おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

接触不良

2019-05-31 10:46:49 | 日記

 先日、アメリカ大統領が来日し、大相撲を観戦する様子がテレビに映し出されていた。安倍さんとトランプさんが並んで入場してくると、観客は一斉に立ち上がり、みんながみんなバンザイしていた。会場はざわついているものの、バンザイしたままなので拍手も起こらない。その光景はかなり異様なものに映ったが、その正体はスマホによる撮影だった。

 今では写真と言えばスマホという人も多いだろう。インスタブームで撮影する人たちは増えているものの、カメラ機の売り上げは伸び悩んでいる。そういう僕はいまだに携帯電話は通話をするだけのものと思っているので、電話会社との契約も通話のみとし、ネットにはつながらない。最近は店で買い物をするとスマホで会員になったら割安になりますよとか、各種サービスのご案内を差し上げますなんてことを言われるが、面倒臭いのでスマホに買い換える気にはなれない。

 従って、いまだに写真を撮ると言えば大きくて重たい一眼レフを首からぶら下げ、山登りに行っても散歩をしていても肩が凝る。それでもやはり愛着がある。自分用にカメラを買ったのは30歳を過ぎて、フィルムカメラを買った。使うフィルムはすべて白黒フィルムだったが、現像してくれる所がなかなか見つからなくなったので、デジカメに買い替えた。しばらくはそれでトトを撮って遊んでいたが、壊れたのを機会に思い切って一眼レフを購入した。ちょうど山登りを始めた頃で、そのうち日本中を旅行するつもりでいたので、少しでもいいカメラが欲しかったのだ。

 一眼レフは高価なので、ネットで型落ちしたのを半額で買った。レンズだけは立派なものを別に購入し、結果15万円くらいになったと思う。カメラはNIKONのD90という今から15年ほど前に発売されたもので、当時は世界で初めて動画が撮れる一眼レフということだった。

 それから10年以上、ほぼ毎日のように使っている。おそらく今のカメラは画素数や機能なども格段の進歩を遂げているだろう。僕のカメラは古臭いうえに、山の中で何度も転んで傷だらけだ。それでも故障知らずなのだから、結果としては安い買い物だったかもしれない。そんなカメラだが、毎日のようにパソコンに繋いでデータを取り込んでいるうちに、カメラにコードを差し込む部分がうまく入らなくなってきた。なんとかごまかしながら使ってきたが、昨日からついに反応しなくなってしまった。せっかく散歩の途中でリスを撮ったのに、パソコンに移せないfでいる。

 仕方がないので、近いうちに電器屋さんに行ってメモリーカードからパソコンにデータを移す装置を買って来よう。愛着があるカメラだから、今はまだ買い換えることは考えていないアベさんであった。

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根っこは深く

2019-05-30 11:55:04 | 日記

 川崎で19人が殺傷されるという通り魔事件が、連日ニュースを賑わせ、さまざまな報道がなされている。すぐに秋葉原の事件や池田小学校の事件が頭をよぎるが、テレビに映し出された犯人の写真が、51歳にも関わらず中学生当時のものが使われているのに、なんとも言いようのない寂しさを感じた。

 こうした通り魔事件は拡大自殺とも呼ばれるらしく、当初から死ぬのを目的に周りを巻き込むため、予防せよと言ったところで、いつどこで被害に遭うかは想定できない。事件が起こると、途端に警察やPTAが出て警備にあたるが、雷と同様、一度落ちたところに続けざまに落ちることのほうが稀だろう。

 犯人の写真が中学生の時のものという違和感は、引きこもりの人生を送ってきた証拠かもしれない。幼い頃に両親が離婚し、叔父夫婦の家に預けられたというが、おそらく居場所はどこにもなかったのだろう。それでも引きこもりとして叔父夫婦の厄介になっていたというのは、最近問題になっている「8050問題」と根っこは同じようだ。

 高齢化する引きこもりの人間を、さらに高齢の老人が面倒をみるというのが「8050問題」だが、その始まりはバブル崩壊かららしい。バブルで浮かれた日本を襲った大不況に、新卒者たちの就職先はなく、多くが非正規社員や引きこもりになったとされているが、それはまたその時の国の方針でもあった。というのも、当時は現役社員を守るか、あるいは若者の就労を進めるかの二者択一の末、現役社員を守り、それにより若者の生活を支援してもらおうと考えたのである。そのツケが、現役社員たちが定年退職し老後を迎えた今、ニッチもサッチも行かなくなりつつあるのだ。

