私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

恒屋城跡 つねやじょうせき 236m

2011-01-14 16:07:11 | 山歩き
 1月14日(金) 天気:晴れ 暖かい     地図:前之庄(南東部)

 きょうは いい天気だったので 香寺町の恒屋城跡に行ってきました。 明日、明後日の予報が良くな
いので 平日でも 天気のいい日に登らないと・・・。 先週 登った置塩城跡つながりで 恒屋城跡に登
ったのですが 櫃蔵神社に書かれていた 三つの神様のひとつを 櫃倉神社へ分祀したというのは 本
当でしょうか? 車を停めた櫃倉神社には そのようなことは 書かれていませんでした。
 恒屋城跡には 三角点はなく 単なる城跡めぐりです。 この前の 「広報ひめじ」12月号に 史跡見学
会 「恒屋城攻略」の案内が 載っていて 大勢で歩くのは イヤなので 一人で 事前調査してきました。
 きょうも いい日溜まりハイクができ 近くの香寺温泉・竹取の湯で 汗を流してきました。
 

 きょうは 平日なので 姫路バイパスのラッシュは 避けないと・・。 その上 予報では 今日の最低気
温は-2度? 9:02 ゆっくり 気温が上がってから 出発。 姫路バイパスを走り 9:34 花田ICから
播但道に入り 9:42 船津ランプで降ります。 播但道は 9.4km、8分、300円。
 左折して 県道81号線から 国道312号線に出て 右折して 播但線の踏切を越え 県道409号線
に入ると あとは一本道? 中寺で間違えましたが すぐ修正。 前に 棚原山に登るとき 来たことが
あるので かすかな記憶があります。
 櫃倉神社の手前で 右折して 恒屋川に架かる恒屋2号橋を渡ると 北に恒屋城跡が望めます。
写真を撮って 神社へ行きます。 細い分かりにくい道です。 10:12 櫃倉神社に駐車。 船津ランプ
から 6.9km、家から 40.5km。 神社へ上がる石段の脇に 由緒書があります。


 『 櫃倉(ひつのくら)神社は 中央に 豊受姫大神 左右に天神地祇(ちぎ)を祀る北恒屋の氏神です。
 昔 西方の棚原山頂上に 棚原明神として豊作の神が祀られ 雨祈願に各地から参拝がありました。
 恒屋城の落城した頃から 村人が棚原明神の神具蔵(櫃倉)に 移して祀るようになったため 櫃倉神
 社と呼ばれるようになった と伝わっています。 「播磨鏡」には 神功皇后が三韓征伐に当たって 棚
 原山上で 七重の注連(しめ)を張り 天神地祇を祭られたと記されています。
 毎年 八月三十一日 境内で行われる櫃倉踊りは 近郷屈指の盆踊りとして有名です 』

 近くで お会いしたお年寄りに 置塩城にあった祭神が 分祀されていると言うと そんなことはない!
と一蹴されましたが・・。 置塩城跡麓の櫃蔵神社にあった由緒に 祭神:豊受姫大神とあり ここ櫃倉
神社の由緒に 中央に 豊受姫大神・・・とあるので 柏森神社と櫃倉神社に 分祀されたのは 間違い
ないでしょう。


 石段を上がり 櫃倉神社に お参りして 恒屋城跡へ向かいます。 10:20 スタート。 県道を横切り
ひとつ東の集落の中を北へ歩きます。 正面に お堂のある恒屋城の前城が見えてきます。 恒屋城
の標識を見て 右に曲がると 祐光寺の裏に出ます。 裏から入り 祐光寺に お参り。 が このお寺
には 祐光寺の表示が 何所にもありません。 老人に尋ねると 祐光寺だそうですが まるで 廃寺の
よう。 祐光寺裏の細い道を進むと 登山口。 登山口の表示があり 恒屋城の説明板があります。
『 恒屋城は 頂上の北側が 後城(236m) 南側が 前城(199m)です。 この城は 永禄二年(1458)
 頃 赤松の家臣・恒屋氏が築城 天正四年(1576) 羽柴秀吉により落城。 その折に 恒屋氏は滅
 亡したようです。 城の遺構 本丸、出丸、土塁、堀など 中世の山城の典型的機構が残り 城の下
 には 堀をめぐらした居館跡も見受けられます 』・・と書かれています。
 居館跡には 今は 別の建物がある?


 登山道は よく踏まれた雑木林の道で 歩いていると 檀特山に登っているような気がします。 落葉
が少ないのは 2月の姫路市の史跡見学会に備え 地元の人が整備されたから? 見晴らしのない登
山道を しばらく登ると 道標があり 「お堂→」に従い 右へ進みます。 尾根の右を巻く感じで進み 左
に曲がりながら登ると 開けたところに出て ここに お堂がありました。 お堂は 風や雨を避けるため?
ビニールで 囲ってあります。 中を覗くと カーペットが敷かれ 火鉢?がありました。


 
 上から老人?が降りてきて しばらく立ち話を・・。 南から日が照り 風もなく いい登山日和です。
おまけに 南は 遮るものがなく 大展望です。 播磨灘は モヤで はっきりしませんが 近くの山は く
っきり見えます。 分かるのは 西の棚原山だけですが・・。
 話の中で 古法華(ふるぼっけ)と言われ これを思いだすのに 時間がかかりました。 笠松山・
善防山と言ってくれれば すぐ分かったのに・・。 私のアルツも進行中・・。



 この人と別れ 左から 上にあがります。 おっと お堂の上にある五輪塔を見落とすところでした。
五輪塔といっても 五つ石が積んであるわけではなく 寄せ集めた石?を並べてあるだけです。 20
基以上並んでいたでしょうか? お堂の上の高台が 恒屋城の前城(199m)のようですが 枯れ草
の荒れ地で 何もありません。 ここから 本丸・後城(236m)へは なだらかで 歩きやすい遊歩道
です。 少し行くと 「堅堀跡」 の表示があります。 表示プレート?は みな地面に落ちて 飛ばない
よう石が乗せてあります。 「堅堀跡」 も なにを示しているのか? 堀のような溝は 見当たりません。
「土塁」 も 表示はありますが・・。 降りるとき 歩いている道が 畝のように見えましたが・・。



 その先 遊歩道に沿った溝状の窪みが 空堀跡。 堀を掘った土で 土塁を盛り上げたので
しょうか? この辺りは いい雰囲気の遊歩道です。


 突き当りを 右に曲がり 一段上がると 堀切跡。 右上の高台が 気になりますが 枯れ草のヤブ
で 行く気にはなれません。 左に進み 枯れササの道を登ると 左下に 香寺荘が見え 右へ登る
と 山頂・本丸跡です。 236mの恒屋城跡に 11:14 登頂。



 東西に20mほどの広さがあるでしょうか? 利神城跡と似た雰囲気で 芝生の広場です。 木が
数本ありますが ほぼ360度の大展望です。 北西に見える尖った山が 明神山。 北の高い山が
大倉山で その左の平らな山は 七種薬師でしょうか? その間に見えるのは 七種山?



 南東には 鉄塔の山が・・。 南の景色や 南西の棚原山の稜線は 下のお堂の所から 見る方が
いいでしょう。 本丸跡に10分ほど滞在し 11:24 下山。
 姫路市の史跡見学会の案内には 高い防御機能を備えた中世城郭とか 播磨地域では珍しい畝
状空堀群を残す山城跡とありますが それらを 肌で感じることは できませんでした。 香寺町も姫路
市と合併し 道標などを整備する予算が 廻ってこないのか 堅堀、空堀、土塁などのプレートも地に
落ちていますし・・。


 登った道を そのまま降りました。 11:40 お堂、 11:53 登山口に降りました。 県道に
出て 公民館で 右に曲がり 上にある光輪寺に寄り 安全登山のお礼参り。 12:12 車に
戻りました。 本日の行程は 10:20~12:12 で 2時間足らずの超ショートコースでした。
近くに 「香寺荘・竹取の湯」 があるので 行きましょう。


 県道409号線に出て 北へ1kmほど行くと 香寺荘があります。 南から見ると 香寺荘の建物
は 白壁で 天守閣のようです。 恒屋城跡の麓にあるからでしょうか? 



 うどんでも食べてからと 1階のレストランに入り 田舎うどんを頼むと 2階から持ってくるので
20分くらいかかります。 それじゃあ 特製ビーフカレーを。 しばらくして出されたのは ただの
カレー? ビーフは? 入っていませんよ。 700円は高い! コンビニ弁当の方が良かった?
 仕方ない。 ヤケ風呂に。 姫路市在住の60歳以上 ということにして 500円のチケットを購
入。 パンフレットには 炭酸温泉とあるだけで 効能などは書いてありませんが 湯船に浸かっ
ていると 白い乳液のようなものが流れてきます。 よく見ると 微細な泡で 二酸化炭素?



 13:36 帰路につきます。 409号線を下っていると 播但道の表示があったので 左折して
国道312号線に出て 14:01 船津ランプから播但道に入ります。 14:08 花田ICを出て
姫路バイパスに廻り 14:33 家に帰ってきました。
本日の走行距離は 往路:40.5km 香寺荘まで:1.1km 復路:40.6kmで 計82.2km。
もうひとつ気になる城跡があり 置塩城を守る南の砦として築かれた 夢前町宮置にある「番城山
城跡」で 四等三角点:南山。 以前 「播州野歩記」さんのレポを 見たことがるのですが・・。


コメント (9)
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