おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

雲を眺める暮らし

2021-04-30 09:56:58 | 12音詩

 若い頃はずっと都会に住んでいた。アパートの一室から地下鉄を使って働きに行き、深夜になって帰宅していた。休日は映画館や美術展、劇場で芝居を見て過ごし、夜更けまで飲み屋やカラオケ屋をハシゴしていた。

 そんな毎日から、田舎での生活を始めると、何もかもがひっくり返ったかのように生活が変化した。電車がないので車で移動するしかなくなり、外で飲む回数がめっきり減った。映画館も芝居小屋もないから、犬を連れて海に行ったり山に登ったりが休日の過ごし方になった。

 で、つくづく驚かされたのが、頭の上にどこまでも広がっている空を見て、ずいぶん長い間空を見上げるということをしていなかった自分に気づいたことだ。都会でタワーマンションの高層階ほど価格が高くなるというのは、空を見ることができるということが、都会では最高の贅沢なのかもしれない。ビルの屋上とかスカイツリーの展望台から、コンクリートばかりの都会の景色を見ても、「眺めがいい」とか「絶景ですね」とか言うのは、人類誕生以来、人間は広い空と空に浮かぶ雲を見て生活するように進化してきたからだろう。

 今の僕の生活はと言えば、都会での生活とは真逆で、空を見ない日がない。家を出てから、里山を散歩して家に戻ってくるまで、ほとんど空を見て歩いているようなものである。僕は子供の頃から、雲を眺めるのが大好きだったので、ずっと雲フェチを自称しているが、そんな人間には毎日が贅沢三昧なのである。

 というようなわけで、ブラブラ歩きながら、一句ひねり出すのが最近のマイブームになっている。

 カアアと鳴いて日が暮れて

 ほろ酔いで夕闇の空

 雲たなびいて鯉泳ぐ

 谷超え嵐過ぎて行く

 牛フン香る初夏の畝

「牛フンは香るんじゃなくて、臭うんじゃないの」
「昔から肥やしのことを田舎の香水と言うじゃないか」

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雨の表現

2021-04-29 11:33:48 | 日記

 ゴールデンウイークに突入したが、朝から久しぶりになる本格的な雨が降っている。夜には土砂降りになるというから、せっかくのゴールデンウイークが台無しだ。朝食後、買い物に出かけてきたが、車の数も少なく、道路はスイスイ快適に走ることができたが、去年同様コロナの影響で、今年のゴールデンウイークも寂しい連休となりそうだ。

 春はもともと雨の多い季節だ。雨のシーズンと言えば梅雨と相場が決まってそうだが、実は春も菜種梅雨と言うくらいなので、雨は多い。

 北極のイヌイットの人たちの言葉では、雪に関する表現が日本人では想像できないくらい豊富にあるという。それだけ雪が生活に密着しており、雪を見る判断を間違えば命の危険にも晒されるかもしれず、そうした経験が様々な雪の表現を生んだわけだが、日本では雨に関する表現が世界にも類を見ないほど豊かにあるというのは、世界でも類を見ない雨の国だということなのだろう。

 日本語での雨の呼び名は、400以上あると言われているらしい。春の雨を表現するのにも、「春雨」「紅雨」「菜種梅雨」「発火雨」「五月雨」「走り梅雨」「暴れ梅雨」「送り梅雨」「返り梅雨」「空梅雨」「緑雨」「麦雨」「小糠雨」など、主なものだけを挙げてもこれだけある。「発火雨」というのを僕は知らなかったが、やわらく静かに降る雨で、桃の花に降る雨が遠目に火を発しているように見えることからこう呼ばれるらしい。

 ついでなので夏の雨も少し紹介すると、「白雨」「洗車雨」「酒涙雨」「夕立」「神立」などがあるが、最近では「ゲリラ豪雨」など、地球温暖化で新たな雨の表現が生まれている。

 これだけ雨の表現が豊かにあるというのは、それだけ日本人が自然と密に暮らしていたということにほかならない。狩猟民族だった古代日本人が、農耕民族となった時、雨の表現はきっと爆発的に増加したのだろうと想像すると、言葉が民族の歴史の痕跡を色濃く反映していることがわかって、大変面白いのである。