 今回の事件でも、犯人の育ての親でもある叔父夫婦も80歳を越え、介護のお世話になろうとした。その時、家の中に引きこもりの人間がいることを伝え、あまり刺激しないようにと話したそうである。犯人にとって、自分が必要とされていない余計な人間として、今更のように強く感じたのかもしれない。

 通り魔から身を守るためにはどうしたらいいのか、防犯カメラを設置するとかパトロールを強化するとか、そのくらいでは似たような事件は必ず起きるだろうと感じるほど、根っこは深く暗いように思える。

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今でこそ当たり前だが

2019-05-29 12:02:25 | 日記

 図書館から「明治クロニクル」という本を借りてきて見ている。写真や図版がたっぷりと載っているので、読むというより眺めているといった感じだ。侍が活躍した時代が終わり、文明開化と言われた明治から大正、昭和、平成、そして令和と時代は進んでいるが、江戸幕府から天皇に政権が渡った大政奉還が1867年だから、150年ほどしか経っていない。鎖国をしていた期間が200年以上あったのだから、驚くべき変化である。

 NHKの大河ドラマでは戦国時代が人気というが、時代として一番変化に富んで面白いと思うのは、明治大正昭和と続く時代じゃないかと僕は考えている。国を開いたのはいいが、あまりに世界と隔たりがあったため、国民が一丸となって世界に追いつけと頑張ったのだが、なんたって西洋が500年かかった歴史の流れを、わずか数十年で成し遂げるという奇跡を演じたわけだから、まともな進歩ではなかったのは想像に難くない。

 「坂の上の雲」や「天皇の料理番」や、最近だと「いだてん」などは、今でこそ当たり前のことが、当時は珍妙で滑稽でしかないということは多々あった。お歯黒や眉を剃るのが当たり前の時代に、自然のままの真っ白い歯や眉が美しいと感じられるようになるには、かなり無理をしなければならなかったはずである。実際、率先してお歯黒や眉を剃るのを止めて、現代風の化粧を始めたのは明治の皇太后だったというのは、庶民がいかに保守的だったかということだろう。

 今でこそ市民ランナーは当たり前に見かけるが、大の大人が駆けっこをするなどというのは、当時の人たちには無邪気を通り越して、気が触れたんじゃないかと思ったかもしれない。

 さて、国家をあげて西洋に追いつけと頑張った結果、開国時に結ばれていた不平等条約の撤廃に成功する。ようやく先進国と肩を並べた日本だったが、同時にそれまで坂の上に見えていた雲は消え、日本という国はどこに進めばいいのか途方に暮れた。結果、海外への侵略戦争へと歩みを始めるのだが、それは当時の時代背景では当然の帰結であった。

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ロゴが完成する

2019-05-28 11:10:08 | 福島

 昨日は一日、せっせと「ロジマ」に出店するための用意をした。イラストを入れるフレームに色をつけたり、お店の看板となるロゴ作りをしたりと、少しずつ準備を進めている。アトリエ・青い犬ということでお店を出すので、新たに作った看板がこちら。

 前回はドリとトトがいたが、今回はさらにテオを追加で登場させた。シールも作り、イラストを入れる袋にも貼ろうと考えている。

 それにしても、ここ二日ほど尋常でない暑さで、フレームにラッカースプレーで塗装しようとすると、ペンキが泡立っているではないか。仕方がないので、涼しくなるのを待って仕事を進めたが、日中は地獄の暑さである。

 そんな中、日中ランニングに出たが、2リットルほど汗をかけば、その後は冷房知らずである。ご近所の窓という窓が閉められ、クーラーの室外機が唸りを上げる中、我が家は窓を全開で、「夏真っ盛りだなあ」と暑さを満喫しているのである。

