Death & Live

いわゆる日記とは違うようで。死に様や心の疲労について、つれづれなるままに書き綴るだけ。

母親

2007-01-18 07:34:45 | 凸凹な人々へ ∋zooquie
母親というものは難しい生き物のようだ。

自分の母親は子育てを放棄した。ついでに言えば家事も。
子どもにしてみれば、虐待されたりするよりは、放棄してくれて良かったのかもしれないけどね。
元々子供が好きじゃなかったみたいだ。

母親はほとんど家にいなかった。
仕事もあったし、習い事もいつも2つ、3つしていた。
夜もいない、週末もいない。

自分は伯母に面倒を見てもらっていたからいいものの、
姉は特定の人に預けられたワケではなく、
母親の変わりに小さい頃から、家事モドキをしていた。

そんな姉には、愛情を感じられる人が側にいなかった。
姉は母親の愛情が欲しくて欲しくてたまらなかった。

我慢の限界に来た思春期に、登校拒否。
拒食症と過食症の繰り返し。
対人恐怖症。
自殺未遂の繰り返し。

それでも、母親は姉を病院に連れて行くだけで、
母親自身が変わらなくてはいけないことを、
口先では言うものの、心では分かっていなかった。

姉がちょっと調子良くなると、すぐに学校に行かせたがった。
強くなれとか、少しは我慢しろとかも言っていた。
それが出来ないから悩んでるのに。
あなたに、子どもを抱くように、愛情いっぱい包んで欲しいだけだったのに。

姉の病気のことで、病院の先生から呼び出しがかかろうと、
習い事優先で、平気ですっぽかしていたような人である。

姉が本当に死んでしまうまで、分かろうとしなかった。
いや、死んだ後もわかっちゃいないだろうけど。


ちょっと前まで、世間では、母親は子どもを命がけで守るかのようなことを言われていたけれど、それはやっぱり一般論でしかない。
多くの母親は子にとって、とても逞しく頼り甲斐もあるのでしょうが、
少数の母親は、母親となった強さ故に、弱い者の心をなかなか理解出来ないでいるものかと。


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2 コメント

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・・・ (ケン)
2007-01-18 11:52:18
聞いたことですが
陣痛の苦しみを乗り越えて生まれてきた子は
かけがいのない宝ものと聞きます

しかし最近の事件でも そうですが…
自分の都合を優先して子供は二の次が多く感じます
個人主義の間違った方向に行っていると思います

たしかに自分は大切です
ですが愛する人、子がいたら
やはり そちらを優先すると思うのです

そう考えたら…
個人主義で愛を知らない人が事件を起こすのかもしれませんね…

ウチ自身 愛とは 聞かれたら明確には答えられませんが
愛してる人が困ってたら助けたいと無意識に思います
この無意識を合理的に考えた時点で愛ではないのかもしれませんね…

すいません 何を言いたいのかチンプンカンプンですね

あの 踏み込んだ話を書きますが
お姉さんが亡くなったことは
ズーキーさんに罪は無いですよ
もし自分を責めているなら
責めなくていいです
お姉さんへたいする想いがあるだけ
お姉さんはきっと救われていると思います
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ケンさんへ (zooquie)
2007-01-18 21:45:31
そう、その陣痛の痛みを超える愛がそこに生まれるはずなのだけれど、痛みを超える愛を忘れてしまって、痛みを超えた強さだけが残ってしまう人が、まれにいるのだろうか。

愛は無意識の中にこそ生まれるものなのかな。
陣痛の痛みを超えたんだから、愛が無いはずは無い、
というものではなく、
そういう意識や常識や一般論を超えたところにあるもの。
言葉で簡単に表せたら、教科書で子どもに教えることも簡単なんだけどね。
表せることができないからこそ、尊いものなのかも。

姉が自殺をしたことに、
まったく責任を感じていないと言うと嘘になるけれど、
それ以上に、姉を尊敬していた気持ちを失いたくない、
だからこそ、真正面から語りたい、そういう心情です。

言いにくいだろうメッセージを書いてくれてありがとう。

これからも、思うままコメントして下さいな。
それこそがこのBlogの求めているものなので。
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