なんか最近この手のサイトが多い気がする。
ちょっとやってみた。
例文は2011年9月4日のこの部分。
政治評論家の小林吉弥という人がいる。こういうやつをバカという。「塾出身者は偏差値の高いエリートで・・・」「実社会で苦労した経験が少なく人の心がわからない・・・」「理想を追い過ぎ、政治に必要な腹芸や妥協ができるかどうかは微妙だ」。
これでよく評論家が務まるものだ。確かこいつは田中角栄のことが好きなんじゃなかったっけ?。そりゃ、今時、大学くらい出てますがな、みなさん。大学を出ただけで偏差値の高いエリートっていわれてもねぇ。ちょっとくらい調べましょうよ。塾出身者のみんながどこの大学を出てるかくらい。田中角栄さんと比べられたら、日本国民のほとんどが偏差値の高いエリートになってしまうじゃんか。それに「エリート」って何よ?。そういう言葉しか使えないボキャブラリーの貧困さでよく評論家が務まるぜ。
「実社会で苦労した経験が少なく人の心がわからない」というのも全くおかしい。それじゃ、18歳以下の人間は全員、人の心がわからないということにならんかな?。いや、大学を出てそのまま教師になった人も実社会での経験がないからろくな教師は一人もいないというのかね、こいつは。だいたい「実社会」ってなんだ?。さきほどの「エリート」と同じで意味がない言葉だということをこいつはわかっているのか?。誰だって実社会で生きてるんだよ。実社会じゃない社会がどこにあるんだ、教えてくれ。
「理想を追い過ぎ・・・」。塾出身者の誰が「理想」とやらを掲げてるんだ???。教えてくれ。そんなもんを俺は未だかつてみたことがないから、もっと勉強しろといっているのだ。「どじょうが金魚目指してなんになる」というような発言を「理想」っていうの?。小林くん、教えて~。
この評価は
次は2012年121月12日の日記より
夜は待ちに待ったABCのライブ。代々木第一体育館は真央ちゃんのスケートを観にいったのが3年くらい前だったと記憶している。
それにしても女が多い。タダシンヤにしろ、来生たかおにしろ、女性の客がほとんどだが、こちらは女というよりおばちゃんといったほうが適切。ちなみにおばちゃんをバカにしているわけではない。ABCはかなり若い女性が多いので少し気恥ずかしい。
失敗した、と思ったのは双眼鏡を忘れたこと。チケットはアリーナ席だったが、なにせあれだけ広い会場だからアリーナといっても喜べるものではない。とりあえずは期待せず会場に入る。
おぉ、センターステージじゃん!。
エンドステージだとアリーナといっても下手するとスタンド以下のところもあるが、これだといろんなところから見やすい。おまけに俺はとりあえず3列目なので少しワクワク。
席を探していくうちにどんどん前へ。席をみつけたときは嬉しかったねぇ。
ステージの目の前だ。
いろいろと眺めていると、
紙吹雪かアルミテープかわからんがAKBでいう「ポニーテールとシュシュ」のときにポーンと飛び出るようなものが配置されている。
マイクも立っている。
ここまでやってくるということは距離にして6m近くにまで接近するってことか!!!。
これほどの大会場で、AKB劇場の最後列くらいの近さで観られるとはドキドキしてくる。
いざ、幕が開けると、ラッキー。ドラムの淳士がよくみえる最高の席だった。もちろんyasuの歌声も好きだけど、やっぱドラム演奏を観にきているというのが偽らざる気持ちだ。
途中でyasuが俺らのブロックに近づいてきて、ドラムばかりをみていたがそのときくらいはと思ってyasuの方をみると目が合った(と思う)。
「おい、おっさん、なにポケーっとしてんねん」と言われた感じで、俺に何か投げてきた。
何を投げたかわからなかったが、隣の女の子が一生懸命探していて「私の顔にあたったの」と言って少し探すのを手伝ったりして、結局投げてきたのはギターのピックだったことがわかった。
まぁ、俺みたいなライトなファンよりも熱心なファンにこういうものが渡る方がいいに決まっているので惜しいとは思わない。
無事痛みも出ることなくアンコールこみで3時間楽しくすごせた。
曲も好きで演奏も観られて申し分なし。それにしても気配りがとてもよかった。アリーナはフラットになるので後ろほど見えにくくなるが、ゆるやかに段差をつけて後ろの人も見えやすいようにという配慮をとっていた。こういうみえないところで金をかけるのは素晴らしいと思う。
