おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

世界を変えるためには

2022-02-28 11:54:25 | イラスト

 この前から描きかけていた里山の散歩道の絵を完成させた。うまく行ったかどうか、自分では判断はつかない。もっと細かいところまで描き込めば良かったかなとか、反対にもっと大胆な省略をしても良かったかなとか、考えるところはいろいろある。ただ、どれが正解かわからないので、今回はこれで完成としておく。

 ところで、ウクライナへのロシア軍の侵攻のニュースが朝から晩まで流れていて、それ以外の話題に触れるというのは、何を書いても的外れな気がする。

 戦争が起これば、日本国の憲法9条を世界に広める必要があると声高に叫ぶ人もいるが、その精神や重要さは認めながらも、憲法9条が世界から戦争をなくすとは僕には思えない。

 数学者の岡潔さんの本を読んでいたら、学校では道義を教えることを必須にしなければならないと書いていた。世の中を法で管理しようとしても、法には網の目があり、必ず漏れるものが出てくる。それに引き換え、道義というものに網の目はない。だからこそ道義を教えることで、漏れなく教育の効果があるというのである。

 で、道義というのはなんぞや、というと、岡さんの説では「他人の悲しみがわかる」ということが道義なのだという。

 去年亡くなった歴史家の半藤一利さんのインタビューの再放送をNHKがやっていたが、半藤さんが口を酸っぱくして、「国を作るのは経済ではない。教育だ」と強調していた。

 今の政治家は、二言目には「経済、経済」という。が、経済は最終的にはいつだって諍いを生んでいる。人間が協調し合って暮らすには、最後は教育の力が頼りになるのである。

 教育で戦争反対を教え込む必要はない。戦争反対のための教育は、結局は軍国主義の教育の裏返しでしかないだろう。教育で他人の痛みが理解できる人間を育てることができるなら、ことさら平和教育などする必要もないのである。

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足踏みしている

2022-02-27 11:38:28 | 福島

 昨日はすっかり春めいた一日で、家にいるのがもったいないほどの陽気だった。こんな時は仕事なんかしている場合じゃないのである。

 春は三寒四温、今日も昨日同様、春の訪れを感じられる日になるのだろうと、朝の散歩にはカメラを持って行くことにした。春を感じられる写真が撮れたら最高なのだ。

 春分の日も近くなり、ずいぶんと日が長くなって来た。朝の散歩でもいつもの丘の上に着くと、すでに太陽が顔を出している。

 ただ、寒さだけは相変わらずで、気温は10度を超えることはない。これで「あー、あったかい」と喜んでいるんだから、今年の冬がいかに寒かったかがわかるというものだ。

 過去の写真を見てみると、二月の中旬には梅の花やフキノトウの写真を撮っていたことが確認できる。福寿草などは満開に近い。

 が、福寿草の群生地で確認すると、ようやく消えた雪の下から、黄色い蕾をつけた福寿草がちらほら顔を出しているのが確認できる程度である。

 今年の春の到来は、いつもの年よりずいぶん遅れているのだ。

 梅の花も、あちこちの木を確認して回ったが、紅梅も白梅も蕾がほころびかけているものを見つけるのが精一杯だった。このままで行くと、今年の春は、梅、桃、桜が一斉に咲き誇る、名前通りの三春町の春になるかもしれない。

 暖かくなったからか、野鳥の姿はかなり目撃できた。朝の散歩だけで、シジュウカラ、ヒヨドリ、ツグミ、モズ、カワラヒワ、エナガ、カラス、スズメ、アカゲラが確認できるのだから、里山の散歩は楽しい。

 長い散歩から帰ってくると、窓際で「遅いよ」とちょっとご立腹のアンが、こちらを睨んでいた。

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振り返る猫の習作

2022-02-26 10:59:30 | イラスト

 現代人の生活範囲は、昔の人と比べものにならないくらい広くなっている。おまけにこのコロナ禍で、リモートでの働き方も定着しつつあり、本社は東京でも、ネットが繋がってさえいれば、世界中どこででも仕事ができるということになってきている。

 生まれた村から、一生の間、ほとんど出ることもなく、そこで仕事をし、そこで結婚、子育てをしていた時代では、市町村単位で行政を進めることに意味はあったかもしれないが、これだけ行ったり来たりが自由になる世の中で、現在の行政区分というのは小さすぎるんじゃないかと僕なんかは思ってしまう。

