中年の散歩道

後期高齢者世代、、、そんな親父の街角ウオッチングetc..

磐音の世界

2007-10-08 09:12:03 | Weblog
またまた磐音であるが、その日常を、切り絵図と現代の地図を眺めていても、未だ一つピンし来ないものがあった。その理由は、やはり自動車である事が分かった。私は、40年以上もマイカー族であり、30数年住んでいる自宅もマイカーと共に引っ越して来た。遠い、近いは、自動車中心の感覚となっている。

そこで、18歳まで住んでいた函館の生家を中心にして小学校時分の時間距離や行動半径をみてみると、江戸時代と殆ど変わりの無いことに得心した。歩き中心なのだから当然と言ってしまえば、それまでなのだが、、、
 八幡小学校 670m
 亀田八幡宮 420m
 万代岸壁   750m
 トーフ屋    250m  
当時の思い出す冒険的な距離は、1000mを超えたあたりから。全て、直線距離。

万代岸壁は、中型の貨物船やイカ釣り漁船が停泊する岸壁であり、春から秋にかけては、1本竿を担いで殆ど日参していた。
秋の陽も落ちかけ、空腹で自宅に帰ってからお使いに出されたトーフ屋さんは、改めて地図を眺めて見ると、思いの外近かった。しかし、秋ともなれば帰り道は暗くなってしまうので、歌を歌いながら足早に戻ったことを思い出す。

このようにして思い出してみると、お使いで訪ねて来た幸吉少年を、西両国橋にある今津屋からを金兵衛長屋まで、大人が送っていくこともむべなるかなと思う。
第5巻の3章で、幸吉とおそめが磐音から、今評判の「鴨なんばん」をご馳走になる。この松井橋袂の十二庵は、金兵衛長屋から700m強と推定されるが、確かにご近所では無い。準お出かけ距離であろう。
現在の我が家でも、評判を聞いて「・・・に出かけるか?」という時、着慣れたヨレヨレの作業ズボンを、少しはましなズボンに穿きかえる距離ではある。100m先の花屋さんには、制服?のままだが、、、

このようにして「居眠り磐音」を読むと、武士や町家の作法のみならず、作者の下調べというか、広範な準備というか、流石プロであると改めて感心させられたのだった。

コメント
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