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プロの仕事

2021-04-28 11:13:32 | 日記

 イザベル・バードさんの「日本奥地紀行」も、ついに津軽海峡を越えて函館に入った。なかなか読み終えないのは、じっくり読んでいることもあるが、ネットで小林秀雄のエッセイ集「栗の樹」を買ったので、そっちも並行して読んでいるからだ。

 突然どうしても読みたくなったのは、プロとアマチュアの差を考えていた時に、ふと「栗の樹」のことを思い出したからで、おかげであっちを読んだりこっちを読んだりと、節操がなくなってしまった。

 で、「栗の樹」というのは、400字詰め原稿用紙にしたら3枚ほどの短いエッセイである。批評家としてペンを取って来た道のりを振り返り、その後に文学とは何も関係ない奥さんの話を書く。奥さんがある時、子供の頃に学校に通っていた道のちょうど半分のところに大きな栗の木があり、そこまで来るといつもあと半分と思ったそうである。そのことを突如として思い出し、どうしても見に行ってみたくなった。それで親戚やらにお土産を買い込み、田舎に行ってきたのだが、帰って来ると「やっぱり、ちゃんと生えていた」と上機嫌だった。文章はそれに続き、「私の栗の樹はどこにあるのか」で締めくくっている。

 この話は発表当時から名文として評判になり、こうしてエッセイ集のタイトルにもなっている。

 そういうこともあって、その後小林秀雄の奥さんに、会う人会う人が栗の木のことを尋ねて来る。おそらくその栗の木の下に石碑でも作り、町おこしを企む人もいたかもしれない。ところが奥さんはいつもニヤニヤ笑うばかりである。と、隣にいた小林秀雄が、「そんなに都合よく栗の木なんか生えちゃあいないよ。僕もプロだからね」と代わりに応え、周囲はビックリしたという。

 こんなことを書けば、今ではネタバレとすぐに言われそうだが、そもそもネタバレしたら終わるような作品では、誰も繰り返し読んでくれはしないだろう。文学とは、やはり最後は文章の味わいに楽しみがある。映画だって、ラストがわかっている二度目三度目のほうが発見も多く、より味わえるということだってある。プロスポーツだって、真剣勝負をうたいながら、勝ち負けだけしかない世界なら、エンターテインメント性なんて生まれっこない。オリンピックのアスリートと、プロスポーツの選手では、創意工夫や見せ方に根本的に違うものがあるに違いない。

 インターネットの発達で、誰でもが気軽に真似することができるようになった現代だが、素人がプロの真似をしたってダメである。

 ある若手お笑いタレントが話していたが、お笑い界に入り、先輩たちのことを知るにつれ、お笑い界とはサーカスと一緒だと感じたという。ナイフを投げて観客にスリルを与えるが、それは決して相手に刺さらない。空中ブランコでは、どんな離れ業を演じようと、しっかり受けて止めてくれる人がいる。そうしたちゃんと訓練された世界だということは、素人のうちはわからなかった。今の子たちは、ネットで見たものをすぐに真似をしてみるが、きちんと訓練されていないので、相手にナイフを刺したり、受け止めることを失敗したりする。

 これを聞いて、なるほどなあと感心した。

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楽しみを見つける

2021-04-27 11:36:31 | 12音詩

 朝5時半、テオを連れて家を出ると、雲ひとつない真っ青な空が頭の上に広がっていた。

 毎日見ている安達太良山だが、雪が溶け、少しずつ緑が濃くなって行く山容を見るのは新鮮だ。天気予報では今日は最高気温が20度を超えるらしい。とは言うものの、朝の冷え込みは厳しく、水を引いた田んぼには薄氷が張っていた。ということで一句。「光こぼれて初夏の色」

 赤い小さな花が目に止まる。最近はめっきり口にすることがなくなったが、これはアケビの花。花が終わると、アケビの実が大きくなる。近頃ではリンゴなどの皮を剥かなければならない果物は、あまり人気がないという。それを言ったら、種ばかりでちっとも実にありつけないアケビを目にしなくっても、不思議ではないだろう。子供の頃は、もらったら嬉しかったけどな。

