明治初期、イギリスからひとりでやって来て、日本人の通訳を雇い、東北、北海道と旅したイザベル・バードさんの「日本奥地紀行」をのんびり読んでいる。今、ようやく半分ほど読み終え、イザベルさんは秋田にいる。
江戸幕府から明治政府になり、日本は開国後に欧米諸国のモノマネをせっせと始めたが、かろうじて西洋っぽくなったのは東京などの大都市だけで、一歩郊外に出れば、外国人など見たことがない日本人だらけなのである。イザベルさん行くところ、ゾロゾロと群衆が行列を作り、村の警察が「あっちへ行け」と言っても「外国の女を見るなんて一生に一度のことだから放っといてくれ。おまえが独占したいだけなんだろう」と、イザベルさんにはプライベートも何もあったもんではない。そんな状況なので、公の歴史書には書かれないことばかりが記録されているし、イザベルさんもそれを意識している。
日本人はとても礼儀正しく親切な国民だし、重大な犯罪を犯すような人たちでもないと、イザベルさんは書く。が、そのすぐ後に「しかしながら道徳心は欠落している」と書いている。礼儀正しく親切な国民なのに道徳心がない、とは一体どういう意味なんだろうと、勝手に想像を膨らませてみるに、おそらくこういうことじゃないのだろうかと僕は考えている。
当時、東京ではチョンマゲを切り、洋装に身を包んだ日本人もいただろうが、地方に行けばまだまだ江戸時代のままの日本がそこにはあった。民俗学者の宮本常一さんの「失われた日本人」という著作でも、昭和初期まで田舎の生活は江戸時代とほとんど変わりがなかったと書いている。
で、イザベルさんの著書によれば、田舎の人たちは男は裸にふんどし一丁、女は裸に腰巻ひとつというのが、普通の出で立ちなのである。おそらく立ち小便も当たり前だっただろうし、人前でタンを吐くことも日常だっただろう。そういう人たちを見れば、確かに道徳心が低いと見られても不思議ではなかったかもしれない。
テレビで時代劇を見れば、舞台はほとんど江戸である。が、江戸に住む侍や町人が日本全体を表していたと思えば、それは大きな勘違いである。昭和初期まで、日本人の9割はお百姓さんだった。農家の仕事では、男女の区別はほとんどない。田植えや稲刈りには女性も参加するし、よその家の農作業の手伝いもする。仕事は村全体で行うことであり、そのため誰かが失業するということもなかった。たとえ旦那に死に別れ、後家さんとなっても仕事はいくらでもあったのである。イザベルさんも、日本では女も仕事を持ち、たくましく生活していると感心している。
そんな時代だったので、男女の区別というのはたいした意味は持たなかった。男も女も裸同然で暮らし、家では雑魚寝が普通であり、銭湯や温泉は混浴が当たり前。男女の不倫は、遺伝子検査ではっきりさせる必要もなく、村で産まれた子供は村全体で育てたのである。だから、出稼ぎで家を留守にする夫は、出稼ぎに出かけない家に、家族の面倒をお願いして働きに行った。
今でこそジェンダーフリーが社会問題になり、日本における男女差別が世界的にも遅れた状況にある。が、実は明治政府は、男性は社会に参加し、女性は家事を行うという欧米諸国の習慣を見習おうとしたのである。裸は恥ずかしいことであり、銭湯も男湯女湯でなければならない。男は外で働き、女は家事や育児に勤しむ、といったことを国策とした。女性が男性並みに、裸同然で真っ黒になり肉体労働をしているなんて、日本にやって来る外国人に対して、日本が遅れていると思われると考えたのだった。
ところが、その頃から欧米諸国ではウーマンリブ運動が盛んになり、男女同権が求められていた。ようやく日本に男女の性差による生き方が定着し、欧米諸国に追いついたと思った頃、世界はなんとジェンダーフリーの世の中になっていたのである。