 今日は一転、夜には雨になると言う。畑に植えた豆やらトマトやらがしおれかかっているので、恵みの雨になってくれればいいのだが。

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5月なのに猛暑

2019-05-27 13:13:32 | 福島

 朝から気温がグングン上がり、あっという間に30度を超えた。それでもせっかくのお休みだからとランニングに出ることにしたが、一歩外に出ただけで、うだるような暑さだ。

 先週、捻挫したみたいだったので安静にしていたので、足の調子を見るためにも少しでも走ってこようと思っていたが、天気予報では福島が日本で一番暑いという予想をしていた。最初はさくら湖畔を走ってこようと考えたが、また足が痛くなるかもしれないので、阿武隈川のアップダウンの少ない土手を走ることにした。

 ところが、阿武隈川の河川敷は5月いっぱい工事をすると看板が立てられ、サイクリングロードは立ち入り禁止になっているではないか。とりあえずは30分ほど熱心に走ったが、その後は進入禁止のところを迂回するために、予定にはない道路を進まなければならない。ただでさえ暑いのに、横をひっきりなしに車が走り、排気ガスがもうもうとする中を走るのはウンザリだ。予定では2時間は走ろうと思っていたが、1時間ほど走ったところで引き返すことにした。

 テオは家の中にはいられないと思ったのか、庭の木の下で横になっている。冷房を入れるとなると窓を閉めなければならないので、閉所恐怖症の気味がある僕としてはどんなに暑くても窓全開で扇風機に頼ることにする。それにしても暑い。シャワーを浴びることにしてヘルスメーターに乗ってみると、体重が2キロほど減っていた。どうやら2リットルの水分が僕から失われているらしい。こりゃ大変だ。ビールで水分を補給しよう。

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路地マーケットに申し込む

2019-05-26 11:46:39 | 福島

 お隣の須賀川市で、毎月「ロジマ」というのを開催している。路地を利用して、ホームメイドの品物や食べ物の露店が並ぶ。出店するものが既製品でなければ誰でも参加することができるというので、3年前に絵ハガキを売ったことがある。今度は大きな絵も出してみようということになり、準備を始めた。

 申し込みが済むと、次はどのあたりに店を出すか、候補を三つ挙げなければいけない。市役所の中だったり、他所様の車庫だったり、倉庫だったりといろいろだが、どこに陣取るかで人の流れや人目のつきやすさなどで、集客はずいぶん変わってきそうだ。詳しくはわからないので、とりあえずなるべく役所に近い場所を選んで申告する。

 雨天決行とあるので、大雨だったりすると、屋外を申し込んだ場合、テントやその他いろいろと必要なものが増えそうだ。おまけに雨風に弱い絵は、できれば屋内で扱うのが望ましい。とりあえず申し込みはすべて屋根付きの場所にしておいたが、そもそも大雨だったりすると、人が来るのかどうかも怪しいのだ。

 開催は6月9日(日)、午前10時から午後3時まで。ただ絵を売ると言っても、裸の絵を売るわけにはいかないので、それなりに安くて見劣りのしないフレームを探してネットで注文した。カラフルなフレームにしたいので、既製品のフレームにラッカースプレーで色を塗ろうと考えているが、これもうまく行くのかどうか怪しいところだ。

 とにかく、予定ではその日はカフェを臨時休業して、須賀川の路地で露天商として1日を過ごすつもりだ。

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窓からの景色

2019-05-25 11:20:38 | 福島

 今日の福島は、日本でも一番暑く35度になるらしい。と言っても、本当に暑いのはコンクリートで覆いつくされた街の中の話で、緑に囲まれた我が家は、少々の暑さではビクともしない。今朝は散歩を済ませると、裏の庭の先にある他人の土地に生い茂る雑草を、勝手に草刈機でバリバリ刈っておいた。ボサボサに伸びた草は見るからに暑いし、風の通りも悪くなりそうな気がするからだ。

 近頃は朝4時になると白々と窓の外が明るくなる。トイレに起きた僕に気づくと、テオはトコトコと僕の後ろを付いてきて、そろそろ散歩の時間じゃないかとそわそわし始める。その後はもう二度寝をさせてはくれない。枕元で人の顔をペロペロ舐めたり、助走をつけてジャンプすると、人のお腹の上に着地するのだ。

 ついに根負けして5時半には家を出る。太陽はすっかり地平線から顔を出し、すでに辺りはギラギラとした夏の光線に満ちている。

 たっぷり1時間は歩いてくるが、そのくらいでは遊び盛りのテオにはとても足りない。家に帰るなり中庭をサンダルをくわえて走り回ったり、花壇の穴掘りを始めたりと忙しい。玄関先の道路を誰か通りすぎようものなら、慌てて家の中に飛び込んできて窓からチェックしている。