 現に、大分と福島を行ったり来たりしていると、そうそう頻繁に現住所を移し替えるというわけにも行かず、かと言って現住所の届け地と実際に生活する場所とが違えば、何かと不便になる。

 免許更新ひとつとっても、少し前までは管轄の場所に足を運ばなければならなかった。これだけネットが発達した現代で、どうして役所は日本中どこででも手続きができるようにならないんだろう。おまけに住所の変更届をしたら、すべての役所の手続きが終わるように紐づけられないんだろう。「こっちの窓口が終わったら、次はあっちの窓口に回るように」なんてのは、なんのためのパソコンやネットなんだと腹が立つ。

 今の行政区分は、明治維新以来ほとんど変わってないのではなかろうか。平成の大合併なんて市町村の合併が叫ばれたが、たかが隣の市町村とくっつくくらいの規模である。

 行政区分があると、例えば積雪の際の除雪に関しても、すぐそこまでやっておきながら、交差点を挟んでこちら側は別の市町村になるからと止めてしまう。いっそのこと行政区分なんて取っ払っちまえばいい。小さな行政区分で物事を進めるから、税金やら水道電気料金やら、さまざまなことで差が生じる。それがもしかしたら差別へと繋がっているかもしれない。

 国だってそうだ。国境なんて決めて治めようなんて考えるから、「自国の国民を守るため」なんて言いながら、平気で自国民以外の人間たちを蹂躙する。行政区分なんて、今や政治家と役人が威張るためだけに存在しているんじゃなかろうか、と思ってしまうアベさんなのである。

 近所の散歩コースの絵を描き始めた。坂道の途中で猫が振り向いている絵にしようと思い、我が家のアンをモデルに登場させてみた。今のところ、全体の色の調子を見るために適当に色を置いている段階で、これから細かい作業に入って行く。

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明るい蕪村さん

2022-02-25 10:35:03 | 日記

 俳句というのは、趣味にしているのでなければ、お目にかかる機会は少ない。ただ、「古池や蛙飛び込む水の音」と言えば芭蕉、「やせ蛙負けるな一茶ここにあり」と言えば一茶、「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」と言えば正岡子規と、それなりに常識として頭の中にはある。

 そんな浅はかな知識の中で、僕がずっと好きだった句は「春の海ひねもすのたりのたりかな」で、それが誰の句かも知らずに「いいなあ。春の雰囲気が出てるなあ。こういうの好きだなあ」と感じていた。最近、それが与謝蕪村の句と知り、蕪村さんに関する本を読み始めた。そろそろ一冊を読み終えるが、蕪村さんという人はなかなか味わいのある人で、もう少しいろいろ読んでみようかなと思っている。

 蕪村さんはもともと町絵師として出発した。頼まれて絵を描くという、今でいうイラストレーターみたいな仕事だったのだと思うが、趣味で始めた俳句でも次第に頭角を現し、周りの推薦で55歳で俳句のお師匠になった。お師匠になると、句会を主宰したり、派の本を出版したりと何かと雑用が増える。本格的な絵描きを目指した蕪村さんは、修行を怠らず、ついには京都に行き、絵師としても名声を得るようになる。俳句との二刀流は多忙になるすぎると、あくまでも俳句は余技としていたのである。

 そんな蕪村さんは、明治になる頃には忘れ去られた存在になっていた。江戸時代、俳句のお師匠さんなんてのは、日本全国掃いて捨てるほどいた。それを発掘したのは、明治になり俳句の新しい風を起こそうとしていた正岡子規だった。

 俳句と言えば芭蕉さん風のものばかりだった俳句の世界を、これじゃあ進歩がないと工夫を凝らしていたのだが、昔の俳句を調べるうちに、「蕪村さんってはちょっと面白いんじゃないか」ということになり、蕪村さんの句が集められたのである。

 蕪村さん自体も、芭蕉さんを尊敬しながらも、自身の性格からかワビサビについては深く追い求めることはなかったようだ。町絵師からスタートした蕪村さんにとって、ノイローゼになり自殺したり、青白い顔で破滅的な人生を歩んだりといったロマン派の劇的な人生は、どこを見ても見当たらない。

