去年、11月にクライマーの山野井泰史さんが、アジア人として初となるピオレドール(黄金のピッケル)生涯功労賞を受賞された。ピオレドール賞は、毎年山登りに貢献した人に贈られていて、日本人でも数人がすでに受賞しているが、生涯功労賞というのは現在までに世界で12人の受賞者しかおらず、山野井さんで13人目である。この賞を受賞する人が少ないというのは、途中で命を落とした有名クライマーが多いということの証明でもある。日本人女性でピオレドール 賞を受賞した谷口けいさんも、2015年に若くして滑落事故で死亡している。
去年の暮れ、12月には日本での記者クラブで受賞記念のインタビューがあり、その映像がYoutubeで紹介されていた。記者クラブでの会見は、山登りをしない人たちもいることから、一般的な質問も多かった。その点、専門的な質問やクライミングの技術的な質問はほとんどなく、一般の人でもわかりやすい受け答えになっている。
山野井さんのインタビューを見て、改めて山野井さんの凄さと人間力に圧倒されたのだが、山野井さんはヒマラヤのギャチュンカンを夫婦で下山中、雪崩にあって視力まで失う事故に遭う。その時、両手の指5本と足の指5本を凍傷で失うのだが、クライマーとして再び活動を始める。そのためには、まず指のない足で鏡を見ながらまっすぐに歩く練習から始め、力の出しにくい手でどうやってクライミングをするか、トレーニングと努力を重ねて克服して行く。そして現在、トップクライマーとして活動しているのである。
インタビュアーは当然のように、大事故に遭いクライミングを諦めようとしなかったかを尋ねる。それに対して山野井さんは、それまでの活動で、すでに自分の実力が頭打ちになり、これ以上伸びないだろうというところまで来ていた。ところが事故に遭うことで一般人以下の運動能力しかない人間になってしまった。ということは、子供の頃の自分のように、一から登山を始められるのだから、これほどワクワクすることはない、と応えるのである。
歳を取り、多くのクライマーは垂直から極地探検などの水平の世界へと移行しているが、との質問にも、歳を取れば当然できることは少なくなる。ということは、それだけ挑戦することも増えるのだから、そういう時期になればワクワクするだろうと応える。
これこそ究極のポジティブ思考である。普通の人なら、今までやって来たことが全然できなくなれば、すべてを失ったと思うのがオチである。ところが人生をリセットし、再び挑戦ができることを喜んでいるのだから、過去は一切気にしないということなのである。
大リーグで活躍した大谷くんが、肘や膝の手術をした時にも、挑戦することが増えて落ち込んでいる暇がないと話していたが、おそらく僕らのような一般人に欠けているのは、目の前のことだけに集中する力なのだろう。
さて、そんな山野井さんに、若いクライマーや子供たちにメッセージをというお願いがなされる。と、山野井さんは自分には子供がいないので、何も言うことはないとそっけない。若者にも頑張れとは絶対に言わないし、自分もそんなことを言われたことがないと、質問者泣かせだ。
と言うのは、命をかけてクライミングに取り組んでいる自分に対して、頑張れと言われても意味がないからである。あるいは、頑張れというひと言が、引き返すタイミングを逃してしまうということだってあるだろう。判断は常に自分がやらなければならないことであって、他人の気安いエールは、判断を誤らせることだってあるかもしれない。
子供に頑張れとエールを送る親は、もしかしたら子供の逃げ道を塞いでしまっていることだってあるかもしれないなと、インタビューを見ながらそんなことも考えさせられた。