おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

ソメイヨシノ前夜

2024-04-01 11:29:36 | 12音詩
 すでに日本各地で桜の開花宣言が出ているようだが、残念ながらうちの近所のソメイヨシノの蕾は固い。すぐ近くの磐越東線の舞木駅では毎年桜のライトアップをするのだが、今年は4月4日点灯予定になっているが、どうやら開花の時期と重なりそうで、ちらほら咲いた桜の花をライトアップすることになりそうだ。

 ソメイヨシノはまだだが、早咲きの桜はすでに開花している。我が家の裏庭に生えている桜はヒガンザクラだろうか、すでに三分咲きになっている。散歩の途中も、紅色が濃い桜があり、我が家ではそれを桜特有の可憐さがないので「お化けザクラ」と呼んでいるが、一気に満開になりそうな気配である。



 春の花と言えば「桜」を思い浮かべる人が多いだろうが、東北では春が遅く、スプリング・エフェメラル(春の妖精)と呼ばれる虫や草花も春を象徴する。葉っぱを落とした雑木林の林床に春の暖かな日差しが届くようになると、カタクリやキクザキイチゲ、ニリンソウなどの花が咲く。ギフチョウなども同じように春の妖精である。





 今日は春霞がかかる中、1週間ぶりにランニングに出た。山々は霞み、南風が吹き荒れ、なかなか前へは進まない。途中で水分補給していると、頭の上でヒバリが盛んに囀っていた。すかさずスマホを取り出し、メモ帳に書きつける。

「ひばり巻き上げ南風」

 風はまだ冷たいが、あちこちで梅の白い花が満開になり、気分はどんどん盛り上がって行く。

「川よ雲よもっと先へ」
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久々にひねる

2024-03-28 11:16:33 | 12音詩
 テオを連れて散歩する時、持って行くカバンには、散歩の七つ道具が入っている。テオが用を足した時のためのビニール袋、テオをブラッシングするためのクシ、余計な毛を切ったり、花や野菜を切って持ち帰るためのハサミ、それからメモ帳と筆記道具だ。

 メモ帳と筆記用具は、散歩をしながら思いついたことを書き留めるためで、一番書き留めているのは、僕が勝手にオリジナル俳句だと言っている12音の俳句である。普通の俳句が五七五の計17音なのに対し、オリジナル俳句は5音少ない12音で、五七五のような決まりはなく、総数が12音になればOKにしている。



 のんびり春を陽を浴びながら、空を見上げ、雲を追いかけ、足元の花々を見たりしていると、何気ない言葉が浮かんでくる。それを12音にまとめてみる。句の出来はどうでも良く、ほとんど頭の体操である。いつかやってくるであろうボケのため、今から脳みそを使う習慣をつけている。

 ただ、12音しか使えないというのは、ネタがつきるのが早い。最初の1年はせっせと作ったが、2年目になるとグッと句数が減ってくる。この半年ほど、そういうことをやっていたことさえ忘れていたので、早くもボケかけているかもしれない。



 そこで最近は久々に歩きながら一句ひねっている。

「菜の花と風の音聞く」



「山の影のへりを歩く」



「おおい、聞こえるかカラスよ」



「腕をまくって春の風」
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派手にコケ納め

2023-12-30 10:59:51 | 12音詩
 昨日、走り納めをするつもりでいたが、夜中から頭痛がして結局1日頭が重かった。肩もひどく凝っているし、眼精疲労かもしれない。で、何もできないまま1日が終わり、今朝はスッキリと目覚めた。

 さあ、昨日やれなかった分まで今日は頑張ってやるぞと張り切る。朝から快晴、風はなく気温も高い。年の瀬とは思えない陽気にテンションが上がる。

 朝食後、すぐに着替えてランニングに出発だ。今年の走り納めなので、いつもより気合が入る。今季最高記録か、最長距離を走るか、とにかく記録に挑戦だ。

 で、脇目も振らず走り続け、かなりいいタイムで折り返し地点までやってくる。あと50メートルとなり、歯を食いしばり記録更新を狙って全力で走っていたら、ちょっとした下り坂でつま先が引っかかってしまった。あっと思った時にはもう遅い。体を立て直すほどの筋力は残っていない。天と地がぐるぐると回転したかと思うと、アスファルトの上で転がっていた。

 幸い人気はなく、誰も僕の派手に転ぶ姿は見ていないが、下り坂でズルズルと擦れ、全身はヤスリで擦られたように痛む。右膝のジャージには大きな穴が開き、両手の掌は擦り切れて血がにじんでいる。骨には異常はないようだが、手をついた拍子に手首を痛め、右膝と右肘がビリビリと痺れている。

