中年の散歩道

後期高齢者世代、、、そんな親父の街角ウオッチングetc..

函館のことから

2012-09-03 13:04:36 | Weblog
所用があって、函館と道南の日本海側に位置する乙部町を走って来た。走行距離は、延べ6百数十キロとなった。

写真は、明治25(1892)年の函館港の様子であるが、港の賑わいが良く分かる。

写真の3年前となる1889年の人口推移では、
函館  人口52,909人 全国16位 
札幌  人口16,876人 全国79位
函館の人口は、1940年になって1位の座を札幌に譲った?。そして、その札幌は、190万人を目前としている。

別に、人口うんぬんでは無い。函館を含む道南地方は、商業というか、民の作った町であることを言いたいのだ。
札幌は官業・・北海道開発の税金に群がった輩の町である。若し、国税の仕組みが無かったら、、、

今や、関西の元気印とも言える市長は、中央政府から地方へと提言し、国会議員の先生方も大いに揺れている。徒然にこんなことを思い浮かべながら、超・過疎地として進行している日本海側を走った。
朝の8時過ぎに、日本海側から噴火湾へ向けての走行中に見かけたのは、数台の車と、数人の老人(婆様>爺様)だけ、、、
列島改造、ロッキード疑惑の頃となろうか? バンバン造った漁港に見える船の影は、寂し過ぎる、、、
短期的あるいは長期的な視点での費用対効果は、どうだったのだろう? 税をばら撒き、地方の切り捨てをしなくても、町や村が今にも消えようとしている現実、、、そして、札幌だけが発展している、、、
乙部町から大成町までの数十キロ間に、いわゆるスーパーは見かけなかった。コンビニも、1軒位あったかどうか?まるで記憶には無い。

そして、先日は北海道新幹線の着工に沸いた、、、

道すがら数か所で見かけた、夫々に数台の山車と小さな神輿が、懐かしくもあり悲しくもあった。何故なら、子らの数よりも、大人の数が多かったのだ、、、
でも、小さな祭りでも催されるマシとも言える。私の住まいの近所にも、とって付けたような神社が二つ、あるにはあるのだが、祭りの”ま”の字さえ無い、、、所詮、根無し草の町と言ってしまえば、それまでではあるが、、、

”田舎に暮らそう”に憧れても、車を運転出来なくなれば、生活が成り立たない、重過ぎる現実、、、



コメント
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