絵を描き始めて以来、ずっと横長のサイズで描き続けてきた。花瓶に入った花や椅子に座った人物を描くのなら縦長の画面の方が収まりはいいだろうが、風景を主に描いていたこともあり、頑なに横長の画面にこだわっていた。たとえ、縦長の方が収まりがいいのがわかっていても、勉強のためだと思い、なんとか横長の画面で構成を考えた。
が、いつの間にか自分の中でパターン化されてきているのを感じているので、今度は風景を描くには難しい縦長の画面で描いてみることにした。風景を縦長の画面に収めるということは、横の広がりを犠牲にして、地面や空といった部分の割合が多くなる。というわけで、コスモスと古民家、それから以前描いた鳥居とタチアオイの絵を新たに縦画面で描き直してみた。
僕たちが花や風景を見て、ああキレイだなと感じるとき、雌しべや萼の形状にまで観察が及んでいるわけではない。風光明媚な景色を前にしても、そこにどんな木が植わっているか、どんな種類の岩があるかなど気にしてはいない。つまりは、ぼんやりと大まかな全体として捉えている。
ところが、これが絵を描くとなると、そうはいかなくなる。自分が描いているものが何なのか、どういう形をしているのか、はっきりさせないことには不安になる。観ている人だって、何だかわけのわからないものがグチャグチャッと描いてあると、一体何が描いてあるんだろうと気になる。実際の自然の風景を見るときと、絵画を見る時というのは、全然別の見方をしているとも言えるのである。
グチャグチャッとしていて、何が描いてあるかわからなくても平気でいられるようになるには、絵を描く側からすればかなりの大胆さが必要になるということだろう。省略して描くというのは、簡単そうに見えてこれがなかなかうまくいかない。