 走り納めどころの話ではない。これではコケ納めではないかと、我ながら呆れる。そもそもランニングシューズが、普通耐久距離が700キロくらいのところを、僕の靴は1000キロを越え、靴底がすり減ってビーチサンダルみたいになっている。そのせいか、今日のランニングも、何度かつま先が引っかかることがあったのだ。年が明けたら靴を新調しようと考えていたが、ちょっと遅かったか。

 すっかりランニングモードではなくなったので、帰りはのんびり走った。途中、来る時には目もくれなかった白鳥の群れを観察し、飛んで行く白鳥の群れを羨ましく眺めていた。「僕を置いてかないでよぉぉぉぉ」

 というのも走りながら12音俳句をひねっていたからで、その句は「白鳥の影踏み走る」だったからである。







 ついでなので、遠くの山並みを眺めながらもう一句。「雪山を越えて 雪雲」

 家に帰って着替えると、ジャージの下に履いていたランニング用のタイツにも穴が開き、膝に10円玉ほどの擦り傷ができていた。
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キツネの訪問

2023-03-15 11:45:45 | 12音詩
 昨日、久しぶりに阿武隈川の土手を走ったら、あれだけいた白鳥が一羽もいなくなっていた。以前に春分の日に出かけていないのは確認していたが、今年は早くも北へと飛んで行ってしまったようだ。そこで早速チェック(蔡句)する。

 さらば白鳥 春の空

 自然豊かで、野生動物も多いこの辺だが、今朝はビックリした。というのも、朝の散歩から帰り、朝飯までの時間、ふと家の裏の空き地に目をやると、野良犬がひょっこり現れた。と思ったら、それは野良犬ではなく、キツネだったのだ。細長い胴体に細長いシッポ。「キツネ、キツネ」と思わず声を出す。

 キツネはそんな僕の声に反応したのか、家の中から見ている僕のほうを見た。正面から見たその顔も、まさしくキツネである。

 我が家の裏庭には、キジが来たりキツツキが来たりする。珍しいところでは2度ほどウサギを目撃した。が、キツネは初めてである。散歩の時に鶏を飼っている近所の人から、キツネが鶏を狙ってくるという話を聞いてはいたが、本当にキツネなのかどうか疑っていた。今まで散歩の途中でキツネに遭遇したことはあるが、どちらも我が家から1キロ以上離れた場所で、民家もまばらな場所である。田舎とはいえ、この辺は住宅密集地なので、この辺までやって来るとは思っても見なかった。

 地形の関係で、人目に付かずにキツネが移動できるのかもしれないが、一体何を食べて命を繋いでいるのだろう。気になることはたくさんあるが、再び我が家を訪れてくれることはあるのだろうか。

 とにかくここでチェック(蔡句)。

 狐が一礼して行く
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どっちを向いても春

2023-03-06 11:30:55 | 12音詩
 昨日は気温がぐんぐん上がり、お昼過ぎには15度になった。朝は氷点下だっただけに、「あったけ〜」と思わず独り言が出る。こんなに天気がいいのに家の中でじっとしているということはあり得ない。首にカメラをぶら下げ、テオを連れて散歩に出る。



 白い雪を被った安達太良山が輝いていたので、早速写真を撮っていたら、通りかかった人が「今日はいいねえ」と声をかけて行く。「まったく素晴らしい日です」と返事をする。





 雪がまったくないので、足元には早春の草花が顔を出している。目立つのは小さな青い花をたくさん咲かせたオオイヌノフグリだ。花は次々に萎んでは新たに出てくるので、いつでも地面には青い星が広がっている。思わずメモ帳を取り出すと、一句書きつける。



「ここにイヌノフグリの宇宙」





 踊り子草もちらほらと顔を出している。福寿草は黄色い花を咲かせている。

「福寿草 咲いて三月」



 どうでもいい話だが、「12音ひねくり出し句」とオリジナルの俳句を命名したが、どうにも長くてしまらない。何かいい案はないかと考えていたら、「蔡」という字が、「チェ」と発音して中国人の名前などに使われているという。意味は「草むら」というようなことらしい。ということなら、「蔡」と「句」をくっつけて「蔡句」というのはどうだろう。読みは「チェック」だ。これなら、ふと一句詠もうと思ったとき、「ではこの辺でチェック」と言えるのである。

 本当にどうでもいい話だけど。
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立春の散歩

2023-02-06 12:25:01 | 12音詩
 昨日、夕方の早い時間に散歩に出た。珍しくタミちゃんが長い散歩に行こうと言い出したので、いつもより早く家を出て、いつもとは違う阿武隈川方面へ向かって散歩した。