 「おい、テオ。知り合いでも通ったかい」

 「えっ、なあに」と、テオは窓の外の世界に夢中になっている。この窓は、ドリもトトもいつも顔を出していた窓だったので、我が家ではほとんど犬たち専用の窓だ。

 窓というのは不思議なものだ。こちら側は守られ安心できる区切られた空間だが、ここから見える景色は無限に広がり、青い山や海へとつながっている。

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茶化す勇気

2019-05-24 11:33:17 | 日記

 図書館から借りてきていた「チャップリンとヒトラー」を読み終える。チャップリンとヒトラーが同じ年の同じ月、それも4日違いで生まれたことは有名だが、偶然の一致はそれだけではなかった。

 何か面白い格好をしてこいと言われたチャップリンは、山高帽にドタ靴、ちょび髭というスタイルを考案する。後に人気者になる放浪者チャリーの誕生だが、同じ年、ヒトラーもトレードマークとなるちょび髭を生やし始める。ファシズムの台頭に危機感を覚えたチャップリンは「独裁者」をテーマにした映画を取り始めるが、撮影に入った時期とヒトラーが戦争に突入した時期も同じだった。

 当時のヒトラーは、貧しい庶民の希望の星であり、ドイツ国内だけでなく、世界中で期待されていた。チャップリンがアメリカで「独裁者」を笑い者にする映画を製作しているという噂が流れると、ドイツ、イタリアだけではなく、戦争の相手国である英仏やアメリカ本国でも、製作をやめさせようとあらゆる妨害工作を行った。政治家だけでなく、経済界、マスコミ、一般人までがチャップリンに対して、馬鹿な真似をやめるようにと声を上げたのだった。アメリカのある婦人はこんな手紙を送っている。「ヒトラーとムッソリーニが、世界に害毒を撒き散らしている共産主義と闘った結果、政権についたということをご存知ないのですか」と。

 ところが、映画の完成が近づくと、世界は「独裁者」を待望するようになる。というのも、戦火が広がるに連れ、ファシズムがどういうものか、次第に馬脚を現し始めからだ。世界中の映画館が公開しないと言っていた映画は、完成と同時にプレミアがつくほどの大人気となった。

 その頃、日本はドイツ、イタリアと三国同盟を結んでいたため、チャップリンに対しては冷淡な対応で終始した。作家の高見順はこう書いている。「ヒットラーの政策を何か批判したつもりかも知れないが、ドイツの今日の躍進の歴史的な意味を必然と理解しようとせずもう頭からやっつけ揶揄する態度なので、結局天に唾するような結果に陥っている」。これが日本の標準的な意見だったのだろう。

 戦後、日本で「独裁者」が公開されたのは1960年のことである。この時、同じ作家がこんな感想を述べている。「チャップリンはこの映画で希望と勇気を人々に与えようとしたのだ。それが今日、強い感銘として心に迫ってくる」。高見順ほどの作家先生でも、こんな手のひらを返すようなことを平気で言うのか、と思うが、おそらくこれが戦争というものなのだろう。

 チャップリンの映画は、世界的に大ヒットした。その結果、どういうことになったのかと言うと、巧みな演説によって熱狂的な人気を博したヒトラーだったが、チャップリンによるデタラメなドイツ語のおもしろおかしい演説が世に広まると、途端にヒトラーのほうがパロディーとなってしまい、演説そのものができなくなってしまったのである。これはちょうどモノマネ芸人のせいで、モノマネされた当人が登場するだけで、クスクスと笑いが起きるようになるのと同じだ。もちろん、チャップリンはそのことを知り過ぎるほど知っていた。

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早くも真夏日

2019-05-23 11:16:23 | 福島

 昨日までのぐずついた天気も終わり、今日は朝から青空が広がり、気温もグングンと上昇している。天気予報によれば、今日は30度越えの真夏日になり、週末には酷暑日に近づくという。まだ5月というのに、こんな勢いで気温が上がると、7月頃には連日40度越えもあり得るのでないかと思わせる。

