私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

稲岡山 いなおかやま 60m

2011-02-16 12:44:39 | 山歩き
 2月16日(水)  天気:快晴で暖かい 室温:14.5℃  地図:姫路北部(南西部)

 きょうは 先日の 『歴史教室』にあった 神功皇后の射た 三本の矢の一本が 落ちたと言われ
る 青山の稲岡神社へ行き ついでに 稲岡山へ登ってきました。
 天気が良く 暖かく 家で じっとしているのは もったいないので 『歴史教室』にある伝説の地で
一番近い所へ行きました。 『歴史教室』では ここに 「生矢社」 が 祀られていると 言われましたが
ここに 生矢社は ありませんでした。 講師の田中先生に 講義(抗議)しなくては・・・。


 以前 「播州野歩記」さんを 参考に 姫路低山めぐりを したことがあり 稲岡山には 登ったことが
あるので 場所は 分かっています。 10:07 出発。 国道2号線を 東へ向かい 夢前橋の手前
で 左折して 細い道を進み 大きな鳥居を潜ると 突き当りが 稲岡神社です。 駐車禁止で 停め
る場所が ありません。 自転車の人に尋ねると 親切にも 建物の中へ行き 停めさせてくれるよ
う頼んでいただき 駐車禁止の表示の前に停めました。 10:30 駐車、家から 8.5kmです。
 横の建物は 青山自治会の事務所で 生矢神社のことを尋ねると ここには ないと言われ 稲
岡神社の由緒書を 出して 説明して いただきました。

 由緒の中に 「射目埼神社は 本社より 八丁許り北なる矢落森に在りしが 応永元年 洪水のた
め 其の社殿 稲岡山の麓に 流れ来たりて 止まりしかば 遂に 稲岡神社に 合せ祀りしなり」 と
あります。 ということは やはり 矢が落ちたのは 約1.5km北のようです。 ところで 射目埼
は いめさき と読むのでしょうか? 現在の 夢前 の元になったそうですが・・。 石碑があるそ
うなので あとで 行きましょう。 神宮皇后は 結局 何本の矢を 放ったのでしょう?
※射目(いめ)は 狩りをするとき 身を隠す設備で いめ は 昔の言葉で ゆめ(夢)?



 まず 稲岡神社に お参りします。 境内に入ると 左の手水舎の龍の口から水が 落ちていま
す。 神様は 起きておられる・・。 ここ 稲岡神社も 破盤神社と同様 雰囲気のある神社です。
 境内には 落葉ひとつ落ちていません・・とは言い難いが・・。 それでも ”境内は 広く、明るく、
爽やかに うしろの森は こんもりと”は 守られています。 稲岡山は 丸い形から 丸山と言わ
れたり 青い山を 青山と言い 青山という地名になったそうです。

 由緒によりますと 稲岡神社の祭神は 豊受姫大神と 射目埼大神で 豊受姫大神は 五穀
豊穣の神様で この神社が 鎮座する聖地が 稲牟禮丘(いなむれのおか)であることから 迎え
られた。 稲牟礼丘は 「播磨国風土記」に記載される「十四丘伝説」にある?稲が落ちたと言わ
れる丘のことです。 読んだことはないので 詳しことは分かりませんが 概略 以下の如く

 昔 大汝命が 息子の火明命の乱暴ぶりに手を焼き あるとき 火明命を 水を汲んで来てくれ
と言って 八丈岩山へ降ろし 舟で 逃げると 火明命が 怒って嵐を起こし 舟を沈めた。 その時
舟に積んでいた 稲や冑などが 落ちた場所が 船丘、波丘、琴丘、藤丘、冑丘、稲牟礼丘、箕形
丘、日女道丘、石丘、鹿丘、大丘、みか丘、筥丘、くしげ丘 の十四の丘になった。
 現在 そのうち 十の丘が 比定されていて 稲牟礼丘(稲岡山)も そのひとつです。 十の山は
景福寺山、名古山、薬師山、姫山、男山、稲岡山、冑山、舟越山、秩父山、面白山 だと思いま
すが・・。 因みに 私は 姫路・低山めぐりで 比定された10の山には 登った筈?