 蕪村さんの句は、誰よりも明るく伸び伸びとした調子を持つ。

「夏河を越すうれしさよ手に草履」
「菜の花や月は東に日は西に」

 芭蕉さんや良寛さんも、当時の日本人としては長命だったが、蕪村さんも同じく幸せな長寿をまっとうした。日本の芸術家には、こうした人たちが多い。

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濡れネズミのネコ

2022-02-24 11:03:42 | 福島

 朝の散歩から帰ってくると、テーブルの上のテーブルクロスがビショビショになっていた。何かをこぼした記憶もなく、その辺にこぼれるような水が入ったものはない。一体何の水だということになり、考えられる唯一の可能性は、アンがオシッコしたのだろうということになった。

「散歩に連れて行ってもらえないから、怒ってテーブルクロスにオシッコしたんだよ」とタミちゃんは言う。そういうことは、犬の場合にはたまにあるということを聞くからだ。が、猫も同じようなことをするのだろうか。そもそもアンは、我が家に来た日から今まで、トイレで失敗したことは一度もなく、用を足した後はしつこいくらい丁寧に後始末をしている。

 ともかくテーブルクロスを洗濯しなければならないので、脱衣場に持って行くと、そこも驚くほどビショビショになっていた。テーブルクロスから落ちた水の量にしては、明らかにおかしい。ふと風呂場をみると、普段はしっかりしまっている風呂の蓋が少しだけ開いているではないか。原因はこれか、と初めて合点がいった。

 どうやらアンは、僕らが散歩に出た後、家の中をあちこち探検したらしい。時々まだ温かい風呂の蓋の上にいるアンの姿を目撃したことがあるが、今朝も風呂の蓋の上に飛び上がったのだろう。ところが、ちょっとだけ蓋が開いていたせいで、そこから残り湯の溜まった浴槽へと、ボチャンと落ちたに違いない。

 アンの体に触ってみると、下半身が異常なくらいビショビショになっている。これはオシッコをしたくらいの濡れかたではない。僕らが出かけて留守になった家の中で、濡れネズミになったアンは、テーブルクロスの上で下半身の濡れたのを何とかしようとしたのである。

 家の中でも朝は0度に近い我が家での留守番で、アンの体はすっかり冷たくなっていた。慌ててコタツに火を入れると、アンは真っ先に中に飛び込んで行った。

 2時間ほど放っておいた後のぞいてみると、すっかり乾いてアツアツになったアンが、伸び伸びと長くなって眠っていた。

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想像の風景

2022-02-23 10:51:29 | イラスト

 この前から取りかかっていた瀬戸内海の鞆の浦の絵を完成させた。うまく行ったのかどうだか、いまいちわからない。たとえうまく描けたと思っても、時間が経てばだんだん気に入らないところは出てくるし、そうでもないと思っていた絵が、時間とともに自分にとって意味のある絵になることもある。

 さて、鞆の浦の絵とは言いながら、実は実際の風景とは異なっている。一番大きいのは、林立する電信柱と、アジアならではのこれでもかというほど張り巡らされた電線を、全部なくしてしまったことである。古くてあちこち剥がれ落ちたペンキや、崩れ落ちそうな壁や屋根瓦も、すべて新品のようにしてしまった。

 こうなると、もはや鞆の浦とは言えないかもしれない。

 ただ、昔から絵の世界は、どんな形に描こうと、「富士山」というタイトルにすれば富士山になるし、絵の具を塗りたくっただけでも「シャンゼリゼ通り」とタイトルがつけばパリのシャンゼリゼ通りなのである。電柱や電線がないくらいどうってことないのである。

 絵を描いている途中で、もっとシンプルに、色も単純にというふうに気持ちが動いたが、とりあえず今回は、ある程度細かいところまで描き込んだ。

 細い路地や裏通りというのは、絵の題材としてはかなり魅力的だが、画面を整理しないと、ただ雑然とした、とっ散らかった絵になってしまいそうだ。

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一か八か

2022-02-22 10:42:09 | 日記

 テレビを見ていたら、イギリスが新型コロナの感染者の隔離を止めるというニュースが流れていた。3回目のワクチンを急いで打てと騒いでいる日本からすると、感染者の隔離を止めるというのは無謀な政策のように見えるが、イギリス国民の中でそれに対して猛烈な反対運動が起きていない。

 イギリスに詳しいコメンテーターの話によると、イギリス人というのはトライアンドエラーが好きな国民らしい。好きというのに語弊があるなら、トライアンドエラーに対して寛容な国民だと言える。人間というのは、どうせ間違える生き物なのだから、とりあえずやってみて、うまく行かなければ別の方法を考えればいいと考えているのである。

 だから、イギリス政府のやることは早い。コロナ対策にしても、まず市町村単位でとりあえずやってみる。それでうまく行けばその範囲をどんどん広げて行けばいいし、うまく行かなければ別のアイデアを試す。

 そういう話を聞きながら、日本政府もどんどん積極的にその方針を取り入れて欲しいと思ったのだが、どうも日本という国の腰の重さにはイライラしてしまう。どうしてこう物事が動かないのだろうと感じていたら、世界的な数学者の岡潔さんの「春酔十話」の中にこんな話が書いてあった。

 「日本史を研究している英国人が『明治維新というのは陽明学の手によって行われた』と評しているが、陽明学派のやり方は、日本人が中国人から学んだというよりも、もともと昔から日本にあったものだと思う。その特徴は『直観から実践へ』ということである」

 どういうことかと言うと、何かを行うのに「情緒中心ということ、直観を疑わないですぐ実践に移すというのが昔からの特徴で、日本人は放っておいてもそのやり方でやって来た」

 で、そんなやり方でうまく行ったのが明治維新で、失敗したのが二・二六事件や五・一五事件だと言えるという。僕に言わせれば、これに太平洋戦争を加えたいが、もっと言うなら、バブル崩壊を招いた政策や、今回のコロナ騒動に対する政策も同じやり方を続けているように思える。

 直観というものは、場合によっては大事なものだろう。理性が理解できないことでも、長年の経験や本能といった潜在意識レベルの知恵が、僕たちに何かを教えてくれるからである。だから日本では、「直観」や「野生の勘」と言ったものが崇拝される。

 が、個人レベルではうまく行く物事も、国民を巻き込むような大きな決断の時には、勘に頼らず、理性的にまた科学的に進めてもらいたい。

 最近では、一番「直観から実践へ」で大失敗したのは、「アベノマスク」の政策だろう。部下が「マスクを配ればコロナはたちまち無くなりますよ」と助言すると、安倍さんは何の根拠もなく、全国の家庭に新型コロナウイルスには効果のない布マスクを配った。途中でいくら「効果がない」と批判されても、バカのひとつ覚えでせっせと血税を使って配り続けたのだ。

 こういうことなど、イギリスを真似て、とりあえずどこかの市町村のひとつに布マスクを配って効果を検証すれば、さっさと止めることもでき、無駄な時間とお金を使わずに済んだのである。

 「直観」というのは、途中で検証することができない。最後まで行って初めて間違いに気づく。周囲を見渡せばよくわかるが、日本人の指導者には、「直観」だけを頼りに一か八かで勝負している人は案外多い。それじゃあ困るんだな。

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古い町並みを描こう

2022-02-21 11:52:58 | イラスト

 せっかくの休日なのに、昨夜から暴風が吹き荒れている。寝ているとゴーゴーと物凄い物音で、家が崩れていっているのではないかと心配になるほどだ。夜が明ければ風も収まるだろうと気楽に考えていたが、朝になってもちっとも風はやまない。

 真冬の重装備で朝の散歩に行ったものの、今日のランニングは厳しそうだ。天気予報によると最低気温マイナス7℃、最高気温に至ってはマイナス1℃という。この強風の中、とても満足に走れる状態ではないのである。河川敷の隠れる場所のない土手を走って回るというのは、低体温症になりに行くようなものなのである。

 というわけで、ランニングは諦め、コタツに入って絵を描くことにした。

 絵を描くためには、手法というものがある。手法にはそれぞれ合った題材というものがあり、題材と手法の組み合わせを間違えると、ダサい作品になってしまう。

 この前から取り組んでいる、単純な色面と陰影による遠近感で描く手法では、どちらかというと混沌とした自然の風景を描くよりは、人工的なもののほうが扱いやすい。で、何か題材がないかと検討した結果、以前旅行で二度ほど立ち寄ったことがある瀬戸内海の鞆の浦を描いてみることにした。ここはドラマ「流星ワゴン」やジブリの「崖の上のポニョ」の発想を得た場所ということにもなっている。