近くにいたファンの人たちも厄介な人は皆無でみな楽しくその場をすごして挨拶して終わり。
今度はいついけるかわからんが、年に1回は必ず観にいきたい。
余談になるが、Tシャツを着て「戦闘準備」の人と、サンタ姿のコスプレ系と、目一杯のオシャレをしてくる人と大きく分けると三つのタイプになる。これはタダシンヤでもPia-no-jaCでも似ている。
こんな広い会場で観られるわけでもないのに目一杯のオシャレをしたりする人はすごい。アイドル系の現場では握手とかそういったことまでやるんだから少しはオシャレ(清潔に)しろよ、といいたくなる人がたまに(いつも?)いる。なぜ、観られるわけではないのにオシャレをし、接触するのにオシャレをしないのか?。その違いは男女の違いによるものなのか、別の何かが作用しているのかは今はわからない。はっきり言えるのは俺にとってアイドルの現場よりも居心地は数倍よかったことを実感した。やっぱり俺にはアイドルの現場は向かないのかもしれない。
こいつは
最後は2月2日の日記より。
持つべきものは友とはよく言ったもんでSKEの新曲を入手。
ヲタ友はかつて俺がスパルタ教育でAKBメンバーを覚えさせたやつ。
いつしかSKEヲタに流れ、多少は冷めつつあるもののまだ十分にヲタといっても過言ではなく、握手会のためにCDを複数枚は購入しているので余りをもらったわけだ。
「メンバーの名前、ちゃんと言えますよね」
「よし、みせてみろ」
タワレコでは北原がいた時点でもうそれ以上メンバーの名前と顔を確認しなかったので、ここで再チャレンジ。
「これは誰?」
「えーと、えーと、大分から来た人、えーとえーと、あっ、矢方だ!」
「これは誰」
「ごめん、わからん」
「ごまですよ」
「ごまって誰だったっけ???」
「これから、生徒が用語を覚えられなくても怒っちゃダメですよ」
「はい、はい」
「これは誰?」
「ごめん、わからん・・・」
「出口陽ですよ」
「おぉ、ぴっぴかぁ!」
「ぴっぴって何年前の呼び名ですか、3年前でしょ。もう誰もそんな呼び方はしませんよ」
人間の記憶は面白い。新しく覚えたものからどんどん消えて行く。残るのは昔の記憶だ。
楽しかったなぁ、秋祭りに東京競馬場の握手会・・・・。
「これは誰?、あれ、ちょっとわかんないなぁ」
「どれどれ、みせてみぃ。あー、花音ちゃんじゃん。」
「ええ?、そうですかぁ?」
「そうだよ、それにしても花音ちゃん、身長伸びたなぁ。もう高校生になるくらいだよな」
「花音じゃないと思いますよ」
「花音ちゃんだって。クレジットで確かめてみるべ」
「ごめん、竹内舞だって・・・」
おかしい、花音ちゃんとは何十枚分も握手をしたというのに。それにしても「身長伸びたなぁ」などとよくも知ったかぶりができたものだ。
基本的に脳の容量が5ビットくらいしかないから使わないものは自動消去装置が働いて忘れるようになってるんだよな。もっと正確に言うと、考えたり意識したようなことは忘れていない自信がある。でも、そういうことじゃなく日常生活に転がっているようなことは実はほとんど覚えていない。だから、小学校の授業で習ったことは先生がどんなことを話していたかまで断片的だが覚えているのにクラスメイトの名前が言えるのは1人しかいない。当然、名簿をみてもなにも思い出せない。
たぶん、記憶力が弱いというのではなく大脳のメカニズムが人とかなり違っているものと思われる。同じ曲を100回以上叩いても楽譜を覚えられないのもそこに原因があるものと思われる。ドラムは頭を使うことなくあるフレーズをゆっくり叩きながら体に刻み込んでいくのだが、どうやらそれだけでは覚えてくれないようだ。
つまり、頭はいい方なのだとは思うが、体はとってもおバカなようだ。頭の記憶力と体の記憶力には違いがあるのだろう。
でも、これは心身二元論だよなぁ。もしかしたら頭の方も実はバカなのかもしれない。今さら頭がよくなるわけでもなく、バカのまま人生を終えていくのも癪だが仕方ない。
さて、明日も遊ぶか。
この評価は
なんかいろいろと試してみたくなるが、とりあえずは表現力と個性が3つともAAなんでお世辞でも少し嬉しくなった。
了