 暦の上では立春を迎え、おそらく西日本ではそろそろ春の気配を感じているに違いない。この時期だと暖かい地方では菜の花が咲いているだろうし、福島県でも南の海岸線に位置するいわき市あたりで早くもスプリングエフェメラルの福寿草の便りが聞かれる。とは言え、内陸のこの辺は注意して観察しても、福寿草はまだまだ目を出したばかりで、花が咲くまでにはまだひと月はかかるだろう。



 散歩をしながら、考えるともなく12音のひねくり俳句を指を折って考える。勝手にオリジナルと称して始めた12音のひねくり出し俳句も、すでに一年以上経った。近頃は季節をひと巡りしたせいで、マンネリ化してきているのを感じる。創作において、マンネリほど避けたいことはない。





 「雪道 犬が座っている」

 「ひっそりゴミ漁るカラス」

 立春は過ぎたものの、東北に春が訪れるのは、まだまだ先なのだ。
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尋常じゃない

2023-01-25 11:47:42 | 12音詩
 朝起きたら、何もかもがカリカリに凍っていた。窓は氷で覆われ、テオとアンのための水を入れた容器も氷が張っている。夜中に起きて食事をするアンは、明け方には水が飲めなかったに違いない。

 家の中が凍っているくらいなので、朝の散歩は気合を入れて出発しなければならない。夜の間に雪は積もらなかったが、夜明け前から吹雪いている。あまりの寒さに、雪まで凍りつき、雪というより埃のような状態だ。おまけに風が強いので、地面に落ちた雪が再び舞い上がり、辺り一面霧がかかっているようだ。





 今日の最高気温はマイナス4度ということで、エアコンを入れて習字を始めたら、昨日洗った筆先が凍っていた。仕方ないので、水で洗い凍りついた筆先をもう一度整える。

 最近の家はオール電化で、車まで電気自動車になりつつあるが、寒さの厳しい地域では、電気に頼るのは危険だ。大雪で車が立ち往生した時、電気自動車では暖房までバッテリーに頼ることになる。ガソリン車なら予備のガソリンを積んでおくことはできるが、電気自動車の場合、高速道路などでバッテリーが切れたらどうなるのだろう。

 あまりに寒いので、手がすぐにかじかむため、習字も少し書いてはコタツに避難する。ついでなので、最近書いたひねくり12音詩をパソコンに入力する。



 「夕日暖めて坂道」



 「枯れ葉踏む君の足音」
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金木犀の道

2022-10-03 11:06:34 | 12音詩
 夕方、暗くなる前にと散歩に出ると、すぐにあたりが金木犀の匂いが満ちていることに気づく。一斉に花が咲くということで言えば桜だが、匂いで咲いていることにいやおうなく気づくといえば、金木犀以外には思いつかない。そこで、早速足を止め、散歩用のカバンからメモ帳を取り出し、一句書きつける。

 金木犀の道を行く

 普段はまったく存在に気づかない金木犀だが、咲いてみればほとんどの家の庭に植わっているからびっくりする。住宅街を歩けば、抜けるまでは金木犀の匂いに包まれるのである。

 ギーと鳴きながら、一羽の鳥が電線に止まった。仕切りに長い尾を上下させているので、すぐにモズとわかる。見慣れない野鳥なら、目を皿のようにして観察するのだが、モズとわかれば立ち止まるほどのことはない。

 尾っぽ振るモズさようなら

 あちこちで稲刈りが始まり、昨日まで黄金色に輝いていた田んぼが殺風景になっている。いつの間にか、刈り取られた田んぼが増え、秋が歯抜け状態になって行く。

 また田一枚刈り取られ

 道端の草むらからはコオロギを筆頭に、さまざまな虫の鳴き声が聞こえる。早朝は、アスファルトの道路が冷たいせいで、草むらから飛び出してきた虫が、動けなくなっているのに遭遇する。ヘビなどの爬虫類、カエルなどの両生類、そして昆虫などは変温動物のため、体が冷えると動けなくなってしまうのである。そのせいで、道端には車に轢かれてペシャンコになったヘビやカエルや虫たちの姿があるが、まだ車の餌食になっていない場合は、草むらへと逃してあげる。最もヘビは別だが。

 足元のバッタを放す

 句をあれこれひねりながら歩いていると、思いはどんどん別の方向へと外れ、俳句とは呼べないものばかりできあがる。川柳でもなく、ただのつぶやきに近いものがメモ帳に書き留められて行く。

 「人類の発展」と考えるは人類だけ
 人生を人任せにする

 人の上に立ち、人を使うような立場になると、いろいろ指示を出すようになる。人を動かすということが、地位が高いということなのだろうが、考えてみれば他人に仕事を任せるということでもある。自分でやれることを人にやってもらうというのは、自分の人生を他人に生きてもらうのとあまり違わないような気がするのは、僕が組織と無縁な生活を送って来たためだろうか。
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夕暮れの散歩