 前にも描いたことがあるが、以前の手法ではどう扱っていいのかわからず、あまりうまく行ったとは思えなかったのだが、今度は面白い絵になるのではないかと期待している。

 朝からお昼まで描き続け、とりあえず少しだけ形が見えて来たので、これからこの線で少しずつ描いて行くつもりでいる。完成すると、画面いっぱい所狭しと家が立ち並ぶ絵になる予定だ。

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日曜の朝は

2022-02-20 11:25:04 | 12音詩

 道路の雪もすっかり溶け、昨日は久しぶりに乾いた道路を散歩することができた。転ばないように足元に注意しながらの散歩というのは、あんまり面白いものではないのだ。

 で、喜んだのもつかの間、今朝はしっかりビッショビショの雪が積もっていた。ほとんど泥の中を歩いているようなものである。

 今朝は短い散歩だなと思っていたら、途中ケンくんを乗せた軽トラックに遭遇し、しばらく立ち話をした後、結局普段通りの長い散歩になってしまった。

 いつもより遅い朝飯を食べゆっくりしていると、NHKの「さわやか自然百景」が始まった。どういうわけかこの番組が始まると、アンは決まってテレビの真正面に陣取り、番組終了まで食い入るように見ている。

 今朝は宮城県牡鹿半島の先端にある島、金華山が舞台だ。野生の鹿やニホンザルのお話である。

 テオはいつものように、アンの視線の先に何があるのか気になって仕方がない。

 牡鹿半島は、ドリ、トトともに健在だった時、オートキャンプ場に立ち寄った場所である。町営のキャンプ場で、おそらく女川原発によるお金が入ったので、牡鹿半島の先っちょにキャンプ場や公園を整備したのだろう。翌朝、朝日の昇る中、みんなで半島の先端から見える金華山という小さな島を眺めたのだった。

 テオを飼い始めた時は、テオを連れてあちこち旅行に行こうと思っていたが、びっくりするほど神経質で臆病なテオを、知らない場所に連れて行くのは気が重い。人間の都合でストレスを与えることに、後ろめたさを感じるのだ。おまけにアンまで我が家にやって来ては、犬、猫を連れての旅行は今のところは考えられないのである。

 まあ、しばらくは近所をプラプラするだけで満足し、句をひねったり絵を描いたりすることで満足していよう。

「春はそこに山鳩歌う」
「青空 どこまでもひとり」

 

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福寿草見っけ

2022-02-19 11:16:52 | 福島

 昨日の朝もしっかり積もり、朝食後は雪かきをした。翌日まで雪が残ると、ツルツルに凍って我が家の前の急坂は車の行き来が大変になってしまうのである。

 日中、気温が思ったより上がり、積もった雪はお昼頃にはすっかり溶けてくれた。これだったら雪かきをする必要はなかったが、溶けることを前提にしていると大変な目に遭ってしまう。とにかく、雪が溶けてくれてバンザ〜イと喜ぶことにしている。

 日陰の雪もかなりの部分が溶けたので、今朝の散歩ではもしかしたら福寿草の花を見つけられるんじゃないかと期待して出かけた。で、福寿草の植わっているよその家の庭先を確認したら、日が当たらないところはまだだったが、朝日が当たっているところで三つ四つ福寿草の花が咲いているのを見つけた。残念ながら今日はカメラを持って出かけなかったので、写真はない。去年はいつ頃撮ったのか振り返ると、2月20日頃にはパチパチ撮りまくっていたので、やはりこの時期なんだろう。

 これは去年撮った福寿草の花。福寿草自体は北海道から九州まで自生しているらしい。北海道東部に自生するのがキタミフクジュソウ、東北から九州にあるのがミチノクフクジュソウ。シコクフクジュソウというのもあるようだ。江戸時代には園芸用の品種改良が進み、フクジュソウとミチノクフクジュソウの掛け合わた「福寿海」なんてものもあるらしい。

 福寿草は春の訪れを告げる典型的なスプリング・エフェメラエル(春の妖精)で、元日草とか朔日草(ツイタチソウ)の異名も持つ。旧暦だと新春を告げる花でもあったのだろう。花言葉は、永久の幸福、思い出、幸福を招く、祝福、とウィキペディアにあった。

 家に帰ると、我が家の青い柵に冬鳥であるジョウビタキのメスが来ていた。後ろ頭が可愛いので思わず写真を持って来て、こっそり逃げないよう撮影した。

 

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