。薄暗がりの中をコウモリが、ヒラヒラと不思議な動きで飛び回っている姿を目にするようになった。

 気持ちがいいので、空ばかり見て歩く。

 でも、足元を見てみると、所狭しと栗が転がっている。木から落ちた衝撃で中身が飛び出しているようで、トゲに注意しなくても、栗ご飯を作れるくらいはすぐに拾い集めることができた。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イグノーベル平和賞

2019-09-25 11:21:24 | 日記

 16歳の少女が国連で演説し、「私たちは大絶滅の始まりにいる。それなのに、あなた方が話すことと言えば、お金や永続的な経済成長というおとぎ話ばかりだ。よくもそんなことを」と涙ながらに訴え、世界中で反響を呼び起こしている。小泉さんも会場にいたようで、「よくもそんなことをというのは胸に刺さった」と他人事のような感想をとりあえず述べていた。というのも、日本は原発停止により、将来的には石炭燃料による火力発電所の新設まで考えているのである。

 環境問題の難しさは、徐々に破滅的な時期を迎えるのではなく、お風呂の水が溢れるように突然に後戻りできないことになるからである。人類が大絶滅の始まりにすでにいることは誰の目にも明らかだろうが、多くの人は大惨事になるのはまだまだ先の話だと思っている。

 演説を終えた少女は、経済推進派の人たちからは病んでいると非難されている。トランプさんは、「明るい未来が待つハッピーな少女」と皮肉たっぷりだ。おまけに、少女がノーベル平和賞の候補になっていることに不満なようで、自分こそが平和賞にふさわしいとお怒りのご様子だ。

 さて、そういう人たちにはノーベル賞とは別の、風変わりで妙ちきりんな研究に与えられるイグノーベル賞でも与えたらどうだろうとふと思った。トランプさんや北の将軍様などはイグノーベル平和賞の最有力候補だろう。そんな空想をしていたら、イグノーベル賞にはすでに平和賞があるではないか。

 例えば、水爆を発明し「水爆の父」と呼ばれるエドワード・テラー博士は、生涯にわたり我々に平和の意味を改めて考えさせてくれるために努力した、という皮肉たっぷりの理由で賞を与えられている。

 ノーベル平和賞の受賞は民間人に限るとし、世界中の指導者たちが受賞できるのは、イグノーベル平和賞だけとしたほうがよほど実情を反映していると、少女の演説をニュースで見ながら思うアベさんであった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋風の中で

2019-09-24 11:06:33 | 福島

 せっかくの休日というのに、台風の影響で朝から小雨の降っていた。裏の草刈りをしたり、庭のモッコウバラの剪定をしようと予定を立てていたが、びしょ濡れになってまでやる根性はないので、午前中は次回のロジマ出店のための額作りに励んだ。

 お昼には壊れたCDプレーヤーと、ボロボロになって買い替えを考えていたガスコンロを買いに行くことにした。ガスコンロは予定内の2万円程度のものにしたが、CDプレーヤは予定になかったのでなるべく安いものを探した。結局昔流行ったウオークマンのCDプレーヤー版みたいなのを3000円ほどで買った。ステレオにつないで使うので、スピーカーがなくても大丈夫なのだ。予定よりかなり安くついたので、お昼はそのまま以前から気になっていたタイ料理屋に行ってみることにした。我が家でもタイカレーは提供しているが、タイ人が作る本場のタイ料理を食べて見たかったからだが、値段が高いばかりで我が家の方がうまいぞと思いながら食った。

 台風は午後3時には遠ざかったらしく、青空が広がってきた。少し早いがテオと長い散歩に出ることにした。空には台風から飛んできた大きな雲が、ものすごい速さで移動して行く。

 それにしても、人間の気分というのは、天気ひとつで簡単に変わるものだ。雨が降れば散歩に行くのが億劫になるが、青空が広がれば少しでも早く出かけたくなる。昔から悩みを抱えて閉じこもっている人には、外に出て体を動かしなさいとアドバイスするが、本人が思っている以上に、じっとしていることが悩みを必要以上に大きくしていることがある。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒い猫、黒い犬