2022-09-14 11:53:25 | 12音詩
 夕方、テオを連れて早めに散歩に出た。夕方の散歩はいつも短めだったため、たまには夕暮れ時の風景を味わってこようという気になったのだ。



 朝日とは違う太陽光線に、同じコースを歩いても、風景はまるで違った顔を見せる。





 メモ帳を取り出すと、いくつか句を書きつけておく。朝の散歩に比べ、夕方の散歩はウオーキングをする人に会うこともなく、虫の声や野鳥の鳴き声以外は何も聞こえず、静かな静かな秋の中を歩くことになる。

 一日ごとの秋の風
 お宮の太鼓と虫の声
 ひと夏だけのツル伸ばす
 雨上がり光る丸い月





 歩きながらキョロキョロしていると、「あれ、この感じ、知ってるぞ」という気分になる。いわゆるデジャブというものだが、これだけ毎日同じ景色を見ていれば、いつか見た光景を思い出しているだけかもしれない。

 最近は滅多にないが、子供の頃は不思議とデジャブを感じることは多かった。「これ知ってるぞ」とか「これからこうなるんだよな」と、まるで自分が予言者にでもなったかのように、今起こっていることを先回りして感じることがあるのだ。もしかしたら、子供の頃というのは、まだ脳みそが未発達で、データの読み間違いみたいなことが時々起こっていたのかもしれない。

 デジャブがどうして起こるのか、こういう説を聞いたことがある。人は見たり聞いたりした刺激を脳みそに取り込み、すべてを記憶しておく。ただしすべての記憶を常に思い出していては普段の生活に支障が起こるため、必要なものだけを思い出すことができる。順序で言えば、外部から刺激を受ける。脳の中の机の引き出しに整理して入れておく。必要な時に脳の中の机の上に取り出し、記憶を呼び戻す。ところが、今受けている刺激を引き出しにしまう前に、ひょいと机の上に置いたりすると、引き出しの中から取り出した記憶と混同して、すでにしまっておいた記憶を取り出したような錯覚に陥る。これがデジャブとして現れるというのだ。

 それぞれの個人の脳みそで起こることなので、この説が正しいのかどうか証明しようがない。ともかくも、数十年生きてきて、毎年同じような記憶を積み重ねていくのだから、今見ているものがすでにどこかで見たことがあるものであっても不思議ではない。それでもその度に新鮮に感動できるというのは、面白いことなのである。

 そんなことを、プラプラ歩きながら、ぼんやり考えてみる夕暮れの散歩なのであった。
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旅支度

2022-09-03 11:58:07 | 12音詩
 朝、アンとタミちゃんに留守番を任せて、テオを連れ、ひとりと1匹で散歩に出る。台風の影響なのか不安定な天気が続き、いつ雨になるかわからない。今朝もポツポツと落ちてくる雨の中、傘をさして出かけたが、幸い5分もしないうちに雨は上がった。

 雨に濡れた道路には冷たい空気が立ち込め、草むらからはコオロギの声が聞こえてくる。ひとりと1匹の散歩では話す相手もいないので、いつもよりもあたりをキョロキョロ見回し、いろんな音に聞き耳を立てる。テオの◯ンコを取るために肩にバッグを下げているが、いつもこの中に小さい手帳とボールペンを入れている。こういう日は、ただ歩いているだけではもったいない。頭に浮かぶ言葉を書きつけながら、12音になるように、少ない語彙をひねくり回す。

「犬と歩く雨上がりの空」

 途中で、知り合いに何人か会い、その度にテオはオヤツをもらう。相変わらず人間に対してよそよそしいテオは、なかなか頭を撫でさせようとしないために、知り合いの多くはそのためにいつも犬のオヤツを用意してくれているのだ。ところが、テオときたら、手のひらのオヤツを食べるとすぐに後退りして、相手をガッカリさせてしまうのである。もっとも、そのせいで次回こそはテオを手なずけようという気にさせるのだが。

 それにしても、雨が降ったせいかいつもよりウオーキングをしている人は少ない。蝉の声も聞こえず、野鳥もまだ目を覚ましていないようだ。

「濡れて木槿の花静か」

 田んぼの稲は水滴をつけて頭を垂れてはいるが、どの稲穂も痩せて小さいように見える。田んぼの上を一羽のツバメがスーイと低空飛行で飛び回っている。ついこの前までは多くのツバメが飛び交っていたが、いつの間にかほとんど姿を見せなくなってしまった。もしかしたら今目にしているツバメが、最後に残ったツバメなんだろうか。

「旅支度 九月の燕」
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