 このように 稲岡神社は 由緒ある神社なれば 古来 柿本人麻、赤松則弘、榊原正邦(姫路
城・城主?)等 武将・領主の尊崇 常に深く しばしば 祈請した・・とあります。 もらった資料に
摂社・柿本人麻神社の由緒記が あったのですが 家に帰ってから気付き 後の祭り・・。 ここ
から 北西200mにある人丸神社が それのようです。
 柿本人麻呂は 播磨守として 青山に住んでいたことがあり 人丸神社の祭神。 神社は 委見
ヶ丘といわれる小さな丘にあり 帆かけ舟の帆の形をした歌碑が あるそうなので また いつか
見に行きましょう。
 そういえば 神社の入口の説明板に 万葉集にある柿本人磨呂の短歌が ありました。

   ” あいみては 千とせやいぬる 稲岡も 我やしかとふ 君まつほどに ”

 下の写真は どこかにあった絵馬ですが 「お陰参り図絵馬」は 文政十三年(1830)のもの
で 県指定の重要文化財。 ストロボが反射し 見難いですが 上部に 青山の遠景 中央に 武
者二人を配し その下に お陰の幟・・一村まとまって 伊勢参宮の様子が 描かれている そうです。



 腰を深く曲げて お参りし 摂社・金毘羅神社の左を廻り 山へ登ります。 西の広場に ”稲岡山
ハイキングコース”の道標があり 鎮守の森へ入ります。 道は やや分かりにくく なっていますが
擬木階段を探しながら歩きます。 60mの山なので 5分?もあれは・・。 東へ進み 左の岩へ上
がると 山頂です。



 岩があるだけの山頂ですが スピーカのついたポールと 青山八景の石碑があります。 石碑
に彫ってある歌は 城主だった榊原政邦公の歌でしょうか? 北へ道?があり 少し降りてみま
したが ゴザのようなシートが敷いてあり 薄気味悪いので 退散しました。



 東が開け 絶好の展望台。 目の前のひょうたん島のような山は 秩父山と舟越山で その
左には 振袖山(蛤山)が あります。 右の大きい山は 籾取山。 左裾に 鬢櫛山は 見えな
い? 今日もモヤが濃く 遠くは かすんでいます。 景色を見て 下山。



 車に戻ると ワイパーに 駐車違反の札が・・。 駐車違反の札では ありません! 事務所の
人が 親切にも 稲岡神社と人丸神社のパンフレットを 挟んでおいてくれたのです。 事務所
に寄って お礼を言い 神社を後にし 大鳥居の所から 西の道路に出て 北へ向かいます。



 擦れ違いにも 難儀する細い道を 北へ 1.5km行くと 姫新線の余部駅に出ます。 駅の
手前の片隅に 「矢落の森」 の石碑がありましたが・・。 森と言っても 木一本生えていません。
横のフェンスは 自転車置き場だし・・。  矢落の森の由来には
 ”神功皇后 市川の東 麻生山より 試みの一矢 この地におつ 故に 矢落の森といふ
  応神天皇 この地に 射目を 立て狩りをし給う 郷民 ここに 社を祀り 崇めしが
  洪水のため 流れて 稲岡山に止まる 今は 青山の宮に合祀せり 夢前の名の起りである”
  とあります。
昔は この辺りを ”行矢” と言ったのでしょうか? 今は 字 森的場という?



 一応 見るものは見たので 帰路につきます。 細い道は止めて 国道29号線に出て 夢前橋
の袂から 右折して 国道2号線を走って 帰りました。 11:57 帰着。
本日の走行距離は 稲岡神社まで 8.5km 矢落の森の碑まで 1.5km 復路 10.4kmで
計 20.4kmでした。
 下の写真は 東の国道29号線側から 撮った稲岡山ですが 形が 前方後円墳に 見えませ
んか? 廻りに堀は ないので かって 前方後円墳だったということは あり得ないか?


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コメント
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