2019-09-23 15:42:07 | イラスト

 黒い猫を描いた。黒い色の毛並みというのは、トトの場合がそうだったが、毛並みの光かたや影の具合を描いていくとリアルになりすぎるし、それを無視すると黒一色になってしまってあまりに単純になりすぎる。が、今回はあえて単純な色面にすることで、イラスト色を強く打ち出した。

 成功しているかどうかは怪しいが、こういう絵も混じっていいかなという感じだ。

 この前ロジマに出した時に、「黒柴はいないんですか」というリクエストがあったので、柴犬でも黒と茶色の毛並みの黒柴も追加しておくことにした。

 普通に描くと、結構シベリアンハスキーに近い顔をしていることに今回気づいたが、柴犬らしさを強調するため、かなりの頭でっかちににしてみた。なんたって麻呂眉が特徴的で、笑った顔にしてもどこか困った感じが出てしまい、なかなか難しい。

 とりあえず、ロジマ出店分のイラストはこのくらいで区切りをつけ、これからは10月に目白押しの美術展に出品する絵を考えることにしよう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引き続き猫

2019-09-22 11:39:07 | イラスト

 昨日に引き続き、猫のイラストをアップする。

 犬に比べて品種は少ないかもしれないが、実際には知らないだけで、最近はかなりの数の品種改良が行われてはいるだろう。それでも、変わった猫を飼っている家というのはまだまだ限られているんじゃないだろうか。あちこちで目にする猫は、大体が三毛猫か白か黒が多い。たとえ、高額で珍しい猫を飼っている家があったとしても、犬のように外を散歩させるわけではないので、やっぱり目にする機会は少ない。

 さて、この前描いた犬のシリーズと今回の猫シリーズには、共通した箇所がある。それはどちらも実際よりも頭を1.5倍ほど大きく描いているということだ。リアルさを追求しても、絵として可愛くなければ面白くない。極端にデフォルメすると漫画っぽくなってしまう。その中間地点を狙うのが、写真とは違った絵の面白さなのかもしれない。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猫を描こう

2019-09-21 11:47:48 | イラスト

 10月にもロジマに出店することにした。前回、犬をメインにイラストを並べたが、次は猫も描いて一緒に並べてみようと考えている。但し、犬のようにデカイのから小さいのまでバリエーションには富んでいないので、模様が違うとか毛の長さが違うとかはあっても、犬ほどの変化に乏しい。ポーズと表情で、様々な猫を描くしかないかなとも思うが、猫っぽいポーズというのも案外限定されている気もする。

 とりあえず描いてはみたが、とても満足な出来とはいかない。あんまりリアルに描くと可愛くないし、かと言ってキャラクター化を進めると、キティちゃんみたいになってしまいそうだ。

 朝の散歩に出かける準備をしているとき、NHKを流していたら、「あの人に会いたい」という番組をやっていた。最近死んだ有名人の生きていた頃の映像を流す番組で、ラグビーのワールドカップが始まったのにちなんでか、ミスターラグビーと呼ばれ若くして死んだ平尾誠二さんの回だった。見るとはなしに見ていると、平尾さんはラグビーに根性とか忍耐とかを期待するなら、滝にでも打たれたほうが手っ取り早い、ラグビーの面白さとはそんなことではないという話をしていた。では、ラグビーの魅力とは何かと言えば、それはできなかったことを自分の意志と努力でできるようにすることだと述べた。

 これはラグビーだけにかかわらず、もしかしたら僕らの人生全体に通じるものかもしれない。極端に言えば、人間はそのために生きているとも言えるかもしれない。子供の頃からの僕らの努力とは、すべてできないことをできるようになるするためではないだろうか。それは偶然達成できても大して面白いものではない。自分の意志と努力でできるようになった時こそ、僕らは幸福を感じるのである。

 そういうことだから、もうちょっと頑張って猫の絵に挑戦しなきゃな。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする