富士浅間神社(2) 2017-03-27 06:00:08 | 日記 貞享5年(1688)に社殿が造修されて後、一時荒廃していたが、享保年間になって富士講のの行者 であった村上光晴が、私財をなげうって再興しました。拝殿の前の両脇には樹齢千年の「富士太郎杉」 「富士夫婦檜」の名を持つ大きな御神木があります。 夫婦檜 富士登山道の吉田口の起点にあたるこの地は、江戸時代には富士講が流香して、周辺には御師の 宿坊が百軒近く立ち並んでいたこともあるといいます。これは神社に属さない独自の宗教活動でありま した。昭和初期には神社北の裏手から、登山バス 浅間神社ー馬返し線が運行していました。当時は 随分賑やかだったと想像できますね。(写真Mr麹町) « 北口本宮富士浅間神社(富士... | トップ | 稀勢の里逆転優勝 »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 参拝しました (みさこ) 2017-03-26 15:22:54 浅間神社、昨年参拝しました。神社から忍野八海まで歩きました。富士山は、少しの間お出ましでしたが、さすが麓近くでは迫力が違います。忍野八海には、中国語があちこちで飛び交っていました。 注連(しめ)切るやたちまち俗界山開き 飛べ天狗神木に吹く大南風(おおみなみ) 返信する みさこさん (sanpo63) 2017-03-27 14:07:03 お元気そうですね。若いからね。 忍野八海まで歩いたとは 元気ですね 私なんぞは よたよたしたいます。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
富士山は、少しの間お出ましでしたが、さすが麓近くでは迫力が違います。
忍野八海には、中国語があちこちで飛び交っていました。
注連(しめ)切るやたちまち俗界山開き
飛べ天狗神木に吹く大南風(おおみなみ)
忍野八海まで歩いたとは 元気ですね
私なんぞは よたよたしたいます。