福島にやって来て、ふたつの美術団体に属している。以前はもうひとつ入っていたが、同じようなことを三か所でやっても意味がないと思い辞めることにした。
で、ふたつの美術団体は同じ悩みを抱えている。それは若者が入会しないために、高齢化が進んでいるということだ。正確には進み過ぎていて、消滅の危機にある。「最近の若者は絵なんか描かないのかねえ」というのが、会に若い人が入らない理由だと考えている人が多いので、僕はその度「そんなことはありませんよ」と説明している。
僕が三つ入っていた会のひとつを抜けた理由でもあるのだが、会場を借り、数日間美術展を開催する。見に来てくれるのは、会員がハガキを出して招待した人たちがほとんであり、付き合いで見に来てくれる人も多い。数少ない発表の場としては意味があるのかもしれないが、あまりに手応えがなさすぎるのである。
今はネットの時代である。若者の多くはSNSを通じ、世界中の人たちと簡単に繋がることができる。ダンスにしても料理にしても、自分ちのペットにしても、SNSにアップすることで、天文学的な数字のアクセス数になることもある。中にはそれを機に仕事にして行く人もいる。どこかの団体に属し、マネージメントしてもらって世の中に出るなんて回りくどい方法を取らなくても、自分の力で世界へ飛び出していける仕組みができあがりつつある。
江戸時代、絵を描くというのは大商人や殿様や大寺院から頼まれ、襖や屏風に絵を描いた。この世にたったひとつの作品である。江戸時代も中期になると大衆文化が花開き、それまでの一点ものの絵に変わって、大量に印刷できる浮世絵が登場した。葛飾北斎や安藤広重といった浮世絵師たちは、金持ちのパトロンのためではなく、大衆を選んだのである。
さて、昔ながらの美術協会が、近所の公民館を借り、知り合いに招待のハガキを配って観客を集めるというやり方で、どれほど今の若者の気持ちをつかむだろう。その辺のところが、年配の人たちにはピンと来ないようである。
音楽だって、一度も生の音を聴いたことがないミュージシャンのファンになれる。絵の世界だって原画など見なくても、好きな画家の名前を挙げることができる。デジタルの世の中というのは、コピーで拡散することができる社会なのである。
僕らは時代とともに生きていると信じているが、どうやら時代の方が僕らよりも足は早いようだ。ウクライナに侵攻した世界第二位のロシアの軍隊をニュース映像で見ていると、大量の重戦車がぬかるみの中を進軍する様子が映し出されている。今の時代の戦争は、人工知能を駆使したり、サイバー戦で相手を無力にしたりといった戦い方をするんだとばっかり思っていたら、いまだ泥ん子になって大勢でワーワーやっている。
時代は便利なものを次々に生み出して行くが、人間は泥まみれになってもたもたしているようにしか見えない。