 今でも熱中症にかかる人が多いのに、40度越えが当たり前になると、死者が続出するんじゃないかと心配になるが、案外、すぐに慣れるんじゃないかという気もする。なんと言っても、生物は地球の気の遠くなるような歴史の中で、適応し続けてきたという実績があるからだ。

 生き物の感覚が敏感になるのは、環境の変化が起こったときだ。人の耳は、ザーッと降り出した雨の音には敏感に反応するが、そのあとの降り続く雨の音には鈍感になる。が、雨が止んだ途端、人は「あっ、雨が上がったな」と気づくのである。ということは、人間の耳は雨音を聞いていたわけではなく、音の変化に対応していたことになる。餌となる昆虫を獲る爬虫類や魚にしたって、相手が目の前で動いてくれなければ見えてこないということがある。

 南極越冬隊員の人が、真冬の日本に帰国して、半袖姿でテレビ出演しているのを見たことがあるが、冒険家の本を読んでいても、「今日の南極は零下5度までしか下がらず、汗ばむ陽気だ」などと言っているのだから、人間の適応力も大したものなのだ。僕らにしても、連日猛暑日の後に真夏日が来ると、今日は過ごしやすいなと感じてしまうのである。

 3ヶ月前、テオがやってきた時にはまだ雪が積もる日もあった。それが今週末は35度越えの酷暑日に近づくという。真っ黒い毛をしたテオは真夏の太陽にどれくらい適応できるだろう。

 朝から太陽はギラギラしています。

 里山の緑は日増しに濃くなっていきます。

 リスがうろつく栗の木も、葉っぱがいっぱいになってリスを見つけるのが困難になりました。

 田んぼの水面で太陽光線が反射し、散歩していても目がくらみそうです。

 うー、世界がとてもまぶしいのだ。

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善意の人々

2019-05-22 11:31:09 | 日記

 久しぶりに映画「プライベートライアン」を観た。昔観た時は、オープニングの30分にもわたるリアルな戦争シーンに圧倒され、結局ドラマ自体の印象が薄く、監督のスピルバーグは「ジョーズ」みたいにリアルな恐ろしいシーンを撮りたいがために作ったんじゃないかと思っていた。が、二度目になると見方が変わる。ノルマンディー上陸作戦のシーンは相変わらずグロテスクで、徹底的にリアルを追求していたが、もう驚くことはない。そうなると、いろいろと感じるところも多かった。

 ストーリーは単純だ。出兵したある四兄弟のうち、三人までが戦死した。それを知らせる手紙を母親に送るところで、手紙を作成していた女性が気づく。上層部に伝えると、それは可哀想だとということになり、戦場で戦っている末の弟を国に返そうとする。そのためにチームを組み、戦場のどこで戦っているかわからない二等兵を探し出し、無事母親の元に返すという話である。

 さて、これだけ聞くなら、悲惨な状況下でのなんと心温まるエピソードなんだろう、なんと人間味溢れるアメリカ軍なんだろう、ということになるが、映画はそんなお涙頂戴式の人道主義ではない。確かに手紙を作成していた女性は、母親の心痛を想像し上司に話す。軍部の上の方は善意から二等兵の帰国を決定する。しかしながら、彼らは銃後にいて安全な場所で働く人たちである。戦場で子供を亡くしたすべての母親が同じように悲しみに包まれているはずだが、偶然にも同時期に四兄弟のうち三人までが命を落としたというドラマチックな出来事に心を奪われる。

 お偉い人たちが戦争を始めるのは、国民のためを思ってと本人たちは固く信じているはずである。お国のために命を賭して働かなければならないと、心からそう信じているはずである。可哀想な母親のためには、息子を戦場から帰国させるのが当然の務めだと思っている。が、その二等兵を帰国させるために、どれだけの多くの兵隊さんたちが死ななければならないか、ということには、命令を下すほうは気づかない。帰還させるために組織されたチームが、犠牲者を出しながらやっとの思いで末の弟を探した出したとき、彼は仲間を捨てて持ち場を離れられないと訴える。彼を救助するために命を落とした人間がいるように、彼もまた仲間のために命を捨てる覚悟でいる。

 地獄への道には善意が敷き詰めらている、というが、それは不条理ということとは違う、何か人間としての欠陥みたいなものだろうか。

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