 ソメイヨシノ、ヤマザクラが満開を終わり、今目立つのは八重桜とウワズミザクラ。ウワズミザクラは名前こそ桜とついているが、とても桜には見えない。ただ、今の季節雑木林で一斉に花を咲かせているのがこいつなので、なんだろうと調べてみて、ようやく正体がわかったのである。ヤマザクラが雑木林の上のほうで咲いていたので一句。「あんなに上に山桜」

 タンポポも道端で目立つようになったが、タンポポを見る楽しみは、西洋タンポポと日本タンポポを見分けることだ。西洋からやって来たタンポポが、昔からある日本タンポポを駆逐しつつある現状では、僕の観察ではその存在は2割にも満たないのではないかと思う。どこを見ても西洋タンポポばかりなのだ。

 こいつが西洋タンポポ。額の部分が下にめくれている。

 日本タンポポは、額がめくれることはなく、しっかりと花を包んでいる。日本タンポポを見つけると、テンションが上がること間違いなしだし、散歩自体が楽しくなってくるのである。

 今日も林の中からウグイスのみずみずしい鳴き声が聞こえてくる。いい声で嫁さんを獲得しなければならないから、練習に余念がない。そこで一句。「一心に藪から法華経」

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エール

2021-04-26 12:16:55 | 12音詩

 田舎の人と話をすると、よく「ここには何もない」と口にする人がいる。何もなかったら、そもそも生き物が生きて行くことができないのだが、「何もない」という中身は、店の数が少ないというそれだけのことだ。山や海があろうと、清流が流れていようと、野鳥の楽園だろうと、立ち寄れる店がなければ、そこには何もないことになっているのである。都会にはなんでもある。田舎には何もない。僕にはその発想に納得できないのだが、今日ニュースを見ていたら、若者がインタビューで興味深いことを応えていた。

 日曜日から東京で非常事態宣言が出されたせいで、その若者は遊びに来たのはいいが、どこも店じまいしていた。「何にもすることがないので、ここまま帰ります」と苦笑していたが、大都市では店が営業していなければ、自然に囲まれた田舎以上に居場所がないのである。

 朝、犬の散歩をしていたら、アスファルトの上を毛虫が横断しようとしていた。モジモジと体を動かして前に進んでいるが、早くしないと車に轢かれてしまうだろう。そこで思わずエールを送る句を作る。

「止まるな コンクリの毛虫」

 作ってみると、なんとなく都会で居場所をなくしている若者たちの姿と重なってしまった。考えてみれば、僕も含めて現代人というのは、コンクリートで固められた世界の中で、必死でジタバタしているようなものなのだろう。

 非常事態宣言を出しても、若者たちが活発に動き回っていることに批判が集まっているが、若者に半年も1年も家でじっとしていろというのは、残酷である。

 ある程度年齢を重ねた人なら、家庭を持ち、好むと好まざるに関係なく仕事を持っているだろう。非常事態宣言で何もできなかったにしても、非常事態宣言が明ければ元の生活に戻ることができる。が、若者はそうは行かない。僕にも経験があるが、若い時というのはとんでもない焦燥感に駆られている時期でもある。必死で何者かになろうと思っているのだが、うまく行くことは少なく、同年齢の人たちの中には自分の夢に向かって邁進していたりする。天職を得たり、結婚して家庭を持つ者も出てくる。とにかくボヤボヤしていたら、あっという間に取り残されてしまうという焦りがある。半年、1年のブランクはあまりに大きく、一生を台なしにしてしまう可能性もあるのだ。

 そうした時期の若者と、決まり切ったルーチンとなった生活を送る年配の人間とで、同じような行動を求めるのは、あまりに可哀想だ。若者にどうしてもステイホームして欲しいなら、同じくらい身を切る犠牲を年配の人間にも課さなければならない。そうでなければ、大人に反抗するためだけのために、外に出て行くことになってしまうだろう。

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昔はジェンダーフリーだった日本人

2021-04-25 11:16:49 | 日記

 明治初期、イギリスからひとりでやって来て、日本人の通訳を雇い、東北、北海道と旅したイザベル・バードさんの「日本奥地紀行」をのんびり読んでいる。今、ようやく半分ほど読み終え、イザベルさんは秋田にいる。

 江戸幕府から明治政府になり、日本は開国後に欧米諸国のモノマネをせっせと始めたが、かろうじて西洋っぽくなったのは東京などの大都市だけで、一歩郊外に出れば、外国人など見たことがない日本人だらけなのである。イザベルさん行くところ、ゾロゾロと群衆が行列を作り、村の警察が「あっちへ行け」と言っても「外国の女を見るなんて一生に一度のことだから放っといてくれ。おまえが独占したいだけなんだろう」と、イザベルさんにはプライベートも何もあったもんではない。そんな状況なので、公の歴史書には書かれないことばかりが記録されているし、イザベルさんもそれを意識している。

 日本人はとても礼儀正しく親切な国民だし、重大な犯罪を犯すような人たちでもないと、イザベルさんは書く。が、そのすぐ後に「しかしながら道徳心は欠落している」と書いている。礼儀正しく親切な国民なのに道徳心がない、とは一体どういう意味なんだろうと、勝手に想像を膨らませてみるに、おそらくこういうことじゃないのだろうかと僕は考えている。

 当時、東京ではチョンマゲを切り、洋装に身を包んだ日本人もいただろうが、地方に行けばまだまだ江戸時代のままの日本がそこにはあった。民俗学者の宮本常一さんの「失われた日本人」という著作でも、昭和初期まで田舎の生活は江戸時代とほとんど変わりがなかったと書いている。

 で、イザベルさんの著書によれば、田舎の人たちは男は裸にふんどし一丁、女は裸に腰巻ひとつというのが、普通の出で立ちなのである。おそらく立ち小便も当たり前だっただろうし、人前でタンを吐くことも日常だっただろう。そういう人たちを見れば、確かに道徳心が低いと見られても不思議ではなかったかもしれない。

 テレビで時代劇を見れば、舞台はほとんど江戸である。が、江戸に住む侍や町人が日本全体を表していたと思えば、それは大きな勘違いである。昭和初期まで、日本人の9割はお百姓さんだった。農家の仕事では、男女の区別はほとんどない。田植えや稲刈りには女性も参加するし、よその家の農作業の手伝いもする。仕事は村全体で行うことであり、そのため誰かが失業するということもなかった。たとえ旦那に死に別れ、後家さんとなっても仕事はいくらでもあったのである。イザベルさんも、日本では女も仕事を持ち、たくましく生活していると感心している。

 そんな時代だったので、男女の区別というのはたいした意味は持たなかった。男も女も裸同然で暮らし、家では雑魚寝が普通であり、銭湯や温泉は混浴が当たり前。男女の不倫は、遺伝子検査ではっきりさせる必要もなく、村で産まれた子供は村全体で育てたのである。だから、出稼ぎで家を留守にする夫は、出稼ぎに出かけない家に、家族の面倒をお願いして働きに行った。

 今でこそジェンダーフリーが社会問題になり、日本における男女差別が世界的にも遅れた状況にある。が、実は明治政府は、男性は社会に参加し、女性は家事を行うという欧米諸国の習慣を見習おうとしたのである。裸は恥ずかしいことであり、銭湯も男湯女湯でなければならない。男は外で働き、女は家事や育児に勤しむ、といったことを国策とした。女性が男性並みに、裸同然で真っ黒になり肉体労働をしているなんて、日本にやって来る外国人に対して、日本が遅れていると思われると考えたのだった。

 ところが、その頃から欧米諸国ではウーマンリブ運動が盛んになり、男女同権が求められていた。ようやく日本に男女の性差による生き方が定着し、欧米諸国に追いついたと思った頃、世界はなんとジェンダーフリーの世の中になっていたのである。

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畑耕して

2021-04-24 10:47:21 | 12音詩

 四月とは思えない陽気に、畑の雑草が伸び放題になっていた。そのくせ朝は霜が降りるくらい寒く、福島県特産の桃は、ちょうど花が咲く時期だったために大きな被害にあった。

 近所の家庭菜園でも、この暖かさで芽を出していたジャガイモが、霜で真っ黒になっている畑があちこちで散見される。我が家のジャガイモは植えたのが遅かったせいでなかなか芽を出さなかったが、そのおかげで寒さにやられることはなかった。

 そろそろナスやトマトなどの夏野菜のための畑の準備をしなければならないなあと、今朝は朝食後に畑を耕して来ることにした。畑の周囲は草刈機を使うほどには雑草は伸びていなかったが、冬の間に放ったらかしになっていた畝には野芝みたいなのがびっしりと生えている。鍬を振り下ろすと、ザクっと根を切る感触がある。鍬を立てたあと、グリグリと揺さぶるとごっそりと野芝ごと土を掘り起こすことができるが、結構力が必要だ。ザクッ、グリグリ、ゴソッ。ザクッ、グリグリ、ゴソッ。少しずつ畑を掘り返して行くが、1時間も掘ったら、すっかり握力がなくなった。う〜ん、全然はかどらんぞ。

 それでも汗だくになりながら、掘り起こすこと2時間。なんとか荒っぽいが畑を耕し終える。あとは堆肥や鶏糞や石灰を撒き、その後もう一度混ぜ繰り返して畝を作れば、夏野菜を植えることができる。ゴールデンウイークには、夏野菜のための畑には間に合いそうだ。ただ、明日は腰痛と腕の痛みにアヘアヘ言ってそうな気がする。

 ということで、今日の一句。「畑耕して土の香」

 東京でサラリーマンをしていた時には、1日一回は外食だった。自炊すると言ってもスーパーで食材を買っていたわけだから、自分で野菜を育てたり、山菜採りをしたりということはまるでなかったから、それを思うと今のコロナ騒動は、都市部に住む人にとっては大変だろうなというのが想像できる。

 そもそも生き物は、生きるために食べなければならないわけだが、いつしか人類だけが自分で食料を得るという行為から、金銭を得てそれを食料と交換するという生き方に鞍替えした。これが都市を生み、快適な生活を送ることができるようになった源泉なのだが、あまりに効率と便利さを追求した結果、伝染病や地球温暖化という負の遺産を生み出し続けている。

 とは言え、人類はもう後戻りができないところまで来てしまっているに違いなく、未来は強い者だけが生き残ることができる世界がやって来るのかもしれない。そんなことを想像すると、僕なんかはなるべく世間から遠く離れ、隠れるようにひっそりと、誰にも邪魔されずに暮らしていきたいものだと思ってしまうのである。

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準備ができない

2021-04-23 10:28:43 | 福島

 回覧板が回って来て、三春町のワクチン接種は5月末から65歳以上を対象に始めるという。去年の段階では、オリンピックまでに日本国民全員に打ち終わるんだろうくらいに考えていたが、それはやはり甘い予測にすぎなかった。政府は夏までに大量のワクチンが日本国内に入って来ると胸を張るが、今度は注射をする医師の数が足りないと、今頃になって騒ぎ始めた。こんなことは1年前からわかっていたことである。

 さっさと接種を始めた外国はどうしているのかというと、医者だけではなく、医大生や看護学生、ボランティアも駆り出されているという。ところが、それを知りながら、なぜだか日本はまだ医者にこだわっている。ようやく歯科医師にも注射をしてもらおうという動きになったが、その根拠は歯大生だった時に研修で練習したからという。だったら、現役の医大生や看護学生に打たせても問題はないはずだ。

 だが、彼らはプロじゃないという意見もあるだろうが、1年近く時間的な余裕があったのだ。その間、どれだけ注射を打つ訓練を受けることができただろう。医者みたいに診療する必要はない。ただ注射を打つ技術だけの話である。国会で注射を打てるライセンスのようなものを検討すれば、ボランティアだって訓練を受けて注射を打てるようになっていたはずだ。

 現場では医者と注射を打てるライセンスを持った人間がチームを組んでやればいい。そして医療従事者ということでワクチン接種を優先的に打てるようにしてやれば、ボランティアだってかなりの数が集まっただろう。

 なぜこの国は、準備というものがまったくできないんだろうと、いつもながらガッカリしてしまうのである。

 とにかく、今年中にワクチン接種の順番は回ってこないだろうから、自らの身は自らで守るしかない。そんな暮らしでも、毎日を楽しく暮らすのには全然問題ないはずだ。コロナ禍で大変と大騒ぎしているのは、地球上で人間くらいなものなのだから。

 なあテオ。

 「へえ?」

 なあリス君

 「えっ?」

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写真でひと言

2021-04-22 11:20:27 | 福島

 桜は終わったと思っていたけれども、個体差の大きなヤマザクラはまだまだあちこちで満開になっている。ソメイヨシノに比べると地味な桜だが、昔は桜と言えばヤマザクラで、この地味で可憐な感じが日本人の感性に合っていたのだろうと思わせてくれる。

 ヤマザクラ以外でも、散歩中目にするようになったのは、ハナミズキだ。が、こちらは庭木で植わっているものの、野山では見かけないので、写真に撮ってアップしようとは思わない。それよりも、道端にトゲばかりの木に小さな白い花が満開になっているのに気づき、写真に撮った。調べてみると歌では聞いたことがあるカラタチの花だった。歌のイメージとは異なるが、花自体は清楚な感じがしてなかなか綺麗だ。

 道端にはハルジオンの花が咲いているが、まだまだ小さい。これから田んぼのあぜ道や道路の路肩で、白やピンクの花をつける。この花も園芸種として輸入されたものが、いつしか雑草化したものだという。

 これはクサノオウ。この名前を聞くと、僕はすぐに「蝿の王」という小説を思い出す。子供たちだけの国を作るが、欲望むき出しの権力争いや独裁者の誕生など、皮肉たっぷりな話だ。クサノオウが、なぜクサノオウなのかわからない。草の王という意味なのだろうか。

 というような散歩をして家まで帰って来ると、窓際にアンが座り手を振っていた。

 「おかえり」と言っているのか、「私を待たせるとはゲンコツだ」と怒って手を振り上げているのか。

 お笑い番組の大喜利で、写真にひと言コメントをつけることがあるが、この写真にも、思わず面白いフレーズをつけたくなってしまうのである。「ねえ、寄ってかなーい」なんてのは、センスのない回答だろう。

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アンの寝床

2021-04-21 10:49:44 | 福島

 冬の間、日中はコタツの中に潜り込んで惰眠を貪っていたアンが、このところの陽気で、コタツから出て来て陽だまりで惰眠を貪っている。直接床で寝かせるのも可哀想だからと思い、先代の犬が使っていたバスタオルを折りたたんでアンの布団としていた。

 が、それを見たタミちゃんが、「お客さんの目に入るのに、それじゃあみっともない」と、ホームセンターから猫用ベッドを買って来た。

 早速サッシのたもとの陽だまりに置いてやると、教えるまでもなく自分から入って気持ち良さそうに寝ている。

 猫の本能なのか、たいしたものだなあと感心する。捨て猫で親猫からの教育も受けていないのに、アンは我が家にやって来た時も、教えたわけではないのにペット用のトイレシーツの上で用を足し、今まで失敗したことがない。アンのベッドも、教えなくてもちゃんとここは自分の寝床だと認識しているのである。

 サッシを開け、網戸にしてやると、風や外の物音や鳥の声が聞こえて来るのが面白いのか、興味津々だ。写真に撮ると、汽車の旅で窓の外の景色を眺めながら物思いに耽っている女性のような雰囲気で、なんだかとっても人間ぽい。何を考えてんだか。

 今年は花のつきが早く、我が家の花壇もゴールデンウイークを待たずに花盛りになった。チューリップなんてあんまり花を開かせたせいで、ハイビスカスみたいな花になっている。

 今週は運よく2度、リスを撮影するのに成功した。今日も見れるかなとカメラをぶら下げて散歩に出ると、僕たちの前を散歩する夫婦がいる。足元にはミニチュアダックスが2匹、チョロチョロと歩き、首の鈴がチリンチリンと大きな音をたてている。あれじゃあリスが逃げてしまうなと思いながら見ていると、ミニチュアダックス一行がクルミの木を通り過ぎるのを待って、すばしっこく走り回る影が見えた。どうやら危険が去るのをじっと身を固くして、やり過ごしたようだ。

 というわけで、今日もリスの撮影に成功した。週に三度も遭遇するとは、リスのほうでも僕らが危害を与えないことを少しは学習し始めているのかもしれない。

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